みそ文

あの夏、婚約指輪が

 あの夏、土曜日の夕方に、丸亀友人が暮らすマンションには、大人が六人と子どもが三人いた。子どもは、丸亀友人の上の子一号ちゃんと下の子二号くんと、芦屋友人の息子くん。大人は丸亀友人とその夫(どうだくん)、芦屋友人とわたし、それから、丸亀友人夫婦が勤務する調剤薬局の若手男性薬剤師と医療事務の若い女性。若手薬剤師の「カンくん」と医療事務の「みっちゃん」は、もうじき結婚する予定の婚約者同士。

 夕食時の歓談中、どうだくんとカンくんがそれぞれのパートナー(丸亀友人とみっちゃん)について、彼女たちの物忘れぶりはどうしたものだろうか、という話をしていた。丸亀友人とみっちゃんは「仕事や生活に重大な支障がない範囲のことは、そういう脳の仕様なのだと、あきらめていただきたい」という趣旨のことを、各自のパートナーに伝える。

 その日は、夕食を終えてしばらくしたら、みっちゃんの身体を貸してもらって、丸亀友人にアロマオイルによる全身トリートメントの手技を伝授する予定。丸亀友人夫婦の勤務先の経営者の方からお借りしたカイロプラクティック用のベッドをひろげて、シーツ代わりのバスタオルを敷く。みっちゃんには、丸亀友人の部屋着であるタンクトップとショートパンツに着替えてから、ベッドの上にうつ伏せに寝てもらえるようお願いする。

 みっちゃんがベッドに横になる前に「わたし、どうしたらいいんでしょう」と言うから、「えーと、その都度、触る場所を言うので、そのつもりでいてもらえれば。それで、もし、痛いとか気持ち悪いかんじがあったらすぐに言ってね。それから、貴金属がアロマオイルで汚れるといけないから、もし身につけてるものがあれば、はずしておいてもらったほうがいいかな」と説明する。
 丸亀友人は、「どのオイルにしようかなあ。みっちゃん、このにおい、好き? 平気?」と言って、精油配合済みアロマオイルの瓶を何本かみっちゃんの鼻に近づけて確認してから、半袖Tシャツの腕をまくる。いや半袖だから肩をまくるなのかな。

 芦屋友人は同じ部屋にあるパソコンの前に座っていて、「なんだか、わたし、自宅にパソコンがない子なのがバレバレなくらい、ここに来てずーっとパソコンばっかり見てるよね」と言いながら、「へえ、このにおいもいいにおいやねえ。あ、これも好きかも」と、いろんな精油の香りを比べる。

 みっちゃんの身体のうち背中、足の裏、ふくらはぎ、太ももの裏側まで触り終えたところで、みっちゃんにお願いして今度は仰向けになってもらう。足の甲、膝下、太もも、膝、そして、手のひら、手の甲、指、腕、肩と順に触り、それから最後にデコルテ(首筋と胸元)と頭部。

 丸亀友人は近々本格的にアロマオイルトリートメントの受講を予定していたから、たいそう熱心に、わたしの手と身体の動きを真似て、「みっちゃん、力加減は、どのくらいかな。これくらいでみそさんと同じくらいになってるかな。圧の方向はどう?」とみっちゃんにこまかく確認しては、ふむふむと学習を重ねる。
 そして、丸亀友人は「みそさんがわたしにしてくれてたのって、こういうふうにしてたんやねえ。実際は手のひら二つだけなのに、やってもらってるときには、千手観音の手みたいに大量の手が触ってくれてるみたいに感じるんよ。あれは、流れるようなリズミカルな動きで触ってるけんだったんじゃねえ」と感慨深げに納得する。

 ひととおりの手技を終えて「みっちゃん、長時間の身体の提供ありがとうございました」と、お礼を伝える。みっちゃんは「初めて体験したけど、すっごい気持ちがよかったー。今のわたし、すべすべー。それに全身がなんかポカポカあったかくて新陳代謝高まってますってかんじ」とニコニコと自分を撫でる。
 「あ、みっちゃん、新陳代謝が高まってるのはほんとうだから、たぶん、ちょっとトイレが近くなると思うけど、どんどん出して、必要な水分を補給してね」と説明する。

 それからしばらく、大人みんなでかなり遅くまでいろんな話をして過ごす。でももういい加減そろそろ帰ります、と、カンくんとみっちゃんが帰ってゆく。そのあと、丸亀友人は、「ちょっと、復習がしたいから、芦屋友人、ここにあがって。身体触らせて。とりあえず脚だけでいいけん」と言って、ベッドの上に座った芦屋友人の足と脚にアロマオイルを塗って「こうだったかな。こんなかんじかな」と復習に励む。
 芦屋友人は「ああー、みっちゃんが言ってたとおり、これは気持ちがいいわあー」と言い、丸亀友人は「芦屋友人、かかとがガサガサのままで放置してて、身体がかわいそうすぎる。もっと自分で自分を手入れしてあげんといかん」と諭す。
 それから芦屋友人と丸亀友人とわたしの三人は順番にベッドの上に座って、触る側になったり触られる側になったりを三人で繰り返す。三人とも体液がぎゅんぎゅん流れる勢いにのって、気持よくぐっすりと眠る。

 翌朝、ゆっくりとした朝ごはんを食べていたら、丸亀友人の携帯にみっちゃんから電話がかかってくる。みっちゃんは「朝早くにすみません。昨日はごちそうさまでした。あの、実は、ごにょごにょごにょ」となにごとかを丸亀友人に相談する。
 丸亀友人が「ええっ。ちょ、ちょっと待ってよ」と、みっちゃんにいったん言いおいて、あちこちを目視確認してから、さらになお何か探しながら、「みそさん。みっちゃんに昨日身体貸してもらったときに、アクセサリーしてたら外して、って言って、そのあと、みっちゃんが指輪をどこに置いたか、おぼえてない?」と言う。

「指輪、してたんだ、みっちゃん。いや、手を触ったときには、指輪はなかったよ。みっちゃんが準備してくれてる時にはマジマジ見ないようにして、バスタオルでみっちゃんを隠すみたいにしてたから、指輪をはずしてる姿の記憶もないけど。みっちゃんの指輪、行方不明なん?」
「それが。(ささささっと、どうだくんの姿が近くにないのを確認してから小声で)みっちゃん、昨日、婚約指輪をしてうちに来てたんだって」
「えええっ。じゃあ、行方不明の指輪は婚約指輪? ちょっと待って、ちょっと待って。えーと、えーと、指輪をはずしてどこかに置いたとしたら、カイロのベッドがあるこの部屋で、でも、ないねえ。ってことは、あっ、昨日、みっちゃんに着てもらってた部屋着にポケットが付いてるとか?」
「あ。そうだっ。(今度は電話に向かって)みっちゃん。みっちゃんが昨日着た短パンのポケット見てみるけん、いま洗濯物見てみるけん」

 丸亀友人が、脱衣所の洗濯かごの中から、昨日みっちゃんに着てもらった短パンを探り出し、「あ、あ、あ、あ、あったー」としゃがみ込む。
 丸亀友人が「みっちゃんー。あったよー。どうしよう、これ、預かっておいて、仕事のときに渡したらいいんかな」と言うと、みっちゃんは「あ、あ、あ、あ、ありがとうございますー、ありましたかー、よかったー。ああー、ううー、よかったー。実は、わたし、いま、マンションの下まで来てるんですけど、お部屋まで取りにうかがってもいいですか」と言う。
 丸亀友人は「みっちゃん。待って。そこにいるんなら、わたしが下に降りるけん、下で待っとって。うちに来てくれてももちろんいいけど、この件は、どうだくんとカンくんには内緒にしよう。昨日あれだけ、わたしらの物忘れがどうのこうの言われて、仕事や生活に支障がない範囲のことは、って開き直ったけど、これはちょっと開き直るのはまずいと思うん。ね、すぐ降りるけん、みっちゃん、そこにいて」と小声で早口に言って、電話を切る。

「じゃ、みそさん、わたしちょっとだけ、下で、みっちゃんに指輪渡してくるけん。どうだくんがなんか訊いてきたら、訊いてこんとは思うけど」
「だいじょうぶ。お向かいのパン屋さんにパンを買いに行った、って言っとくから。携帯電話だけ持って行って」
「うん。わかった。パンも買ってくる。携帯とお財布持って、いってくる」

 そうして、みっちゃんとカンくんの大切な婚約指輪は、みっちゃんの指に戻った。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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