みそ文

磨いて促して整える

 わたしが小学校一年生と二年生のときの担任の先生は、当時も現在もわたしの実家から徒歩十五分弱くらいのところにお住まいだ。その先生は、当時のわたしが、宿題のプリントや提出ノートとは別に、宿題でもないのに、毎日飽きることなく延々と、「こくご」のノートに何かを書いたものを勝手に提出するのを、やめなさい、とおっしゃるでもなく、特別推奨するでもなく、でもたいへんに根気よく添削してくださった。
 小学校から応募が可能な作文コンクールがのようなものがあるときには、応募可能なレベルになるまで、これまたほんとうに根気よく、何度も何度も、わたしの作文に赤ペンを入れて、文章は「推敲」や「編集」ができるものなのだということを指導してくださったように記憶している。
 当時六歳七歳八歳のわたしは、先生は五十歳くらいの方だとなぜだか思い込んでいた。先生は、若い女の先生、というかんじではなく、かといって、おばあさんでは全然なくて、だからといって、おばさんというのもまったく似つかわしくない。
 世の中には、子どもの目から見ても「しっかりとした大人の人」と「しっかり加減があまり多くない大人の人」がいると思ってはいたけれど、その先生は、同じ学校の先生たちの中でも「しっかり」の度合いが高い大人の人だったと思う。

 先日、実家の母が「みそ文 平成二十年」(みそ文の2008年分の記事を製本したもの)を、その先生に届けに行ってきたのだ、と言う。母としては、当時先生が熱心に作文指導してくださったおかげで、わたしがこうしてみそ文を書いているのだから、という思いがあったようで、それはまあたしかにそうなのだけど、と思う。
 先生は今年八十歳になられるとのことで、お元気で、母が持って行って差し上げた「みそ文 平成二十年」をとても喜んでくださったという。
 母の、もう、誰も止められないほどに磨きのかかった親ばかっぷりはともかく、先生が今年八十歳になられるということは、わたしが教えてもらった当時の先生は今のわたしよりも年下だったということになるではないか、と気づいて少しだけおどろく。
 
 母によれば、母の知る八十歳くらいの人たちと比べると、先生はとうてい八十歳とは思えないほどにしっかりとなさっているのだけど、先生ご本人としては、ご自分の思い通りに言葉が出てこなくなったことや、文字を思い出しにくくなっていることなどが、ずいぶんと悔しく不本意でいらっしゃるご様子で、またその不本意な気持ちが、先生にとっては、大きなストレスになっていらっしゃるようでもあったとのこと。
 
 わたしもこの先もしかすると、今の先生のお年くらいまで長生きするかもしれない。万が一のそのときに備えて、今から少しずつ、自分の「思い通りの言葉が出ない」ことや「書きたい文字がすっと出てこない」ことやその他いろいろと円滑さが少ないことは、まえから、まえから、昔から、それって得意だったじゃん、年をとってから各種円滑さが減ってきたわけではなくて、もとから少なかったじゃん、得意な分野はやはり年を重ねるとともにさらに磨きがかかるものなのよ、と、自分の身に生じる少々やちょっと多めの不便や不自由を「今度はこうきたか!」と、その都度、どん、と受け止める準備を意識してみようかな、と思う。

 先生ほどではないとはいえ、わたしはわたしなりにどちらかというとしっかり加減の多めな大人だと自分では思うから、自分のそのしっかりとした部分が機能的に損なわれたときには、自動的にそのことを好ましくないストレスと受け止める可能性もありはする。そのときには、それはそれで、それに伴う様々を味わう気概は持っている。けれど、それでこころを痛めるだけでは、自分の人生の実験的観点においては、もったいないような気がするし、自分の人生できるだけ機嫌のよい時間を多く持つという野望と任務もあることだし、そういう意味でのしかけを自分で工夫できるところはそうできるといいな、とおもう。

 だから、もしも、将来わたしが「年をとって、なんだかいろいろダメになった気がする」と口走るようなことがあったときには、「みそさん、それ、まえからだから。年をとる前からだから。いちいち気にすることないわ」と声をかけてもらえると助かると思うから、関係者の方々には、いまのうちから、よろしくお願いしておく。
 また同時に、「いや、みそさん、それはまえからのとはちょっとちがって、なんらかの対処をしたほうがいいかんじになってるから、さっさと、物忘れ外来(その頃はまた別の名称になっているかもしれない)なりの施設で診てもらって相談しようよ」と声をかけるのが適切そうなときには、ぜひともそのようにご協力をいただきたい。

 そして、来たるそのときは、ぽんっとある日突然にやってくるわけではなくて、じわりじわりと少しずつ長い年月をかけてやってくるのだろう。自分がそのときに、堂々と落ち着いて、脳と心身の経年変化を受けとめられるような精進を重ねつつ、だからといって自分の脳や心身がこの世で活動しようとすることを軽んじたり阻んだりするようなこともなく、できれば自分の脳と心身が、細胞や存在としての、その意思が望み臨むままに活動することを促して応援して、そのときそのときの自分を常に丁寧に整えるような、そんな両刀遣いの、あるいは複数の刀や道具を使いこなす、そんな晩年を華麗に今日を含めて生きて行くぞ、おー。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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