みそ文

問うてそして笑い合う

 薬学部の学生だった大学一年生のときに私は寮で暮らしていた。大学に付属する女子専用の学生寮で、部屋の作りは四人部屋。勉強机がよっつと、二段ベッドがふたつ、つまり寝台がよっつと、衣類用の開き戸と引き出しセットになったクローゼットがよっつ。私は二人部屋利用だったから、勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを上下二段使う。ルームメイトも同じように反対側の壁に面した勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを二段使う。

 彼女と同室になったのは秋の学園祭のあとからだ。彼女の同室だった人と私と同室だった人が同時に退寮して一人暮らしを始めたため彼女と私は寮の部屋を一人で使う状態となった。いくら退寮者が多くて部屋がたくさん空いていても、二人部屋利用である限り一人部屋利用はできない。そもそも一人部屋利用という設定がない。

 彼女は定期的に福岡のおかあさんに宛ててハガキを書く。福岡のおかあさまからもちょくちょくハガキが届く。私は毎月月初めになるとその前の月のお小遣い帳の頁をコピーして両親に宛てて封筒で送る。たまに広島の母から電話がかかってくる。母は私に「お昼ごはんはちゃんと食べてるの? 朝ごはんと夕ごはんは寮で出してもらえるけん大丈夫じゃろうけど。お小遣い帳にコアラのマーチばっかりが書いてあるのはなんなの。他のものもちゃんと買って食べなさいよ」と言う。電話は寮の代表電話にかかってくる。電話回線は複数あるものの数本と少ないため外部からの電話はかかりにくい。運良くかかれば寮監さんが取り次いでくれて学生各部屋の受信専用電話につないで呼び出してくれる。かかってきた電話を部屋で受けて通話するが、あんまり長く話すと他の人にかかってくる電話が寮につながらなくなるからそんなに長くは話さない。

 後期試験の試験勉強を夜遅くまでしていた寒い時期だったように思う。気管支拡張剤の成分に関する勉強中だったんだろうか。同室の彼女が自分の喘息歴について話を始める。小児喘息の病歴がある彼女は十九歳のそのときにも、まだごくたまに発作というほどではないけれど呼吸が少し苦しくなることがあり、念の為に吸入器を手元に持っていたと思う。

「喘息の吸入器ってさ、吸入したあとすぐにうがいせんとね、心臓がバクバクするん」
「そうなんだー、そうだとは習ったけどほんとにそうなんじゃね。でも、この部屋のそこのベッドの中で吸入したときって、廊下歩いて洗面室までうがいに行ってたっけ?」
「行ってないけど、そのまま寝ればいいときはまあいいんよ」
「いいんかー?」
「それは置いといて。私ね、大学生になるまでは今よりも発作が出る回数が多くてね、学校にも吸入器を持って行ってたん。それで、吸入器使ったあとにうがいをせずにいると心臓がバクバクするのは知ってたん。でさあ、まあ、ほら、若気の至りってやつやけど、放課後に学校で友達の前でね『吸入器って使ったら心臓がバクバクするっちゃ。見せちゃるけん、バクバクするとこ触らしちゃるけん、見とって』って、発作も起こってないのに遊びで吸入器を吸ったん。そしたらね、心臓のバクバクがいつものバクバクよりもすっごく大きくてね、しかもバクバクだけじゃなくて、手や腕もブルブル震えだしたん。顔も全身もなんとなく全体的に青っぽくなってたらしくて、友達はびっくりして、私も自分が動けんようになって相当まずいと思ったん」
「それは、まずいじゃろう」
「保健室行く? とか、いや動かさんほうがいいやろ、とか、友達はいろいろ言ってたけど、私はうずくまってて動けんし歩けんのん。そのときには保健室に行って学校から親に連絡がいってもまずいと思ってるやん。私としてはこんなことお父さん(職業開業医)に知られるわけにはいかんと思ってるやん」
「お父さんが処方してくれた吸入器じゃろ?」
「だからよ。吸入した後うがいせんのもまずいけど、遊びで吸入器使うのはもっとまずいやん」
「うん、まずいよ」
「やけんね、じっとしてたら大丈夫やけん、ってなんとか言って、じっとやり過ごして自分の復活を待ったん。でね、それ以来、私は吸入器を使って心臓バクバクの芸を披露するのは封じたん。あれ一回きりやったん。いい子になったん。えらいやろ」
「うんうん、いい子。えらいよ。だけどそれは一回で十分じゃろう。そんな自分の身を挺して命がけで芸せんでも」
「なんかねー、ときどきエンターテイナーとして、自分がここで何かせんと、って思ってしまうん」
「ええっ、ただの学生じゃなくてエンターテイナーなん? たしかに、モノマネも歌も上手じゃもんねえ、お話も上手じゃと思う。でもそんな命がけのじゃなくて安全な方向のエンターテインメントを選んだほうがいいと思う」
「うん、みそさんの言うとおり、本当にそのとおりー」

 昨日仕事に行く時に、信号待ちの交差点で車を一旦停止した。車の中からなんとなく周りを見まわしたときに、歩行者信号を待つ場所に自転車に乗った若い女性がいることに気づく。その人の姿形があまりにもルームメイトだった彼女の容貌に似ていて、車の中で私はひとり、思わず彼女の名を呼ぶ。自転車に乗るその人の、骨組み全体の華奢な作りも、すべらかでなめらかな肉付きも、肩から首そして頭骨にかけてのしなやかな曲線も、そののびやかな手脚も、身にまとう衣類のデザインと色合いも、後頭部の少し高めの位置で結った髪の毛のおくれ毛を片手で整える仕草の動きもその間のようななにもかもが、私の記憶の中の彼女と酷似していて、私の鼻と目の奥はくるると熱を帯びて潤む。

 十九歳の私たちが、夜の十時で暖房が切れる寮のあの寒い部屋で、そんな話をしたことを、少しはおぼえているかしらと、彼女に問うことも笑い合うことも今の私たちにはできない。けれども彼女がそうしたように、私が自分の天寿をまっとうして他界した暁には、またお互いにいろんなことを問うて笑い合うつもり。     押し葉

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
暮らし (108)
仕事 (160)
家族 (298)
想 (23)
友 (47)
学習 (79)
旅 (16)
心身 (8)

FC2カウンター

検索フォーム

FC2Ad

Template by たけやん