みそ文

非日常への祈りと日常の中での覚悟

どこかでのたいへんななにかを知るたびに、誰かが大きく本意ではない境遇に身を置いていることを思うたびに、そのときそんなに言うほどにはたいへんというわけではないと思える自分は、不本意よりも本意が多い境遇にあると思える自分は、自分の手元のこの「日常」を守って回し続ける責任と責務があるのだと、いつも強くそう思う。思いもよらず過酷な境遇に遭遇した人たちが、よりすみやかに日常を回復し日常に戻ってゆけるように、彼らの日常とどこかで繋がっているはずの自分のこの日常を、いつも以上に丁寧に取り扱いながら紡いで生きてゆくのだと誓う。

自分が本意でない上にどうにも抗いようのない境遇にあるときには、自分以外の人たちがその人たちの日常を保ち続けてくれていることが、自分のそのときの境遇をなんとかやり過ごす勇気と、ふたたび自分を日常の中へと運んで連れてゆく気概を、支えてくれるものだから。

自分の日常を回しながらただ見守るしかすべのない立場において、自分の中に湧きあがる「歯がゆさ」や「もどかしさ」や「違和感のようななにか」などのさまざまな感情のエネルギーは、嘆くことを主体として用いるのではなくて、真に必要な力を生み出す別のエネルギーに転換してから意識する。嘆きが嘆きを呼ぶ導線の存在を知る者としては、自分の不用意な嘆きは極力控えなければならない。しかるべきときにしかるべきものがしかるべきところと人にきっとたしかに届くように、目に見えるものも見えないものも、直接のものも間接のものも、円滑に必要十分に運ばれ促される力の一助となるように。

渦中において、非日常の中において、あるいは一見日常に埋もれているようであってもそれが日常であってはならないものの中において、直接誰かの助けとなる目に見える実働を担い果たす立場にある人々とその働きに、おおいなる感謝を抱き、そして敬意を払う。どうぞお体とこころを強く丈夫に保ち整えてその任にあたってくださいますようにと頭を垂れて手を合わせる。

それでもこころがざわついて、胸の奥に冷たい痛みがある感触を否めなくて、かなしいようなくやしいような、脳や喉がぎゅうっと絞めつけられるような、ぬぐいきれないこころもとなさがいくつも感じられるとしても、だからこそ、自分は自分の日常を丁寧に回さなくてはならない、それが自分の任であり務めなのだと、それをまっとうすることこそが自分のなすべきことなのだと、強く深く決意する。

市場も経済も流通も、その他のあらゆる日常を、けっして放棄することなく、ないがしろにすることもなく、保ち続けてゆくことで、誰かやどこかにとって必要な要請に、必要なときに可能なかぎり十全に応える準備を重ねる。そして、渦中にある人々が安心してこの日常の輪に戻ってきてくださることを、入ってきてくださることを、ともに回してくださることを、祈り願い、こころをこめて、自分の日常をいとなむ。     押し葉

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
暮らし (109)
仕事 (161)
家族 (300)
想 (23)
友 (47)
学習 (79)
旅 (16)
心身 (8)

FC2カウンター

検索フォーム

FC2Ad

Template by たけやん