みそ文

トイレで犬を洗う

大阪に住んでいた頃は、関西空港開港以降、その空港がわりと近かったこともあり、ずいぶん気軽に飛行機で、ひょいひょいと出かけていた。インドネシアやマレーシアやフィリピンやタイなどで、日本にいるときとは見える星座が少し異なるのが面白くて、宿のテラスのカウチに寝そべって、宿の中庭に夫と二人で立って、南の星空を見上げ続ける。

タイのプーケット島に行ったときだと思うのだけど、海の洞窟を手漕ぎのカヌーで巡る日帰りツアーに参加した。何艘かのカヌーを積み込んだそのツアーの大きな船には、おそらく二十人くらいの観光客が乗っている。船にはキッチンや食卓もあり、南国メニューのランチがツアー料金に含まれている。そのツアー参加者の中に、北京に留学中の日本人青年(以後「北京青年」と呼ぶ)と、彼を訪ねて北京旅行をしたあとで、北京から二人で少しずつ南下して、タイまでやってきたのだという関東在住の青年(以後「関東青年」)がいた。船でカヌーのポイントまで移動する間の短くはない時間を、甲板の上に寝そべって、夫とわたしと北京青年と関東青年の四人は、日本語で旅の情報を交換しあう。

プーケットの島の中で、たとえばレストランか商店のどこかでトイレを借りる。そのトイレは、洋式のこともあれば、しゃがみ式(トルコ式というのだろうか。和式とは異なる形状で、水が流れる穴の部分の真上におしりがくるようにしゃがむ。和式にはある前側の帽子のような形状のものはなく、床に埋め込まれている枠部分のみがあるかんじ)のこともある。トイレットペーパーが備え付けられている場合もあれば、個室内にある水道の蛇口の下にバケツと柄杓が置いてあり、水を汲んでおしりを洗うスタイルのところもある。また、もう少し新しいトイレになると、しゃがみ式だけど、水道とバケツと柄杓ではなくて、ホースのついたピストル型のおしり洗浄用スプレー(水道水が出てくる)が壁の低い位置にかかっていることもある。

おしり水洗い文化を愛するわたしは、水洗い設備があるところでトイレに入ると、意気揚々とおしりを洗い、きれいになったおしりの水気をおしりふき用タオル(持参)で拭きとる。あるいは、トイレットペーパーで軽くぬぐう。夫は当時紙拭き派で(今は自宅のシャワートイレを快適に愛用している)、おしりを水で洗うのは、それ以外手段がないときだけ仕方なく、であった。

そんなタイのトイレの使い方に、特に何の疑問を感じることもなく、快適に過ごしていたわたしに、関東青年がおもむろに「あのトイレのピストルみたいなやつって、犬を洗うものですよね」と言ったときには、すぐにはその意味を理解することができなかった。

「犬?」と問い返すわたしに、北京青年が「ちがいますよね。あれはトイレの掃除道具ですよね」と言い、関東青年は「犬を洗うんですよね」と重ねる。その会話の頃には夫は日陰でお昼寝をしていて、わたしひとりが青年たちに「なんで、犬?」とまた問うていた。関東青年の言い分によると「この島には野良犬が多い。しかし、島の人々は、飼い主がいるかいないかよくわからないその犬たちをずいぶん大切に扱っているように見受けられる。ということは、島の人々は、汚れた野良犬を見つけると、トイレに連れて行って、あのピストルシャワーで水を浴びせて、きれいに洗ってやるのではないか」というのだ。

それに対して、北京青年は「宿のトイレはふつうの洋式便座とトイレットペーパーだからあまり何も感じないけれど、飲食店や商店や観光施設でトイレを借りると、洋式でもそうでなくても、どこもたいていきれいに掃除がなされている。これはあのピストル型の放水設備で隅々まできれいに掃除しているからではないか」と予想する。

わたしが「もしかすると、掃除用かもしれないし、犬洗い用かもしれないけれど、わたしはおしりを洗うのに使ってるよ」と話すと、二人ともが「あ!」と言う。そう、お尻洗いのための設備だといったん思うと、それ以外の、掃除道具や犬洗い用といった発想は、たぶん、なりをひそめる。二人の青年は「ほらみろー。だから、お前の考えは、ぜったい違うって言っただろう」「おまえだってー」と互いを笑う。わたしは二人を笑う。しばらくして昼寝から目覚めた夫に「ときどきトイレに備え付けてあるホースのついた水の出るピストルみたいなやつ、なんに使うか知ってる?」と訊くと、「知らない。使わないし」と言うから、「あれはね、野良犬をトイレに連れ込んで洗ったり、トイレをきれに掃除するのに使ったり、トイレを使った人間のおしりを洗うのに使ったりする素晴らしい道具なんだよ」と旅の情報を分かち合う。関東青年と北京青年が「寝起きの人にいきなりうそを教えるなんて、ひでー(ひどい)」と笑う。夫は寝ぼけながらも「おしりを洗うのはありとしても、犬と掃除は、ないな」とつぶやく。

船から見上げる空は果てしなく濃く青く、甲板から見下ろす海はどこまでも明るく蒼い。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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