みそ文

若旦那の修行

 現在、遅々としてはいるものの、「みそ記」にて好評連載中の福島旅行記の番外編。

 今回の旅行中、わたしにとって、何度も気になったことは、宿泊業における従業員の勤務シフトの組み方。宿泊業の中でも、ほぼ家族のみで経営しておられるようなところではなく、ある程度以上の人数の従業員を抱えるような、そして、ある程度社会保険や雇用保険を完備しており、労働基準法の適用もきっとあるんじゃないかな、というような規模と形態の施設について。

 なぜ、突然そんなことが気になりだしたのかはわからないけれど、将来宿の経営でもするつもりなのか、と、自分でも不思議なくらいに気になる。
 わたしが「うー。気になるー。従業員さんの月度勤務表を見てみたいー!」と宿泊先の畳の上でジタバタと身もだえをしていたら、夫が「宿の人に、見せてください、って頼んだら?」とこともなげに言う。

「一応連休でお客様が多くて、大忙しのところに、そんなこと頼めないし、そもそも部外者にはあんまり見せるものではないと思う。ああ、でも、今度、閑散期にどこかに泊まったときには、思い切って訊いてみようかなあ、うーん。誰か知り合いに、アルバイトでもいいから、宿泊業に関わった経験のある人でもいれば、根掘り葉掘り質問できるんだけどなあ。食事のお世話をしてくれる人と、お布団を敷いてくれる人が、別々のところもあるでしょ。布団敷きは布団敷きでペアやチームで作業を片してて、食事の世話とは別に布団隊として活動してる人たちは、食事のお世話係の人のシフトとは、出勤時間や退勤時間が違うんじゃないかなあ」
「あ、そういえば、おれ、大学生の時に、旅館の布団敷きのアルバイトしたことがある。たしかもうひとりのおばちゃんと二人でペア組んで布団敷きまくってた」
「ええー、そうなん? そんなこと初めて聞くよ。なんで今まで黙ってたん?」
「忘れとったけん。今日までたぶん一回も、そこのバイトのこと思い出したことなかったもん」
「それで? それで? シフトはどんなふうに組まれてたん?」
「おぼえてない」
「どうやらくんの勤務時間は?」
「おぼえてない。でも、布団敷きと、お客さんの食事が済んだお膳を広間から厨房に下げる仕事だった、と思うから、実際働いてる時間帯としては、夕方六時から八時くらい、やったんか、なあ」
「あ。そのお膳を下げる方の話は、なんか聞いたことある。修学旅行生のお膳を下げるときに、全部食べきってる子のお膳だと、持ち運びが軽くて、残飯を残飯入れに移す手間がなくていい、って言ってたやつでしょ」
「そんなこと言ったかなあ。でも、そう。食べ残しが多いやつを見ると、食べ物がもったいない、というんじゃなくて、単純に運ぶ重量が重くなるのがいやで、まったくもう、残すなよ、と思ってた。特に女子、残し過ぎ」
「実動が夜の六時から八時として、でも二時間だけのバイト、ってことはないよねえ」
「それはない。だって、一日で五千円くらいもらってたからなあ。時給が千円超えるとは思えんし、八百円として、ハチロク四十八、四千八百円、六時間、そんなもんだったんじゃないかなあ」
「じゃあ、夕方三時から夜九時くらいまでの拘束時間じゃったんじゃろうか」
「おぼえてないけど、まかないが付いてるのがいいなあ、と思って、まかない付きなら、この時間でこの値段でもまあいいか、と思って働いてたのはおぼえてる」
「まかない、は、従業員さんの食事は、みなさん、いつ食べるん? お客さんの夕ごはんの前? あと?」
「おぼえてないけど、前なんちゃうかなあ。力仕事を大量にこなすまえに、がっと食べたんかなあ。おぼえてない」
「どうやらくん、それだけおぼえてない、ということは、他の従業員さんがどれくらいいたかも、どういうシフトで働いていたかも、当然おぼえてないよね」
「うん。おぼえてない。おれのバイトは夜だけじゃったけん、翌朝のことは知らんし。シフトに興味持ったことないし。あ、でも、一個だけ、お客さんから『にいちゃん、修行中の若旦那?』って訊かれたのはおぼえてる」
「若旦那?」
「そう。そこの旅館のだんなさんとおかみさんの後継者なんか、って」
「なんて答えたん?」
「いえ、ちがいます、バイトです、って答えた」
「そうなんやあ。じゃあ、若旦那は、お客様と接触のあるような時間帯に勤務してたってことだよねえ。お迎えやお茶を出したり食事を出したりもしてたってことなのかな」
「だから、若旦那じゃないんだって。それにそういう作業はそれ専門の人たちがしてたんちゃうかなあ。そんなことした記憶ないもん」
「いや、そんなことだけじゃなくて、全体的に記憶がないじゃん」
「仕方ないじゃん。昔のことなんじゃけん。でも、なんとなく間延びした待ち時間が多いような気がした記憶があるような気がするけん、夕方から入って、まかない食べて、布団敷くまで、何してたんやろうなあ」
「お膳を下げたら、そこでお仕事おしまいじゃったん?」
「それが、そのあと、皿洗いをしたかしてないかの記憶も全然ない」
「どうやらくんがバイトしてたその旅館、まだあるのかな」
「あると思う」
「ねえ、今度、行ってみようよ」
「なんで? すっごい、ふっつーっ、の旅館やで。温泉でもないし、料理旅館でもないし、京都旅行するんやったら、もっと使い勝手のいい宿、いくらでもあるじゃん」
「でも、どうやらくんが、昔、ぼく、ここで、バイトさせてもらってたんですよ、って話してさ、そういえば、当時って、どういうシフトで働いてたんですかねえ、とか、話が聞き出せるかもしれんじゃろ」
「なんでそんなこと訊かなあかんねん」
「妻の好奇心を満たすために決まってるじゃん。どうやらくん、わたしらの結婚披露宴のときに、誰かがしてくれた何かの出し物で、わたしのどんなところに魅力を感じたのですか、って質問されたときに、好奇心旺盛なところ、って答えようたじゃん。その大好きな妻の好奇心のためにだね、ぜひ、協力したくなるじゃろ。途中まで話をつけてくれたら、核心のあたりは、わたしが自分で訊くからさ」
「ええー。そんなこと言ったかー」
「言ったの」
「言ったとしても、こいつ好奇心旺盛でおもしろいなあ、と思うことと、そいつの好奇心を満たすのを手伝いたいかどうかは別」
「別でもいいけん、手伝っていいと思うよ。手伝っても、全然、バチあたらんと思うよ。その結果、わたしの好奇心が満たされて、わたしの脳みその中にうれしいの汁がジュバーっと出て、そしたら、どうやらくんも一緒にうれしくなるじゃろ」
「それはともかく、でも、まあ、久しぶりに、行ってみて、客として泊まったらどんな旅館だったのか、見てみるのも悪くないかな」
「当時、どうやらくんに『若旦那か?』って訊いた人は、おっちゃんだったん? おばちゃんだったん?」
「おっちゃん、やったなあ」
「ねえ、そのおっちゃんも、実は昔、そこの旅館でバイトしてた人なんじゃないん? で、その人もバイトしてたときに、かつてバイトしてた人がお客さんとして来たときに『きみ、若旦那か?』って訊かれたんじゃないかな」
「で、今度はおれが、おっちゃんとして、今のバイトの子に『若旦那?』って訊くんか?」
「うん、うん。やってみて、やってみて」
「なんで、そんな輪廻なこと」

 夫とは、結婚して十七年が経過して、結婚記念日の五月二十三日からはたぶん結婚十八年目を歩み始めたことになる。
 きっと、これからも、お互いに、そんな経歴、初耳だよ、ということがいろいろあるのだろうな、と思う。ただ、夫は、わたしもそうではあるけれど、ふたりとも、なにかと忘れることが上手なほうだから、お互いに知らないまま、自分でも思い出すことがないままに、夫婦としての一生を終えることもたくさんあるのだろうなあ。
 とりあえず、今度からは、自宅の布団のお世話を彼と一緒にするときは、「若旦那。シーツのそっちがわ、お願いします」などと声をかけながら共に作業にあたろうと思う。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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