みそ文

愛犬と山頂へ

 土曜日に夫は山へ行った。いつものように現地近くのコンビニエンスストアでおにぎりを購入するために駐車する。財布を持って外に出ましょう、と思ったら、財布がない。リュックの中を探してもない。車の中を見てもない。ああ、どうやらこれは自宅に財布を置き忘れてきたらしい、と気づく。財布がないので財布の中にあるキャッシュカード類もなく現金を引き出すこともクレジットカードで買い物することもできない。

 しかしここで家まで財布を取りに帰る必要性があるかと考えてみる。今日登る山は標高800m弱でそれほど高い山ではない。リュックの中にはエネルギーゼリーとシリアルバーとソーセージがある。ポットのお湯と粉末コーヒーとインスタント味噌汁もある。これだけあれば登っておりて帰宅するまでのエネルギー補給はよしとできるかも。そう判断して登山道入り口駐車場に到着。山によっては駐車場料金として数百円かかるところもあるけれど、この日の山の駐車場は無料だから大丈夫。

 夫は順調に登頂し、手持ちの食糧を食べる。ポットのお湯でインスタント味噌汁を溶かして飲んでいたら、登山道から犬が元気よく山頂にやってくる。

 夫と同じく山頂にいる人たちのなかの数名が「あっ、ロンや。ロンが来た」「ロンが来たということは、お父さん(ロンの飼い主の男性)が来るのはだいたい二十分後か三十分後いうところやな」と話しだす。

 この山の常連さんの仲間内ではこのロンという犬は登山仲間であるらしい。ロンの飼い主の男性ももちろん登山仲間ではあるが、飼い主さんは六十代半ば前後という年齢的事情もあり、若いロンと同じ速さで山道を歩く(ロンは走る)ことはできない。登山道を歩き始める時点でロンは「じゃ、ぼく、先に行くねっ」とお父さんを置いて山頂めがけて駆け上がる。夫は「滑りやすい斜面の山道では四本足のほうが有利なんだよなあ」と言う。

 ロンはもともと人なつこい犬ではあるようだが、この山に来る人間は自分の仲間だと思っているフシがあり、山頂にいる人たちにはとりあえず近寄って声をかける。この山の常連さんにはもちろんすぐに駆けよってあちこちなでてもらい、ロンの好きな食べ物をもらう。ロンは夫のところにも近寄る。夫は小動物の相手をするのが好きなので、ひとしきりロンをなでる。ロンは「ねえ、ねえ、山頂おもしろいよね、なんかちょうだい」と主張してくるが、夫が飲み終えたエネルギーゼリーはもうないし、シリアルバーは食べ尽くしたけどもしあったとしてもチョコレート入りでは犬に与えるわけにはいかない。ソーセージももう食べたからないけれど、ソーセージには犬には危険なタマネギ等の香辛料類が入っているかもしれないから、もしあったとしても迂闊に与えることはできない。味噌汁はネギがアウトでありその液体という形状からして与えるのが難しい。他の人はロンが食べても大丈夫そうなパンを持っている。人によってはロンに会ったときに備えて犬用おやつを用意してきている人もいる。なんもなくてごめんなあ、と夫がロンをなでながら言うと、ロンは「そうなんだ、じゃね」ときびすを返して他の人のところへ行き「ね、ね、山歩きおもしろいね、なんかちょうだい」の動きをする。

「それは愛犬と一緒に山でお散歩、というよりは、愛犬と飼い主が各自別行動で山頂を目指す、集合場所は山頂、っていうかんじじゃね」
「そりゃあ、若い犬は、人間のおっさんがちんたら登ってくるのなんか待っとられんじゃろう。犬なら、たあーっ、と駆け上がれるもんなあ」
「山頂で飼い主さんとロンは集合して、おりるときにはどうするんじゃろう」
「また各自別行動なんちゃう?」
「ロンは先に駐車場まで来たら、おりこうにひとりで待ってられるんじゃろうか」
「どうやろうなあ。どうなんかなあ」
「適当に駐車場で遊んで安全に待ってられるんじゃったらすごいよね。でもそんなふうに山で思い切り走れるのはいいねえ。なかなか日々の散歩ではそんなに思う存分走れんじゃん。特に人間と一緒だと」
「町中だとあんなふうに離したら、いつ車にひかれるかわからんけど、山は車の心配がないけん、野生の赴くままに走り放題」

 山頂に飼い主さんが上がってくる。夫は「ほんとだあ。ロンの約二十分後だあ」と思いながら先に下山する。山からおりたら、いつもであれば、もよりの公共入浴施設で汗を流すのだけれども、この日の夫はお金がないから山帰りのお風呂はなし。道端に新しくできているのを見つけたちゃんぽん屋さんで帰りにはちゃんぽんを食べて帰ろうと思いつつ楽しみに往路を運転してきたけれど、この日の夫はお財布がないからお金がないからちゃんぽんは食べずにそのまま家に帰る。自宅でシャワーを浴びて、今度受験する資格試験の二次試験用の顔写真撮影に行く。

「一次試験受験の時に二次試験用の写真もまとめて撮影したんじゃないの?」
「一次試験用の二枚だけしか撮らんかった」
「そうなんだ。焼き増しだけすればいいようにネガにもしてなかったということなんじゃね」
「うん」
「そうか。一次試験に合格せんかったら二次試験は受けられんけん合格発表を待ってからと思ったのか。慎重じゃね」
「そんなことはない。合格せん、とか縁起でもない。ちゃんと受かるつもりで勉強してました。してたけど、二次試験でもまた写真がいるとは思ってなかっただけ」
「受験するのにいつの時点で何がどれだけ必要なのかを、受験料だとか写真だとかその他いろいろ、事前に確認はしないんですか」
「してるけどー、まあいいじゃん」

 二次試験にも写真がいるのか、と気づいてからの用意でも十分に間に合い、無銭で山に行っても無事に遊んで帰ってくることができて、夫は多幸でよかったねえ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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