みそ文

お風呂で背中を洗う

 大山の宿のお風呂は、シャワー付きの洗い場がななつくらいと大きな湯船がひとつ。湯船はおとなが五人くらいは一度に入れる広さだけれど、ひとりかふたりでゆったり入るほうが快適そう。

 母と並んで頭と顔と身体を洗う。母と私の背中は似ている。姿形のことではなくて背中の痒くなる場所が。だから母と一緒にお風呂に入れる時には互いに相手の背中を洗い合う。

 背中というのは自分で洗おうと思っても自分ではなんというかこう背中に垂直に圧をかけることができない。ボディタオルを使ってもボディブラシを使っても、自分の背中の一番洗いたい部分には直接自分の手は届かず自分で洗おうとするとどうしても少しくぼんだようになる。しかし自分以外の人に洗ってもらうとその部分がきゅっきゅっと深いところまできれいになる。

 お互いに背中を洗ってもらうとき、母も私も「くうーっ」「気持ちいいーっ」「そこそこーっ」と歓喜の声をあげる。この背中を洗ってもらって気持ちがいい感覚、母と私はお互い以外の人とはなかなか共有できない。
 妹は背中に痒いポイントは持っていないらしく、洗ってやっても「はい、ありがとー」で終わるし、洗ってもらっても特に洗いあげてもらいたい微妙な位置の確定をする前に「はい、おしまい、きれいになったよ」と洗い終える。
 夫に私が「背中を洗ってあげようか」と言っても彼は必ず「別にいい」と言う。「じゃあ私の背中を洗って」と頼むと「はいはい」と洗ってはくれるのだけれども、これまたすぐに「はい、洗った、おしまい」と洗い終える。

 それが母とであれば、まずは全体をざっくりと洗い、それからそれぞれの背中の痒いポイントとその周辺を集中して少し強めに洗う。「もうちょっと左かな、もう少し下の、そうそう、そこそこそこそこ」という位置の確定も思い通り。念入りに洗いあげた背中はぴかぴか。

 広島の祖母が生きていた頃、母は祖母の背中をよく洗っていた。祖母も背中に痒くなるポイントを持つ人であったらしく、背中を洗うための亀の子たわしを常備していたように思う。祖母の背中を洗う母に祖母は何度も「もっと強くこすってほしい。背中の皮膚が破れて血が出てもいいからもっと強くこすってくれ」と言っていたという。

「広島のばあちゃんは私らと同じで背中を洗ってもらいたい人だったけど、島根のばあちゃんはどうだったん?」
「そうえいば、母の背中をそう思って洗ってあげたことはないかもしれん。痒いけん洗ってほしいって聞いたこともないねえ」

 湯船のお湯は熱くはないけどぬるくもなくて、あまり長くは入っていられない。母は先にあがって外で髪を乾かしてるから、と先に出る。私は浴室の窓を少し開けて換気しながら湯船で身体を伸ばす。湯船に入るといつもそうするように、お腹と太ももとおしりとふくらはぎと足の甲と裏と足の指をこころゆくまでマッサージする。

 お風呂を上がる時には、自分が開けた窓を閉める。浴室の窓にも部屋の窓にもここの宿の窓という窓には網戸がついていない。

 脱衣所で体を拭いて素肌に浴衣を羽織る。宿泊者の中では母と私がこの日最初の入浴なのかと思ったけれど、脱衣所の床には髪の毛がぱらぱらと落ちている。母の髪よりは長くて私の髪よりは短い髪の毛。今日のチェックアウトのあとの掃除のあとで日帰り入浴利用の人でもいたのだろうか。髪の毛が裸足の足の裏につくと気持ちがよくないから、洗面台のティッシュで床をざあっとぬぐって落ちている髪の毛を集めて捨てる。ゴミ箱の中に捨てようとしたら、ゴミ箱の中がけっこういっぱい。部屋のゴミ箱はちゃんと空になっていたけれど、そういえば、二階のトイレの手洗い場所の紙タオルを捨てるゴミ箱もかなりたくさんゴミが溜まっていたなあ。ゴミ箱のゴミがいっぱいになるまでゴミ袋を取り替えたり中身を回収したりしないスタイルなのかな。

 浴衣を着たら私は五本指の靴下を履く。病院や宿泊施設や投票所など大勢の人が共用するスリッパを履く時に迂闊に素足で履くと、白癬菌に噛み付かれたようなチキーッとした痛みに見舞われることが多いから。私の足はどちらかというと乾燥しているタイプなので、噛み付いた白癬菌が水虫として増殖することはないのだが、あのチキーッは避けたい。

 お風呂から二階の部屋に戻る。浴衣から持参の半袖シャツと吸湿速乾短パンに着替える。母が「私も部屋着に着替えようっと」と言って持参の軽くて涼しい服に着替える。浴衣は湯上りに簡単に羽織るのには便利な衣類なのだけど、そのままずっと過ごすには夏には少し暑くて冬には少々寒い。

 母は部屋の窓から大山を眺める。「大山が見えるだけじゃなくて、周りの立派な大きな杉の木のてっぺんが見えるのもいいねえ」と満足そう。私は化粧水を顔につけて、髪の毛に保護トリートメントをつけて、持参のドライヤーで髪を乾かす。私くらい長い髪の毛になると、脱衣所のドライヤーで乾かすのでは時間がかかる。部屋でゆっくりと畳の上に座り込んで、しっかりとした強風を出してくれる持参のドライヤーで乾かすと、その作業もくつろぎになる。

 母が「今何時なの?」と訊くから時計を見る。「六時半少し過ぎかな」と答える。母は「この時間にこんなふうにゆっくりするのはいいねえ」と言う。私は「六時半夕食にしようと思ったら、ここがちょっと慌ただしかったじゃろ。今日の夕ごはん七時だと、落ち着いてこうやって髪の毛しっかり乾かせて、さらにゆっくりできていいじゃろ」とゆるりとした夕方を喜ぶ。

 お風呂に入るまでは、自分の身体を舐めたわけではないけれど、なんとなく塩味風味だった身体が、今はもうさっぱりすっきりさらさら。満足満足大満足、と、畳で大の字に寝転ぶ。     押し葉

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
暮らし (109)
仕事 (161)
家族 (298)
想 (23)
友 (47)
学習 (79)
旅 (16)
心身 (8)

FC2カウンター

検索フォーム

FC2Ad

Template by たけやん