みそ文

耽溺エアオーケストラ

 私の車の中ではこの一年近くカルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー演奏のベートーヴェン交響曲5番と7番が繰り返し流れている。たまに夫が私の車に乗ると「う、消していい? それか何か他の音楽にしてください」と言うことがあり、そのときにはそれ以前に繰り返しかけていた大河ドラマ清盛のサウンドトラックに交換する。私が車中で清盛を繰り返しかけていた当時の夫は私の車に乗ると「う、これはもう飽きました、他のものにしてください」と所望していたものだが、ベートーヴェン好きの夫でさえも最近は「清盛もこうして久しぶりに聞くと新鮮やなあ」と言うほどだ。

 ベートーヴェンに関しては夫のほうがずっと以前(学生の頃)から愛聴しておりひととおりいろんなCDを持っているのだが、そのベートーヴェン好きの夫が「飽きた」と言うのはどういうことだろう。そもそも夫が私の車に乗るのは一ヶ月に一回か二回程度で、外出時の車中で聞くのも5番と7番をせいぜい一巡か二巡だから飽きるほど聞いているわけではないような気がするのだけど。

 私が夫に「私と同じようにベートーヴェンの5番と7番を、7番の2楽章と4楽章だけでもいいけど、繰り返し聞くひとって私の他にもいるかな」となんとなく尋ねてみたところ、夫は「うーん、そりゃあ、いるんちゃう、こんだけ人類いっぱいおるんやし」と言う。

「ベートーヴェンならなんでもいいんじゃなくて、カルロス・クライバー指揮のウィーン・フィルハーモニー演奏の5番と7番限定で、音楽関係のお仕事上の必要でとかじゃなく、あくまでもただひたすら耽溺する聴き方でだよ」
「うん、それでも、二三人はいると思う」
「えーーー、二三人なんてそんな少ないことないと思わん? 私と同好の人たちと語り合うことはないとはいえ20人か30人か、200人か300人か、2000人か3000人くらいかもっと、こういう聴き方する人がいると思うんだけど、いてほしいんだけど」
「どうやろうなあ、だって、同じ曲何回も聴いたら飽きるじゃん」
「飽きないよ、飽きるって意味がわからんよ。だって、どうやらくんだって冬にトレーニングで行くお山は何回も何回も同じお山に登るじゃん」
「山は行くたびに違うもん。季節によってはもちろん、同じ冬の間でも行くたびに変化がある。でもCDの内容は変わらんじゃん」
「CDの内容は変わらんでも、聞く人間のほうが日々刻々と変わるじゃん。人間もだし、それを聞くときの世の中の状態も毎回ちがうよ」
「まあなあ、すべてが同じってことはないけどなあ」
「同じ山でも山自体に変化があるだけじゃなくそのときの自分の実力やコンディションによって見えるもの聞こえるもの感じられるものは変わってくるでしょ」
「それはたしかにそうだけど」
「5番の躍動感あるリズムを聴くとどうやらくんは『運転がのる』って言うみたいに、運転にも仕事にも帰宅にも暮らしにもそのときそのときで勢いがついて気持ちがいいというか、一個一個連続したことだけどなんとなく区切りがつくというか、それでいて自分の暮らしの連続性に対する、なんだろうなあ慈しみみたいなものかなあ、が都度都度感じられる気がして、聴いてないよりも聴いているほうが自分のQOL(生活の質)がいいかんじ。ベートーヴェンもカルロス・クライバーもウィーン・フィルハーモニーの皆さんも本当にいい仕事をしてくれました、どうもありがとう、っていう気持ちになる。日々これを聴かずに暮らしている人たちはもちろんいっぱいいるんだけどみなさんほんとにそれでいいの大丈夫なのとうっかりするとつい心配しそうになるくらいなんだよ、でもそこは『いやいやそれは人それぞれよね、私だって生まれてからこれまでずっと毎日これを聴き続けてきたわけじゃないんだし』って思いとどまれる自制心が自分にあってよかったー」
「よかったね。CD一枚数千円でこれだけ聴いたらもう元は取り尽くしてるよなあ」
「うん、もうね、音が実際に流れていなくても脳内でかなり再現できるようになったよ。ただまだまだ聞き取れてない楽器の音やリズムや演奏のいろんなことがあるし聴くのは聴けても特定の楽器の音のリズムを指先なり体なりで完全にコピーできるところまではいってないから、聴きこむ余地はいっぱいあるの」
「そこまでするんならほんとに指揮者用の楽譜買って見ながら聴いたら楽しいんやろうなあ」
「うん、買うつもり。ただ買うのになんかえいやっーていうような勢いが要るみたいでまだ買ってないけど。指揮者用のスコアってあたりまえだけど楽器ごとのパート譜じゃなくてすべての楽器の楽譜が載ってるから高くてね一曲一万円前後くらいするの、いやもうちょっと安いポケット版もあるのはあるんだけど、おとなとしてはもう目にらくなほうで遊びたいじゃん」
「楽譜読めるんだったら、楽譜見ながら聴くと、楽譜なしではほぼ全然聞き取れてなかった音なんかも聞こえてくるんやろうなあ」
「うんうん、そうだと思うのよ、たのしそうでしょ。でね、将来的にはエアオーケストラっていうのかな、ほら、エアギターとかそういうののオーケストラ版をして遊びたいなと思って」
「なにそれ」
「うーん、だからね、すべての楽器の演奏がこの歳になって習い始めてできるようになるわけじゃないから、運指はおぼえてできるようになってもそれなりの音を実際に滑らかに気持よく出せるようになるのは難しいでしょ、でもエアならプロの演奏を耳で聞きながらそれに合わせてその楽器を演奏しているかのように体や指先を動かして気持よく身を任せることができると思うの」
「ああー、コンサート聴きに行ったりCD聴いたりする人の中に自分で指揮してる気分になってる人はけっこういると思う」
「指揮はね指揮でいいんだけど、私がしたいのは指揮じゃなくて楽器のほう。そういうわけでどうやらくんも一緒にどう?」
「いや、おれは、ええわ。指揮ならまだしも」
「んじゃ指揮して指揮して。カルロス・クライバーのごとく舞うように踊るように。そしてティンパニパートのところでビシッと私にタクトを向けてきて」
「みそきちティンパニなん?」
「うん、第一希望はティンパニ。ティンパニパート以外ではじっとして他の音を聴いて次の自分の演奏部分まで楽曲のテンポはなんとなくリードしつつ備えるの、くうっ、たのしそうっ。でもどうやらくんがティンパニしたいんだったら譲るよ、というかふたりとも一緒にティンパニしようよ」
「いや、ティンパニはええわ」
「そうなん? でね第一希望はティンパニだけど他の楽器もひととおり全部やりたいから、順番にと思ってもこれがけっこう忙しくてねえ、生きてる間に全部できるかなあどうかなあってかんじなんだよねえ」
「陰ながら応援しとくよ」

 夫が言う「陰ながら」は「自分はそれに参加する気はありません、もちろん邪魔はいたしません」という意志表明であることを私は知っている。     押し葉

切妻屋根はゲイブルズ

 日曜日に夫と隣県の魚料理屋さんに出かける。魚屋さんの二階にある魚料理屋さんにしようか、農園が営む野菜レストランで食べ放題ブッフェスタイルのお昼ごはんにしようか、夫は土曜日に山に行ってきたから今なら食べ放題に勝てると言うけれどどうしよう、と迷いながら、車に乗ってから考えようということにして出発する。魚料理屋さんならば高速道路に乗って行くことになり、野菜レストランならば高速道路の手前までの移動で済む。

 今回は私が高速道路のサービスエリアで加賀棒茶を買いたいという希望があった。別に大急ぎではないのだけれど、魚料理屋さんか落語か何かで石川県に行くときには買うのを思い出したいな、と思っていた。加賀棒茶はほうじ茶で茶葉の茎の部分だけを浅く香ばしく焙じたもので、ほうじ茶でありながら少し上等な緑茶と同じくらいのお値段がするものの、そのすっきりと澄んだ味わいはそのお値段に見合ったおいしさ。

 買いたいなという気持ちがあるときに買いに行こうよ、お腹がいっぱいになったらそれでどうでもよくなってしまうといけないから、まずはサービスエリアで加賀棒茶を買って、それから魚料理屋で魚を食べよう、と夫が車中で決めてくれたので、よしそうしよう、と、ETCカードを車載器に入れていざ高速道路へ。インターチェンジから本線に向けて加速する私の左隣で夫が「月曜日のアニメ赤毛のアンでさ」と話始める。

「月曜日のアニメ赤毛のアンで、マシュウがアンに『アンはアヴォンリーのアンじゃよ、グリンゲイブルズのアンじゃよ』って言うてたけど」
「うん、言うてた言うてた」
「アヴォンリーっていうのはあの地域の名前じゃろ?」
「うん、そう、たぶんあそこの村の名前がアヴォンリー」
「じゃあ、グリンゲイブルズは?」
「マシュウとマリラとアンが暮らすあの家がグリンゲイブルズ」
「グリンゲイブルズって?」
「あの家の色形がグリンゲイブルズじゃん」
「家に名前をつけてるってこと?」
「家に名前をつけてるというか、家の特徴がそうだからそう呼んでいるというか。でもそういえばダイアナの家のことをバリーさんちって言う以外に何か家の名前で呼んでいたかというとそうでもなかったような」
「で、なんであの家の名前がグリンゲイブルズなん?」
「なんでって、緑の切妻屋根の家じゃん」
「それは知ってるけど、それとグリンゲイブルズとどう関係があるん?」
「え? え? え? えーと、あの家の屋根が緑色なのは知ってるよね?」
「うん、緑色の切妻屋根だけど」
「えーと、切妻屋根の形は知ってるというか屋根の形に関してはどうやらくん私より詳しかったよね。えーと、えーと、もしかして、どうやらくんは切妻屋根のことを英語でゲイブルって言うのを知らんのんかな?」
「ああー、ゲイブルズって切妻屋根のことなんか」
「そうだよ、今まで何だと思ってたん?」
「なんかなー、と思ってた」
「何を今更。あれほど花子とアンの中で『グリンゲイブルズのアンを直訳すると緑の切妻屋根のアンになりますが翻訳した本のタイトルはどうしましょう、窓辺に寄る少女でいきましょうか、いややっぱり赤毛のアンで』って話をしてたじゃん」
「あー、なんかそんなこと言うてたなー、そういえば」
「たぶん、マシュウもマリラもあの家の緑色の切妻屋根のことも自分たちの家をご近所さんたちや自分たちがグリンゲイブルズと呼ぶことも気に入ってるんじゃないかな」
「そうか、あの家の名前がグリンゲイブルズなんか。ずっとアヴォンリーのグリンゲイブルズっていうのは河内長野市小山田町の河内長野市の部分がアヴォンリーで小山田町の部分がグリンゲイブルズなんかと思ってた。アヴォンリーは島の中にある村なんじゃろ?」
「うん、プリンスエドワード島っていう島の中だけど、そういえばそんなに言うほどアヴォンリーは島島したかんじはせんね」
「そりゃ、島とは言っても瀬戸内の島とは違うじゃろうけん。面積も大きいんじゃろうし」
「そっか。島とはいっても四国や九州くらいあるかもしれんしね」
「北海道くらいかもしれんし。そうかー、地名とは別に家に名前があるとはなあ」
「家の名前だと思うけど、マシュウが所有してる広大な農地も含めてグリンゲイブルズなんかな、いや、あの家のことだけだと思うけど」

 日曜日のお出かけでグリンゲイブルズが緑の切妻屋根だと理解したところで、今日のアニメ赤毛のアンを見ましょうかね。     押し葉

奇数の奇の字

 私が暮らす自治体ではゴミ回収の種類の中に「蛍光灯回収の日」というのがある。以前は蛍光灯は燃やせないゴミとして出すか販売店で回収してもらうことになっていたのだが蛍光灯を蛍光灯だけで回収して資源として再利用しましょうという趣旨で新しい回収日ができた。
 蛍光灯は毎月定期的に回収されるわけではなく、出せるのは奇数月の第何何曜日と決まっている。
 我が家では居間の壁にゴミ分別方法と回収日の紙を貼っているのだが、この紙は古い案内のため蛍光灯の回収については書かれていない。その紙の欄外に手書きで蛍光灯の回収日を書こうとしてふと「奇数」の漢字がとっさに書けないことに気づく。

「う。どうやらくん。わたし、きすうのきの字が書けない。数は書けるんだけど」
「きすうのき? そんなん簡単じゃん」
「どうだったっけ、教えて。口で説明して」
「簡単簡単。まずウ冠を書くじゃろ」
「はい、ウ冠書きました」
「その下に大中小の大を書きます」
「はい、ウ冠の下に大を書きました」
「その下に可能不可能の可を書きます」
「どうやらくん、これ、きすうのきの字じゃなくて寄り道の寄るの字でお年寄りの寄りの字だと思う」
「あれ。ほんまや」
「奇数の奇はウ冠が要らないんじゃないでしょうか」
「そうや、ウ冠なしやなあ、おかしいなあ、奇数の奇はウ冠から始まると思ったんだけどなあ」
「うわーん、いきなりゴミ分別の紙に赤マジックで書いたけど、どうやらくんが言うとおりに書いたら間違った字だったよう、バカなひとが書いたみたいだよう」
「ウ冠のところゴニョゴニョと消してみたらどうかな」
「うう、こうかな、ゴニョゴニョ。うわーん、なんかもっとバカなひとみたいになったー」
「大丈夫、この紙は俺ら以外誰も見るわけじゃないし」
「そうだけどー、でもー、奇数の奇の字を間違って寄って書いたのもそれをゴニョゴニョ直したのに直しきれてないのもこれを修正テープなりで隠して書き直すのもなんかー、いやー」
「よしよし」

 とっさに漢字が書けないときには夫に訊くのもいいけれど自分で調べるのもいいと思う。そしていきなり書きたいところに書くのではなくて別のところに下書きをして確認してから目的の書きたいところに書くのがいいと思う。     押し葉

甘エビの食べ方

 数日前、夫のPCをふと見たら延々大量の甘エビの殻をむき続ける動画が再生されていた。

「どうしたの? そんなに甘エビ食べたい気分なん?」
「いや、まえに、会社の忘年会で泊まった魚料理民宿のおばちゃんが『甘エビはこうして食べると余すところなく食べられるんや』いうて教えてくれて、おお、ほんまや、すっごい食べやすくておいしい、目からうろこや、と思ったところまではおぼえてるんだけど、その肝心のむき方がどうだったんか思い出せんなあと思ってさがしてるんだけど、出てくるのは甘エビの料理の仕方かこんなんばっかりで思うものが出てこん」
「甘エビねえ、どうやって食べてたかなあ」
「なんとなく、教えてもらったのは、ふつうは頭をちぎってから胴体の殻をむいてしっぽを持って食べるかんじだけど、先にしっぽを取ってから頭を持って食べたほうが頭の中のみそも食べられる、っていう話だったような」
「ほう、なるほど、それはそうかも、みそが食べたいときには。でもこう脚に抱いてる卵はどうするんだろ」
「胴体の殻をむくと一緒に脚が取れて脚を取ったら卵も取れるからなあ、うーん、思い出せんなあ」

 そんな話をして数日後の日曜日に海沿いの魚料理屋さんでお昼ごはんを食べた。夫は豪快海鮮丼というものを注文。豪快海鮮丼には豪快にいろんなお刺身がのっている。甘エビも数匹いる。夫は丼にのる甘エビのしっぽだけを取ってから頭を持ち醤油につけて口に運ぶ。なんというか特段食べやすそうには見えないのだが一応訊いてみる。

「どう? 教えてもらった食べ方はその食べ方だった?」
「うーん、なんかちがう。こんなに口の中で胴体の殻や脚を選り分けるかんじはせんかったと思う。なんかもっと食べやすくてなおかつみそも子も食べられたんだけどなあ」
「目からうろこだったのにねえ」

 甘エビの食べ方を教えてもらった魚料理民宿に食事だけでもしに行って当時食べ方を教えてくれたひとに今一度教えを請うのがいいのかもしれない。     押し葉

山の日本語表現

 夫は山に行くにあたって山ブログを参考にする。夫自身はブログはまったく書かないが、今度どこかの山に行こうと計画するとその山に最近登ったひとのブログを読む。そこに書かれている情報、たとえば数種類あるうちのどの登山道はどんな様子でどれくらいどんなふうに整備されていたかであるとか、寒い時期なら積雪がどのくらいでどの程度の冬装備が必要だったかといったことを参考にして心構えと支度を行う。
 そして山から帰ってきたらその日行った山に関するブログを読んで復習をする。あんなふうに予習本番復習を繰り返すと上達が早くどんどん上手になるのだろうなと思う。夫がその日の山から帰宅してまだ数時間後に「うわ、このひと、今日おれが行った山にいたいた。すげー、もう今日のことアップしてる」と書き手さんの早業に感心していることもある。

「ねえ、どうやらくんは全然ブログ書かんけど、そうやって人様が書いたブログを読んで参考にして恩恵を受けているわけじゃん。どうやらくんがなにか山の世界に還元しているものというか、そこで受けた恩を別の形にして循環させていることってなあに?」
「うーん、なんやろうなあ」
「あ、そか、どうやらくんは山からおりてくるときにゴミ拾いながら歩くって言ってたから、それかな」
「ああ、ゴミは拾う」
「どんなゴミが多いん?」
「多いのは飴の個包装の袋かな」
「ああそれは、ポイと落として捨てるひともいるんだろうけど、捨てるつもりなくグローブでうまくつかめなくてふわーっと風で飛んでいって見失うことなんかもありそう」
「おれは自分が食う飴の袋はちゃんと全部持って帰るけどな」
「ゴミ拾いは山全体に対しての恩返しの一部なかんじだけどそれ以外になんかその書き手さんたちに還元するようなことってしてる?」
「現地で会ったら声かける」
「え? 書き手さんの顔おぼえてるん?」
「ううん、顔は全然おぼえてないけど、着てるものとか装備の組み合わせがそのひとのブログに載ってる写真と同じことが多いからだいたいわかる」
「うわ、そんなとこ見ておぼえてるんだ、すごいな」
「で、『あの、もしかして、なになに、っていうブログ書いてる方ですか。いつも参考にさせてもらってるんです。いろいろ詳しく書いてくださってありがとうございます』って声かける」
「それは相手のひとは喜んでじゃろう」
「うん。むこうも『わあ、読んでくれはってるんですか、ありがとうございます』って言わはるし、おれがそのときに登ってそのひとに声かけた山の記録をすぐにブログに書いて『今回は自分のブログを読んでくれているひとが声をかけてくれました。むっちゃうれしかったです』っていうようなことを書いてはるから、見つけて声かけられるときは声かけることにしてる」
「それは還元で循環なかんじがするね」
「じゃろ。あとブログを書いてるひとがブログにつけてる『押して』関係のポッチはとりあえずなんぼでも押すことにしてる」
「おお、えらいえらい」
「とりあえずそれくらいかな」
「うん、それくらいしててよかった」

 昨日夫が登った山にはもう雪が積もっており雪山遊びをしたい人たちで賑わっていたそうだ。中には「もうこんなに雪が積もってるとは思っていなくて雪道を歩く装備をせずに来たから今日はここまでで撤退します」と帰って行ったひとたちも何人かいたらしい。夫は現地で会った他のひとから「わ、ピッケルまで持ってきてるんですか、雪対策万全ですね」と言われたが昨日の雪ではまだ全然ピッケルは必要なくて「これは飾りです」と応えたという。

 冬になると夫はわりと近くの特定の山に好んで通う。その山は積雪の時期に登るとお手軽雪山感覚が殊の外楽しいらしく県内外からそんなに多すぎない人々がやってくる。夫はスノーシューでポフポフ歩く遊び専門だが、山登りも好きだけどスキーも好きというひとはスキーを担いで登ってスキーで滑り降りるという遊び方をするのだそうだ。私の職場の先輩の配偶者は冬はスキー登山をするひとで、どうもその先輩のご主人と夫は冬になると同じ山に同じ時間帯にいることがあるようなのだ。だから夫に「もしも山でそういうスキーのひとに会ってたまたま話したひとの名前がなになにさんっていうひとだったら私の職場の先輩の旦那さんの可能性があるからね」と伝えた。すると夫が「わかった、つれなくせんようにしとくわ」と言うので「どうやらくん、ちがうよ。つれなくしないんじゃなくてそこは『失礼のないように』してほしいの」と適切な表現に訂正しておいた。     押し葉

山とマヨネーズ

 五月の連休に自炊湯治旅をするにあたり個包装タイプのマヨネーズと醤油を購入した。その旅行期間に使いきらず持ち帰ったものがそのままずっとあったのだがそろそろ使いきりましょうかね、と思い、これまで使っていたチューブタイプのマヨネーズがなくなったところで食卓に登場させた。サラダホウレンソウとルッコラとツナのサラダにその個包装タイプのマヨネーズを絞り出してかけ夕食の一品とする。夫は個包装1本と半分を使い、私は半分を使う。この個包装は1本がさらに半分の個包装としてミシン目で分割できるような構造になっているから、1本では多いな半分でいいな、というような私みたいなタイプにも使い勝手がよい。夫が卓上にまだ残っている個包装マヨネーズを見て「うわ、これだけ(個包装1本分12g)で82kcalもある!!」と言う。

「マヨネーズだからそれくらいはあると思うけど、なんで?」
「たったこれだけで82kcalあるんなら山のエネルギー補給にいいんじゃないかと思って」
「ええー、マヨネーズをこのままちゅうちゅう吸うの?」
「それはおいしくないかもしれんけどよ。チューブ入りの練乳やチョコレートは山のエネルギーとしてはわりと定番じゃん」
「はあ、そうなんや。でも練乳やチョコレートは単品でおやつとしておいしいかもしれんけど、マヨネーズはマヨネーズだけで食べるのは、元マヨラーのどうやらくんならいけるんかなあ」
「うーん、このまま吸いたいとは思わんけど」
「あ、マヨネーズ系の具が入ったおにぎりを持って上がってそれを食べるときにこのマヨネーズを追加で絞り出してのせて食べたらどう?」
「うん、それはいいなあ、おいしそうじゃん」
「やっぱりいくらエネルギーのためとはいえおいしいほうがいいと思うなあ。でも無理にマヨネーズでなくてもなんかもっとこう機能的な高カロリー食品があるんじゃないのかなあ」
「でも、ほら、この形状がなんとも携帯性に優れとるじゃん」
「そうなんかなあ、でも、まだそれなら個包装のジャムとかピーナツバターとか」
「ああ、それもあり、すでにあると思う、おれはしてないけど」
「個包装のあんこはどう?」
「それが案外あんこって言うほどカロリー高くないんだなあ」
「でもあんこだったらあんこ好きのどうやらくんとしては食べておいしくて楽しいじゃん」
「うーん、でも、マヨネーズだったらおにぎりに足しても惣菜パンに足してもいいなあ」
「そうねえ、今どきのおにぎりやサラダパンにしてもそういうお店で買うようなものって基本的にできるだけカロリーが低くなるような工夫が施されているからねえ、普通に買っただけだと山歩きにはカロリーが足りないのかなあ」
「そうなんよ。ほんま気をつけんと、この前なんか梅しそ味のおにぎりが食べたくて味だけ気にして買ったらあとになってコメの半分がマンナン(コンニャクをお米の形状に加工した食品)でできているからカロリー低いよ、っていうおにぎりだってわかって、へなへなへなへなー、となった、おれは山でのカロリーを求めているのであって低カロリーを求めているわけちゃうんやー、と思ったなあ」
「蒟蒻好きの私ならともかく、もともと蒟蒻がそれほど特別好きじゃないどうやらくんがわざわざマンナンの入ったおにぎりは本来は買わないよねえ」

 という話をしたのは数日前なのだが今日になって私が「ところで今度週末に鹿島槍ヶ岳に行くときには残りのマヨネーズ持って行く?」と尋ねたら夫は「そんなん持っていかんよう」と言う。

「え、なんで?」
「いろいろ難しいんよ」
「なにがどんなふうに? あんなにマヨネーズのカロリーを讃えて山の上で食べるおにぎりやパンにつけたらいいなあって言うてたのはなんだったん?」
「たぶん世迷い言じゃったんよ」

 そうなのか、まあ、いいけど、ふつうにうちで使えばいいから。     押し葉

勝敗率を語るとき

 先日夫が「今度の日曜日」と私に話しかけた。

「うん、今度の日曜日、どこかまた山行くの?」
「ううん、山じゃなくて京都に行くかもしれん」
「ほう、京都。大学のチームのアメフトの試合?」
「うん」
「そりゃそりゃ。いってらっしゃい。お天気がちょうどいいといいね」
「でもなあ、去年おれが観に行った試合は、うちの大学、全部負けたからなあ」
「えーと、どうやらくん去年そんなに何回も試合観に行ったっけ。一回か二回だったような」
「うん、二回」
「えー、たった二回で『全部負けた』って言うかー?」
「だって、うちの大学去年は全敗じゃったもん」
「えーと、『おれが観に行った試合は二回とも負けた』が適切なんじゃないかと思ったけど、全敗だったならなおのこと『おれが観に行った試合は全部負けた』んじゃなくて『全部負けた試合のうちの二試合を観に行った』なんじゃないの?」
「いいじゃん、好きなように言うたって」
「いいよ、いいんよ、いいけど、『おれが観に行った試合は全部負けた』だとどうやらくんが観に行っていない時には勝った試合もあったふうに思うじゃん。あと私にとっては『自分が観に行った試合は全部負けた』と言う時に観に行った試合の数は二回ではなんとなく少なすぎるような気がするの。最低でも四回か五回は見てそれが全部負けだったらそう言ってもまあいいけど、っていう、なんかよくわからんけどそんななんとなくな基準がある」
「そうかあ?」
「大学のアメフトの試合って公式のものは年間何試合あるん?」
「んー、ふつうは秋のリーグ戦だけじゃけん五試合かな、リーグ入れ替え戦が入って六試合、リーグ一位になったら上位リーグの最下位と入れ替え戦だけど、リーグ二位の時は同レベルの別の横のリーグの二位と試合して勝ったらリーグ入れ替え戦に出られるけんもっと試合が増える」
「そうかあ、年間五試合のうちの二試合だったら四割観に行っていることになるのかあ」
「四割観てたら『観た試合全部負けた』でもいいんじゃないですか、先生」
「うーん、うーん、そうかなあ」

 腑に落ちるような落ちないような落ちない。     押し葉

覚醒する交響曲

 8月の9日から4泊5日で広島帰省をしてきた。我々は台風の中へ突入していくのか果たして無事に広島までたどり着けるだろうかと気にしながら支度をしたが、実際はやや強風の中を走行することにはなったものの道中でも広島でもこれといった不都合なく過ごすことができた。

 今回の帰省では幼なじみのめいちゃんに会えたときに私のCDを聞いてもらう予定にしていたからCDを三枚車に乗せた。CDの内容はカルロス・クライバー指揮のベートーヴェン交響曲。演奏年順に紹介するなら、一枚目はバイエルン国立管弦楽団ミュンヘン公演の七番、二枚目はウィーン・フィルハーモニー録音の五番と七番、三枚目はバイエルン国立管弦楽団東京公演の四番と七番。いつもはこの三枚のCDから七番のニ楽章と四楽章のみ繰り返し聴くために録音したMDを車のオーディオには入れて聴いていて私ひとりのときは延々果てしなくその繰り返しで私はそれが愉しくて気持ちよくて仕方がないのだが、帰省の道中運転していた夫が途中で「もうこの曲の繰り返しには飽きました。新鮮な曲が聴きたいです、何か別の曲をかけてください」と言い出した。ふふふ、どうやらくんよかったね、今回はCDを三枚持ってきてるからそれを順番に全部かけて聴こうよ、ということになり、まずはウィーン・フィルハーモニーの五番をかけた。ジャジャジャジャーン、で始まる有名な曲なのだが、これまで繰り返し聞いていた七番(の二楽章と四楽章)に比べると金管楽器が充実していてこれはこれで爽快でたいそう気持ちがよいではないか。

 五番の一楽章から四楽章までを聴く間ずっと運転していた夫が「はあ、やっぱり五番はいいなあ、なんかこうシャキーンと覚醒するわ」と言う。そうかそうかそれはよかったね、と、話しつつパーキングエリアに入りトイレ休憩の後運転を交替する。私が運転席に座り夫が助手席に座る。夫は助手席に座るなり背もたれを倒して「じゃ、ちょっと、寝るね」と言う。

「ええっ、どうやらくん、五番を聴いたら覚醒したんじゃないの? 覚醒したのに寝るの?」
「うん、もう聴き終わって覚醒も終わったけん寝る」
「ええー、覚醒は演奏を聴いてる間だけで演奏が終わったら眠くなるような覚醒なん?」
「いいじゃん、がんばって運転したんじゃけん、寝ても」
「いいんよ、寝るのはいいんよ。ただその直前に『覚醒した』って言うとったけんなんとなくびっくりしただけじゃけん」
「いや、ほんと、五番は覚醒するよ」
「じゃあもう一回五番かけようか」
「うーん、他のがいいかなー、五番でもいいけどー」

 その後CDが七番を演奏し、また最初から五番を演奏し、さらにふたたび七番を演奏する間、夫はたいへんよく眠っていた。寝ているときに五番が流れてきたからといって覚醒するわけではないようだ。     押し葉

樹上のオタマジャクシ

 今日夫が行った山は「夜叉ケ池」。山なのに名前が池なのはそこを訪れる人の大半の目的地がその池だから。あえて山として呼ぶとすれば「夜叉ケ池山」あるいは「夜叉ケ岳」なのだがその名で呼ばれることは少ない。

 この夜叉ケ池の見所は、ひとつはニッコウキスゲという名前の黄色い花。池に至るまでの稜線斜面に群生するニッコウキスゲの黄色は山でひときわ美しく映える。もうひとつの見所はモリアオガエルの卵。このカエルは卵を木の上に産む。池に覆いかぶさるように生える木の枝の池の上にあたる部分に、何かの花がそこにだけ咲き誇っているかのように、あるいは白っぽい柔らかそうな大きめの木の実がたわわに実っているかのごとく、カエルの卵の塊が木の枝にぽこぽこぽこぽこ付いている。

 私がこれまで知っているカエルの多くは卵は水の中で産卵しその卵は水の中で孵化してオタマジャクシになるものだった。しかしこのモリアオガエルは木の上に卵を産み付け、卵の中身がオタマジャクシになる時には木の枝の下の池に飛び込む、といっても自力で飛び込むわけではなくオタマジャクシの姿のまま卵の中で待機して雨の日に雨で流れ落とされ池の中に入れるのを待つ。

 卵の状態で池の中にいたのでは天敵の餌になるからその危険性からこうして卵を木の上で守るのか、しかし都合よく雨が降らなければ卵の中で待機するオタマジャクシの姿のまま干からびるであろうにそれはそれでよいのだろうか。たとえ無事に雨が降り雨水とともに池の中に落ちオタマジャクシとして泳ぎ始めたとしても、池の中には天敵がそのオタマジャクシを餌にしようと待ち構えている。それでも、自力では動けない卵の状態で天敵の餌になるよりは、自力で泳いで逃げられるオタマジャクシの姿になってから天敵と遭遇するほうがまだ生き延びる可能性が高いのだろうか。

 多くのお客さんは夜叉ケ池を見て樹上のモリアオガエル卵を見てニッコウキスゲを見たらそれでよいらしく、そこからさらに山頂を目指す人は少ない。しかし夫は山頂大好きだからどうしても山頂を目指す。夜叉ケ池からは往復三十分ほどで山頂まで行って帰って来ることができる。山頂から眺め下ろす夜叉ケ池もまた見応えがあるらしい。

「夜叉ケ池には夜叉が出てくるか、今は出なくてもその昔には出ていたから夜叉ケ池という名前なの?」と訊いてみたが夫の答えは「どうなんかなあ、出るんかなあ」であった。     押し葉

心当たりと一歩前進は大切

 先週だったか先々週だったか、夕食を終えてゆっくりとしているときに夫が「ああ、そういえば、今日、おれ、事故を起こしてねえ」とさらりと言う。私が「でも、こうして無事にここにいるということは」と問うと夫は「うん、無事無事。朝出勤のときに、いつものように、ふっふふーんって機嫌よく運転していたら、信号待ちで停まっている車の後ろにコッツンってぶつかって」と言う。

「あらまあ」
「でも、まえの人の車の後ろのバンパーがよく見たらかすかーにへこんだだけで、おれの車は無傷。おれのほうは軽なのに、まえの車は普通車だった。すぐに保険会社に電話してあとは全部保険会社にお任せすることになった」
「警察にも来てもらった?」
「うん。で、相手の人にはバンパーだけじゃなくて接触の衝撃で中のほうも壊れてるかもしれんけんしっかり見てもらって修理が必要なところは修理してもらえるように頼んだ」
「双方無事でたいしたことなくてよかったね、今の車の保険使うの初めてじゃろうけどこういうときのための保険じゃけんね」
「うん。保険屋さんには今回保険使うことで来年からどれくらい保険料が上がるかとか教えてもらった。あとは相手の人と保険会社で話してもらって、どうなったかまた連絡もらえることになった」

 そんな話を聞いてはいたが、私も自分のことではないから、その後どうなったかなあとも思わずに昨日の眼科検診に行ってきた。「眼科検診は異常なしだったよ」などという話をしながら夫とともに夕食をとり、「あとで一緒に赤福食べようね」と話してからゆっくりとしていた。夕食後しばらくのあいだ、夫は自室でタバコを吸いながら本を読むなどして過ごす。

 居間に置いてある夫の通勤バッグからぐううぐううと音がする。携帯電話の振動音。携帯電話会社からのなにかのお知らせメール(読んでも読まなくてもどうということのないメール)かなあ、と思い着信音が途切れるのを待つ。ところが音は鳴り続く。義妹からなにか義実家関係の連絡だろうか。「どうやらくん携帯鳴ってる」と言いながら夫のバッグの携帯電話を取り出しどこからの着信なのか見る。0120で始まるフリーダイヤルの番号だ。

「どうやらくんー、フリーダイヤルからの着信だけど心当たりはー?」
「ないー。ほっといてー」
「わかったー」

 というやりとりを終えてもまだ携帯電話はぐううぐうう鳴り続ける。夫は留守番電話に切り替わるような設定にしていないらしい。ここでいま私がこの場でこの電話が留守電対応するようにしてもいいのだけど、えーと着信中に留守電にするのはどこをどうするのだったかしら、思い出せないわ。へんなところを触ってむげに電話を切るのもいやだし。夫本人が心当たりがないというのなら無理に録音しなくてもいいか。

 携帯電話ではなくて自宅の一般電話に0120から始まる電話番号から勧誘関係の電話がかかってくることはよくあるが、ナンバーディスプレイに表示される番号に心当たりがないときには留守番電話にお任せしている。最近は携帯電話宛にもそういう営業電話がかかってくることがあるのかしら、私の携帯電話にはかかってきたことがないけど、と思いつつ夫の携帯電話の着信振動が止まるのを待つ。しばらく鳴り続ける。止まった。

 今日帰宅した夫が「昨日おれの携帯にかかってきた電話、心当たりがない、って言ったけど、今日、もしかして、と思ってよく見てみたら、車の保険屋さんからだった」と言う。

「ちょっと、どうやらくん、それはすっごく心当たりがあるじゃん」
「うん。もしかして、と思って昨日かかってきた番号とこれまで保険屋さんとやりとりした履歴見たら同じ番号じゃったけん電話かけた」
「どうやらくんー、そういう心当たりのあるときには連絡できるようにしとかんにゃあ。特に今回どうやらくんは軽微とはいえ事故の加害者の人なんじゃけん、そこはちゃんとしようよう。こういう事案があるときにはいつどんな連絡があるかわからんのんじゃけん、着信にすぐ気がつくようにしておくか、そうじゃないならせめて留守電にはなるようにしておこうよ。親も年取っていつ誰からなんの緊急連絡が入るかわからん年頃なんじゃし」
「あ。そういえば留守電にならんようにしとった。よし、これで留守電にもなるようにした。それで今日保険屋さんに電話かけてみたら、このまえの事故の最終報告をしてくれることになってたらしいんだけど、今日は担当の人がおってんないけんまた後日かけてくれるって」
「ねえ、かかってきたときにすぐに保険屋さんってわかるように、自分の車の保険の会社なんじゃけん、『車保険』とかなんかで登録しといたらいいんじゃないん?」
「いや、もう、番号見ればわかるようになったけん別に登録しなくていい」
「でもどうやらくん昨日フリーダイヤルからだって言っても全然わかってなかったじゃん。また数年後かいつか何かでお世話になるかもしれんときに諳んじていない電話番号の相手が誰か思い出せんと思うよ。それに『車保険』って表示されてれば私が着信画面見て『どうやらくんー、車の保険屋さんから電話だよー』って教えてあげられるじゃん。自分が使うことがあるかもしれない電話番号の電話帳登録くらいケチケチせずにしたほうがいいと思うよ。もしかして電話帳登録の仕方がわからんのんならしてあげようか? それとも登録方法を教えてあげるほうがいい?」
「わかった。登録してください。お願いします」
「はい。できたよ。あと、おうちの電話にも登録しといたけん、どっちにかけてきちゃってもこれで大丈夫。うちの電話にかかってくるフリーダイヤルはあんまり何回もかけてきてなんのメッセージも残さんのが続くと私が着信拒否リストに入れるけん、かけてきちゃっても通じんようになるけんね」

 なんとなく一歩前進。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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