みそ文

山頂に立つ三才児(推定)

 この夏の間に三大銘山三大霊山(富士山、白山、立山)に登りたいと希望していた夫が、今日、立山に登りに行った。

 事前の気象情報では週末は雨のようであったから、夫は「うーん、雨の中で立山に登るのは嫌だなあ。雨だったら行けないなあ。こんなに早く秋雨前線が来なくてもいいのになあ。でも今週末に登れたら登りたいなあ」と言い続けていた。その願いが天に通じたのか、世の中のあちこちでは、昨日今日と豪雨でびっくりした人々が多い中で、今日の北陸は劇的な快晴。
 週間天気予報では金土日と雨と曇りが続く予定であったのが、昨日の金曜の時点で既に快晴で、夫は仕事から帰宅するなり「天候が驚異的に回復した!」と私に言う。「ただいま」のあとが「天候が急激に回復した!」だったから、私は瞬時には夫が何を言っているのか聞き取れなくて、「えっ?」と聞き返す。「天候が、驚異的に、回復した」とゆっくり言い直してくれて、「ああ、今日はいいお天気だったね」と応えたら、「明日、立山、行ってくる」と言う。

 そうして今朝、夫は午前四時半に家を出発。高速道路を二時間半ほど運転して、立山のふもとの駐車場に車を置く。そこからケーブルカーとバスを乗り継いで山の中腹まで移動するのだけれども、ケーブルカーを利用するお客さんがあまりに多くて、夫が乗車券を購入できたケーブルカーの出発は、待ち時間一時間半ののち。仕方ないので、一時間半、駅で座ってじっと待つ。じっと待つけれど、持参の「富山の山」という本を取り出して、それを読みながら、ああ、ここの山もよさそうだなあ、ああ、今度はここにも行ってみたいなあ、いつかこんなレベルの高い山にも登れるようになるかなあ、などと考えていたら、一時間半はあっという間。

 ケーブルカーを利用するお客さんは、全員が登山の人というわけではなくて、半分以上は、ケーブルカーとバスで行けるところまでのみ訪れる立山観光の人々。
 ケーブルカーとバスを乗り継いでたどり着く「室堂(むろどう)」というところがすでに標高二千メートル以上ある。そこから眺める山の景色はたまらなく雄大だけど、ここまでなら普段着で、登山の装備必要なく見物に来ることができる。だから夫は私に何度も「あそこにはぜひ一度行ってあの景色を見たほうがいい。あそこならみそきちでも行けるから」と強く奨めてくれる。
 山登り以外の人々は、この室堂に来てその周辺の軽い散策のみで帰ってゆく。そして夫のような山登りの人たちは、ここから頂上を目指して本格的に斜面を歩く。

 ずっと天候に恵まれて順調に登る。しかし、夫が頂上に近づくにつれて山がガスに覆われる。夫が撮影した山の写真に写るガスはなんだかとても濃い乳白色。ああ、これで、景色が見えたらすごくきれいだろうになあ、と思いながら、山頂手前の神社でお祓いをしてもらう。お祓いは一人五百円。一組二十人くらいの人をまとめて、神主さんがお祓いをしてくれる。神主さんからお札をもらって、そこからまた少し登って、本当の真の山頂にたどり着く。
 周りにいる他の登山者の人に頼んで写真を撮ってもらう。背後にガスが煙る。
 お昼ごはんのおにぎりを三個食べてお茶を飲んでガスが晴れるのを待つけれど、ガスは晴れない。
 
 山頂にいるときに、夫がこれまで登ったすべての山で出会った人間のうち最年少と思われる小さな人物と出会う。夫の推定によるとその人の年齢は約三才。
 あくまでも夫の推定だから、なんとなく「三才、くらい?」なだけで、実際は三才十ヶ月かもしれないし、四歳になってるかもしれないし、五歳なのかもしれないし、もう六歳かもしれないし、実は小学校低学年かもしれない。いくら夫が小さな人の年齢推定に難がある人だとしても、小学校高学年の子を三才児と見間違うことはないだろう。

「何才ですか、って、本人にでも親にでも、訊かんかったん?」
「ほんまやなあ。訊けばよかったなあ。子どもがあまりに小さくて、一応一人で歩くのは歩けるけど山登りは無理やろうなかんじじゃったけん、おれがびっくりして、『ええええ、室堂からここまで自分で登ってきたんですか』って親の人に訊いたら、『まあ、全部ではないんですけど、ところどころは抱きかかえながら、でも一応自分で歩いて登って来たんですよ』って言ってた」
「はああ、それは、三才で立山に登る、というか、登らされる子どものほうもたいへんじゃろうけど、そんな小さい子どもをお世話しながらそんな高いところに登る大人もたいへんじゃろうねえ。まあ、大人の方は好きだからそんなことしようと思うんだろうけど」
「うん、あの推定三才の人、ぜったい、三才本人が立山登頂を希望したわけじゃないと思うわ。むっちゃぐずってはったもん」
「ぐずるよねえ。山岳民族でもないのに、三才でそんな標高三千メートル超えるところにいる必要ないもんねえ。私くらい大きいと『自分は行きません』って拒めるけど、三才じゃあねえ、親が連れて行くって決めたら行くしかないよね。いやでも、その親のところに生まれてきたということは、ちっちゃいときから山に連れて行かれまくるのを狙ってきたんかもしれんけど。三才だったら、どうだろ、オムツはしてるんかな」
「それはしといたほうがいいと思う。ふだんはしてなくても、山ではトイレが自由なわけじゃないし」
「そうだよね。そういえば、今回の立山はトイレは有料だったん? 無料だったん?」
「あれ? そういえば、どうなんやろ。今回一回も山でトイレに行ってないからわからんなあ。室堂では行ったけど、そこは無料やった。そう思ったら五時間以上トイレに行ってないんやなあ」
「どうやらくんは、普段の外出や旅行でもそうじゃん。排尿回数少ない」
「そうやなあ、それに山に登ると汗が出るから、よけいに少なくなる」
「そのへんが、どうやらくんは山登りにむいてるよね。私はあらゆる個体特性が山登りにむいていないけれど、頻尿なのも登山向きじゃないと思うわあ」

 山を降りるときの道は、登ってきた道とは別の道。「縦走(じゅうそう)」という登り方(歩き方)で、出発地点から山頂を経由して、そこから連なる他の山を通り抜けて、ぐるりとまわるようなコースでもとの登山口に戻る。
 夫が山を降り始めてまもなく、山頂のガスがすうーっと晴れる。夫は「本当に、おれが山頂にいたあのときだけが、ちょうどガスがかかるタイミングだったらしい」とくやしそうだ。
 登山口まで下りてきたら、みくりが池温泉で入浴。お風呂上りに椅子に座ってお茶を飲んでいるところに、年配のおじさんが声をかけてこられる。
 そのおじさんは、元は立山の登山ガイドをしておられた方らしい。今でも自分一人で登ることに関してはまったく問題はなく、かなり素早く登り降りできるのだけど、ガイドとしていろんな人のお世話をしながら、他人の安全を確保しながら、複数の人に気配りをし続けながら、お客さん各自のペースに合わせて案内をしながら登るのが、年をとって難しく感じるようになったから引退したんです、とのこと。

「え? じゃあ、今日は、仕事じゃなしに、老後の趣味で来られたんかな」
「うん、今日は、天気がよくなったから、ちょっと山の景色を見ようと思って、室堂まで散歩に来たんやって」
「ひょええ。山が好きな人は、老後の散歩で山に来るんやあ」
「うん。山の仕事は、特にガイドなんて、山が好きじゃないとできんって」
「だよねえ。でも、夏山のガイドだけで生計立てるのは難しいだろうから、何か別の職業もしてはったんやろうねえ。何の仕事だろう。業種にもよるだろうけれど、どうやらくんみたいなサラリーマンでは、登山ガイドをするのは無理だと思うのよねえ」
「ああ、無理やろうなあ。自分が勝手に登るのはともかく、ガイドはしたいとも思わんけど」
「農業は山登りの時期と農産物のお世話の時期が重なるしなあ」
「あれじゃないかな、スキー民宿の経営。冬はスキー民宿で忙しいけど、夏場はスキーは閑散期じゃん」
「冬はスキー民宿で、夏は登山民宿で、冬も夏も忙しいってことはないのかな」
「登山民宿は少ないやろう。おれらがスキー場の温泉宿に春や夏や秋に泊まったときなんかでも、いっつも、お客さん、おれらくらいしかおらんかったじゃん。スキー人口と登山人口とでは、圧倒的にスキー人口が多いはず」
「そうかあ、じゃあ、そうかもねえ、それならできるかもね。そのおじちゃんとせっかくお話ししたんじゃったら、そのへんも流れで訊いたらいいのに。なにか面白い展開があるかもしれんじゃん」
「ほんまやなあ。訊いたらよかったなあ」

 みくりが池温泉を出たら、またバスとケーブルカーとを乗り継いで下界に戻る。山の上は雪が残っていて寒いくらいだったけど、ふもとはずいぶんと温かい。
 
 夕方四時半になる前に夫が私に電話をかけてくる。夫は「今さっきケーブルカーをおりたところで、これから高速で帰るから、七時半か七時すぎくらいには帰れそう」と言う。

 帰宅した夫は「やっぱり三千メートル級の山は違うなあ。あれでガスがなくて景色が見えたらなあ。また登りたいなあ、来月の早いうちにまた行きたいなあ。でも、今週行って来週も行くのは許してほしいからやめとく。ああ、でも、今度は紅葉の時期の白山にも登りたいんだよなあ。山は十月になるとぐっと寒くなって冬の装備が必要になるからなあ。両方とも九月のうちにと思うと、ああ、忙しいなあ、くうっ」と、なにやらひとりで興奮している。

 今回も、無事に登頂して、無事に下山して、無事に帰宅して、よかったな。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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