みそ文

雲の南と東の雲の地

 54号線を北上しながら母が何度も何度も「いいお天気だねえ」と言う。たしかに空は青く輪郭のはっきりとした白い入道雲が浮かんでいて夏の「いいお天気」だ。母は天気予報ではもっと不安定な天候だと聞いていたのに、とも言う。明るい道は見通しがよくて運転しやすい。そして交通量が少ない道路だと助手席に座っていても車間距離のストレスがない。

 車間距離のストレスというのは、前後に車がいるからという場合もあるが、私の感覚ではもっとしっかり車間距離をあけてほしいな、と感じていても夫がずいぶんと車間距離を詰めて運転することで、前方の車が近すぎて視覚的に圧迫感を覚えるというようなストレスもある。

 この日の夫の運転は、私ひとりだけを乗せている時よりも若干丁寧で、前後左右の揺れがほとんどなく、たいへんに快適。普段は「どうやらくんにとってはなんでもない揺れかもしれないけど、私の頭痛にはひどくこたえるから、車線変更や加速減速は早めにゆるやかにしてほしい」と頼むことがあるのだが、母が同乗しているからか、頼まなくても快適な走行がかなうのは相当に気がラク。

 母が「むかしはお父さんは私が運転するようになったときに、前との車間距離を詰めろ、とよく言ってたんよ」と言う。「前の車とぶつからない程度に一定の速度でくっついて走行してないと他の車が後ろから追い越して割り込んでくるから、というのがその理由だったんだけどね。でも今は言うことが全然違ってきて、とにかく前との車間距離をあけろ、後ろに車がいるなら追い越しさせて、その車とも距離をとれ。そうしてないと誰かが急ブレーキをかけたときに玉突きになってぶつかるからって。若いころと今とでは言うことが全然違っとるがと思うけど、私はもともと車間距離が充分ある方が好きじゃったけん、年取ってよかったなあと思うんよ」と説明を続ける。

 私は「車間距離の安全な間隔は昔も今もそう変わらんと思うけど、私も車間距離はしっかりあるほうが好き。眼と脳に圧迫感がなくてラクじゃけん。それにもしも追い越して割り込んでくる人がいるとしても、割り込みくらいさせてあげるよ、って思う」と言う。

「そうじゃろ。私も割り込みくらいさせてあげたらいいじゃん、好きに運転させてよって思ってたけど、お父さんが横でうるさいけん、はいはい、言うて、若い頃は車間距離短めにしようたよ。なのに今はお父さんも車間距離は広くあけんにゃあいけんいうて私にも言うし、若い子らにもそう言うんよ。人間年を取ると変わるねえ。老い先が短くなってくると手に入れたい安全が違ってくるんかね」
「うーん。たぶんそれはね、昔は父も闘争心スイッチが作動してたんじゃないかな。若い男子には闘争心スイッチがどこかに埋め込まれているらしくて、なんでもないところで闘争する傾向があるみたいよ。追い越しや割り込みは『闘争』の一種なんじゃないかな」
「ああ、追い越させてやるもんか、割り込ませてやるもんか、って闘争するんじゃね」
「そうそう。どうやらくんは最近はずいぶん減ったし若い頃からそんなに闘争心旺盛なタイプではなかったけど、それでも、とっさのときに、君はなぜそこでそのような闘争に駆り立てられるのだ、と不思議になるようなことがあったけんねえ、運転でもそれ以外でも」

 夫が「ナビにはなんとなく掛合(かけや)の地名で設定してるけど、新しい自動車道が近くまで伸びてきてるらしいけん、どこから乗るんか地図見てくれる?」と私に言う。「地図は見ても地図が古いけん新しい乗り口はまだ書いてないねえ」と私が言うと、母が「大丈夫よ。もうちょっとしたら新しい道はこっちこっちって案内が出てくるけんわかるよ」と教えてくれる。

 母が言うとおり、しばらくするとその案内が出てくる。しかしその案内があったところからしばし走行してもなかなか新しい高速道路が現れない。夫が「本当にこっちでいいんかなあ」と不安がって「ナビ見て」と言うが、ナビも新しい高速道路の存在は知らない人だから、ただひたすらに自分の現在位置を機嫌よく走行しているだけだ。母が「合ってるよ、これでそのうち高速出てくるから」と夫を安心させる。

 私が道路脇に立つ地域表示をいくつか見てから「このへんは雲南市っていうところなんじゃね」と言うと、夫が「出雲の南だから雲南なんやな」と言う。私は「ああっ、そうか、出雲の雲の南で雲南だ。このあたりの人々にとっては出雲から見てどこにあたるかというのが重要なんかも」と言ってから、母に「このへんは昔から雲南市じゃったん?」と訊く。

 母は「ちがうんよ。市町村の大合併があったときに、うんじゃらくんじゃらあって、どこどことどこどことどこどこが一緒になって雲南市になったんじゃけど、私らにしてみたら昔の地名のほうが馴染みがあるけん、もともとあった雲南町は雲南じゃと思えてもこのへんまでが雲南市いう名前なのはなんかへんなかんじがするよ」と言う。「でも一応このへんはたしかに出雲の南といえばまあまあ南じゃけん、雲南で間違いはないんじゃろ」と問うと「それはまあそうじゃけどねえ。私の実家があるあたりもまえは八束郡じゃったのに、今は松江市になったじゃろう、東出雲町の名前は残ったけど松江市の東出雲町じゃけんねえ、なんかちがう気がするんよねえ、東出雲町立だったものはみんな松江市立になったじゃろう」と答える。
 
 そんな話をしているうちに高速道路に入る。最近完成したばかりの新しい道は明るくてとてもきれい。夫が「運転しやすーい」と感嘆する。母が「山陽自動車道とちがって交通量が少ないけん走りやすいじゃろ。兄の葬式に来た時にもこの道通ったんよ。でもお父さんはここの道を通ったときに、こんなに使う人が少ない道路に投資して、投資しただけの回収はできんじゃろうに、これから人はどんどん減るからさらに利用者も減るのに、とかなんとかいろいろ言いようたねえ」と言う。

 私が「まあ、そういう道路は、高速道路以外でも普通の道路でもその他の交通機関でも全国にいっぱいあるけんねえ。よその人間で特にすでに便利な地域に暮らす人間にとっては頻繁に使うわけじゃない必要性の少ないものでも、地元の人にとってはもう少し早く大きな町に運ぶことが出来れば助かったのになんていう記憶や思いからきている悲願だったりすることもあるし。早い時期に交通の便が発達していろんな便利を享受してきた中国山脈の南側の山陽地方の人間が中国山脈の北側の山陰やら他の地域のようやく今更かもしれん交通の発達に関してとやかく言うもんじゃない、って私はよく思うんよ」と言うと、母は「地元の人にとってはねえ、そりゃあようやくじゃろう。今日の私らにとってもこの道のおかげでしゅいーっと早く行けるんじゃけん便利じゃああるけどねえ。ただお金の出処(国)がそんなに豊かなわけじゃないのがねえ」と現実的でまっとうなことを言う。

 それにしても後からできた自動車道というのは、先にできてむかしからある自動車道に比べると、道路そのものもトンネルの中も、どこがどうとは説明できないけれども、先にできた道路にはない新しい工夫があちこちに施されていて、走行時の快適と安全が増すようにできているなあと、こういうのは道路工学というのかなあ交通工学というのかなあ、医学が進歩するようにこういう分野の学問も日進月歩日々更新なんだろうなあ、と、地方の新しい自動車道に乗ると自分の体全体でその学問の力に感心する。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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