みそ文

温泉で履物を確認する

 夏に妹と義弟が遊びにきたときに、一緒に温泉に入りに行った。

 二人が来た初日は土曜日で、義弟が土曜午前の仕事を終えてから広島を出てくるから、二人がこちらに着くのは夕方。入浴に必要なタオルなどを、妹と義弟と私の三人分用意して迎えに行く。夫はこのとき富士山登山に出かけていて不在。

 三人で行ったところは、一階にアロエ風呂があり、二階に別の源泉の大浴場と砂利風呂のある温泉施設。ここはお湯がたいへんによくて、私のお気に入りの温泉だ。ただし、施設の築年数も利用者の平均年齢も高めで、なんというのか、こう、おしゃれな施設、とは言えない。
 が、義弟は「ディープな温泉」「県外の観光客がツアーで行くようなところじゃなくて、地元の人がお湯のよさを求めて行くような温泉」を所望していたから、ちょうどよいかな、と思い案内する。

 まずは二階の大浴場に入る。
 女湯で私が持参した一個の洗顔石鹸を妹と一緒に使う。私は備え付けの洗浄剤を使うと皮膚に反応が出ることが多いから、シャンプーやトリートメント、身体を洗う石けんなども持参のものを使う。
 妹は皮膚トラブルはあまりないタイプで、備え付けのリンスインシャンプーとボディソープで全身洗う。
 
 女湯には他にも年配の女性が二名くらいいたから、妹とは小さめの声で話していた。そうしたら、高い壁で仕切られている男湯のほうから、義弟が「やぎちゃーん、なんとかー」と言う大きな声が聞こえる。

 妹は「んん? もっきゅん、なんて言ったんじゃろう、なりきり?」と不思議そうに考える。私が「最後は、きり、だったねえ。すりきりいっぱいのすりきり?」と顔を見合わせて答えて、はっと、ふたりとも「あ、貸し切り、だ」と気づく。

 妹は男湯に向かって、大きくもないけど小さくもない声で「もっきゅん、貸し切りなのはわかったけん、女湯には他にもお客さんがおってじゃけんね」と伝える。男湯が、しいいん、と静かになる。
 私は妹に「どうやらくんもね、男湯でひとりきりだと、湯船の中でバタ足とかして、ぼっちゃんぼっちゃんばっちゃんびっちゃん、って大きな音がするんよ」と話す。

 湯船に入ってから、砂利風呂にも入る。もう一度、中の大きな湯船に入って、お風呂から上がる。一階のロビーにおりて、今度はアロエ風呂にも入る。私一人で来る時には、二階のお風呂だけで済ませるけれど、妹と義弟が「せっかくだから両方に入ってみる」と言うから、私も付き合う。一階のお風呂は階段の登り下りが不要だから、年配のお客さんでいっぱいで、露天風呂に入っていたら、地元のおばあさんが私達にどこから来たのかと尋ねられる。私はこちらに住んでるんですけど、実家のある広島から妹夫婦が遊びに来たので、一緒にここに来ました、と説明する。

 お風呂から上がって、脱衣所から外に出たところに、お相撲の番付表のような紙が貼ってある。妹はそれをまじまじと見て、妹と義弟が行ったことのある温泉を確認する。
 ロビーで義弟と待ち合わせて、三人とも首にタオルをかけたままで施設を出ることにする。
 妹が義弟に「温泉の番付表、見た?」と訊くと、義弟が「なにそれ、見てない」と言う。妹が「お風呂の入り口のところに貼ってあって、私らが行ったことのある温泉もいろいろ載ってたよ」と言うと、義弟は「見てくる」と言って見に行く。妹も近くまで一緒に行って「ほら、ここ、ね」と指さして何か話す。

 施設の人に「ありがとうございました」と挨拶して靴を履く。暑い季節だったから、妹と私はサンダル。入館したときにサンダルを入れた下駄箱の扉を妹が開けてくれたから、私は「ありがと」と言って自分のサンダルを出して履く。

 帰り道の車中で義弟が「みそちゃん、今の温泉、ぶちディープじゃん(「ぶち」は広島弁で「とても」「すごく」などを意味する)」と言う。

「そうじゃろ。お湯がいいじゃろ」
「お湯も飲めるようにしてあったね」
「そうなんよ。糖尿病にもいいお湯でね、お湯だけの販売もしてるんよ」
「男湯は貸し切りじゃったよ」
「うん。そうみたいじゃったね」
「でも一階のアロエ風呂には人が多かった」
「お年寄りは二階に行くのが面倒くさいけん、みなさん一階で済ましてんよ」

 そんな話をしながら、私は運転しながら、さっきから気になっていた足元を左手でごそごそと触る。信号待ちで停車したときに、自分のサンダルを脱いで持ち上げて肉眼で確認する。
 妹と義弟が「ちょっと、ねーちゃん(みそちゃん)、さっきから、何をごそごそしようるんよっ」と音声多重で詰問する。

「あのね、サンダルが、自分の履いてきたサンダルかどうか、なんか自信がなくて、確認しようと思って」
「私が自分の靴出したあと、ねえちゃんのは隣の下駄箱じゃったけん私が開けてあげたじゃん」
「そうなんよ。そのまま何の疑問も持たずに履いたけど、自分の履いてきたサンダルかどうか見もせずに履いたな、と思って」
「みそちゃん、それで、自分のじゃなかったら、どうするん? さっきの温泉に引き返して取りに行かんといけんじゃん」
「それはいやだなあ、と思いながら、今見たら、大丈夫じゃった。どうやらくんが私の誕生日プレゼントに買ってくれたリーガルのサンダルに間違いなかった」
「ねえちゃん、あんな年寄りばっかりの温泉に、リーガルのサンダルなんか履いてくる人、おらんわいねえ」
「そうは言うても、わからんじゃん。間違って人のサンダル履いて帰ってたらわるいじゃん」
「人の靴を間違って履いて帰るって、ねえちゃんの年でそんなんなったら人間としておしまいじゃん」
「やぎちゃん、ちょっと、そんな、おねえさまに対して失礼な」
「だってよ、明確な悪意があって、おっ、リーガルのええサンダルがあるわ、盗って帰っちゃろ、いうんじゃったら、まだそこに自分の靴じゃないけど履いて帰っちゃろう、欲しいけん持って行っちゃろう、いう意志があるじゃん。でも、自分のか他人のかわからんまんまに他人の靴を履いて帰って、これ自分のじゃったっけ、どうじゃったけ、いうのは、それは、まずいじゃろう。私じゃったら、ねえちゃんの年でそんなんなったらショックじゃわあ。なんか取り返しのつかん領域に入り込んだ気がするじゃん」
「でも、大丈夫じゃったよ。ちゃんと私のサンダルじゃった」
「そんなん、運転中にごそごそと確認せんでも大丈夫なほうがええと思うよ」
「それは、そのほうがええね」

 ずっと前、今の妹よりもまだもう少し私が若かった頃に、東北か北海道の山の上の温泉施設を日帰り利用したことがある。そこでお風呂から上がって玄関で自分の靴(黒いスニーカー)を履こうとしたときに、同じメーカー同じデザイン同じ色のスニーカーが隣に並んでいて、どちらが自分のものなのかわからなくなった。サイズは23.5と24.0で異なるのだけど、私は同じデザイン同じ色の靴の23.5と24.0の両方を持っていて、足のむくみ具合や季節の靴下の厚みに応じて履き分けることが当時は多くて、そのとき自分がその旅行に履いてきたのがそのどちらだったのかが思い出せない。
 玄関に入った時には、黒いスニーカーがたくさんあるから、他の人のと間違えないようにと、わざわざそれらとは少し離れたところで脱いで端に寄せておいた(下駄箱の利用は宿泊客のみだったため)。しかしお風呂から上がった時には、施設の人が玄関の靴を全てきれいに並べ直してくださっていて、私の靴も一緒に並べてくださっていて、そして同じ色の同じデザインのサイズ5ミリ違いのものと隣合わせで置いてくださっていたのだ。

 一緒にいた夫は「そんなのぱっと見て、自分のか自分のじゃないかわかるじゃろう」と言うけれど、わからないから迷っているのだ。施設の人は「実際に履いてみたらわかるのでは」と言ってくださる。それでは、と履いてみるけれど、ぜったいこっち、と自信を持って言えるほどではない。しばらく、どうかなー、どうかなー、と履き比べて、よしっ、こっちにしよう、と決めて、ああ、今度からは自分の靴に何か印になるものをつけるか、もっと他の人との見分けがラクな靴を履いてくることにしよう、と決意する。
 その旅の間、この靴で自分の履き心地なのは間違いないはず、と思いつつも、どうだろう、自分ので合っていたのかなあ、と、ときどき気がかりだったけれど、結果的には、その靴でちゃんと合っていて、帰宅してもう一足のサイズを見たらサイズが5ミリ大きくて、ああ合っていてよかった、と安堵した。

 温泉で靴を脱ぐ時にも履くときにも、その都度、よしよし、これは自分の靴だ、と確認したいものだな、と思う。

 とこの日記を書いていたら、妹と義弟と一緒に行った温泉施設の「無料入場券」が載ってるよ、と、夫が無料配布の冊子のページを指さす。通常日帰り昼間大人一人千円(夕方五時以降は六百円)のところが大人二人まで無料だなんて、それは素敵ねえ、一緒に行こうね、とそのページを切り取る。有効期限は2012年1月31日まで。
 今の季節は雪靴(防水で靴底にすべり止めが付いているブーツや長靴)で来る人が多いから、同じ雪靴でもちょっとヒールがついているタイプのを履いて行こうかな。足腰が多かれ少なかれ不自由になっているお年寄りもヒール高めの靴なら間違って履くこともないだろうし、私もこれは自分のだ、と見分けるのがラクだろうし。
 いつも靴を入れる下駄箱は鍵の付いてない扉のところにしているけれど、今度からは鍵付きの下駄箱のほうを使おうかなあ。他の人が私の靴を持って行ってしまわないようにという防犯対策(悪意のないうっかり対策も含めて)の意味ではなくて、自分の靴を取り出すためには自分が持っている鍵が必要という形にしておけば、これは自分の靴だと確認するのがラクなのではないかな、という意味で。
 年が明けて、この温泉にまた行くのがたのしみ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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