みそ文

夫を置き去りにした夏

「みずからがかけるもの」

「火の国の生き物たち」

「火の国の雀たち」


 熊本に引っ越して最初の夏は、そのあまりの暑さにおどろき、大阪での仕事を退職した直後で当時無職になったばかりだったわたしは、熊本の暑さから逃げるように、北海道へ避暑の旅に出かけた。
 その当時、北海道の網走市に友人夫婦が住んでいて、彼らのおうちに居候させてもらった。たぶん少額の食費の納入と多少の家事手伝いの労働を申し出て居候させてもらい、そのおうちを基点にして道東を巡ったように記憶している。
 北海道に行ってくる、というわたしに夫は、「おれを置き去りにして、ひとりだけー」と苦言を呈していたような気もするが、暑さで頭がもうろうとしていたので、あまりよくおぼえていない。

 友人夫婦は平日は勤労にあたっているということもあり、彼らの勤労が終わる時間までを、わたしはひとりで観光バスに乗って、周遊のときを過ごす。あるいは、徒歩などで移動可能な近辺を散策する。もしくは、なんとなくおうちにひきこもって、ゆうるりと本を読む。

 観光バスの車内では、地元住民の方達が夏になると海水浴をしにくるという海岸を紹介される。バスガイドさんが「こちらに見えてまいりますところが、海水浴の季節になると、砂浜で焚き火を焚く海水浴客の姿が多く見られる海岸でございます」と説明してくださる。

 わたしにとって海水浴というものは、世の中の気候が暑いから、少しでも涼を求めて、気温よりも温度が低い海水の中に身を浸す目的で行うものだと思っていた。
 しかし、北海道では、海水浴は「夏だから」行うものであり、「暑いから」行うものではなく、「寒くても」行うもので、「寒ければ焚き火を焚いて暖をとりつつ」行うものだということを、そういう海水浴の捉え方も世の中にあるということを、わたしは生まれて初めて知った。

 もともとわたしは、「日本は」「日本人は」という類のものの言い方や考え方はしないほうではあるけれど、海水浴ひとつとっても、これほどに、その捉え方が異なるということは、その他の価値観や文化背景も当然一様であるはずはなく、であるならば、やはりこれまで以上によりいっそう、「日本は」「日本人は」というようなものの言い方や考え方には意識して距離を置いて生きていこう、と、自らのこころに深く誓いつつ、熊本へと戻った。

 そのおかげもあったのか、その後、熊本で遭遇体験した様々な出来事や人のことやものの在り方は、どれも興味深く面白く思いこそすれ、なぜこうなのだ、どうしてこうではないのだ、と不満や嫌悪をおぼえることはほぼまったくいっさいなくてよかったなあ、熊本暮らしの初期のうちに北海道に旅行して、異文化に対する柔軟性のストレッチを行った自分はさすがだね、お手柄だったね、と、自らを寿ぎ称えるのであった。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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