みそ文

おいしいお茶と漬物と膝

 母の実家では他界した伯父の妻であるおばがにこやかに出迎えてくれる。つい先日の八月五日まで七月に負った骨折治療のために入院していたおばは「一日1280kcalの病院食がダイエットになって、むかしの服が着られるようになった」とやわらかな珊瑚色のスーツを着てぱりっと立って歩く。 母が「そんなに動いて大丈夫なの?」と心配するが、おばは「大丈夫、大丈夫、動くのもリハビリのうちだけん」と軽やか。

 そういえば、私の自宅の近所で数年前に夕方になると歩行のリハビリをする男性がいた。脳血管の梗塞か何かで半身が不自由になられたのであろう動きで、片手で杖をついてゆっくりとゆっくりと時間をかけて歩行の訓練をされていた。その人の歩行がまだまだ不自由な時期、その人の服装はいつもきちんとしたスーツだった。ネクタイも必ずつけておられて、スーツは仕事風のスーツであったり、結婚披露宴に出る時のような礼服であったりと、さまざまであった。
 最初は、スーツではリハビリの動きに差し支えるのではないかと、ベランダや駐車場からたまたまその人を見かける私はなんとなく思っていたけれど、途中から、もしかするとあの人にとってはスーツをきちんと着ることで気持ちがしゃきっとするというか、スーツはリハビリに取り組むモチベーションを維持するための装置なのかもしれない、と思い至るようになった。
 リハビリは私の目には順調に進んでいるように見えその人の歩行はどんどん自由になった。実際には数年以上の時間がかかっていたのかもしれない。今はその人は片手に念の為にというかんじで杖を持ってはおられるけれども、殆ど杖を使うことなくさっささっさと歩く。そしてその人の服装は歩行が自由になるにつれて、どんどんラフなものになった。最近はTシャツとひざ丈の短パンでお孫さんをそばに従えて、自宅から駐車場まで歩き、車を運転して出かける姿をよく見かける。小さなお孫さんたちが走り回るのと同じ速度で歩くくらいに回復されたんだなあ、よかったねえ、と思う。

 だからおばのやわらかな珊瑚色のスーツも、痩せて着られるようになって嬉しいから、というのもあるかもしれないけれど、そしておばの夫であり母の兄であり私の伯父であるその人の初盆に訪れる来客をしゃきっとした姿で迎えてもてなしたい、という思いもあるかもしれないけれど、おば自身まだまだ骨折後の回復過程にありまだときどきは腫れも痛みもある状態の中で日々の気持ちをしゃんと保って治療をすすめるための装置なのかもしれない、とあとでふとそう思った。

 仏壇のある部屋に入るなり、おばは「お赤飯を炊いたから食べるか」と私達に問う。いやいや少し前に割子そばを食べてまだお腹いっぱいだから、と答える。

 おばは「毎月こよみさん(私の母)が送ってきてくれる『みそぶみ』を読んじょうけん、みそちゃんの近況は会ってなくても知っちょう気分だ」と言う。私は「『みそぶん』にお付き合いくださり、ありがとうございます」とお礼を伝える。

 おばは「お赤飯がいらんなら、なんだったら食べるかね」と訊くが、母は「もう、本当にお茶だけで。座って話ができたらそれがいいんだけん」と茶を所望する。夫も私もここの家の緑茶は大好きだから「うん、お茶ほしい、お茶ほしい」と声をそろえる。私はカフェインで寝付きが阻害される体質だから、夕方になって緑茶を飲むことを普段は避けている、しかし、この家に来て緑茶を飲まないわけにはいからないから、今夜寝付きが低下するのはそれはそれでよしと決めて、お茶お茶、お茶がほしい、と言う。

 おばが台所に姿を消した間に、お仏壇にお参りする。膝を骨折して脚が不自由なおばが日々参りやすいように、そして高齢のきょうだいや友人知人やご近所の方々がお参りに来てもラクに仏壇に向かえるように、お仏壇の前には座布団ではなく小学校低学年の子が教室で使うくらいの高さの椅子が置いてある。母、私、夫の順にお線香に火をつけて手を合わせる。私は北陸で用意してきた日持ちのするお菓子をお供えの場所に重ねる。

 おばが片方の手にはお茶の道具をのせたお盆を、もう片方の手に煮しめのお皿とお漬物のお皿をウエイトレスさんのように持って現れる。母が「いくらリハビリでもこんな重いお皿やらをそんな片手で持って歩いたらいけん」と言って手伝う。

 卓上には、お菓子の器と、水ようかんやゼリーが入った器と、煮しめ各種がのったお皿と、お漬物のお皿が並べられる。おばが緑茶を淹れてくれる。爽やかに澄んだ味と香りが口にも喉にも鼻にも食道にも胃袋にも広がる。私は煮しめのお皿の蒟蒻に目が惹かれる。「おばちゃん、私、蒟蒻が食べたい」と言って、お皿に蒟蒻をもらう。ここでのお茶にお漬物はセットだからお漬物もいただく。白っぽいウリのお漬物と、奈良漬っぽいいろのお漬物。夫が「おれも漬物取ってください」と言うから、夫のお皿にも漬物をのせる。蒟蒻好きなのにそういえばしばらく蒟蒻を食べていなかった私の身体に蒟蒻はおいしく染み渡る。お漬物をポリポリとかんでからお茶をくいっと飲む。

 幼い頃、この家に滞在すると、一日になんどもお茶の時間がある文化に浸ることができて、私はそのことをたいそう気に入っていた。お茶は常にお漬物とセットで、お菓子が登場することは少なめだった気がする。
 午前に午後に夕に夜に家族でお茶を何度も飲むのはもちろんなのだが、たとえば郵便配達の人が郵便物を届けに来ると、祖母は「みそちゃん、郵便屋さんが来てごしなった」と私とお茶とお漬物を連れて玄関に出る。当時は配達する郵便物が少なかったから問題がなかったのか、郵便屋さんはしばし玄関口に座ってお茶を飲み祖母と何かしら話す。幼い私は祖母の隣に座ってその光景を眺める。

 夫と私はきゅうっきゅううっと、おばが淹れてくれた緑茶を飲み干してはおかわりをお願いする。ああおいしいねえ、はあおいしいねえ、と、緑茶の至福を堪能する。

 お仏壇の前の椅子だけでなく、お茶をいただく卓のまわりも座布団ではなくて回転式の座椅子が置かれていて、私たちは「この椅子は便利だねえ」と感心する。おばは「便利でしょう。私はその高さではまだ膝が痛くて立ったり座ったりができないから、こっちのちょっと高い椅子で失礼させてもらうけんね」とお仏壇の前にあるのと同じくらいの高さの椅子に座って、何度も急須から湯のみにお茶を注いでくれる。

 おばが見せてくれる膝と右腕にはきれいな手術痕のスジがある。膝はお皿が七枚に割れ、腕は骨が何個かに折れてバラバラになったものを切開してワイヤーと装具でつないで内部で固定する術式なのだとか。私が「お皿が割れて骨が折れた直後はすっごくすっごく痛かった?」と訊くと、おばは「全然痛くなかった」と言う。

「ええーっ、こんな大怪我なのに痛くなかったの?」
「だって、気を失っちょったけんね。息子二人と庭の手入れをしていて、私が一番高い木の剪定をするのに背の高い脚立のそのまた上に伸びるハシゴみたいなところに立って作業しながら、これバランスに気をつけんと危なそうだなあ、と思った時にはぐらりと脚立のバランスが崩れたのがわかって、落下しながらとっさに、ああ、このまま地面に落ちたら危ないな、どうやって落ちたら怪我が少なくて済むかな、と考えたところまでが最後の記憶だけん」
「ええー、ええーっ、じゃあ、その後は、どうやって?」
「息子ふたりがびっくりしてよってきて、地面で落ちた時に顎を強打して顎の皮膚がひどいことになって血だらけになってる私を見て、これは死んだんじゃないかって息を確かめたら息してたけん、生きとる生きとるって病院に運んでくれて。といってもその騒ぎを見たお向かいのお隣さんが気を利かせて救急車を呼んでくれたつもりが、間違って110番に電話したとかで、パトカーがふぁんふぁんふぁんふぁんやってきて」

 夫が「それは事故じゃなくて事件扱いになったということですか?」と訊く。

「でも事件じゃないが。事故だが。そのあとちゃんと救急車も来てくれて、うちはいつでも救急車が入ってこれるように、そのために家の前の道も広くしてあるのに、パトカーやらがおって救急車が入ってこられんで、救急車が家の前に来てくれればそのまま救急車にのせえもらえるのに、救急隊員の人はストレッチャーを持ってきてそれに私をのせて救急車まで運んでくれたらしいんだわ。それでね、そのときの記憶は私には全然ないのによ、上の息子が言うには、救急隊員の人に名前を聞かれた時にも生年月日を聞かれた時にも私はちゃあんと自分の名前と生年月日をはっきりと答えとったって言うんだわ。人間の頭脳は不思議だねえ」
「ということは患者さんに声をかけて反応を見て反応があるからといって意識があるとは限らんいうことなんじゃねえ」

 母が「目はどこで覚めたの?」と訊く。

「病院の処置室で。その処置をしてくれた先生は腕がいいのはいいんだろうけど、意地悪というかちょっとへんな先生でねえ。目が覚めて自分の状態に気づいた私が『ここはどうやって処置するんですか』って初めて質問したのに、『何回も何回も同じこと訊いて、そんなに何回も同じことは教えてやらん』ていきなり言いなってねえ。そんな『何回も何回も』って言ったって私の記憶では一番最初の質問なのに」
「ということは、名前と生年月日を答えた以外にも、記憶のないままにいろいろ話していたらしいってことなんかなあ」
「そうみたいだけど、私の記憶ではその質問が最初に戻った意識だけん、質問にはちゃんと答えてもらいたいが」

 その後もおばの入院中の話を事細かに興味深くときどきうぎゃあうぎゃあ痛い想像もしながら聴く。おばはもともとが活動的な人だから、入院中のリハビリにも熱心に取り組み脅威の早さでの回復を遂げたようだ。外傷による頭部の影響を調べるテストでは満点の優秀な成績で、自力で熱心にリハビリに取り組むおばののことは放っておいても大丈夫と思われたのか、医師も看護師もおばのことはなんだかほったらかし気味だったらしく、おばはそれに関する不満を切々と語る。もちろん一日1280kcalの食事がどれほど「飢餓地獄」だったかについても。

 それでも何はともあれ、無事に退院して、通院でのリハビリを続けるおばがお盆に元気に出迎えてくれた。おばは「初盆をしてあげる立場のつもりが、危うく自分まで初盆してもらう立場になるところだったわあ。でもせっかくのこういう機会だけん、転んでもタダでは起き上がるもんか、何かつかんでやる、と思って、入院中も退院後も自分のこれまでとこれからの生き方を考えて、これからの人生をどう生きる必要があるのか、いろいろ学習したのよ」と言う。おばが学習したこととしていくつかあげてくれた話の中で、私の印象に一番強く残ったのは、「庭の木を自分で剪定しようとして途中で落ちて怪我して入院して痛い思いをして入院費を払うよりも、庭師さんに来てもらったほうがずっと安い」という学習。

 そして私の学習は、電話のプッシュホンにおいて、119と110は押し間違いやすいのかもしれない、自分がもし通報する時には0と9を間違えずに正しく選んで押すよう気をつけようということ。

 と、ここまで書いたところで、夫が「今どこまで書いたの?」と私に訊いてくる。「えーとね、島根のおばちゃんち」と答える。

「まだそこか、といっても、それでも、もうおばさんちまではたどり着いたんや。どうせ、おばさんネタで転がしまくってるんじゃろう」
「そりゃあそうよ、これでも随分端折っていて全部は書いてないんだけど」
「これで、島根のおばさんもおれの気持ちをわかってくれるようになるやろう」
「なんで?」
「自分がネタにされて、ちがーう、おれはこんなふうには言ってないっ、おれを誤解するなーっ、ていくら言ってもお母さんの親戚の皆さんは、いいじゃん面白いんじゃけんとか言いようちゃったみたいじゃけど、自分がネタにされたら、みそきちの極悪非道な脚色に気づくはず」

 夫は自分が私の日記ネタになることには狭量だが、彼以外の人がネタになることには非常に寛容だなあ、とよく思う。
 とりあえず、おいしいお茶とお漬物の話はいったんここまでで閉じて、次はお墓参りの話に移りましょう、そうしましょう。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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