みそ文

光る温度計

 大山で泊った宿からほど近い場所にそのお店はある。名前はモンベル。スペルはmont-bell。夫が買い物をする間、私も店内で待つ。私には山用品アウトドア用品の買い物希望はない。

 夫は一階で目当ての商品を見るが、私は店内の階段をあがり二階の展示室に入る。展示室の入口には「会計前の商品の持ち込みはご遠慮ください」の案内がある。私には会計前の商品も会計後の商品もないのでそのまま展示室に入る。展示室には特に大山にこだわったわけでもなく、アウトドアに特化したわけでもない美術作品が壁にぐるりと展示してある。

 展示室の真ん中にある椅子に腰掛ける。美術館や博物館ではできるだけ展示室の中ほどに身をおくことにしている。椅子があれは椅子に座って、なければなんとなく立って。展示物を直近間近で見ると、大抵の場合において、私はエネルギー負けを起こす。

 エネルギー負けというのは、なんと説明するとよいのか少し迷うのだけれども、食あたりのような熱射病のような、頭が痛くて息苦しくて軽く吐気がするような症状に見舞われる。これは絵画にしても彫刻にしても古代の遺跡関連物にしてもおなじで、人間がつくったあらゆる作品に相対する時にはその作品の前でがぶりよつになることなく身体も気持ちも一定の距離を保つことで、作品のエネルギーに毒されるような、毒されると言うと少し聞こえがよくないかなあ、感電するようなそんな症状を予防できる。これが同じ展示物であっても、地層であるとかただ切り出された鉱物であるとかそういうものの場合は不思議とエネルギー負けが起こらない。だから地質学系統の展示館ではわりと安心して地味ではあるが気楽にはしゃいで過ごせる。

 エネルギー負けを起こすのは現代作家さんの展示作品でもそうではあるのだが、よりいっそうエネルギー負けを起こしやすいのは歴史のある展示物。少し古い有名な絵画も危険であるが、古代エジプト展であるとか名城に展示される当時の刀であるとか、そういうものにはさらなる注意が必要だ。よほど自分の興味があるものを除いては、展示物から少し距離を置いて、その展示物が放つエネルギーをミストシャワーのようにふうわりと浴びる程度にとどめる。それを入館料を払ったからには元を取らなくちゃ的感覚であらゆる展示物の間近に近寄って、特にメインとなるような展示物を見るために並んでまでそのすぐ前でその作品と対峙するとその後だいたい寝こむ。寝込んで苦しんで消耗する私の体力気力にもしも値段がつけられるとしたら、その価格は入館料よりもずっと高いと思うのだ。入館料の元を取ろうと思って無理して展示物をガン見して体調崩して寝込んだのでは、そういうのを「本末転倒」というのではないかなと。

 人ごみの中で並ぶという作業自体がもともと得意でない私にとってはその作業だけでも十分に疲労の原因にはなる。そこにさらに、なんだろうなああれは、存在の主張が強力な作品、とでもいうのだろうか、そういうものと向き合う作業を重ねると、高い確率で寝こむ。

 でもそこで、その作品の存在もそれを見る人々がいればその人々の存在もそこに在るすべての存在エネルギーを均等にうっすらとそよ風を浴びるように、自分の全身で受け止めれば寝込むほどには疲れない。むしろそれは心地よい刺激で、ふだんの暮らしでは得ることのない種類の栄養のようななにかとして好ましいこころ持ちで吸収する。

 展示物から数メートル離れてそのものを見るということは、展示物の細部までよくよくは見れていないだろうとは思う。特別に細部まで見たいものに関しては、そのつもりで気合を入れてその展示物の前に立つ。が、そうでないものに関しては、少し遠くから俯瞰することで見えるものを味わう。そういう見方をするためには、展示室の中央あたりに配置される椅子というのは絶妙に使い勝手がよいものであり、展示をする側の人というのはよく考えて気配りをするものなのねえと感心する。

 モンベルの二階の部屋で椅子に腰掛けてぐるりと壁に目を向ける。なんとなく、弟に「母は無事に特急に乗ったよ」の連絡を携帯番号宛てメッセージで送ろうかな、と思いついて携帯をバッグから出して手に取る。んー、でも、やっぱり、まあいいか、と思うと同時に、連絡するとしたら、鳳来万頭をくれた義妹(弟の妻)にお礼も兼ねてするべきかしら、と思う。しかし、おやおや、私は義妹の携帯電話番号を知らないのね、ということに気づく。それじゃあ連絡しようがないから(いや、実家に電話をかけて音声で伝えるという方法がないわけではないのだが)、鳳来万頭のお礼は後日自宅のPCから義妹の携帯メールアドレス宛に送ることにしましょう、と決める。

 モンベル二階の展示室はあまりエアコンが効いていなくて、全身がじわりと汗ばむ。涼しい一階に降りることにして、とんとんと階段をおりる。夫は山歩きの時に使うグローブを物色している。気に入ったものはあるのだが、右手にサイズを合わせると左手には少し大きくて、左手にサイズを合わせると右手には少し小さいとかで、サイズをどうしようと迷う。私は、なるほど、こういう手袋をしていれば、うっかりウルシの枝に触れても、少し前の夫のように手の甲が漆かぶれの水ぶくれだらけにならなくても済むのね、と納得する。実際には漆かぶれ予防目的よりも、ちょっとした岩場などをよじ登る時になにかをしっかりと掴むことのほうが主な目的なのかもしれない。

 夫がグローブを迷う間、私は山の上で用いる食器類を眺める。棚の一番下に抹茶の茶筅を見つける。なぜこんなところに茶筅が、しかもなんとなくそのサイズが小さい。スカートをおしりから太ももに添わせてしゃがみ、茶筅を手に取る。間違いない、これは茶筅だ。

 よく見ると茶筅だけではなく抹茶のお茶碗の小さなサイズのものがその横にある。手に取るとやや軽い。軽量化を工夫してある茶碗のようだ。はて、これは、いったいどこで何をするものなのだろう。

 さらにその横に目をやると、高機能超軽量巾着袋のようなものがあり、携帯野点セット、と書いてある。子どもの頃茶道教室に通っていた私は「野点(のだて)」というものがあることは知っている。お茶室以外の野外で抹茶をたてお菓子をいただきお茶を飲む。しかしその野点の場所は、たとえばお花見や紅葉の時期の戸外で、着物を着て行き帰りできるような気軽な場所であって、山の上は想定していない。

 しかしここにある野点セット巾着袋についている説明書の写真は、明らかに山の上で、数人の男性が登山服姿で写る。地面には赤い毛氈。登山服姿の男性のうちの一人は茶筅で抹茶をたてており、残りの三人は横並びに正座して、一人は抹茶の茶器を両手で口にあてて飲んでいる。

 近くを通った夫に「ちょっと、ちょっと、見て。これ山の上でお抹茶を飲むための道具だよ」と伝える。夫は「なんで、わざわざ、山で抹茶なんか」と言うが、私にしてみたら「なんで、わざわざ、山になんか行くのか」であるから、「どうやらくんみたいに山に行きたい人がおるくらいなんじゃけん、しかもそれが少数派ではなくてこういう専門店が商売するくらいにお客さんがたくさんおってんじゃけん、中には山に行くだけではなくそこで抹茶もたのしみたいという人がいてもおかしくないんじゃないかな」と言う。山にコンロを持ってあがり、山の上でお湯を沸かしてインスタントラーメンやレトルトカレーをたのしむ人たちがいるように、お抹茶をたのしむ人がいる、そういうことではないかしら。

 夫は「わけわからん」と抹茶セットの場所から離れる。私は引き続き抹茶セットの説明書を見る。セットの内容は、茶筅、茶杓、茶碗、なつめ(抹茶粉末を入れる容器)。どれも大きさが小さくて、写真のおじさんたちのような男の人達には扱いにくそうだなあ。さすがに赤い毛氈まではセットに含まれていないようだが、登山野点をたのしむ場合は、野点メンバーの誰かが毛氈を背負って持っていくのだろうか。

 店内を見回して夫の姿を探す。小物類の場所にいる夫を見つける。夫に「ねえ、どうやらくんは、山の上で抹茶をたてて飲む人みたことある?」と問うと「見たことない。そんなやつおらんて」と言う。「でも、もしも、どこかで見かけることがあったら、写真撮らせてもらってきて。顔をはっきり写す必要はないけん、写真撮らせてください、って頼んで」と頼む。

 夫は「ううん、どっちにしよう、何が違うんだろう」と小さな温度計を見比べる。形は同じだが、数字が書いてあるプラスチックの台座の部分の色が異なる。ひとつは真っ白でもうひとつは薄い黄色。どれどれ、と見てみるが、商品の表側と裏側に書いてある商品説明はアルファベットで書かれているものの英語でもドイツ語でもなくて文字の意味がなにひとつ目にも頭にも入ってこない。これは何語だろう、オランダ語かしら、ううむ、というところで立ち止まり、それ以上の解読はできない。「お店の人に訊いてみたら?」と勧めると夫は「そうする」と言って、ふたつの温度計をレジに持っていく。

 お店の人は、ええと、これは、何が違うんでしょうねえ、と言うがすぐにはわからないようで、商品の表側と裏側をまじまじと観察する。その手元を見ているうちに私達のほうが、あ、ここに小さな字で日本語の説明が書いてある、黄色いほうは「発光タイプ」と書いてある、と気づく。するとお店の人が「そうそう、発光タイプは蛍光塗料入りなので、暗いところでも見やすいんです」と説明を加える。

 発光タイプと発光しないタイプの温度計の値段のちがいは30円ほど。温度計の大きさは運転免許証よりも小さくて手のひらにちょこんとのるくらい。

 夫はじゃあ光るほうにします、と決めて、グローブと一緒に会計をしてもらう。

 お店を出て、隣の駐車場に置いていた車に戻る。夫は「何か少し軽く食べたいなあ。大山まんじゅうかなにかそんなものがあれば。大山名物山菜おこわは昨日の夕ごはんでもう食べたしそれでは多すぎる」と言う。「大山まんじゅうではないけど、宿の部屋に戻れば母が買ってきてくれた広島の『生もみじ』があるよ」と私が言うと、「そうか、それにする、それでいい、それがいい」と夫が言う。

 こうして山用品屋さんモンベルでのひとときは終了。後日になって山に行った夫が「大山のモンベルで買ったグローブはすごくよかった。もっと早く買って使ったらよかった」と言う。

「温度計はどうだったん? そもそもどういう時に使うの?」
「うーん、今温度どれくらいかなあ、と思った時に温度計見て、これくらいの温度ならこういうことに気をつけたほうがいいな、って考えるのに使う。ただ、あの発光は意味がなかった」
「なんで? 光らんかったん?」
「いや、光るのは光るんだけど、数字が書いてある文字盤のほうは蛍光加工してあるから光るんだけど、温度計の赤い液体の部分には蛍光剤が入ってないけん、暗いところでは温度が何度になってるかが見えん。これなら発光タイプじゃないほうでもよかった」
「うーん、でもね、温度計を本気で見るときには、暗いところならヘッドランプ照らすとかなんかするんじゃないかな」
「だったらなおのこと温度計のどこも光る必要ないじゃん」
「温度を見るのはヘッドランプで照らして見るとしてもよ、温度計そのものを暗い場所でリュックの中を手探りで探すようなときにね、ヘッドランプの明かりがあるにしてもないにしても、温度計そのものが薄ほんのりと光ってくれたら、ああ、ここにあったのか、って見つけやすいんじゃないかなあ」
「ヘッドランプつければ別に温度計が光らんでもリュックの中で探すのは探せる。それにリュックの奥のほうに入れたりせずに、決まったところに固定してぶらさげとくけん、どこにあるかはすぐにわかる」
「そうなんじゃ。でも、まあ、これも買って使ってみて、温度計の温度によって上下する部分は光らんことがわかったんじゃけんよかったじゃん。学習学習。今度買う時にはそこもチェックポイントにすればいいってことじゃろ」
「こんなもの何回も買い換えるもんじゃないけどなあ」
「んー、白い温度計よりも、黄色い温度計のほうが、雪の上に落ちた時にも見つけやすくていいじゃん」
「まあ、そういうことにしとこうか」

 光る温度計を買う時には、どこがどんなふうに光るのかを確認できたらするのがいいね。もしかすると私達が読めない言語で書かれた説明文にはそのへんのことが詳しく書いてあったのかもしれないな。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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