みそ文

眠たくなったら眠ること

 数ヶ月まえのこと。たしか二十分ほど前にお薬をお渡ししてお見送りしたはずの女性(小さな子どものおかあさま)が空のプラスチックボトルを片手に「すみません…。さっきシロップのお薬をいただいた者なんですが、あのあと下の子がおねえちゃんのシロップを勝手に開けて半分以上一気飲みしてから『プハーッ、おいしかったー。もういいっ』って、じゃばーって、残りをその場にぶちまけたんです…。お薬全部なくなっちゃって…。どうしたらいいでしょうか。もう一回先生に処方箋書いてもらったらいいんでしょうか」と相談に来られた。

「まあ、それは、びっくりでしたね。シロップは今すぐ新しく作り直しますね。そちらの容器お預かりして一回洗ってそこに入れさせてもらいますね」
「あの、下の子は、おねえちゃんの薬をいっきに半分も飲んで、大丈夫でしょうか、なにかしてやったほうがいいでしょうか」
「そうですねえ、もう何十分かしたら、すごーくすごーく眠くなってくると思いますから、そうしたら、今日はさっさと寝かせてあげてください」
「それだけでいいんですか」
「はい、あとはそうですね、念のため普段よりも様子をよく観察してあげてください、普段よりも異様にぐっすり眠る以外には特にこれといって何も起こらないはずなんですが、一応念のために。喉が乾いて水分をほしがるようならお水でも麦茶でも飲ませてあげてください。それよりも、このあとお渡しする作りなおしたお薬には、もうけっして弟くんの手が届くことがないように、全部おねえちゃんにきちんと飲んでもらえるように、厳重に管理して隠しとおしていただけると助かります」
「それは、もう、鉄壁の守りに入ります。ああ、もう、びっくりしました」
「ですよねー、びっくりしますよねー。今後はおうちの中のすべてのお薬の保管をこれまで以上に警戒態勢でお願いしますね。では、こちらが新しく作りなおしたお薬です。今日から毎晩寝る前にここの目盛を一目盛ずつで四日間続けてくださいね、冷蔵庫保存なのは、先程もう説明しましたね、だいじょうぶでしたね」
「あの、お薬代は…?」
「今回のはお代はけっこうです、このままお持ちになってください」
「ええっ、いいんですか、それはなんだかわるいです」
「いいんです、いいんです、早くお帰りになって、眠くなった人を寝かせる準備をしてあげてください」
「はっ、そうでした。では、お言葉に甘えます、ありがとうございました、失礼します」

 ちょっと勝手にシロップ飲んで、ねんねして、だっこして、おんぶして、またあした。     押し葉

薬を飲んだら笑うこと

 幼稚園児や小学校低学年の年頃の患者さんは、幼稚園や学校から帰ってきてから病院やクリニックを受診する。その後処方箋を薬局に持ってくる。おかあさんと一緒に来る子もいれば、おとうさんと一緒の子もいれば、祖母または祖父とともに来局する子もいる。

 午後三時から四時くらいまでに薬局に来た人には「今日のお昼に特別何もお薬飲んでいなければ、今日は今すぐお薬を飲んで、四時間か五時間あいだをあければまた次を飲めますから、今日の夕食後か夜寝る前にもう一度お薬飲んでから寝てもらうと、今日のうちにぐっとラクになれるかなと思います」と説明しながらお薬を手渡す。

 保護者の方が「ここで飲ませてもいいですか」と尋ねられた場合には「もちろんぜひ飲んでいってください」とおいしいお水のウォーターサーバを指し示す。小さな患者さんたちは、粉薬をそのまま「んあ」と口に入れてもらってからムニュムニュと口の中でなじませておいてお水をごくんと飲む子が多いが、紙コップの中の水またはぬるま湯に粉薬を入れて溶かしてから飲ませてもらう子どももいる。

 今日お薬を渡した子は「えー、今日は、ピンクじゃないのー? 白いくすりー?」とやや不満を示した。私は「このまえはピンクのお薬でしたよね。今日の白いお薬も甘くておいしいお薬なので、がんばって飲んでみてくださいね」と説明する。その子のおかあさんが「甘くておいしいんやってよ。よかったね。ここで飲んでいこうか」とさらに積極的な服用を促してくださる。その子は「うん、いま、のむ」とウォーターサーバの前に立ち、おかあさんが口に薬を入れやすいように斜め上をむいて口を開ける。おかあさんが粉薬を開封して子どもの口に入れている間に私は残りの薬を袋の中に片付けつつ見守る。その子は口の中の粉薬の味を確認するように眼球を少し動かした後、おかあさんが汲んだ水が入った紙コップを受け取る。両手で紙コップを持ってコクコクと水を飲む。コップに入った水をすべて飲み干す。

 私が「わあ、お薬飲むのじょうずですねえ。では、今夜もう一度飲んでから寝てくださいね」と言ってお薬をおかあさんに手渡すと、その子は「おいしかったー!」と満足そうにニパッと笑う。ああ、うん、薬も必ずやよい仕事をするにちがいないけれど、きみのその極上の笑顔にきみの脳はきっと満足してぐんぐんとからだの自己治癒力が高まるね、と確信する。薬局の出口に行くまでにその子はおかあさんに「すっごいおいしかったよ」と報告し、自動ドアから出る前にさらにもう一度薬局の中を向いて私たち従業員に「ありがとっ。おいしかった!」と言って手をバイバイの形に振る。足取りはスキップ風。

 薬局というところは、患者さんに薬の味のおいしさを提供することを第一の仕事にしているわけではない。そして薬の味付けは既にメーカーで行われたものであり薬局の腕で薬がおいしくなったわけではない。それでも、不調の改善のために一時的に服用する薬であってもそれを口に入れた人から「おいしい」と評してもらえるとうれしいような気持ちになる。これがもしも味のおいしさを提供するのを第一の仕事としている飲食業の人であれば、その味付けはそのお店の腕によるものということになる。そんな立場で聞くお客さんからの「おいしかった」のひとことはどんな音色がするのだろう。

 私はもうずっとまえから小さな子どもではないから、片手でバイバイしながら、そしてややスキップをしながら、「ありがとうっ。おいしかった!」と言うことはないけれど、飲食店でなにかをおいしくいただいたら、お店を出る時お店の人に手を合わせて静かに「ごちそうさまでした。おいしかったです」と軽く会釈する。これからもその習慣を続けられる心身であるあいだはそうしよう、そうしたい。     押し葉

大きな子どもの発表会

 職場の医療事務の人が「次の次の土曜日なんだけど、子どもの発表を見に行きたいから、次の土曜日とシフト変わってもらえるかなあ」ともうひとりの医療事務の人に相談する。相談を受けた事務さんは「もちろん、交替するのは全然かまわないんですが、同僚さんの息子さんはもうすごく大きいのに、そんな大きい子がいったい何を発表するんですか」と問い返す。

「大きくても発表することはあるの」
「でもたしか、同僚さんの息子さん警察官ですよね。警察の人がなにを発表するんだろう」
「うちの子は警察の音楽隊でトランペットを吹いていて、その音楽隊の発表が今度ホールであるのよ」
「まあ、トランペットですか、それはカッコイイですね」
「そうなんやって。普段うちにいるときはだらーんとしてても、音楽隊の制服着てびしっとしてトランペット吹いてるのは親ばかだけどカッコイイなあと思うから、見に行ってやりたいなと思って」
「ああ、それはカッコイイでしょうねえ、ぜひぜひ行ってあげてください」

 ふたりの会話を聞きながら、大きい子が発表するのも素敵だけど、人の親ばか機能が私はたいそう好きだなあ、とにんまりとほくそ笑む。     押し葉

脳内妄想バーベキュー

 喉が真っ赤に腫れて痛くて飲食がまともにできなくて脱水症状が心配、という患者さんに処方された薬を調剤してお渡しする。患者さんは六十歳は少しこえているかなどうかなな年頃の男性。ひと通りの説明を終えたところでその患者さんが私に向かって「やっぱり薬を飲んでる時にはお酒は飲まないほうがいいんだろう?」とわかっているけど再確認、という面持ちで尋ねられる。

「はい。やはりお薬を飲むと薬の代謝で肝臓や腎臓に普段よりも負担がかかりますから、薬の効果をしっかり出して副作用は少なめにするためにも、役割を終えた薬の代謝のためにも、喉が痛いのを身体が自力で治そう治ろうとする力を発揮するためにも、アルコールでこれ以上の負担を身体にかけるのは控えることをおすすめします。喉の腫れと炎症と痛みがよくなってお薬飲み終えても翌日翌々日くらいまではお酒は控えてもらったほうがより安心安全です」
「そうかあ。やっぱりそうかあ。でもなあ、こう暑いとビールを飲みたくてなあ。おいしいやろう、暑い日のビール」
「はい、冷たいのをきゅうっと飲むのはおいしいはずですが、でもここ数日喉が痛くてお食事も水分摂取もあまりあできないということでしたよね」
「それが、ビールなら飲めるんやあ」
「ええっ、それは、ええと、ビールのあの刺激が喉に痛くはないですか?」
「痛いんやあ。すごく痛いんやあ。味もいつもよりはおいしくないんやあ。ビール一口飲んでは『いてて』いうて言いながら飲むんやあ。でもビールを飲んで喉が痛いのは我慢ができるんやなあ」
「そ、そうなんですか、ビールお好きなんですねえ。でも炎症がひどいところにむやみに刺激を与えると、やはり治りも遅くなりますから、できれば喉に刺激の少ないトロミのある飲み物や食べ物で水分補給と栄養摂取をまずはしていただきたいですねえ。ビールは治ってからのほうがいいですよ」
「せやんなあ。今週の土曜日にバーベキューの予定があるんやあ。土曜日までに治したいんやけど、治るかなあ」
「ああ、それは喉をちゃんと治して、おいしくビール飲んでお肉やお野菜食べたいですねえ。ぜひぜひ、せめて今日明日明後日くらいで薬が効いて、喉の炎症と腫れと痛みがひくまでは少しだけビール我慢して、まずは治してください。せっかくのバーベキューの時に体調がすぐれないのはたのしくないですしもったいなですもん」
「そうやんなあ」
「喉の粘膜が治るときには、やはり、ビール以外の栄養素もすごく大切ですから、ビールで痛いのを我慢する時と同じくらいの我慢を少しして、食べやすいものを少しずつでも召し上がってくださいね。腫れと痛みと炎症をとる薬を毎食後に飲んでもらっていれば、あまり痛みが気にならない状態で食べたり飲んだりしてもらいやすいはずですから、そのタイミングを狙ってお食事や水分補給してみてください」
「そうかあ。やっぱりビールはちょっとの間やめたほうがいいかあ。そうかあ。そうかあ。そうかあ」
「土曜日のバーベキューのためにも、どうかぜひ」
「そうかあ」

 そんなのねえ、薬の内容にもよるけれど、それなりに薬を飲んでいる人に、最近薬を飲んだり使ったりしたほぼ直後の人に、薬局の薬剤師が「大丈夫ですよー、お酒は思い切り底なしに飲んでくださいなー、いっちゃえ、いっちゃえー、へいへーい」なんて言うわけはないのだ。
 体調がよくなくて薬を飲んだ当日翌日翌々日あたりの飲酒はたとえその時にはもう体調が回復していても可能な限り控えてもらいたいものだ。そのタイミングでの飲酒で何事もなければそれでもよいかもしれないし、たとえ何か不都合があったとしてもそれは自分が飲酒してよいタイミングを見誤ったせいなのだと反省して次回以降にその経験を活かしてもらえるならそれもよい。
 しかしそのタイミングで飲酒した結果なんらかの不都合が生じた時に、その不調の原因を自分が飲んだ「薬」のせいにして「飲酒」のせいにはしない言説に遭遇することはこの仕事をしていればそれは頻繁なのだけど、そんなの薬のせいにしないの、それは自分の身体とよく相談もせずにあなたが飲んだお酒のせいだから、はいはい、いいから、だまってここに来てきちっとしゃきっと正座しなさい、そしてよーく聴きなさい、と私の脳内道場でこんこんと説教すると、だいたいみなさん気持よく納得して帰って行ってくださる。
 私がそれほどひどく暴れることなく、それなりに穏やかに仕事を続けられているのは、この脳内道場の存在と自分の妄想力のおかげなのかもしれないなあ。     押し葉

七夕の準備体操を

 患者さんの流れが一段落して、従業員以外誰もいなくなった薬局で、医療事務の同僚が「もう、最近のおかあさんは、なんでだろう、なんかおかしい」と少し憤慨したように言う。
 彼女の手には店頭のフックに掛けてあった商品の、フックの部分が破れてちぎれたものがある。彼女の説明によれば、処方箋の薬を受け取りに来た親子の子どものほうが店頭の商品を触って遊んでいるのを親は注意するわけでも制止するわけでもなく、そうしているうちに子どもが遊んで触っていた商品のフックがちぎれて、それを子どもは親のところに持って行く。薬を受け取る用事が済んだ親がカウンターでその商品を出して「すみません、うちの子がやぶいてしまったみたいで」と言って置いていった、とのこと。

 同僚は「ふつう、自分の子がそんなことしたら、お店の人に申し訳なくて、弁償しなきゃと思って、自分だったら買うと思うんだけどなあ、そんなに高いものじゃないときには。高すぎて買えないときには、平謝りでお店の人に一部弁償だけでもさせてもらえるよう相談すると思う」と言う。

 私は「ああっ。ほんとうにそうですよねえ。なのに、私、すこやか堂(私の以前の勤務先である大型ドラッグストア)に長くいたからか、とっさに『黙って置きっぱなしにして帰らずにちゃんとお店の人に言ってくれるなんていい人だ』とうっかり思っちゃいました。いけませんねえ、すこやか堂ののろいで、私の道徳、崩壊しかかってますねえ」と感想を言う。

 別の同僚が「ああ、私もときどきすこやか堂には買い物に行くけど、あんな広い店舗では、お店の人も目が行き届かないもんねえ。見てる人いないなら、黙って置いて帰っちゃえ、になる人も出てくるのかもなあ」と言う。

 私が「いえいえ、誰も見ていなければそんなのもちろんしょっちゅうなんですが、私でも他の従業員でもいてそこで見てても、子どもがバリっと破いた商品を見た親が『そんなものそこに置いときなさいっ、帰るよっ』ってそのまま帰るケースもよくあるんですよ」と話す。

 同僚二人は「ええーっ。ありえんー。そんなんひどすぎるー」と驚く。私は「ですよねえ。すこやか堂の従業員同士でも、店内で破損商品見つけるたびに、はーっ、ふーっ、こういうのはどんなときでも気持ちよくないねー、とは話しても、あまりに頻繁すぎると、どこか『ああ、またかー』と思うことのほうが多くて、たぶんいちいち憤慨していたら身がもたないんですかねえ」と考察する。

 破損商品を手に持って憤慨していた同僚は「わあ、私もすこやか堂には時々買い物に行くけど、買い物には行けるけど、そんな腹のたつお客さんが来るような職場で働くのは無理。すこやか堂に就職するのは無理。すこやか堂からも来てくれって言われたことは一度もないけどそれでも無理」と言う。私は「だめですー、どこにも行かないでー、おねがい、ずっとここにいてー」と懇願する。

 私は常々自分が「きれいな職場」で働くことを「すこやかな職場」で「にこやかな職場」で「なごやかな職場」で「穏やかな職場」で「気持よく深く呼吸ができる職場」で働くことを希望している。だから、毎晩寝床で行う祈りのひとときには、自分がそういう職場で働いていることについて天にお礼を伝える。あたかもすでに自分はそうであるかのように言葉を紡ぐことによってその現実の濃度を高めていく作戦。そうしているうちに本当にその現実の中に自分の身を置く作戦。

 すこやか堂勤務当時には乱れたバックヤードをを整頓する作業にあたることがわりと頻繁にあり、そのたびに「ああ、かみさま、そうなのですね、きれいな職場で働きたいということは自分で職場をきれいにすることとセットなのですね、そりゃそうですよね、うううう」と思うことが何度もあった。

 すこやか堂で働いていた当時もそれよりずっと以前も、すこやか堂を退職して無職でいた時にも、そして再就職した今も、毎晩同じ祈りを行う。

 そう思うと、今の職場では、店頭商品窃盗もなく(待合室用雑誌の無断持ち帰りはときどきある、これも窃盗の一種だとは思う)、店頭商品破損放置の「放置」は少なくともない。それらがないもしくはそういう出来事と遭遇する機会が少ないというだけで働く立場の自分の気持ちがずいぶんと穏やかになるものなのだなあ、と感心する。店頭商品を破損してもそのまま放置するのではなく従業員に声をかけてくださる(買わないけど)だけでうっかり「この人いい人じゃん」と思うようなちょっと間違った余裕が生じるくらいに穏やか。

 そうして私の「穏やかな職場で働きたい」という日々の祈りは着実に現実の濃度を増してその願いが叶い続けているのであろうなあ。その願いも他の願いも言葉にして祈り願うようにし始めてからすでに何年もの時を経ているが、自分の希望する現実の濃度を濃くしてその現実を手に入れてその安定状態を味わうには、「願う」「喜ぶ」のドリルを飽くことなく何年も何年も延々と続ける必要があるのだなあ、と、そんな勘とコツをつかみつつある昨今のこの勢いで、七夕短冊に臨んでみようかしらね。     押し葉

おとなでお年寄りではないけれど

 仕事を終えて職場を出る。三人のうち一人は店舗裏口すぐの場所にある自転車置き場の自転車に乗って帰る。「今日もありがとうございました。お疲れ様でした」と見送る。もう一人の同僚と私は少し離れた所にある職員用駐車場まで歩く。その道中、同僚が「あ、そうだ。どうやら先生のメールアドレス教えてください」と自分の携帯電話を取り出す。
 その同僚とは以前勤務時間外にこの店舗での業務上必要な件でお互いの携帯電話に電話をかけあったことがあり、それぞれの携帯電話番号は登録してある状態。

「ああ、ごめんなさい、私、携帯ではメールしなくてアドレスないんです。なのでメールくださるときにはアドレスじゃなくて携帯電話番号あてにSMSで送ってください。私も同僚さんの携帯番号宛てに送りますね」
「SMSというのは、私だったらauのCメール?」
「そうです、それそれ、それです。私はソフトバンクなんで昔はスカイメールっていう名前だったんですけど。以前は同じ携帯会社同士でないと番号あてではやりとりできなかったのが、今はどこの携帯会社とでもやりとりできるようになったので、それで」
「そうなんだー、わかりました、じゃあそうします。でも、じゃあどうやら先生は普通にメールするときはどうしてるんですか?」
「メールはパソコンではするんですが携帯ではしないんです」
「えー、質問質問。例えばですよ、旦那さんや友達と一緒にショッピングモールに買い物に行くとするじゃないですか」
「はい、例えばですね」
「そのときに、じゃあ、あとで待ち合わせてちょっと別行動しようということになることってありますよね」
「はいはい、例えば三時半にここで待ち合わせね、って、じゃあまたあとでね、って別行動するようなことはありますね」
「それで例えば待ち合わせの場所に自分が三時半に先に着いてちょっと待ってみて相手がまだ来なかったら『あと何分くらい?』とか『私先に着いたよ』ってメールするじゃないですか、そういうときどうするんですか? ああ、そうか電話をかけるのか」
「いえいえ、電話かけません。そのまま待ちます。そこでメールを送ろうということを思いつかないです」
「ええええっ。待ってる間どうするんですか?」
「そうですねえ、その近くの何かを見物していることもあれば、何かを読んで待つこともあれば、座るところがあれば座って何かを書いていることもあるかも」
「うわー、なんかー、新鮮ー。えー、なんでですかー、携帯メールなくて不便じゃないんですか」
「不便ないみたいですねえ。今はソフトバンク以外の携帯とも番号宛でやりとりできるようになったから、ちょっとした文字連絡のときにはSMSで事足りますし、それで足りなければ電話かけて話すかなあ、それも滅多にないですけどね。長いメールはパソコンでキーボードで打つほうがラクですし、メールはパソコンばっかりですねえ。携帯でのeメール機能なしだと月々300円、そのための料金を払わなくていいんです」
「それは300円払わなくていいのはたしかにそうです、たぶんauも同じかんじの料金設定だと思うけど、えー、でも携帯持ってて携帯メールしないこともできるんですねえ」
「はい、できますねえ。そういうわけでSMSだと文字数制限たぶん全角72文字くらいで、同僚さんのauから私のソフトバンク宛だと送信に一通あたり6円だったか3円くらいだったかかかるのが申し訳ないんですけど受信は無料なので、よろしくお願いします」
「えっ、たった6円とか3円とかなんですか。一通10円か20円か30円くらいかかるのかと思ってた」
「同僚さんは無料通話付きプランだって前に言ってましたよね、SMS送信料はたぶんその無料通話分から通話料として引かれるんだと思います」
「そうなんだー、でもたしかに待ち合わせで『あと何分くらい?』なんていう内容だったら絶対72文字以内ですよね。どうやら先生に連絡するときは待ち合わせじゃなくて仕事のことだと思うけど72文字で済まない内容のときには電話かけて話します」
「はい、私もそうします。怪しいSMSが届いたら私からだと思ってください」
「はい、わかりました、でもどうやら先生からだったら怪しくないです。それにしてもなんか新鮮ー、衝撃的に近いかもー。知ってる人でおとなの人ですっごいお年寄りとかじゃなくて携帯持ってて携帯でメールしない人に会ったのは初めてかもー」

 他社宛SMS送信料は正しくはいくらだったのかしら、と調べなおしてみたところ、ドコモとソフトバンクとauは基本的に3.15円のようである。なんとなく6円くらいかなあ、たしか3の倍数なかんじの値段だったよなあ、と思っていたからその約半額なのは思いがけずオトクな気分。同僚にも「他社宛のSMSは一通3円15銭らしいです」と今度同じシフトになったときに伝ておこう。     押し葉

緑色のしましまの傘

 仕事中、もよりのクリニックから電話が入る。「なになにさんという患者さんが、これからそちらに向かわれます。グリーンのしましまの傘をお探しなのですが、こちらの傘立てに残っている中にはないとのことで、先にそちらにお薬受け取りに行かれた方の誰かが間違っていらっしゃるかも、ということで。対応よろしくおねがいします」

 すぐにそのときその場にいる同僚三人に今聞いた内容を連絡する。全員が店内をささっと見渡す。「緑色のしましまは、ないですねえ」「うーん、どうしましょうねえ」と話しつつ、座って待つ患者さんたちの手元も一応ざっと見る。誰も傘は持っていない。店内の傘立てにあるのは、こげ茶色を貴重としたチェック柄っぽいかんじ。「緑のしましま」のものはない。

 数分後、年配の女性がご来店。入ってくるなり傘立てを見て「これ、これ。私の傘、これ」と言われる。ええっ、緑のしましまじゃないけど、これなの、と思っていると、椅子に座っている男性が「なに言うてるんや、これはおれの傘や」と言う。年配の女性は「ちがうよ、これは私の傘よ。ちょっとここで開かせてもらうね。ほら、開いた時のこの模様、私の傘だもん。クリニックによく似た傘が残っていたから、誰か間違えたんじゃないかなと思ったの。これは私の」と言う。男性は「おかしいなあ、これ、おれの傘なんやけどなあ、見間違えたんかなあ、ちょっとクリニックに戻ってくるわ」と言って出てゆく。

 年配の女性は「ああ、よかった、このグリーンのしましまの傘、お気に入りなのよー」と言いながら自分の手にしっかりと持って着席。対応に出た私は「見つかってよかったですね」と言ってから調剤室に戻る。中にいる先輩薬剤師に「傘、グリーンのしましま、と聞いてましたけど、こげ茶色のチェックでした。緑の線は細いのが数本入っているだけです」と伝える。先輩は「うん、私も見たけど、今、緑のしましまのものは、うちの薬局の中にはきっとないと思うわ」と言う。

 しばらくすると先ほどの男性が戻ってくる。「やっぱり間違えてたわ。おれの傘こっちやったわ。すんませんでした」と言って腕を少し持ち上げて傘を見せてくださる。紺色基調で緑の細い先が横に数本入っている、かなあ、というデザイン。年配の女性は「そうやろ、やっぱり、グリーンの縞が似てるからなあ、まあ、よかったわ」と言う。

 すべての患者さんがお帰りになったあとの店内で同僚たちと話す。「緑のしましまは一本もなかった、あの状態でグリーンのしましまをの傘を見つけてあげるのは無理」「そもそも緑じゃないし、こげ茶色と紺色やし、それに全然似てないし」「あの細い緑色ラインに注目して緑のしましまとおぼえてる人もいはるねんなあ」「しましま、って、しましま、って、チェックの中の線はしましまなのー?」

 そういえば、広島で暮らしていた頃に、父が外出するとき着たい「黄いなシャツ」が見つからないと言い出して、家族全員で「黄いなシャツ」を探したことがあった。父の説明によれば、数日前に着て、洗濯に出して、洗濯カゴにも洗濯機にも物干しにもない、ということは、取り込んだ洗濯物が置いてある部屋にあるはず、自分の衣類のタンスにはまだ返ってきていない、黄いなポロシャツで最近買うたやつなんじゃ、とのこと。

 黄色いポロシャツね、と思って探すが、黄色はないなあ。外出する時間が近づき父は少し焦り気味になる。父は衣装持ちなのだから、他にも着るものはたくさんあるのに、その日はどうしてもそのポロシャツが着たい気分なのだろうなあ。と、はっと、ポロシャツってもしかして、洗濯ものを取り込んでたたんだり、アイロンかけたり、片付ける前に吊るしておいたりするところの、吊るしてある、その部屋に入って真正面に吊るしてある、この濃い橙色の、赤色に近い橙色の、このポロシャツのことじゃないよね、と、手にとって父に見せる。

 父は「おう、これこれ、黄いなシャツ、これを探しようたんじゃ」と言う。家族皆が「ええええっ、おとうちゃん、これは黄色じゃないよ、だいだい色とかオレンジとか言うてくれたほうが早う見つかると思うわあ」と言うけれど、父は「何回もあの部屋で探したのにのう、目の前はかえって見逃しやすいんかもしれんのう」とつぶやいてそのまま出かける。

 そういえば、そうだったなあ、父のポロシャツを探したあのとき、色や柄に関する説明は、人の言うことをあまり真に受けることなくぐぐっと拡大解釈してイメージを広げて探すほうがいいのであるなあ、と、よし今度からそうしよう、と、決意したことをすっかり忘れ去っていた。でも、今回の「緑色のしましまの傘」のおかげで二十年ぶりくらいに思い出したよ。次の二十年後くらいに忘れた頃にまたこの決意を思い出させてくれるのは、何色のどんな何だろう。さあこい、どんとこい、なんなりと受けて立つ。     押し葉

息づかいがあらいとき

 職場のカウンターでお薬をお渡しし終える。患者さんが帰られたあと、今しがた聴いたお話と自分が説明した内容等を薬歴に入力して記録する。前回と前々回のお薬と薬歴の内容をあらためて見て、あら、そういえば、前回は「頓服はまだ残っているんで今日は要らないです」とおっしゃって、そうでしたか、では、必要なときにはそちらを使って調整してくださいね、とお話しした、とある。そのお話をしたのは私だ。前回は頓服に関するお話をしたけど、今回は私の方もお尋ねせず患者さんも自発的におっしゃりもせず、頓服薬なしで大丈夫なのか確認しそこねちゃった、と書いておこうかしらね、と思っていたら電話が鳴る。

 同僚の事務さんが電話にでる。電話の相手は上記の患者さん。「いま気づいたんですが、今日の診察のときに先生に『手元に頓服がもうないから出してください』と頼むの忘れてて頓服出してもらってないんです。前に出してもらったのと同じ頓服薬を出してもらいたいんですけど、どうしたらいいですか」というご相談。

 事務さんは「そうでしたか、ではですね、まず一度こちらの薬局にお立ち寄りいただけますでしょうか。そのときに先ほどお持ちくださった処方箋をいったんお返しいたしますので、その処方箋を持って先生のところにもう一度戻っていただいて、受付で『頓服の処方も追加でお願いします』と伝えてください。そうしたら先生が、必要であればお話聞かれて、追加処方を書いてくださいますので、それからまたこちらに処方箋を持ってきてください。先ほどのお薬をまとめて入れたビニール袋に頓服を追加でご用意いたします。それで頓服が追加になったぶんお薬代が少し高くなりますから、先ほどいただいた代金との差額をいただく、という形になりますが、今日のご予定として大丈夫そうですか?」と説明。その患者さんは「ではこれからすぐに行きます」とおっしゃる。

 電話を切った事務さんが「今の方の処方箋、こちらに準備しておきますので、もし来られたら、これを渡してくださいね」と連絡してくれ、「はい、ありがとうございます、了解しました」と応える。そして「実は、私、薬歴を書いていて、あれー、今日はこの方、頓服は要らなかったのかしらー、どうだったんだろう、と考えてたところなんです。そう思った私の念とこの患者さんの気づきが、ぴぴぴぴっ、と電気のようなものでつながったんでしょうか」と続ける。事務さんは「ああ、それなら、それは、きっとそうだ、そうにちがいない」と言う。

 私がトイレに行っている間にその患者さんは戻って来られ、私がトイレから戻ったら、事務さんが「今クリニックに行かれました」と教えてくれる。しばらくの後その患者さんが処方箋に頓服薬の追加処方が記載されたものを持って来られる。私が調剤室の奥で何かしている間に、事務さんと先輩薬剤師が追加の処方内容を確認する。

 通常であれば、処方箋をコピーして、コピーを見ながら調剤室で調剤し、処方箋原本を見ながら事務の人が入力を行う。しかし、今回は頓服薬数錠のみの追加だから、コピーはせずに処方箋原本は事務さんにそのまま手渡して、先輩薬剤師が目視確認した処方内容を記憶してから調剤室に入ってきて読み上げてくださる。先輩薬剤師が読み上げるとおりに引き出しからその薬をその数出して、頓服薬用の袋に、1回1錠5回分、と書く。余白には、いつ、どんなときに、この頓服薬を使うか、という医師からの指示文言を書く。先輩薬剤師が「服用時は、息づかいがあらいとき、だったと思う」と言う。私はイタコのように言われたままの音を文字にする。指先に持ったペンを動かして『息づかいがあらいとき』と書く。

 先輩薬剤師と二人で薬の内容と数と薬袋に書いてある内容を確認する。あらためて見てみると、この処方医の先生が「息づかいがあらいとき」という指示を出してこられるのはなんとなく珍しいような気がする。どちらかというと『便秘時』『不眠時』『不安時』『緊張時』『ドキドキするとき』などさくっとした表現を多く用いる先生のような印象を持っていたのだけれど。でもまあ、私は入社数ヶ月の新人で、先輩薬剤師は十年以上この薬局開局時以来ずっとこの処方医の先生の処方箋をたくさん見てきた人だから、こんな指示文言もときにはあるのかもしれないな、と思う。

 薬を持ってカウンターに出る。念のために今一度確認、と思い、入力作業をしている事務さんに「処方箋の頓服の追加処方の部分、見せていただけますか」と頼む。処方箋を見ると、その薬の服用時指示は「息づかいがあらいとき」ではなくて「息苦しい時」となっている。事務さんに「服用時は『息苦しい時』で入力されてますか?」と尋ねると、「はい、処方箋どおりに」と言ってPC画面を見せてくださる。「はい。本当ですね。ちょっと薬袋書きなおして来ます」と言いながら自分が薬袋に書いた『息づかいがあらいとき』という文字を見せる。事務さんは首をふるふると横にふって、患者さんに聞こえないくらいの小さな声で「それは少し違うわ」と言う。

 調剤室に戻って、薬袋の服用時部分をホワイトテープで修正する。先輩薬剤師が「あら、なにか違ってた?」と問われる。「はい。処方箋に書いてある服用時が『息づかいがあらいとき』ではなくて『息苦しい時』でした」と答える。先輩薬剤師は「まあ、それは、失礼しました。すまんすまん」と言われる。「いえいえ、では『息苦しい時』で」と、書きなおした薬袋を見てもらってからもう一度カウンターに出る。

 そのお薬を患者さんにお渡しして、先程は頓服のお話を伺い損ねてごめんなさいね、近くで思い出して気づいてくださってよかったです、ありがとうございました、とお礼を伝える。患者さんも「いえいえ、こちらこそ助かりました」とおっしゃる。「では、もう何度かこの頓服は使ってくださってるのでよくご存知のことと思いますが、むむっ、これはなんとなく息苦しいかな、という気配を察知したらすみやかに投入してください。本格的に苦しくなって動けなくなるまで我慢したりせずにお願いしますね」とお話する。

 無事にその患者さんが出てゆかれて、存在するのは薬と機械と備品と従業員だけの薬局になる。「珍しい表現だとは思ったんですけど、やはり『息づかいがあらいとき』というのは、よく考えるとなんだかあやしいですよね」と話す。事務さんは「うん、なんだかすっごくあやしいです、いったいなにをして息づかいがあらくなってるの、と思います」と言う。

「まあ、たしかに、息苦しい時、というのは、だいたい、息づかいがあらくなる、ものではあるんですけど、薬をのむときの指示としてはあんまりない表現ですかねえ。わりと長く薬剤師してるんですけど、まだ見たことないかなあ」
「私もけっこう長いこと医療事務やってますけど、その表現は見たことないし入力したこともないない」

 そこに先輩薬剤師が現れ「すまんのう。へんな文言で混乱させて。なんだか思いきり作った(創作した)なあ」と言う。私は「いえいえ、思いがけない珍しい文言で面白かったです。薬袋を訂正して書きなおす時間分、患者さんにはちょびっとだけ長くお待ちいただきましたけど、問題のない範囲だったと思います」と言う。事務さんが「問題は、なかった、ですね。主任(先輩薬剤師)のちょっと意外な日本語表現力が垣間見えた気はしますけど」と言う。先輩薬剤師は「ほんとうにすまんすまん、もうそのくらいで許してくれ」と言う。

 毎日飲むほうのお薬の継続で、その患者さんが息苦しくなるような事態を少なく、できれば殆ど息苦しくなることがないように、調整してゆけるといいなあ。それでももしも息苦しい症状が出てきた時には、今回お渡しした頓服薬を適切に使って日々の暮らしやお仕事の質を保てるように上手に工夫してくださるといいな。     押し葉

おしっこの意気込み

 職場でお薬をお渡しする準備ができあがったそのときに、そのお薬を受け取って飲む立場であるお子様(約四歳の女児)が「おかあさん、わたし、おしっこ」と言う。女の子のお母様は「すみません、トイレお借りしていいですか」と訊かれる。「はい、もちろん、どうぞ、和式なんですけど大丈夫でしょうか」と案内する。無事にトイレで排尿を済ませて女の子とお母さんと弟くんが連れ立って出てくる。

 その後、お母様にお薬の説明をしている間、排尿を済ませた女の子は落ち着いて座っておもちゃで遊んで待っているけれど、弟くん(二歳前くらい)のほうがしきりにお母様にまとわりついて「おしっこ、おしっこ、おしっこしたい」と訴え続ける。お母様は、おねえちゃんのときにはすぐにトイレに促されたのに、弟くんには「帰ってからしようね」とおっしゃる。
 
「あの、もし、よろしければ、もう一度、お手洗いに行ってこられる間、お待ちいたしますよ」
「いえいえ、いいんです、ありがとうございます、この子、まだオムツなんで、自分ではトイレでできなくて、まだオマルでの練習中で、それも成功したことがないんです。だからうちのオマルとトイレで上手にできるようになったら、外のトイレも練習しようね、と言ってあるんですけど、おねえちゃんが外のトイレを使うとかっこよく見えるみたいで。家でのオマルやトイレでの練習もこれくらい真面目に積極的になってくれるといいんですけどねえ」
「あらあ、そうでしたか。そういうことなら、弟くんには申し訳ないですが、お薬の説明続けちゃいますね」
「はい、そうしてください、お願いします」

 その間もその後も弟くんは「おしっこ、おしっこ」と訴え続け、会計が終わってお母さんとおねえちゃんが帰る状態になっても「おしっこする」と言い続ける。
「よかったら、トイレに行くだけでも行って試してみられますか? ご自宅ではできなくても外でならできちゃうとかあれば」と言ってみる。 お母様は「ありがとうございます、でも、それは既に何度かやってみたんですけど、ほんとに全然まだまだなんで」と断られる。

 そうしている間にも弟くんは「おしっこ」と訴え続けていて、その意欲のような気概のような排泄コントロールに関する志の高さに感心して、私も事務の同僚も思わずその子に微笑みかける。お母様が「ほら、お店の人が笑ってはるやん、もうわかったから、おしっこはもういいから」と弟くんに言われる。
「ごめんなさいねえ、あんまり可愛くて、つい」と事務の同僚が言う。続けて私が「なんというか、おしっこを自分でしようという意気込みと志がただことでなく立派ですよねえ」と言うと、お母様が「うちでもこの意気込みと志を発揮してほしいんですけどねえ、うちでは全然なんですよねえ」と、ため息まじりにおっしゃる。

 ご自宅でもここでの意気込みと志と意欲と気概が再現されて、おしっこもうんちも自由自在になる日はきっともうすぐそこだ。     押し葉

少し忘れた頃に叶う願い

 最近、といってもここ数年から十数年にかけてのことだけれども、自分が強く願ったことが叶うときというのは、自分が願ったことを少し忘れかけた頃やちょっとすっかり忘れたような頃になって、ということが少なくないような気がすることが多くなってきた気がしている。

 たとえば、私の個人的なことに関して最近特にそうだなあ、と感じていることを書いてみる。

 今年の初夏まで勤務していた「すこやか堂」で働くことを私は私なりに気に入っていた。広い店内をてくてくとたくさん歩くのも好きだったし、同僚やお客様の動向をネタとして拾うのもたのしい。この調子で老婆になってもここで働けるといいなあ、働きたいなあ、と思っていた。
 それが、以前はなかった定年制が「すこやか堂」全社全店に導入されることになり、老婆になっても働き続けるのは無理そうになった。
 他にも、個人的な契約内容のことだけでなく、なんでもないような社内規のいくつかの改訂があり、それらはほんとうに些細なことなのだけれども、私の体質上特性としてはその新しい規則に自分を合わせるのには少々手間がかかるなあ、となると私としては退職することになるのかなあ、退職することにするのかなあ、というような、そういう方向へ方向へといろんな出来事が展開する。
 ううむ。退職したいわけでも転職したいわけでもないのだけどなあ、これはどうしたことだろうか。

 どうしたことなのかの理由はもうひとつふたつみっつよくはわからないままではあるけれど、とりあえずいったん退職し、しばしの夏休みを満喫し、転職活動を始めたところ、なんというか、あっけなく、最初に面接した会社で採用が決まる。
 その会社の仕事では、これまでのように店舗面積が広いわけではないからてくてく歩くことはないし、新しい環境に慣れてその職場職場特有の仕事の仕方に馴染んでいくことにエネルギーがたくさん必要で、ネタをネタとして拾って面白がることができるようになるまでにはまだもう少し時間がかかりそうだなあと感じる。
 ううむ。この職場に自分が流れ着いたのには、何かからくりがありそうな気配はあるのだけれど、それはいったいなんなんだろう。

 そんなふうに思いながら、黙々と淡々と転職先への順応に励む。黙々と淡々とそうしていたところ、ある日ふとしたことで、とある先輩薬剤師の人が趣味でフルートを吹く人であることがわかる。
 うわー、うわー、私、ずっと、フルートを吹ける人と出会いたかったんです、私ピアノを弾くんですけれど、フルートのピアノ伴奏をしたくてしたくて、五年か六年かくらい前にフルートとピアノの合奏用楽譜を買ってピアノ伴奏部分の練習をしてきたんです、でもなかなかフルートを吹ける人と知り合う機会がなくて、どうすればフルートのピアノ伴奏ができるようになるんだろうかと考えていたんです。

 するとその先輩薬剤師の人は別の事務職の人に「ちょっとー、聞いて聞いてー、どうやらさんね、ピアノ弾くんだってよー、フルートの伴奏してくれるんだってー、なんかすっごいたのしみねー」と声をかけられる。事務の人は「わー、そうなんですかー、伴奏してもらえると嬉しいですよねえ、練習にも張り合いが出ますねー」と言われる。なんと、事務の人もフルート奏者であったとは。
 その二人からの情報によると、その日はそこの職場には出勤していないけれども、さらにもう一人別の薬剤師の人もフルート奏者であるとのこと。
 な、なにゆえ、ここの職場には、フルート奏者が三人もいるのだ。

 その翌日、私は自分の持っている「フルートと演奏するピアノ」の楽譜二冊と、主旋律を別の楽器に演奏してもらってピアノ伴奏するタイプのビートルズ曲の楽譜を一冊、職場に持っていく。
 私がぜひともフルートを吹いてもらって伴奏をしたいのはグノーとカッチーニそれぞれのアヴェ・マリアなんですけど、それ以外のものでもこれなら吹いてみてもいいなーと思われる曲があったら付箋をつけておいてもらえたら、ピアノで弾く練習をしたいので、選んでもらってもいいですか、とお願いする。
 フルート奏者の同僚たちは、それぞれに、「うわあ、たのしそうー。順番に見て選びますねー。楽譜コピーして練習してみますね」と楽譜を持ち帰ってくれる。
 三人目のフルート奏者である人も「わあ、すてきすてき、コラボたのしみー」と言ってくださる。

 ああ、そうだったのか。そうなのか。私の「ピアノでフルートの伴奏をしたいです」「フルートを演奏できる人と個人的に出会って合奏したいです」というあの願いが叶うためには、私がこうしてこの職場に就職する必要があったというか、私が転職してここにくるのが手っ取り早い方法だったということなのか。たしかに、「すこやか堂」にいたままでは、この人たちと個人的に知り合うのは難しかっただろうなあ。すこやか堂の同僚にフルートを吹く人は一人もいなかったからなあ。しかし、いきなり三人ものフルート奏者に恵まれるだなんて。

 それにしても、フルートのピアノ伴奏に関して願って練習していたのはもうずいぶんと前のことで、当時願ってはみたもののそう簡単には思いどおりにすんなりとフルート奏者に出会えなくて、私のピアノの先生は「ごめんなさいねえ、私がフルートを吹ければ、どうやらさんのピアノに合わせてフルートを吹いてあげられるのに、私ピアノしか弾けなくて」とおっしゃるし、「いやいや、先生はピアノの先生なんですから、ピアノのご指導をお願いします」と応えたものの、フルートの主旋律がない伴奏部分ばかりを練習してるのもなんなので、ちょっと趣向を変えてビートルズのジャズバージョンを弾きたいです弾きましょう、とジャズ独特のリズムのとり方に取り組んでいるうちにフルートとの合奏に関する欲望は意識から薄れていた。
 が、欲望が意識から薄れたからといって、フルート演奏のピアノ伴奏がしたいという希望がなくなったわけではなかったから、その希望は自分でも意識しないところで願いとして念としていつもそのあたりを浮遊していたのだろうと思う。
 
 ああ、かみさま。たしかに私はピアノでフルートの伴奏をすることを強く大きく深く願っておりました。しかし、だからといって以前の職場であるすこやか堂を辞めたかったわけではないのです。けれども、すこやか堂を辞めることが、フルートと合奏するという願いを叶えるそのために都合がよかったということならば、それはそれでそれもわたくしの希望であったことにございますれば、いたしかたないことと存じます。
 
 そうして浮遊していた願いがこうして叶う。
 実際には、まだフルートとの合奏は実現してはいないけれど、いま回覧して曲を選んでもらっている楽譜が手元に戻ってきたら、選んでもらった曲目を中心にピアノの練習を重ねてゆこう。たのしみ、たのしみ。

 新しい仕事には少しずつ慣れてきて、ずいぶんと呼吸がらくになってまいりました。もう少し新しい職場独特の動線に慣れてくれば、不用意に体や頭をどこかにぶつけて「いてっ」「ううっ」と思ったり言ったりすることも減ってゆくことにございましょう。
 引き続き、自分が選んだ新しい環境への順応がんばるぞ、おー。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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