みそ文

耽溺エアオーケストラ

 私の車の中ではこの一年近くカルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー演奏のベートーヴェン交響曲5番と7番が繰り返し流れている。たまに夫が私の車に乗ると「う、消していい? それか何か他の音楽にしてください」と言うことがあり、そのときにはそれ以前に繰り返しかけていた大河ドラマ清盛のサウンドトラックに交換する。私が車中で清盛を繰り返しかけていた当時の夫は私の車に乗ると「う、これはもう飽きました、他のものにしてください」と所望していたものだが、ベートーヴェン好きの夫でさえも最近は「清盛もこうして久しぶりに聞くと新鮮やなあ」と言うほどだ。

 ベートーヴェンに関しては夫のほうがずっと以前(学生の頃)から愛聴しておりひととおりいろんなCDを持っているのだが、そのベートーヴェン好きの夫が「飽きた」と言うのはどういうことだろう。そもそも夫が私の車に乗るのは一ヶ月に一回か二回程度で、外出時の車中で聞くのも5番と7番をせいぜい一巡か二巡だから飽きるほど聞いているわけではないような気がするのだけど。

 私が夫に「私と同じようにベートーヴェンの5番と7番を、7番の2楽章と4楽章だけでもいいけど、繰り返し聞くひとって私の他にもいるかな」となんとなく尋ねてみたところ、夫は「うーん、そりゃあ、いるんちゃう、こんだけ人類いっぱいおるんやし」と言う。

「ベートーヴェンならなんでもいいんじゃなくて、カルロス・クライバー指揮のウィーン・フィルハーモニー演奏の5番と7番限定で、音楽関係のお仕事上の必要でとかじゃなく、あくまでもただひたすら耽溺する聴き方でだよ」
「うん、それでも、二三人はいると思う」
「えーーー、二三人なんてそんな少ないことないと思わん? 私と同好の人たちと語り合うことはないとはいえ20人か30人か、200人か300人か、2000人か3000人くらいかもっと、こういう聴き方する人がいると思うんだけど、いてほしいんだけど」
「どうやろうなあ、だって、同じ曲何回も聴いたら飽きるじゃん」
「飽きないよ、飽きるって意味がわからんよ。だって、どうやらくんだって冬にトレーニングで行くお山は何回も何回も同じお山に登るじゃん」
「山は行くたびに違うもん。季節によってはもちろん、同じ冬の間でも行くたびに変化がある。でもCDの内容は変わらんじゃん」
「CDの内容は変わらんでも、聞く人間のほうが日々刻々と変わるじゃん。人間もだし、それを聞くときの世の中の状態も毎回ちがうよ」
「まあなあ、すべてが同じってことはないけどなあ」
「同じ山でも山自体に変化があるだけじゃなくそのときの自分の実力やコンディションによって見えるもの聞こえるもの感じられるものは変わってくるでしょ」
「それはたしかにそうだけど」
「5番の躍動感あるリズムを聴くとどうやらくんは『運転がのる』って言うみたいに、運転にも仕事にも帰宅にも暮らしにもそのときそのときで勢いがついて気持ちがいいというか、一個一個連続したことだけどなんとなく区切りがつくというか、それでいて自分の暮らしの連続性に対する、なんだろうなあ慈しみみたいなものかなあ、が都度都度感じられる気がして、聴いてないよりも聴いているほうが自分のQOL(生活の質)がいいかんじ。ベートーヴェンもカルロス・クライバーもウィーン・フィルハーモニーの皆さんも本当にいい仕事をしてくれました、どうもありがとう、っていう気持ちになる。日々これを聴かずに暮らしている人たちはもちろんいっぱいいるんだけどみなさんほんとにそれでいいの大丈夫なのとうっかりするとつい心配しそうになるくらいなんだよ、でもそこは『いやいやそれは人それぞれよね、私だって生まれてからこれまでずっと毎日これを聴き続けてきたわけじゃないんだし』って思いとどまれる自制心が自分にあってよかったー」
「よかったね。CD一枚数千円でこれだけ聴いたらもう元は取り尽くしてるよなあ」
「うん、もうね、音が実際に流れていなくても脳内でかなり再現できるようになったよ。ただまだまだ聞き取れてない楽器の音やリズムや演奏のいろんなことがあるし聴くのは聴けても特定の楽器の音のリズムを指先なり体なりで完全にコピーできるところまではいってないから、聴きこむ余地はいっぱいあるの」
「そこまでするんならほんとに指揮者用の楽譜買って見ながら聴いたら楽しいんやろうなあ」
「うん、買うつもり。ただ買うのになんかえいやっーていうような勢いが要るみたいでまだ買ってないけど。指揮者用のスコアってあたりまえだけど楽器ごとのパート譜じゃなくてすべての楽器の楽譜が載ってるから高くてね一曲一万円前後くらいするの、いやもうちょっと安いポケット版もあるのはあるんだけど、おとなとしてはもう目にらくなほうで遊びたいじゃん」
「楽譜読めるんだったら、楽譜見ながら聴くと、楽譜なしではほぼ全然聞き取れてなかった音なんかも聞こえてくるんやろうなあ」
「うんうん、そうだと思うのよ、たのしそうでしょ。でね、将来的にはエアオーケストラっていうのかな、ほら、エアギターとかそういうののオーケストラ版をして遊びたいなと思って」
「なにそれ」
「うーん、だからね、すべての楽器の演奏がこの歳になって習い始めてできるようになるわけじゃないから、運指はおぼえてできるようになってもそれなりの音を実際に滑らかに気持よく出せるようになるのは難しいでしょ、でもエアならプロの演奏を耳で聞きながらそれに合わせてその楽器を演奏しているかのように体や指先を動かして気持よく身を任せることができると思うの」
「ああー、コンサート聴きに行ったりCD聴いたりする人の中に自分で指揮してる気分になってる人はけっこういると思う」
「指揮はね指揮でいいんだけど、私がしたいのは指揮じゃなくて楽器のほう。そういうわけでどうやらくんも一緒にどう?」
「いや、おれは、ええわ。指揮ならまだしも」
「んじゃ指揮して指揮して。カルロス・クライバーのごとく舞うように踊るように。そしてティンパニパートのところでビシッと私にタクトを向けてきて」
「みそきちティンパニなん?」
「うん、第一希望はティンパニ。ティンパニパート以外ではじっとして他の音を聴いて次の自分の演奏部分まで楽曲のテンポはなんとなくリードしつつ備えるの、くうっ、たのしそうっ。でもどうやらくんがティンパニしたいんだったら譲るよ、というかふたりとも一緒にティンパニしようよ」
「いや、ティンパニはええわ」
「そうなん? でね第一希望はティンパニだけど他の楽器もひととおり全部やりたいから、順番にと思ってもこれがけっこう忙しくてねえ、生きてる間に全部できるかなあどうかなあってかんじなんだよねえ」
「陰ながら応援しとくよ」

 夫が言う「陰ながら」は「自分はそれに参加する気はありません、もちろん邪魔はいたしません」という意志表明であることを私は知っている。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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