みそ文

みなみみなみ

 私が利用する美容院の美容師さんには、この春高校一年生になられた娘さんがいらっしゃる。上のおにいちゃんは既に高校を卒業して、県外の学校に進学し、現在は都会でひとり暮らし。

 美容師さんのもともとの話としては、美容師さんご自身が、なかなかものを捨てることができないため整理整頓に支障がある傾向をどうにかしたいと思いながら書店を放浪していたら、まさに自分にぴったりの書籍と出会われて、この本の指南に従うことで、ようやく思い切っていろいろ捨てることができそうなのだ、という内容であった。
 その話の流れで、「実はうちの娘は、今にして思えば、整理整頓が上手というか、迷いなく捨てるのが上手で、まさにその本の教え通りの生き方をしていて、いつも部屋が片付いている」と話される。

「それは、なんとも感心なお嬢さんですね」
「感心ではあるんですが、ちょっと、ものを捨て過ぎなんです」
「捨ててはならないものを捨てるんですか」
「うーん、今回買って読んだ本の判断基準で考えれば、あの子にとってはたしかにもう、そのものに対するときめきがなくなったというか、そのものとの関係性が終了している、ということではあるんでしょうけれど、自分で稼いで自分で買ったものならばともかく、まだ、親に養ってもらっている立場でありながら、つい何ヶ月か前に買ってやったものを、もう要らない、と言って捨てるのを見聞きすると、なんだとー、と思うんです。もったいないとは思わんのかー。もっとものを大切にしろー、と。で、ゴミ箱行きになる直前で救出したものたちを、一ヶ所にまとめて、ほら、見なさい、まだまだ使えるものなのに、あなたがむやみに捨てたものがこんなにあるのよ、と、ときどき諭すんです」
「ああ。それは、そうですねえ、たしかに。そこはそれはそれで重要だ。ものを大切にすることと、消費活動で活躍することって、なかなか折り合いの加減が難しいですよねえ。でも、娘さんは小さいころからそういうふうでいらっしゃる、ということは、将来そういう暮らしができるような経済力も自分に身につける方向で成長なさる、ということではないですかねえ」
「それならいいんですけど、親としては、収入が少ないにもかかわらず物欲が押さえられなくて、買ってもすぐに捨ててまた別のものを買うために、借金を重ねるような子になったらどうしよう、というふうに思うんですよ」
「ああ、そっちの方向で思うと、たしかにそれは心配かも」
「それと、洋服や小物以外にも、あの子、学校の配布物を、なんとも潔く捨てるんです」
「ええと、それで困ることはないんですか」
「困るんですよ、当然。教科書は、学年が終了したその日のうちに、毎年あの子はさっさと捨てるんですけれど、それはまあ、別になぜかそう困らないんですが、このまえ、体操服の申込用紙を自分でわざわざもらってきたのに捨ててしまって。その体操服を申し込む担当の先生が、娘にはちょっと怖いタイプの先生で、ようやく勇気を出してお願いしてもらって来たというのに、なぜかその日のうちに捨ててしまって、何日かして、ごみ収集に出したあとになって、おかあさん、どうしよう、って言うんです」
「ええと、どうしたら、いいんでしょう。もう一度もらってくるのかな」
「娘もだいぶん悩んでたんですけど、もう一度勇気を出して、そのちょっと怖い先生に頼んで、二枚目の申込用紙をもらってきたんですけど、あの子、なぜか、それも捨ててしまってて」
「それは、ちょっと不便そうですね。娘さん、自分に必要なものと不要なものとの見分けはどうしてらっしゃるんでしょう」
「でしょう。ほんと、どうしてるんでしょう。なにゆえあんな子に育ったんでしょう。溜め込みクセのあるわたしが育てたのに。謎すぎるんです。で、もう、その体操服の申込用紙は、三度目はいくらなんでも、頼めない、と。それで、あの子、この春同じ高校を卒業した先輩にあたる人に頼んで、お古の体操服をもらうことにしたんですよ」
「おおー。それは、かしこいじゃないですか。むしろ最初からそうすれば、よかったのに」
「いえ、でも、体操服には、胸のところに名前の苗字が、刺繍で縫いつけてあるんです。だから、あの子、体操服着ると、みなみさん、になるんです。うち、みなみ、じゃないのに」
「名前入りの体操服なら、入学時にまとめて買うんじゃないんですか」
「買ってあるんです」
「え? 買ってあるのに、追加で必要になった、ということですか」
「ええとですね。入学前の案内書類に、体操服はダボダボにならないよう、ジャストフィットのサイズのものを購入して着てください、と注意書きがされていて、生真面目な娘は、その注意書きの注意を守って、自分にぴったりのMサイズを買ったんです。でも、実際入学してみたら、まわりの女の子たちみんな、ジャストフィットよりもひとサイズ大きいサイズをゆったりと着ていて、ここでまた協調性の面でも生真面目な娘は、自分だけがピチピチの体操服を着ることはできない、と、言うものですから、そんなに言うんなら、新しくLサイズの体操服を買う申込書をもらっておいで、って言ったんです」
「ああ、なるほど。今手元にあるぴったりサイズとは別にダボダボサイズがほしくて、なんですね。で、みなみ先輩の体操服がちょうどよく娘さんにゆったりなダボダボサイズだったと」
「そう。しかも、娘は、おかあさん、わたし、うれしい、わたしね、世の中で、みなみ、っていう名前が一番好きだから、みなみ、って書いてある体操服が着れるのがうれしい、って言うんです」
「わあ、ラッキーでしたねえ。それは、きっと、みなみ、って書いてある体操服を着るべくして、体操服の申込書を無意識のうちに捨てる運命にあったんじゃないですか」
「いやっ、そんなことはっ」
「それか、ダボダボサイズの体操服は無料で手に入るよ、しかも大好きな名前のついた体操服が手に入るんだよ、という案内として、捨て捨て妖怪、が、体操服の申込書をサクサク捨ててくれたんじゃないでしょうか」
「うわーん。たしかに、あの子には、捨て捨て妖怪はとりついているかもしれないですが、でも、自分に必要な申込書を捨てたらダメでしょう」
「ダメなのはダメなんですけど、実はけっこうダメじゃくて、本当はそれは必要ないよ、というようなときって、一見過失による紛失に見えるけど、実はより合理的な手立てへの導きであるような、そういう出来事ってあったりしませんか」
「うう。どうやらさんにそう言われると、たしかにそういう心当たりは、いろいろ、ありますけど、でも、いやー。認めたくないー」
「いやなんですけどね、妖怪、ですからね。手ごわいんですよ。それに、まあ、結果的にはよかったですよね。余分な出費なしで、娘さんが希望するサイズの体操服が手に入って。しかも、大好きな、みなみ、の名前のもので」
「でも、どう考えても、うちの子、みなみさんじゃないんですよ。苗字が違うんですよ。でもあの子、苗字も下の名前も両方、みなみ、でもいいなあって言うんです」
「みなみみなみ、ですか」
「みなみみなみ、ですよ。ねえ。ちがうちがう、いろいろちがうよ、あなた、みなみさんじゃないから、苗字も下の名前も両方とも全然みなみじゃないから、って娘には言うんですけれど、娘はご機嫌で、みなみさんにもらった体操服着て、遠足に行きました」
「よかったですねえ。何も問題がないような気がしますけれど」
「いや、でも、今後、体育の授業で、先生がうちの子の名前を呼ぶときに、胸の刺繍を頼りに、みなみ、って呼ばれるんじゃないかと思って」
「うーん。先輩からお古でもらった体操服なので、みなみ、と書いてありますけど、自分の名前は、なになになんです、って説明すれば済むような」
「そうでしょうか」
「というか、そもそも、胸の刺繍の名前と生徒本人の名前との一致性は、あまりそれほど重要視しないような、どうなんでしょうねえ、実際は」
「どうなんでしょう。学校の先生、混乱なさるかな、と思って」
「いや、生徒の中には、最近両親が離婚してまもないなどの事情で、入学前に申し込んだ体操服の苗字と現在名乗っている苗字が異なる場合もあるかもしれないですし、いまどきなんでも新しいものを買ってもらえる世の中で、卒業生のおさがりの体操服を使う生徒は、むしろ感心に思えるんじゃないでしょうか」
「ああ、そうか。世の中いろんな事情がありますもんね。そうか。みなみの刺繍を自分でほどいて、新しくうちの苗字を、どこか、スポーツ用品店とかで頼むかどうかして、刺繍し直してもらったほうがいいかな、と思ってたんですけど、そこまでしなくていいか」
「せっかく、娘さんが大好きな、みなみ、の名前の体操服の、みなみの刺繍部分を外すのはもったいないですよ。どうしても、というときには、みなみ、の文字の、上か下かどこかに、本当の苗字を追加で刺繍して、みなみも、本当の苗字も両方表示するようにしてはどうでしょう」
「あはははははは。そんなことしませんっ」

 世の中の名前でどういう名前が一番好きか、ということを、わたしはこれまでたぶん一度も考えたことがない。そんなところにしっかりと思いが至る美容師さんの娘さんは、将来、善きみなみさんと出会って結婚したあかつきには、嬉々として、みなみ、の苗字を選んで名乗るのだろうなあ。
 そして彼(配偶者)からときどき「おまえはおれの苗字目当てでおれと付き合ってたのか!(結婚したのか!)」と詰問されたりもするけれど、彼女は元気よくニコニコと「うん。そうよ。でも、みなみ、なら、誰でもいいってわけじゃないよ」とこたえる。彼はやや脱力しつつも彼女がいとおしくてたまらない。そんなカップルを妄想しつつ、カットしてもらって軽くなった自分の頭を喜ぶ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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