みそ文

山小屋訓練

 先月夫は槍ヶ岳(やりがたけ)という山に行った。槍ヶ岳山荘に泊まり翌朝山頂に立った。朝予定していた時間に山小屋を出ようとしたら世の中が雪におおわれ凍っており、出発するのはもう少し太陽が出て気温が上がって凍結部分が解けてからのほうがよいと判断して予定よりも少し遅い時間に出発したのだという。それまでの夫は山小屋では便が出なくなるから山小屋泊は二泊が限界だと前々から言っていた。しかし槍ヶ岳から帰ってきた夫は「そういえば槍ヶ岳山荘では出た」と言う。

「これまでの山小屋となにがちがったんだろう? もしかして持って行った青汁を水に溶かして飲んだとか?」
「ううん。青汁は持って行ったけど、結局飲まずに持って帰ってきた。なんか山では青汁飲むことを思い出せないらしい」
「まあ、もともと普段から青汁を飲む習慣があるわけじゃないのに、山でも出たらいいなと思って私の青汁をにわかに持って行ってるくらいだから、なかなか思い出せないかもね。でもじゃあ今回の槍ヶ岳山荘では何が違ってたんだろう」
「うーん、なんやろうなあ。ああ、そういえばトイレが珍しく洋式だったのはあるかも」
「洋式だけど当然水洗じゃない、よ、ね」
「うん、バイオトイレとかなんとかいうやつじゃないかなあ」
「んーと、便座の下は空洞?」
「うん、空洞。底のほうで排泄物とおがくずみたいなものがゴウンゴウンいいながら撹拌されてた」
「ほうほう」
「そのバイオトイレはこれまでの山小屋に比べたらトイレ独特のにおいが少なかったかもしれん」
「その目的もあってのバイオトレイなんだろうけど、でもにおいがしないわけではないんでしょう」
「それでも他の山小屋みたいにトイレのにおいがシャープなところに比べたら洋式便座なのもあってゆっくり座れたんかなあ」
「あ、もしかして、今回朝出発予定時刻には凍結で出発できなかったぶん山小屋でゆっくり過ごしたって言ってたじゃん。そのゆっくりしたのがよかったんじゃないかな。いつもは腸が出したくなるタイミングを待たずに山頂目指して歩いてるんじゃない?」
「ああ、そうかもしれん、たぶんそうだ」
「じゃ、今度から毎回朝ゆっくりめに出発したらいいんじゃないん?」
「そういうわけにはいかんのんだって。おれもいろいろ忙しいんじゃけん」
「はあ、そうなんですか。まあ、家に帰ってきてゆっくり落ち着いて出せばいいならそれもよしなんじゃないかな」

 そんな話をしてしばらく後、夫が槍ヶ岳から帰宅して数日の間に何度か続けて、夫がトイレに入ったあと我が家のトイレに『おまえさんトイレを流し忘れましたね』と思われるにおいが漂うようになった。トイレに入る必要があってトイレに入った私もすぐに用を足したいので入ってすぐに先にあるものを流して自分の用を足してまた流す、というふうにしていたのだが、数度目を超えたところで夫に伝えることにした。

「どうやらくんね、最近、トイレに入ったあと流し忘れてることない?」
「ええー、おれはちゃんと流してるって。みそきちどんさんの流し忘れなんちゃう」
「ううん。さっきどうやらくんトイレ行ったでしょ」
「うん、行った」
「そのあと私が行ったときに色といいにおいといい流してない状態だったよ。もう見せてはあげられんけど」
「あれー、おかしいなあ」
「どうやらくん、今回のお山から帰ってきてからずっと流し忘れてると思う」
「ああ、もしかしたら、そう言われたらそうかもしれん。山小屋のトイレは流すことがないからそのリズムのままじゃったかもしれん。それか、山小屋に備えての訓練なんじゃないかな」
「訓練? なんの?」
「山小屋のトイレのにおいがそんなに気にならなくなるように常日頃からにおいがあるトイレに入る訓練」
「その訓練は誰の訓練なん?」
「おれに決まってるじゃん」
「でも実際にはどうやらくんが入ったあとのにおいが残っているトイレに入るのは毎回私なんだよ。そのあと私は毎回流して、必要なら掃除や消臭作業をしてから出るんだよ」
「あれー、おかしいなあ。それじゃあおれの訓練にならんなあ」
「私は山小屋のトイレに備えて訓練する必要はいっこもないけん。うちのトイレはバイオじゃなくて水洗じゃけん。二人で使うトイレじゃけん。どうやらくん専用のトイレじゃないけん。毎回流すことを思い出して流してください」
「おうっ、がってん承知」

 そうして夫のトイレはふたたび毎回流されるようになった。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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