みそ文

お墓の四隅にお米を置く

 母の実家の仏間で話をしたあと、母が「それじゃあ、ちょっとお墓に参りに行ってくるけん」とおばに伝える。おばが「じゃあ、お参りセットとお花の用意をするね」と立ち上がる。そうしたら玄関に誰かが来た気配と声がして、母が「私が出るけん、お参りセットをお願い」と言って玄関に向かう。

 玄関から母が戻ってくると、あとから年配の女性が入ってくる。お参りセットの小さなバッグのようなリュックサックのようなカバンを手にしたおばはその女性を見ると「ああ、だれだれさん」と声をかける。その女性は近所に住む人で、伯父とは同級生なのだとか。伯父と同級生ということは、伯父のすぐ下の妹である母もその人のことは小学校などで見知ってはいるのかもしれないが、母にはその人の記憶はない。相手の人も最初は誰だろうかと思っていたようだったが、おばが「妹のこよみさんだがね」と説明すると「ああ」と思い出したふうで、でも母は思い出せないふうだ。その人に簡単に挨拶して、母と夫と私はお墓へと向かう。

 母の実家からお墓までは歩いても行ける距離ではあるが、車で四分くらいのところだし、暑い時期でもあることだから、車で行こうね、と決める。おばが家の外にある水道のところでお供え用の花を支度してくれる。母が「お花は適当にもらっていくから、お客さんの相手をしてあげて」と言うが、おばは「いいの、いいの。お花はこれとこれを持って行って。お墓のお花もまだきれいだろうけど、暑さでしおれているのがあったら入れ替えてもらえたら」と作業を続ける。母が「じゃあ、お花を新聞紙に包んで、行ってくるね」とお花の準備を仕上げる。

 母の案内で私が運転してお墓に行く。母の実家のお墓の場所はとても気持ちよいところにある。広い平野の田んぼがつらなる中でも広々とした敷地に数十の墓石が並ぶ。大きな道から少しだけ小さな道で入ったところにある墓所からは晴れていれば大山がくっきりと見える。夫はここでも「おおー、大山ー」と翌日の登山にむけて気持ちを備える。母は「ここからは出雲富士がほんとうにきれいに見える日には見えるんだけどねえ。出雲富士っていう呼び名は、出雲の人間にとってはだけどね」と言う。夫が「でもこっちがわから大山を見るときれいな円錐で富士山みたいに見えるらしいですから、そりゃあ出雲側の人としては出雲富士と呼びたくなるでしょう。こういうのは言うた者勝ちですから」と言う。

 墓所は相変わらず明るくて広々としている。四方を塞ぐものは何もなくて東西南北すべての方角からの風がお墓と私達をさらりさらりとなでる。共同で使う水道に桶と柄杓が置いてある場所はいつものようにきれいにしてある。母は新聞紙からお花を出して、お墓でしおれた花を抜き取る。抜き取った花は敷地内のお花類を土に返す場所に捨てる。その横には紙ゴミを入れる大きなゴミ箱も設置されていて、お参りする人たちにとっては実に便利な環境。

 私はここに来るたびに「こんなに明るくて気持ちのいいお墓だったら、再々お参りに来ようっていう気になるよね」と言う。母は「ほんとうにねえ。このへんの人たちはお墓の共同の場所をいいところにしたよねえ」と言う。

「これくらい使い勝手のいい墓所だと、子孫としても気軽にお参りしたくなるよねえ。いつ来ても皆さんきれいにしてらっしゃるし」
「まあ、今はお盆だから余計にきれい、というのはあると思うけど、それでもここはいつ来てもみんなきれいにしてるねえ。月命日ごとに来てる人もいるんじゃないかな。またこうして共同の墓地だから、集落の意識としては、よその家がきれいにしているのに自分ちだけがきれいにせんわけにいかん、っていうような感覚にもなるんじゃろう」
「なるほどねえ。でもそれでご先祖様も子孫も気持ちいいならいいねえ」

 母がお花をきれいに生け替える。私は墓所敷地の端に位置する他家のお墓の陰で風をよけながらお線香に火をつける。お参りセットの中には小さなプラスチックケースが入っている。その中身は白米。夫が「お米、なににするんだろう」と言う。「私も知らない」と言う。母が「お米はお墓にお供えするに決まってるでしょう」と言う。夫も私も「そんなことしたことない。広島のお墓参りでそんなのせんじゃん」と言う。母は「そういえば、そうねえ。でもこのへんはそうするのが当たり前だからお墓もそういう作りになってるでしょ」と言う。

 そう言われて見てみると、お墓の中央にある一番背の高い墓石の手前の低い位置には細くて横長な広めのスペースがある。その中程は浅くくぼみをつけてやはり横長に掘ってあり、どこの家のお墓でもそこには水が入れられている。その両側がお花を飾る筒。中央の墓石と水の間には、みっつに分かれた線香立てが置いてある。そして水を入れるくぼみの周囲が幅数センチでぐるりと平たくなっていて、どうやらお米はその長方形の四隅に少しずつ置くもののようだ。

 母の説明を聞いてから、母がお米を四隅に置くのを見る。母は「こうしておくとカラスが喜ぶけんね」と言う。私が「スズメじゃなくてカラスなの?」と訊くと、母は「スズメもかもしれないけれど、結果的にはカラスが喜ぶんじゃないかな。お墓の中の人はここのお水を飲んで、四隅のお米を食べて、お花を見て、喜ぶわけよ」と言う。

 母が私に「お線香をみっつに分けてね」と言うから、私は「わかった」と返事をして、三等分したお線香をお墓の前のみっつに分かれた線香立てに立てる。そのままそこで手を合わせて目をつむろうとしたら、母が「あんたたちもお米を置かんと」と言う。

「あれ? さっき母が置いてくれたお米がみんなの代表のお米じゃないの?」
「ちがうよ。お米はひとりひとりが少しずつ自分で四隅に置くんよねえ」
「なんと。そうだったんだ。どうやらくんも、はい、じゃあ、お米を四隅に置いてね」
「おれ、こんなんしたことない。前に来た時にはせんかったじゃん」
「だって私もこんなんしたの覚えてないけどたぶん初めてじゃもん」
「しめじくん(弟)と一緒に来たときは、三人ともそんなこと知らんけん、ただ線香立ててお参りしただけで、米持ってくることなんか、米置くことなんか誰も思いつかんかったなあ」
「仕方ないよ、知らんかったんじゃけん」
「そうよそうよ、知らんことはできんけんね。はい、じゃあ、ふたりともお米は置いたね。じゃあ、みそちゃん、お線香をみっつに分けたのを私とどうやらくんにもちょうだい」
「お線香ならみっつに分けて線香立てに立てたよ」
「それは、みそちゃん、ちがうじゃないの。みっつに分けたお線香を、あんたとどうやらくんと私とそれぞれが持って、それぞれがお墓の線香立てに自分自分で立てるんだが」
「なんと。そうなんだ。うーん、じゃあ、今回はそうしました、ということで、私が置いたお線香で三人ともいいことにして。なんなら一応それぞれにお線香触って入れ直してくれても」
「そうじゃね、もうようけい入っとるけん、今回はそうしよう。では、手を合わせて、と。そしてこの左隣のお墓が本家のお墓で、その左がさらに本家にあたる家のお墓だけん、こうしてついでにお参りしたら完了」
「え? おかあさん、今、ついで、って言いました?」
「うわああっ、言い間違い言い間違い、ついでじゃない、ついでじゃない」
「かあちゃん、ご先祖様らが『おい、おまえ、今、ついで、言うたな、ついで、だとー』いうて言いようてじゃわ」
「だから、言い間違いだってば。はい、ご先祖様にご挨拶したら、一番手前の無縁仏のお墓にも手を合わせてね、これで本当に完了」

 夫が柄杓と桶を水道のある場所に戻す。私はお参りセットのバッグを持つ。車に乗る前にもう一度大山を眺める。母が「明日は晴れるといいねえ。せっかく登るんなら見晴らしがいいほうがいいもんねえ」と雲のかかる大山を指さす。

 もう一度おばちゃんが待つ家に戻ってお仏壇に手を合わせたら、大山に向かいましょうか、と話してお墓をあとにする。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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