みそ文

宍道湖に想いをはせる

 松江自動車道から山陰自動車道に入って走る。山陰自動車を松江方面に向かうと左手に宍道湖が見えてくる。「わあ、宍道湖だー。宍道湖って大きさがちょうどいいのがいいよねえ、琵琶湖みたいに広すぎないのが好きなのー」と宍道湖びいきの私が言うと、夫が「じゃあ猪苗代湖は?」と言う。猪苗代湖というのは今年の五月に旅した会津地方にある湖で猪苗代湖観光遊覧船に乗っている間夫はぐっすりと寝ていた。そして目覚めた時に「あー、眠かったー」と言うから私が「眠かったー、は、眠たかったけど寝ずに起きていた人が言う言葉であって、眠いのに任せてぐうぐう寝た人が言うとしたら、よく寝たー、じゃないかなあ」と言ったなあ。夫はよくうたた寝から目覚めた時に「あー、眠かったー」と言うことがあり、そのたびに私が「眠かったんじゃなくて、本当によく寝てたから、あーよく寝たー、なんじゃないかなあ」と飽きずに言ってきた成果なのか、最近は「あー、よく寝たー、すっきり」と言うことが増えてきた。

 高速道路の助手席から宍道湖を眺める。宍道湖沿いの道路から間近に宍道湖を見るのも好きだけど、これくらい離れたところからこうして遠目にひろびろと宍道湖とその周辺の町の様子を目にするのもいいなあ。宍道湖いいなあ、山陰自動車道いいなあ、とひとりごちる。

 途中のパーキングエリアでトイレ休憩をして夫と運転をかわる。パーキングエリアは風が強くて、しかもその風がドライヤーのような熱風で、あらためて今日は暑いのねえ、と思う。暑いのは暑いのだけれども、以前と比べると自分の夏の身体をメンテナンスする私の技が発達してきたからなのか、いわゆる夏バテのような暑さに負ける感覚はない。新しい高速道路の新しいパーキングエリアのトイレは当然たいへんにきれいで、洋式便座は乙姫付きのシャワートイレで、トイレットペーパーも使い放題、もちろん適量を大切に使うけれど。この日最初に使ったJR新幹線の小さな駅のトイレとは大違い。

 トイレから出ると母が「みそちゃん、あんたは、前からそんなにトイレが近い子だったかね」と言う。私は「どうかなあ、むかしはおぼえてないけど、最近は意識して頻繁に出すようにしとるけん、そのほうがむくまんじゃろ。巡りがよくてラクじゃけんね、トイレに行ける時には行ってちょびっとずつでも出して、新しい水分をまた補給するん。どうやらくんは外出先で私が頻繁にトイレに行くと旅の行程が遅れるのが嫌で『えー、またー』って文句言うけどね」と説明する。母は「出してすっきりして調子がいいんならまあいいわね」と言う。

 しかし後日になって夫が「どてらのおかあさんが、あのとき、みそはえらい再々トイレに行くけど大丈夫なんじゃろうか、っておれに言って心配しようちゃった」と言う。「で、どうやらくんは『そうなんですわー、ええ迷惑ですわー』って言うたん?」と訊く。夫は「そんなことは言ってないけど『そうなんですよ、再々でしょ、なんかええ薬ないですかね』とは言った」と言う。頻尿や残尿感等で自分が不便を感じれば私はそれ用の「ええ薬」があるのは知っている。膀胱括約筋や骨盤底筋を鍛える体操も知っているし、その体操のようなものを排尿中や日々の折々に行なう。その上でよく飲みよく出し早め早めに運転を交代する機会としても休憩するようにしているのだけど、夫の身体は男性で蓄尿機能が高いからなのか、なかなか私の排尿に対する意欲や快適な排尿のための快適なトイレを求め評価する心情に対する共感を持ちにくいようだ。

 宍道湖といえば、母が通った高校では当時、年に一度「宍道湖マラソン」という行事があったという話を思い出す。その話を聞くたびに思い出すたびに、いくら宍道湖好きな私でもあの湖の周りを延々走るのはいやだわ、と思う。母の記憶によれば、男子は湖の周りをぐるりと一周、女子は半周のコースだったのだという。「それにしてもいったい何キロあるんだろう、一周で30kmくらいはあるのかな」と言う私に、母は「どうじゃろうねえ、何kmかねえ。今は道路の交通量も増えたし、あんなマラソンはしてないんじゃないかな」と言う。私は「みみがーの中学校の受験の志望動機が『給食ではなくお弁当で自分が食べられるものだけを持って行って食べたいから』と同じレベルかもしれんけど、私がもし松江高校の学区に住む子で松江高校に行く学力がある子だったときには、宍道湖マラソンがしたくないっていう理由だけで他の高校を選んだかもしれんなあ。長距離走は嫌いじゃないけど、好みとしては1000mか3000mかせいぜい5000mくらいがいいなあ、それは長距離じゃなくて中距離かもしれないが。宍道湖一周とか半周なんてその私好みの距離を遥かに超えてるじゃん。でももし私がこのへんの子だったら、松江高校に行けるんだったら、宍道湖マラソンするのも仕方ないと思ったんかなー、それか意外と『宍道湖マラソン気持ちいいなー』って楽しみにしてたんじゃろうか」と一生することのない宍道湖マラソンに想いをはせる。

 今なんとなく「想いをはせる」という言葉を使ったけれど、変換候補の文字を見て、「思い(想い)をはせる」の「はせる」は「馳せる」だったのか、と気がついた。「馳せる」は遠くまで早く駆けていく様子を表す漢字だけれど、私が使ってきた「想いをはせる」の「はせる」は、何かと何かの間、どちらかというと紙のようなものと紙のような何か薄いものの間にそれよりさらに薄い何かを挟むようなときに用いる広島弁の「はせる」だ。本のページにしおりを挟むのも「はせる」で、アルバムの透明フィルムの下に写真を入れるのも「はせる」。だから「想いをはせる」という表現には、記憶や思いの片鱗と片鱗の間にすうっとまた別の一枚の想いを差し込んで挟むイメージを抱いていたなあ。でも今日からは、従来通りのイメージと同時に、何かに対して抱いた想いが韋駄天のように駆け足で、びゅーっ、と、だあーっ、と、どこかに向かう様子を同時に思い起こすことになりそう。

 そしてそのパーキングエリアを出て高速道路をさらに東へ東へと進み、母の実家が近づくにつれて遠くにうっすらと本当にうっすらと大山が見えてくる。上のほうが濃い雲に覆われていてはっきりとは見えないけれど、夫は「あれが大山だー」と目を凝らし、母は「大山が一番かっこよく見える道経由にしようかと思ってたんだけど、ちょっとこれでは見えづらいねえ」と少し残念そうに言う。私は「でもやっぱり大山は『山』だねえ、こういう『山』を見ると、広島のそのへんにあるのは『山』じゃなくて『丘』なんだなあ、って思うねえ。マウンテンとヒルが違うっていうのが、最近よくわかるようになったよ」と話す。

 どこからどこまでが有料でどこからどこまでが無料なのか、もうひとつよくわからない高速道路ではあったけれど、ナビには母の実家の電話番号を入れて周辺まで連れて行ってくれるように頼んであるから安心で、そこに母ナビが加わることでさらに適切な道を走行できて、なんとも快適な移動。

 そういえば、ここからの下道は以前に夫と二人でお墓参りに来た時にも、夫が松江で他の用事をしている間に私ひとりお参りに来た時にも、松江で弟と待ち合わせをして夫と三人でお参りに来た時にも、この道は通ったなあ、と、当時は高速道路ではなくてバイパスだった道からお墓がある場所と母の実家まで通った道を思い出す。夫も「あ、ここの道、記憶にある」と何かを思い出す。あのときには、今回お参りするメインの対象である伯父がいつも極上においしい緑茶を淹れて私達をもてなしてくれたんだよなあ、と、記憶の中の伯父の存在と現在の伯父の不在のその差になんだか不思議な気持ちになる。

 少し細い道に入る。そこを左、そこを右、という母の案内にしたがって、母の実家にたどり着く。母が玄関を開ける。家の奥にむかって三人で「こんにちはー」「こんにちはー」とそれぞれに声をかける。奥からはおばの「はーい。ようこそ、ようこそー」という声が聞こえる。母は「勝手に上がるねー」と靴を脱いで三和土(たたき)からあがる。夫も私も母につづいて靴を脱ぐ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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