みそ文

飛び交う想いとヴィッテルテル

関東地方やその周辺他、なんとなく遠いあたりのざっくりとしたひとかたまりの地域に住まう孫のために、ミルク調乳用の水をお求めくださるお客様がにわかに増える。それ以前に既にもう、震災の影響で、水類はほぼ底をつき、入荷も未定な毎日だから、ご希望のものをご希望の数ご用意することもかなわず、店頭にあるものだけでごめんなさい、と頭をさげ続けるのだけれども。

その年配女性のお客様は、横浜に暮らす娘の子(お客様にとってはお孫さん)がミルクを飲むから、と、「ミルクを作れる水はどれ?」とおたずねくださる。「硬水はだめで、軟水じゃないと、と聞いているのだけど」とも。

その時点で店頭にあるのは、ヴォルヴィック(軟水)500mL、クリスタルカイザー(軟水)500mL、ヴィッテル(やや硬水)1500mL、コントレックス(すっごく硬水)500mLと1500mL。本来ならばベビーコーナーに調乳用の水がある。そのベビー調乳用の水は、普段はその割高感ゆえそれほど売れるわけではないけれど、すでにいち早くなくなった。そのことをご案内した上で、ミネラルウォーターコーナーにて「この中でミルクに適しているのは、ヴォルヴィックとクリスタルカイザーですが、少し硬めとはいえこちらのヴィッテルでしたら、腎臓の機能に問題のない元気な赤ちゃんであれば、ミルクに使ってもらって差し支えのないレベルの硬さです。どれも、おいしくお飲みいただけます。しかしこちらのコントレックスは、便秘の時にうんちを出す目的でお使いいただくのには便利なのですが、普段のミルクに使うのには向いていません。便秘じゃないときに飲み過ぎると下痢をすることがありますから」と説明する。

お客様は、娘さんと思われる人物に携帯電話から電話をかけ「今、すこやか堂(わたしの勤務先のお店)に来てるんやけど。水、少しならあるから、あんたのとこに送ってあげようかと思うんやけど、どれがいい?」と訊かれる。訊かれた娘さんのほうは「どれがいい?」と言われても、店頭にいらっしゃるわけではないから、「どれがいい、って、なにがあるん?」と訊き返される。スピーカー通話にしているわけではないのに、受話器からの娘さんの声がたいへん鮮明に聞こえる。

「えーとな、ミルクにええのは、ぼるび、いうのと、くりなんちゃら、いうのらしいんやけどな、これは瓶いうかプラスチックの容れ物の大きさが小さいんや。500ccのペットボトルがあるやろ、ジュースなんか買うときの、あの大きさ」
「ヴォルヴィックとクリスタルカイザーやろ。500のがあるんやったら、二本か三本ずつくらい買うて。ようけい買うたらあかんで。他の人らも要るねんから」
「そんな、ようけいは、もうないんや。両方とも、一、二、三、えーと、十何本かくらいしかないし、あるうちにあるだけ買うといたほうがええんやない?」
「やめときって。大きいのはあるん?」
「便秘のときならいい、いうぶんは多めにあるよ。同じのの小さいのもけっこうたくさんあるな」
「コントレックスやな。それはええわ。他には?」
「お店の人が、ちょっと硬いけど、ミルクに使ってもだいじょうぶ、いうて言うたのは、大きいんやけど、これは、一リットルかなあ、二リットルかなあ。(ここでわたしが商品を手に取り、容量の表示部分を指さして「1500mLです」と小声でお知らせする)あ、1500ccやって」
「それ、なんていう名前の水なん?」
「ちょっと待ってよ。値段の書いてある紙にはなあ、えーと、カタカタで、ヴィッ、テル、テル、いうて書いてある」
「はあ? ヴィッテルちゃうの?」

わたしが「お客様。こちらの商品の名前は、ヴィッテルです。ヴィッテルとお伝え下さい」と言うのだが、お客様は「値段の書いてある紙を読むで。ヴィッ、テル、テル」と続けて通話なさる。娘さんは「ヴィッテルならほしいけど、そんな、ヴィッテルテルやらいう、ヴィッテルの偽物みたいな怪しいもん要らんわっ」とおっしゃる。

売り場のPOPを見るとたしかに「お買い得品! ヴィッテルテル」と書いてある。「お客様。ごめんなさい。こちらの値段の紙に書いてある名前は、手違いで、テルがひとつ多く入力されたものが貼ってあるようです。すぐにちゃんとヴィッテルの名前のものに作り直して貼り替えますので、商品名はヴィッテルとお伝え下さい」とお話しする。

「今な、お店の人が、ヴィッテルテルは、値段の紙に書く名前を間違っとるだけやいうて教えてくれはったわ。ほんまはヴィッテルやねんて。値段の紙には、ヴィッテルテル1.5kg、いうて書いてあるから、1.5キログラムやわ」とお客様がおっしゃるのを聞いて、うわ、容量表示の単位が、ミリリットルでもリットルでもなくキログラムになっていたのか、ということにも気づく。このPOPは本社で一括して作成されたものを、各店舗は商品JANコードを店舗PCにて入力するのみで印刷し売り場に貼り付けるタイプのものだ。おそらく本社で商品名と規格を入力する際に、ヴィッテルテルとテルをひとつ多く入力し、そして、水は1000mLが1kgであるから間違いでないとはいえ、やはり液体はミリリットル表示しようよ、なのになぜかkgでの入力をしてしまっていたのね、ということに気づく。

「お客様。本当にごめんなさい。キログラムのところもミリリットルに直したものをすぐに作って貼り直しますので、ヴィッテルのお水の量は1500ミリリットル、1.5リットルとお伝え下さい」とお願いする。電話の向こうの娘さんが「ヴィッテルの1500ccやったら一本か二本、買って送って。ヴィッテルテルやったら要らんで」とおっしゃる。お客様は「でもな、値段の紙にな、ヴィッテルテルいうて書いてあるねん」と言われる。

「おかあちゃん、値段の紙に書いてある名前は書き間違いや、いうてお店の人が言わはってんやろ。水のペットボトルのラベルのところにちゃんと商品の名前が書いてあるやん。それを読んでくれたらええやん」
「そんなんいうても、こんな何語がわからんもんは、よう読まんわ」

そして、わたしは、商品を膝の上にのせて、ボトルのラベル部分のアルファベットを指さしながら「V、i、t、t、e、l、ヴィッテル、フランスのお水です」とお伝えする。

「なんやってよ。聞こえた? フランスの水らしいけど、ええんか? ヴィッテルテルで」
「おかあちゃん。だから、ヴィッテルテルじゃなくてヴィッテルやって。ええよ。ヴィッテルやったら、わたしが飲んでおっぱい出すのにも使えるし、おいしいし、コントレックスと違うから、ミルク作って飲ましても別にええし。一本か二本お願いするわ」
「でもな、これももう、あと、五本くらいしかないし、全部買うとこうか?」
「あかん。一本にしとき。このへんは、別に、水道水も普通にミルクに使えるんやから、そんなことしたらあかん」
「でも、東京のほうの水がだめなんやったら、横浜の水もだめなんやろう?」
「別に東京の水もだめなわけじゃないし、そんなんずっととちがうし、横浜は別の水やしな、水道局が水の検査して確認したものを使えるんやから。地震がひどかったところなんかは、水の検査もできんようになってたりするんやよ。じゃ、ヴォルヴィック三本、クリスタルカイザー三本、ヴィッテル大きいの一本な。それ以上は買うたらあかんで」
「わかった。今、お店の人(わたし)が、カゴに、あんたが言うたのをその数入れてくれてはるわ。じゃ、また、送ったら電話するわ」

と通話が完了して、お客様は「娘がああ言うから、ここでは、これだけにしときます。また別のお店で探して、娘に内緒でこっそり買って、荷物に一緒に入れてやることにします」とおっしゃる。「いろいろ気がかりなことですね。ですが、どうぞ、あまりご心配なさいませんように、大きなお気持ちでお過しくださいね。お嬢様は、水のことにもお詳しいご様子ですし、落ちついてご立派でいらっしゃいますから、安心して見守ってさしあげてください」とお伝えする。

「そうなんやけどなあ。あの子が小さい頃ずっと、わたしが口やかましく厳しく育ててきたから、あの子はわたしの言うこと聞いてああいう子に育ったんやろうけど、自分の子には厳しくしてきたのに、孫にはとことん甘くなるんやなあ。なんぼでも甘やかしてやりたいんや。おねえさん(わたし)、ごめんな、忙しいのに、水のことで、こんなに時間とらしてしもうて」
「いえいえ。こちらこそ、せっかくご来店くださったのに、こんなに品薄な状態で、申し訳ないことです」
「じゃ、ありがとね。また、別のお店行ってみるわ」
「ありがとうございました。外は雪が降ってて寒いことですし、ご無理なさらないでくださいね」
「ありがと、ありがと」

お客様をお見送りし、「ヴィッテルテル1.5kg」のPOPを「ヴィッテル1500mL」に作り直して貼り替えてすぐに、年配のご夫婦風でご来店のお客様が、残りのヴィッテルをクリスタルカイザーやヴォルヴィックとともにお買い上げくださったため、売り場にはコントレックス以外の商品がなくなる。

飲料担当の新人二年目くんに、古いほうのPOPを見せながら「一応連絡なんですが、ミネラルウォーターのヴィッテルの売価POP、商品名がヴィッテルテルになっていたので、ヴィッテルで作り直して売り場に貼りました。規格もキログラムだったので、ミリリットルに直しておきました。お客様が関東地方の娘さんに買って送ってさしあげるのに、POPの商品名を読み上げられて、ヴィッテルテルって言われて気がついたんです。関東地方の娘さん、そんなヴィッテルテルやらいうヴィッテルの偽物みたいな怪しいもん要らんわっ、と電話の向こうでおっしゃってました」と口頭で伝える。二年目くんは「ぷっ。ぷぷっ」と笑い、「POPの表示、ヴィッテルテル、だったんですか。すみません。全然気づいてませんでした」と言う。

「いえいえ、わたしもこれまでまったく気づいてませんでした。たぶん、あちこちのすこやか堂で『ヴィッテルテル』のPOPが活躍してると思います」
「ですね」
「でも、わたしが作って貼り直してすぐに、ヴィッテルテル、完売して、売り場欠品中ですので、またメンテナンスのほう、よろしくお願いします」
「うわー。やっぱり、なくなりましたかー。わかりました。ありがとうございました。ヴィッテルテルもしばらく入ってこないんやろうなあ」

スギ花粉も黄砂も舞い飛ぶ季節だけれども、祖父母や身内、友人知人、いろんな関係性にある人々の、なんとかどうにかしてあげたい、そんな気持ちや思惑が大量に飛び交う春を生きている。


追記。「Volvic」のカタカナ表記は「ボルヴィック」であるようだ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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