みそ文

将棋とアセトアルデヒド

 広島の実家に帰省した時に、甥のむむぎーが夫に「あとで将棋しよう。相手してください。でもこのあとの予定を考えたら、将棋ができるのはご飯が済んでおれがお風呂からあがってからになるかもしれん。そしたらお酒のんだ人はもう酔っ払っとるかあ」と言う。夫は「大丈夫。しようや。酔っとっても将棋はできるけん。酔っとるくらいがむむぎーの相手にはちょうどええじゃろ」と答える。

 むむぎーが「おとうさんはお酒を飲んで酔っ払ったらへんなにおいがするんじゃ」と言う。夫が「それはアセトアルデヒドやな」と言う。するとむむぎーが「ちがうよ。汗となんかのにおいじゃないよ、あれは」と言う。そこでその場にいた夫と私と父と母がいっせいに「汗、じゃなくて、アセトアルデヒド」と言う。むむぎーは「へ?」と不思議そうな顔をする。私が「あ、そうか、むむぎーはまだアセトアルデヒドを学校で習ってないかもしれんね」と言うとむむぎーは自信をもって「うん、おれ、ぜったいそれまだ習ってない」と言う。母が「これでむむぎーは学校で初めてアセトアルデヒドを習う時には、ああ、あのときのあれがこれだったんかー、って思ってしっかりおぼえられるね」と言う。

 むむぎーが「でもお酒はアルコールじゃろ? それなのになんでアルコールじゃなくてアセトなんとかのにおいなん?」と問う。私が「それはね、人間がアルコールを飲むと身体の中で代謝されてアセトアルデヒドというものに変わるん。じゃけん、飲んでるお酒そのものはアルコールのにおいでも、お酒を飲んだあとの人間の体はアセトアルデヒドのにおいがするんよ。まあ好みの問題もあるけど、アルコールはどちらかというといいにおいで、アセトアルデヒドはどちらかというとくさいんだわ」と説明する。

 その夜むむぎーと夫は将棋をした。彼らが用いる将棋盤と駒は公文の将棋セット。むむぎーとみみがーがまだずっと小さい頃に私が買ってプレゼントしたもの。公文の将棋盤は折りたたみタイプで、将棋の駒は折りたたんだ将棋盤の中に片付ける。駒にはそれぞれの駒の名称だけでなくその駒が移動できる方向が矢印で書いてある。もちろん「遊び方ガイド」の小冊子がついていてそちらでも確認できる。これなら駒の動きをおぼえていない将棋初心者でも気軽にやってみようかなと思えるような気がして伯母(私)はつい甥と姪に買い与えた。その後その将棋セットは実家の居間に常に置かれ、折々に取り出しては開いて遊んでいる間に、むむぎーとみみがーは兄妹で対戦して遊べるくらいに将棋ができるようになった。

 私は将棋ができない。いやどうしても将棋がしたくてその気になってルールを学習すればできるようになるだろうとは思う。たまたま幼年期から成長期にかけて将棋をする機会がなくて将棋をしたことがないまま(見たことはある)おとなになった。おとなになってからもわざわざことさらに将棋をする機会がなくそのまま結婚した。結婚したら夫は将棋を愛する人で私に対して「今からでもちょっとおぼえたらできるよ。教えるけんおぼえてできるようになったら? そしたら家でも旅先でも将棋で遊べるようになっていいじゃん」と熱心に勧めてくれた。そういうことならと「じゃあ、やってみようかな。では教えてください」と休日に畳の上で夫と将棋盤に向き合う。駒の並べ方を習う。駒の名前も各駒の動きのルールすら知らない私は最初にひととおりの駒の名前と動きを聞いてもすぐにはおぼえられなくて、駒を一個動かしては次の駒の動かし方を質問する。夫がむかしから使っている将棋盤だから「駒の動かし方」のような遊び方説明書がついているわけでもなくすべてが夫からの口伝。私のことだから自分から積極的に教えてくださいとお願いしたことであるならば、おそらく紙とペンを用意して、ルールを書きとめながら将棋の学習に励んだことだろうと思う。しかしそのときの私は「まあ、夫がそんなに熱心に言うのであれば付き合ってあげるのはやぶさかではない」くらいの気持ちで始めているからそういう熱心さはない。

 私が何度目かに何かの駒の動かし方を夫に尋ねた時に、夫が「いい加減おぼえたら? 見てわからんやつは聞いてもわからん」と言った。私は「それが初日の初心者にものを教える態度かっ」と口答えし、それに対して夫は「それが人にものを教えてもらう態度かっ」と立腹する。「別に私の方から将棋を教えてほしいと頼んだわけじゃない。どうやらくんが私も将棋ができるようになったらいいと思うって言うからそれならやってみようかと思ったけど、こんな教え方するんならもう教えてくれなくていい。どうやらくんとは一生将棋はせん」と宣言して駒を片付ける。

 そうして私はその後将棋をすることなく大きくなり続けているわけだが、小さい頃に気軽に将棋で遊び、なんとなくでもルールを把握した体験があれば、新婚早々になにも将棋で喧嘩と決裂のストレスにまみれずとも済んだのではないか、新婚といえども、いや新婚だからこそ、文化の異なる他人同士が結婚して共同生活するだけでもストレスフルな毎日なのに、将棋ごときで無益な……と感じる部分もあり、むむぎーとみみがーには小さい時にそういう機会があるようにできたらいいなと考えたのかもしれない。むむぎーとみみがーは、少なくとも将棋ができるかできないかに関わることで、共同生活を始めたばかりのパートナーとの間で無用ないさかいをしなくても済みそうじゃね、と伯母はにんまりと自己満足に浸るのであった。と思ったが、彼らは既に日常的に将棋で遊べる人たちになっているということは、もしかすると、むむぎーやみみがーが、将来、将棋を知らないパートナーかだれかに向かって、夫が私にそうしたような狼藉言動に走る可能性はあるということか。いや、でも彼らは駒の動く方向の矢印付きの駒と「遊び方ガイドブック」で遊び方を確認しながら将棋をおぼえた人たち。もしも彼らが大切に想うはずの誰かに将棋を教えてあげようかというそのときには相手が「わあ、将棋っておもしろそうかも、たのしいかも、もっともっとやってみたい」とわくわくするような教え方をするおとなに育ちますようにと伯母は切に願うのであった。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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