みそ文

写真のことを思い出す

 大山のお宿にチェックインしてこれからお風呂に入りましょう、というところまで書いたけれど、その前の時系列部分で書き足したいことがあるから、お風呂の話はもう少しあとにする。

 母の実家でおばが何度も「あれを食べるかこれを食べるか」とすすめてくれるのだけど、私は宿坊の精進料理にむけてお腹を備えなくてはならないから、おばの煮しめの蒟蒻とお漬物とスイカ以上のものを食べることはできないのだ。しかしおばはなおも怯むことなく私のスイートスポットを突いてくる。「みそちゃんは、マンゴープリンは好きかね」と。

「うう、マンゴープリンは、好き」
「じゃあ、出してきてあげようかね」
「おばちゃん、待って、ええと、ここでいただいていくんじゃなくて、もしも一個一個個包装になっているものなら、開けないでそのままもらって帰ってもいい?」
「個包装のだよ。ほんなら、袋に入れてあげようかね」

 おばはそう言ってマンゴープリンをビニール袋に入れて手渡してくれる。宿についたら厨房の冷蔵庫で預かってもらい、明日の朝ごはんの一品にしよう、と、たのしみな気持ちになる。今回泊った宿には各部屋に冷蔵庫はないので、冷蔵しておきたいものは厨房の冷蔵庫に預ける。


 島根から移動してきて大山町に入る頃には、後部座席の母はうとうとと寝ていた。シャリラリシャリラリシャリラリと母の携帯着信音がなる。運転しながらルームミラーで母を見やり「おーい、おーい、かあちゃーん、携帯がなってるよー」と言う。母は「はっ、ほんとだっ」とバッグから携帯を取り出す。

 電話の相手は松江市に住む母の姉で、お墓参りは無事にできたかね、道中は無事だったかね、などなど、妹と姪夫婦一行の道中を案じる内容だったようだ。母は「おかげさまで無事無事」「うとうとしてる間に大山に着いたみたい」と報告する。松江の伯母は母の姉だから当然ながら高齢だが、広島から妹が来ると知ればなにくれとなく気遣いお世話をしてくれる。
 姉妹としてあの年齢まで、住むところは離れ離れであるものの、ともに年を重ねて大きくなるというこのはどんなかんじなのかなあ、私と弟や妹がもっとたくさん年を重ねたときにはどんなかんじになるんだろうなあ、と、なんだかたのしみになってくる。


 宿の部屋に着いて少ししてから、母が「そうだ、無事に宿に着きましたの電話をしておいたほうがいいかしらね」と母の実家にいるおばに電話をかける。私は「うん、それはぜひそうしてそうして。私からのお礼も伝えて」とお願いする。
 電話を終えた母が「みそちゃんとどうやらくんからもお供えをしてもらってたのに、さっきは気づいてなくてお礼が遅くなったけど、よろしゅうよろしゅう伝えといてね、っていうことだったよ。ありがとうねえ、私からもお礼を言うよ」と言う。

 私がお供えしたのは日持ちのするお菓子で、ピーナッツが散りばめられたおせんべいと同じ会社製造のアーモンドが散りばめられたクッキーのセット。私は現在居住地の地元菓子であるこのおせんべいが好きなので、なにかというとこのせんべいを買いたがる。けれど夫はこのせんべいに対する評価があまり高くないらしく、私がこのせんべいに手を出そうとすると「他のものがいいな」と言うことが多い。夫がこのせんべいをあまり高く評価しないのは硬いからではないかなと思う。夫は硬いものをバリバリと咀嚼するのがあまり得意でないから。でも、せんべいというのは概ね硬いことが多く、硬いものをバリバリ咀嚼するのが好きな私にとってはその硬い食感も含めておいしさのうちなのだけど。夫に相談してからだとこのせんべいをお供えにすることに彼は反対するだろうな、と思ったから、私は夫には何も相談せずひとりでこのおせんべいとクッキーのセットを購入し「お供え」ののしをかけてもらい自宅に持って帰ってから「お参りのときのお供えは用意してあるからね。あとは持って行ってお参りするだけだよ」と報告した。

 母の実家にいるおばとの電話を終えた母に「あそこでマンゴープリンをもらえたのは予定外だったけど、明日の朝ごはんに一緒にいただこうよ」と話す。母が「冷蔵庫は?」と言うから、「厨房で預かってもらうの」と説明する。「そんなこともできるんじゃねえ、それはたのしみだねえ」と母が言う。

 それから浴衣に着替えて、お風呂に入る支度をする。母が何かを思い出してくすくすと笑う。マンゴープリンをくれたおばについて「正直でおもしろい人だよねえ、ああいう人だけん骨折してもあんなに治りが早いんかもしれんねえ」と話しだす。

「お墓参りに行く時に、家の外の水道でお花の準備をしたでしょ?」
「うん。おばちゃんがお花を水切りして下の方の葉っぱを取ってからかあちゃんに渡してくれてた」
「あのとき、ほら、兄の同級生のおばさんが来とっちゃったじゃろう、おばさん言うても私もおばさんじゃけど、兄のほうが年上じゃけんあの人もまあおばさんでもよしとして、そのおばさんが来ていることだし、お花のことは私に任せて中に入って相手してあげて、って、あの時言ったのよ」
「ああ、そうだったんだ、そこは聞こえてなかった」
「そしたらね、『いいの、いいの、私、あの人のことはちょんぼししか好きでないけん、あんまりずっといっしょにいないほうがいいの』って」
「ああ、それは、おばちゃんらしい表現だねえ」
「嫌いだけん、でも、あんまり好きじゃないけん、でも、いいようなもんだけどねえ」
「でも『ちょんぼししか好きでない』のほうが相手に対する肯定部分もちゃんとあるかんじがするし、なにより『ちょんぼし』っていう方言が『少し』や『ちょびっと』よりもやわらかいのがいいね」

 あのとき母とおばがお墓に持って行くお花の準備をしていた水道の後ろ側には、かつては牛小屋だった建物がある。いまは保存野菜やいろんな道具を置く納屋的な場所になっており、建物自体明るくさっぱりとした風情のものに建て替えられていて、ほぼ当然であるが牛はいない。私が夫にその建物を見せて「むかしね、ここには牛がいたんだよ」と説明する。夫は「うん、そうやろうな、むかしの家には母屋とは別に牛のいる建物があったもんなあ」と言う。そうしたらおばが振り向いて「今は牛はいないからね」とわざわざ説明してくれる。私は「うん、知ってる。見るからにいない」と言う。
 幼い私はこの牛小屋で牛を眺めるのが大好きで、しょっちゅう牛小屋に入っては延々牛を見ていた。今考えるとどうしてあんなに飽きることなくいつまでも牛を眺めていたのか、何がそんなに面白かったのか、どこが私の興味のツボにはまっていたのか、牛の何をどう観察していたのか、まったくもって難解だ。
 「今は牛はいないからね」と教えてくれたおばは、牛に見とれて牛小屋から帰ってこない幼い私を何度も呼びに来たり連れ戻したりしてくれたのかもしれないなあ。

 おばとの電話を終えた母が突如「ああああーっ、忘れてたーっ」と何かを思い出す。

「どしたん?」
「お墓参りが済んだら、家の前でみんなで写真を撮ろうと思って、そのためにカメラを持ってきとったのにー」
「ああー、それはー。かといって今からあそこに戻るのはないけんねえ。残念残念」
「残念よー。今回のメンバーであそこのお墓に参りに行くことなんて、きっともう二度とないじゃん」
「おばちゃんなんか、いつ写真を撮られても大丈夫! いつでもどんとこい! なスーツ姿だったのにねえ」
「そうよう。あんたら夫婦とおばちゃんの三人をまず私が先に撮って、あとは順番に撮りあいこしたら全員が写るね、よしよし、と思っとったのにー。なんで思い出せんかったんじゃろうー、そうかー、あのおばさん(伯父の同級生の女性)がずっとおったけんかもしれんー」
「そういえば、あの人、けっこう、ずっと長いことおっちゃったよね、お仏壇参ったら、私らがお墓に行ってる間にさっさと帰っちゃってもおかしくないのにねえ」
「ほんとよう。ああ、ここの宿の前では忘れずに、どうやらくんと三人で、写真撮ろうね、ぜったい」
「うん。明日撮ろうね」

 私はもともと自分がカメラなどを持ち歩いて写真を撮る習慣がないため、母の残念な気持ちに充分共感できてはいないのだろうけれど、明日明るい時間帯に宿の前で写真を撮るのを思い出せるといいな。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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