みそ文

出雲そばの割子そば

 広島県から島根県へと県境を越えるときに赤名峠という峠を通る。子どものころ親に連れられて島根県に行く時には必ず立ち寄っていたドライブインがその峠にはあった。事前の母情報によると「あそこはもうすっかりさびれてねえ」ということだった。しかし実際にその前を通ってみたら、さびれているを通り越して完全に廃業していた。「赤名峠といえば、母はここのドライブインでちくわを食べるのが定番だったのにねえ」と私が言うと、母は「たしかにいつもちくわを買って食べていたけど、あんたはおかしなことばかりおぼえている子だねえ」と笑う。

 峠をぐんぐんぐんぐん下る。随分前からお腹はもうかなり減っている。お蕎麦屋さんはまだかなかまだかな、近づいたらもうじきだよって教えてね、と母に何度も頼む。母は「私も近くに寄って蕎麦の旗を見んとわからんけど、まだもう少しかかると思うよ」と言う。島根県側に入って54号線をしばらく走る。母が「あ、あそこだあそこだ」と道端のお蕎麦屋さんを指し示す。駐車場には案内の男性がいて、駐車場にお客さんが入りやすいように出やすいように誘導してくれる。

 お蕎麦屋さんの名前は一福(いっぷく)。お昼時だからお客さんでいっぱいで、しばらく待ち時間がある。入り口に入ってすぐのところにある順番待ちの紙に「ドテラ」とカタカナで名前を書く。ドテラは私の旧姓であり母の現在の姓だけど、現在の私と夫の姓である「ドウヤラ」と書くよりもスムーズなことが多いから、夫も私も外食先では主に「ドテラ」の名前を用いる。名前を書いたらいったん外に出て待つ。お店の外にはおみやげ物の出店があり、お店に隣接する小屋では蕎麦ソフトクリームが販売されている。お店の前には木でできた椅子がいくつか置いてある。日陰に無料のそば茶サービスコーナーがあり横に小さなプラスチックの使い捨てコップがたくさん用意されている。私はコップにそば茶を入れて木の椅子に腰掛けて飲む。おいしい。私が「そば茶おいしい」と言うと母は「私もいただこうかな」とコップにそば茶を入れる。そして私の隣に腰掛けようと歩いてくる途中にどこかにつまづく。母が手に持っていたそば茶が私のスカートに飛び散る。母は「うわーっ。ごめんごめんごめん」とあわてる。

「だいじょうぶよー。お天気いいし、待ち時間長いし、ハンドタオルで拭いてから、ここに座ってスカートパタパタしてたらすぐに乾きそうよ。でも、そば茶こぼれたのが私のところでよかったね、よその人のところじゃなくて」
「ほんとによかったわー。いやいや、あんたでも申し訳ないけど、よその人だったらそれこそどうしていいかわからんわー」
「うん。今の展開でお茶をこぼしたのがよその人の服にだったらそれはちょっと恐縮過ぎるかもしれんね」
「恐縮で済みゃあええけど恐縮なだけじゃすまんじゃろう」
「まあ、もう一回そば茶入れて来たら? 今度はこぼさんようにしてちゃんと飲んだほうがいいよ、せっかくのおいしいそば茶じゃけん。私ね、蕎麦ソフトクリームが気になる。蕎麦を食べる量を少なくして蕎麦ソフトクリーム食べようかなあ。お蕎麦は割子の三段重ねのにしようと思ってるん」
「三段の割子ならソフトクリームも食べられるじゃろう。私も三段の割子にして天ぷらがのってるのにしようかなあ」
「私は天ぷらは食べられそうにないけん天ぷらがないほうにするけど、どうやらくんも天ぷらがのってるぶんにするって言ってた。二人とも天ぷらの気分なんかね。でも今夜の大山でも山菜の天ぷらが出てくると思うけん、そのつもりでお腹の調整してね」
「ああ、そうか。天ぷらが夕ごはんにも出るかあ」
「でも今天ぷら食べて夜にも天ぷら食べるのは食べられると思うよ。食べたいときに食べたいものを食べるのがいいよ」

 それから私は蕎麦ソフトクリームを買う。もう一度同じ木の椅子に座ってソフトクリームをかじる。おいしいのはおいしいけれど蕎麦があんまりわからないかなあ、と思いながら食べていたら、夫が「一口味見」と言ってソフトクリームをかじる。夫は「あ。舌ではわからんけど、鼻に抜ける香りが蕎麦」と言って去る。そう聞いてあらためて目をつむって蕎麦ソフトクリームを今一度ほおばり舌と口と喉の粘膜の体温で溶かして飲み込む。ほんとうだ、鼻腔に蕎麦の香りが広がる。

 この日は母の実家でお仏壇をお参りをしたあとで、母の実家から近い場所にあるお墓に参り、それから母と夫と私の三人で鳥取県の大山(だいせん)に泊まる予定。島根県経由で自宅に戻ってくるならば鳥取県を通ることだし、日本百名山のひとつである大山に登れたら登りたいな、という夫の希望と、たぶん大山には行ったことがないから山には登りたくはないけどその姿を近くで見てみたいな、という私の希望と、久しぶりに大山に行きたいな、自分ではわざわざ行かないけれど娘夫婦が行くなら一緒に行く行く、という母の希望とが合致しての計画。宿泊先は大山ふもとの宿坊。料理は山菜中心の精進料理。お昼にお蕎麦をたくさん食べ過ぎると夕食に差し支えるから控えめに控えめに調整せねば。

 母が「こんなふうに人がたくさん並んで待つところはお父さん(私の父)は好きでないけん、待つくらいなら他所に行く言うて待たんのんよねえ」と言う。私は「私も並んで待つのは得意じゃないんよ。でもどうやらくんは待つのもエンターテイメントのお楽しみとして好きなんだって」と話す。

「そう、それよそれ、私もどうやらくんとおんなじ。こうして待つ時間があるけんこそ、そば茶飲んだり、あんたは蕎麦ソフトクリーム食べたり、蕎麦でできたお菓子やらいろいろ見物したり、そのへんの景色を眺めたり、いろいろできて楽しいんじゃん」
「待たずに飲食して、なおかつそば茶や蕎麦ソフトクリームや関連品や景色を楽しめるほうが私はいいな」
「でもまあ、私がお父さんに合わせてあげてるみたいに、待つのが好きなどうやらくんにあんたは合わせてあげてるんじゃね」
「待つのが好きでない私にどうやらくんが合わせてくれることもあるよ。かあちゃんはここのお蕎麦は食べたことがあるん?」
「あるよ。何回も。お父さんと二人で来たこともあるし、お父さんとしめじ(弟)と三人でも食べたことがあるかも。たぶん混んでないときに来たんじゃろうね。今はお盆で夏休みでお昼時じゃけん混んでるけど、混んでないときもあったんじゃろう」

 外の椅子に母と座って話をしていると、お店の中で店内の様子を観察しながらそば打ち実演を見物している夫が、合間合間に「あと何組で順番がくるよ」と教えにきてくれる。そうしているうちにそば茶で濡れた私のスカートはすっかり乾く。

 夫が「あと何組で呼ばれるから、そろそろお店の中に入ってたほうがいいよ」と呼びに来てくれる。それから順番が来て奥の座敷席に案内される。順番待ちの間にメニューを見て予め決めておいたとおりに、夫は五段重ねの天ぷらも付いている割子そばを、母は三段重ねの天ぷら付きの割子そばを、私は三段重ねの天ぷらなしの割子そばを「薬味にネギが付く場合にはネギ抜きで」と注文する。

 ほどなく注文した品が運ばれる。お腹がすいたね、いただきます、ああおいしい、と蕎麦をすする。出雲まではまだ距離があるのに、ここでもう出雲そばが食べられるのはうれしいね、と話す。私の割子そばの一段目は卵、二段目は山芋とろろ、三段目は山菜。薬味はきざみ海苔と花カツオ。お漬物とそば湯付き。母のセットには生わさびと小さなおろし器とわさびのお漬物が付いている。母は「私はワサビやカラシの辛味に弱いみたいで、いつもお父さんにゆずるんよ」と言う。私が「私はワサビは好きよ。今のところ問題なく食べられるし」と言うと、母は「じゃああげるから食べて」と言う。「ありがとう、じゃあもらう」と言ってお蕎麦にわさびを加えて、ときどきワサビのお漬物に箸を伸ばす。

 五段の割子を頼んだ夫が一番最初に食べ終わり、次に母が食べ終える。私は最後においしかったねごちそうさまでしたと手を合わせる。夫も母も一緒に手を合わせてごちそうさまでしたと言う。母が伝票とお金を用意しているのを見て夫が「ああっ、お母さんが払おうとしてる」と言う。私が「わあー、かあちゃんがごちそうしてくれるん? ありがとう。ごちそうさまでした。じゃあここはお任せするね。大山は私に任せてね」と伝える。母は「ここは島根県じゃけんね、島根県は私に任せて」と言う。夫が「ありがとうございます、ごちそうになります。じゃあ、鳥取県に入るまでよろしくお願いします」と言う。

 お店に着いてすぐに一度トイレに入ったけれど、出かける前に私はもう一度トイレを利用する。便座は洋式で、トイレットペーパーも付いているトイレ。

 駐車場の車の中で待つ夫と母に「おまたせしました」と声をかけて運転席に乗り込む。お蕎麦、おいしかった。満足。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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