みそ文

お手柄な人々

 先日「若旦那の修行」という記事を書いたところ、我が家の若旦那よりもよほど記憶がはっきりしておられる方々から、お声をかけていただけるという幸運に恵まれた。

 ひとりの方は、ご実家が複数の宿泊業を経営しておられ、ご自身もその業務にたずさわった経験をお持ちの方。担当部門による勤務時間のこと、休憩時間のこと、出勤日と休日のこと、雇用者と被雇用者の勤務体制のちがい、などについて、かゆいところに手が届く解説を提供してくださる。そうなんだー、そうなのかー、と、ひたすら感心しつつ、願って念じたことが叶って情報がもたらされる喜びに歓喜興奮しつつ、みそ文を書いていてよかったなあ、としみじみと腕を組む。

 また別の方は、学生時代に修学旅行生向け旅館にて、配膳と布団敷きのアルバイトをなさっていたと知らせてくださる。春と秋の修学旅行シーズンの人手を厚く保つための雇用であったらしい。当時学生さんだったその方は、アルバイト先の旅館のお風呂に入れることで、日々の銭湯代を節約できるのがよかったのだとも話してくださる。そうなんだー、そうなのかー、すごいなー、世の中には、宿泊業の一部に従事したことのある人が、あちこちにいらっしゃるものなのだなあ、いざというとき(どんなときだろう)には、また詳しく質問していろいろと教えていただけるように丁寧にお願いしよう、と、こころの中で拳を握る。

 そうやって、腕を組んだり拳を握ったりしていたら、大学時代からの友人が電話をかけてきてくれて、「みそさん、みそ文の若旦那の話なんじゃけどね、わたし、大学一年生の夏休みに、淡路島の旅館でアルバイトしとったんよ。なんでも訊いて」と言うではないか。

 こんな身近なところにも、宿泊業務体験者がいたのか、という驚きもだが、わたしがまず驚いたのは、この友人がそんな過去のことをおぼえていたことと、それを思い出して話してくれるということだ。
 なぜならば、この友人は、わたしにとっては、「物忘れ道」の師匠、とでも言うべき存在で、ほとんどの場合、いつ何を話しても、「ええー、そうじゃったかねー、そんなことあったの全然おぼえてないよー。みそさんは、いろんなことをようおぼえちょるねー」と言って、もう何度か、あるいは何度も話したことがある話をしたときでも、常に新鮮に面白がってくれる人物なのだ。
 彼女は大学の寮で毎日利用していたエレベーターの存在も、寮の各階に設置されていた共用の冷蔵庫のことも、「そんなのあったっけー。なかったよー。だっておぼえてないもん。それか、わたしはエレベーター使わずに階段で歩いて登り降りしとったんかもよ」と言う。「いやいや、あなたとは、何度も一緒にそのエレベーターに乗ったからね。エレベーターは間違いなくあったよ。異様に低速運転のエレベーターだったけどね」と、わたしは毎回言う。彼女は「みそさんは、そんな昔のエレベーターの速度のことまで、ほんまにようおぼえとるねえ」と、毎回本気で感心する。
 
 その彼女が、二十年以上前のひと夏のことを、おぼえていて、思い出して、詳しく話してくれるのだ。実に新鮮な驚きではないか。
 わたしが「そんな話、初めて聞くよ。なんで、今まで一度もその話、聞いたことがないんじゃろう」と不思議がると、彼女は「それはたぶん、わたしが話したことがあるのを、みそさんが忘れとるだけじゃと思うよ」と堂々と言う。

「いやいや。それもあるかもしれんけど、たぶん、ほぼ間違いなく、初めて聞いたと思うよ」
「そうかなあ。で、まあ、とにかくね、名前はホテルだけどサービスの内容は旅館、っていうかんじの大きなところで、一ヶ月間、住み込みで働いとったんよ」
「うわ。住み込み?」
「うん。従業員用の宿舎というか、ただの部屋なんじゃけど、お湯を沸かすくらいはできるけど自炊できるほどじゃないかな、っていうような部屋に寝泊まりしてね、仕事は、お客様をお世話する係のおばちゃん、えーと、仲居さんだっけ、その補佐をする仲居見習いにあたる仕事かなあ、部屋の掃除と準備と、お客様のお迎えと、お部屋へのご案内と、夕ごはんの配膳と、食事が済んだお膳を下げて食事の部屋を片付けるところまでが、チェックインの日の業務内容」
「それって、けっこう長時間だよねえ」
「お客さんのスケジュールによりけりなんだけど、午後三時くらいには待機と実動が始まるかな。夕食が早く終わる人ばかりだと、あとはもう、ゆっくりとおくつろぎください、おやすみなさい、でお客さんのお世話はおしまいで、あとはお膳を下げて、食事する部屋の片付けと掃除をすればいいだけじゃけん早く終るけど、宴会が遅くまであったりすると、宴会が終わるまで仕事が終わらんし、宴会のビールのおかわりを運んだ時に、そのままお酌させられたりもするし。宴会が遅くまでかかるときは夜十一時過ぎることもあったよ」
「だとしたら、三時から十一時で既に八時間働いてるよね」
「ほんまじゃね、そうじゃねえ。でも、食事が早く終わるお客さんのときだと、片付けまでしても夜八時頃には終わるけん」
「早くて、三時から八時の五時間、かあ」
「朝は、早く出発する人は、六時くらいに朝ごはんにする人もいてね、そこから、担当の部屋、あ、ひとりで五部屋担当なんじゃけどね、そのお客さんが全員食事を済ませて、チェックアウトするまでは、朝ごはんをお出しして、終わったら下げて、を繰り返すじゃろ。それから朝食会場を片付けて、チェックアウトしたお客様をお見送りして、全員が出て行ったら、それから担当の部屋の掃除をして、それが終わったら休憩」
「十時チェックアウトとして、一時間で五部屋のお掃除終わる? 十一時か十二時までかかるんかなあ。午前中だけでも、朝六時から十一時すぎまで五時間前後働くってことかな。夜の時間と合わせたら、一日十時間以上働いてることになるよね」
「お客さんのチェックアウトが早ければ早いほど、こっちも早く掃除始めて、掃除し終えて、休憩できるけん、お客さんのスケジュールによって、実働時間が違うんよ。今は泊まる側ばっかりじゃけん、どこかに泊まったときにはゆっくり滞在したいと思ってそうするけど、従業員の立場になると、早くチェックアウトしてほしい気持ちもわかるんよねえ。まあ、そういうわけじゃけん、あの仕事は、何時から何時、っていうきっちりしたシフトとはちょっと違うかもしれん」
「ほんとじゃね。そうじゃね。きっちりは決められん仕事内容じゃもんね」
「で、もう、この仕事が、今にして思ったら、きつくてねえ。当時は十九歳じゃったけん、一ヶ月であれくらいのまとまったお金がもらえるんじゃったらすごくいいじゃん、と思って始めたけど、もう、午前中の仕事が終わったら、ただただご飯を食べて、ひたすら部屋でお昼寝するくらいクタクタじゃった。夜もそう。食べて寝るだけ。せっかくの淡路島なのに、どこか観光しに遊びに行こうなんて、これっぽっちも思わずに。しかも、ここのまかないのご飯が、なんともいえず、くさいご飯で、おいしくなくてねえ」
「激務なのに、まかないがおいしくない、って、悲しいねえ」
「うん。いつの残りご飯なんじゃろうか、と思うおいしくなさでねえ。そこでバイトするまでは、大学の寮のご飯にずっと文句言ってたけど、いやいや大学寮のご飯おいしいじゃん、って、あのとき思ったよ。そのまかないご飯のあまりのおいしくなさに、仕方なく、カップラーメン買って来て部屋でお湯入れて食べてたもん」
「すごいねえ、よくがんばったねえ」
「うん、がんばったと思う。最初は大学の同じ寮から三人一緒に行って、その仕事始めたんじゃけど、三人のうちの一人は、途中でどうしても続けられん、言うて、やめて帰ったもん」
「きつかったんやねえ」
「体力的にはね、まだ十九だったし、それほどでもなかったんだけど、上についてくれる本職の仲居のおばちゃんがねえ、いろんな人がいるじゃろう。いいおばちゃんのときには、全然問題ないんじゃけどね、ああいう業界じゃけん、なんというか、こう、いろんな人生経験を積んできた百戦錬磨な人もいるわけよ。そういう人は、十九歳の小娘に対しても容赦がないけん」
「ああ、なるほど、百戦錬磨のエネルギーをスルーしてやり過ごす度量は、十九歳の小娘には、まだ、ないかあ」
「うーん。三人のうちのひとりの子が、もうどうしても続けられん、帰る、って言い出したときに、三人でどうしようか、って相談して、そのときに、一ヶ月まるまるつとめたら、提示されていた給料が全額もらえるんだけど、少しでも契約期間より早くやめたら、激安給料になることがわかってね。任期満了手当てみたいなものがついてこそのまとまったお金で、日給そのものは、あんまりな安さでねえ。まあ、そのへんのことを事前に確認してから働き始める、というようなことも、当時は思いついてないんじゃけどね」
「まあねえ、十九歳じゃけんねえ。雇用契約内容を事前にこまかく確認する訓練は、まだまだ、だよねえ」
「でね、その子は、それでもいい、もらうお金が少なくてもいいけん、自分はやめて帰る、って決めてて、わたしともう一人の子は、どうしょうかあ、いうて話したけど、ここまでやって、そんな安いお金ではやめられん、って、最後までする、って決めたん」
「やめたのもえらかったけど、続けたのもえらかったねえ」
「そうじゃろ。でもね、そのときに稼いだお金がいくらじゃったんかも、それを何に使ったんかも、おぼえてないん」
「いいよ。そこはおぼえてなくて。そもそも、その夏に、そのアルバイトをしていたことをこんなに詳しくおぼえてるっていうだけでも、どうしたことかと思ってるのに」
「どうしたことか、って、失礼な。でも、すごいじゃろ。わたしにしてはよくおぼえてるやろ」
「うん。本当にすごいと思う。若旦那の話、みそ文に書いてよかった。こんなに情報が集まるなんて思ってなかった」

 おぼろげな記憶を突如思い出して聞かせてくれた我が家の若旦那に始まり、その話をみそ文に書いた自分といい、それを読んでご自身の経験を語ってくださった方々に至っては言うにおよばず、みんなお手柄大手柄。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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