みそ文

細部に宿る神々と仲良し

 先々週の土曜日にお気に入りの割烹料理屋さんで食事しながらの話のつづき。夫が「山に行く回数が増えて、何度も同じ山に行くようになると、同じ山でもそれまで気がついていなかったことに気づくようになるのがたのしい」と言う。これまでも見ていることのはずなのに、何度も行ってみて初めて気づくことや、季節が変わることで見えてくるものがあることになにやらぐっとくるらしい。夫は「映画や小説なんかでも、何度も見て読むうちに、以前は気づいてなかった深い部分に気づくことがあるじゃん。ああいうのを『神は細部に宿る』って言うんだ」とも言う。

「うん、うん、私もね、ケーブルテレビでFOXやAXNの犯罪捜査ドラマを何回も繰り返し見るじゃん。そうするとね、最初の頃には聞き取れてなかった台詞が聞き取れるようになったりね、その台詞がその回の前後のここにかかっていたのかというのがわかったり、その回とは別の回や別の作品や世界の基礎教養のあれとつながっていたのかって気づくのがたのしい。台詞だけじゃなくて場面や小物の意味がふと見えるようになるのもうれしい」
「おれの山とみそきちのテレビを一緒にするか」
「うん、一緒だと思うよ。だって、どうやらくんにとっての山登りは私にとっての日々の日常なかんじじゃもん。それに備えた準備の仕方にしても前後のセルフメンテナンスにしても」
「まあ、たしかになあ、みそきちは普段ただ生きてるだけで汗だーだーかくもんなあ。生きてるだけでお疲れさん、いうかんじやもんなあ。おれは山で歩けば汗だーだーになるけど、下界でそんなに汗かくことないからなあ。でもなあ、あんまり細部が見えるようになると、今度はアラも見えてきて、たのしいだけじゃなくてそのものに対する不満も出てくるのが難しいところなんだよなあ」
「うーん、そこは自分に都合よく、たのしい部分だけ意識してたのしくないところには気づかないようにしたらいいんじゃないかなあ」
「それが、そうはうまくいかんのんだって。細部とアラはセットじゃけん」
「例えば山だとどういうアラがあるん?」
「人気の山になればなるほど、山に来る人が多くなれば多くなるほど、マナーのわるい人が来る率が高くなってゴミが増える。毎回下山するときにはゴミを拾いながらおりてくるけどキリがない」
「ああ、ゴミはねえ、山だけのことじゃないけどねえ。山のせいでもないしねえ」
「山のせいじゃないけど、山のたのしみとゴミの不快がセットになってるところがある」
「それは、そうかもねえ。でも、今、この話してて思ったけど、私、自分が見たいドラマ見て面白かったなあ上手にできてたねえと思うことはあっても、アラが気になって不満や批判を言うことってないなあ」

 ここで夫が自分の両目の端に指先をあてて目をびよーんと横長に伸ばす。

「えーと、そのジェスチャーはどういう意味なん?」

 夫はまた同じことをする。

「どうやらくん。意味わからんけん教えて。またそんなこと言っちゃって、おまえしょっちゅう批判や不満言うてるやないか、いうことなん?」
「そんな、滅相もない」
「一生懸命思い出してるんだけど、本当に、私、自分が気に入って見てる犯罪捜査ドラマでそんな文句を言ったことないと思う。そりゃ、えーっ、そこでおしまいなのー、そんなー、私をここに置き去りにしないでー、と思うことはよくあるけど、それも、なんだろう、つかみ、の反対の技であって、作品を印象に残すテクニックだと思うから、それで不満や不愉快や不本意になることってないよ」
「それはね、みそきちが王様だからなんだよ。なんでも自分の都合のいいように解釈できるのは王様ならではなんだよ」
「ああ、それが言いたかったのか。そんな目をみよーんと伸ばしても意味わかんないよ。だからまあ、そういうわけでね、自分のおかれた状況を自分に都合よく解釈しようと思えばある程度はできるということなんよ。山のゴミは愉快じゃないけどね、でもゴミをポイポイ捨てる文化の人はそうするのがあたりまえで、そういうのって簡単に矯正できるわけじゃないからさ、こちらが不愉快になるのはもったいないというか、その人が将来何か『どうして自分がこんな目に遭わなくちゃならないんだ』と思うようなことが起きた時に、それはね、かつて山でゴミを気軽にポイポイ捨てたことの結果であり集大成なんだよ、と心のなかでそっと教えてあげるくらいでいいんじゃないかな。その人が『ゴミのポイ捨てがそんなに悪いことなのかっ』って思うかもしれんけど、少なくともいいことじゃないよね、そういういいことじゃないことの積み重ねってけっこう大きくて、いいことのエネルギーで均衡を取ろうと思ってもなかなかたいへんなんだよねえ」
「また、そんな、人様をのろうようなことを」
「のろってない、のろってない、ただ、そうだよねえ、と思うだけ。誰やここにこんなゴミ捨てたんはっ、と自分が腹立てて血圧上げて血管弱らせるのはもったいないじゃん。でもまあ、人によっては自分の不満や不本意や不愉快を表明したり、批判やジャッジを行うことが、なんだろうなあ、ちょっと語弊があるかもしれんけど、娯楽でもありおたのしみでもあり、時には気持ちよくなって正義感に似た何かが満たされることもあるんだろうから、それはそれでその人にお任せするのがいいんじゃないかなあ」
「王様ー」
「はいっ(元気よく挙手)」

 王様もそうでない人も、それぞれがそれぞれにたのしいなと思う分野において細部に宿る神々に出会えた時には仲良くしよう。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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