みそ文

忘れん坊妖怪

わたしの自慢のひとつである、忘れっぽさ、に関しては、わたしの才能なのだろうと勝手に思っていたけれど、最近は、もしかすると、これは「忘れん坊妖怪」がとりついているのではないだろうか、と思うようになってきた。というのも、今日は夕方五時に歯科の予約を取っているから、それまでの午後の時間を岩盤浴で過ごしましょう、と思いたち、岩盤浴の予約を入れる。順調に準備して、車に乗って出かけて、さあ、岩盤浴屋さんの駐車場に到着して、一回利用ごとにスタンプを押してもらえる会員カードを出しましょう、とバッグを探るのだけど、見つからない。会員カードが入っている小さめのお財布に今日の岩盤浴料金と歯科でかかるお金とを用意して入れてあるはずの、その財布がない。

ううむむむ。これは、おそらく、岩盤浴屋さんに電話したときにカードを出して電話番号を見ながらかけて、予約が完了したところで、安心して電話の傍にカードとカード入れとして使っている小さな財布をいったん置いて、それっきり忘れたんだろうな、と、予想する。いったん、家に取りに帰るとなると、往復の時間分、岩盤浴でゆっくりできる時間が減るし、どうしたものかな、と少し考える。

とりあえず、岩盤浴屋さんの扉を開けて、出迎えてくれたお店のおねえさんに、「実は、会員カードを入れてるお財布を持ってくるのを忘れたみたいで、今日のポイントは次回来た時にスタンプを押してもらえますか。お財布がなくて現金もないので、どこか近くでお金をおろして来たいんですけど、近くに銀行か何かありますか」と相談してみる。おねえさんは「はい。わかりました。じゃあ、ポイントは次回に合わせて、ということで。うちのお向かいのコンビニの隣が銀行なので、そこではどうでしょう」と、外を指差しながら教えてくれる。「あ、ほんとだ。あそこですね。じゃあ、すみませんが、ちょっと行ってきます」と声をかけてお店を出る。信号が緑色になるのを待って、横断歩道を渡る。コンビニの隣の銀行は、私の口座がある銀行とは別の信用金庫だけれども、私の口座がある銀行と提携しているところだから、手数料無料でキャッシュカードで出金できるのがありがたい。よかった、よかった、と思いながら、てくてくと歩いて岩盤浴屋さんに戻る。

岩盤浴での発汗後、さっぱりすっきりと会計するときに、お店のおねえさんが「わたしもよくお財布忘れるんですよ。お財布って忘れやすいですよね」と言う。お財布を忘れるということが、これまで殆どない(というふうに記憶している)わたしとしては、そんなことないやろう、と思わないでもないのだけれど、「そうなんですか。そんなことがありますか」と訊き返してみる。おねえさんは「はい。実はわりとちょくちょく忘れるんですけれど、けっこうなんとかなるんですよ」と言う。たしかに、今日も会員カードと現金は忘れたけれど、ポイントは次回入れてもらえばいいことだし、運転免許証は携帯しているからそこは安心だし、免許証入れに一緒に入れているキャッシュカードがあるから、現金を引き出す機械でおろしてくればすむことで、本当に問題なく、なんとかなった。

岩盤浴屋さんから、歯科医院に移動する道中も、要は、忘れるかどうかが問題なのではなくて、忘れたことに気づくかどうかと、気づいたときに、自分が忘れたことによって生じたかもしれない損失のようなものをそれなりに回復する手立てがとれるかどうかが大切なのかもしれないな、と考える。歯科での治療を無事に終えて帰りながら、あ、そうだ、この時間なら、パン屋さんがあいている、と気づく。おいしいパンを買って帰って、アボカドとツナを混ぜたディップをのせて夕ご飯にしよう。卵も焼いて一緒にのせよう。そう思いついて、わくわくと、おいしいパン屋さんに入る。卓上サンドイッチ(手巻き寿司感覚で卓上で各自がサンドイッチを作成して食べるメニュー)が、夫は特に大好きだから。

パン屋さんでは予定していたパンは売り切れていたけれど、代わりに「バタール」という名前のフランスパンを選んで、半分は一センチ幅に、もう半分は二センチ幅に切ってもらって購入。夕ご飯用のバタールとは別に、クルミとクランベリーを練りこんで焼いてあるパンと、オリーブの実を入れて焼いてあるパンと、ベーコンを混ぜて焼いてあるパンも、一センチくらいに切ってもらう。それから、自分のおやつ用に、小倉クリームが入っている筒状のパイのようなパンも購入。

帰宅して、手を洗ってからうがいをする。うがい用の緑茶がおいしい緑茶になって以来、もともと優秀なうがい励行率がさらに優秀さを増している。浸け置き洗いの洗濯物が入った洗濯機のスイッチを入れて、ぐうんぐおんと洗濯開始。加湿器に水を入れて作動させてから、エアコンの暖房のスイッチを入れる。PCのスイッチとこたつのスイッチを入れて、食器棚から小さなお皿を出す。さてさてさて。小倉クリームのコロンをいただきますよ。

ところが、パン屋さんの袋を開けて品物を出してみると、バタールと、クルミクランベリーと、オリーブと、ベーコンのパンはそれぞれにあるのに、小倉コロンだけがない。あれれれれ。こういうときには、こころをじっくり落ち着けて、捜すものの名前を呼ぶと見つかることがよくあるから、とりあえず「おぐらさーん」と呼んでみる。しかし今回の捜し物は、名前を呼んだだけでは見つからない類のものらしく、おぐらさんは出てこない。

仕方がないので、これはお店の人の入れ忘れなのかもしれないね、と予想して、電話をかけて訊いてみることに。レシートに書いてある電話番号に電話して、「先ほど、フランスパンやいろいろ切ってもらった者なんですが、一緒に買った小倉クリームの筒状のパイのパンが入っていないみたいなんです。レジのあたりに残っていませんでしょうか」と尋ねる。お店の人は、すぐに、「あ。すみません。あります。入れ忘れてます」と言われる。「では、これから、取りに伺ってもいいですか」「よろしいんですか。ご来店いただけますか。お待ちしております」という会話ののち、徒歩約五分の距離を車で約二分で移動して、再びパン屋さんへ。

パン屋さんに入ると、お店の人が「本当にすみません。他のパンを切る間、この台の上に置いて、そのまま入れ忘れたみたいで、申し訳ないです」と言われる。「いえいえ、大丈夫です、すぐに気づいて今日中に取りに来れましたし。閉店までに気がついて来れてよかったです」と応える。お店の人が「では、こちら小倉クリームのコロンです。あの、袋の中に、ドーナツを二つ入れてますので、よかったらどうぞ。本当にすみませんでした」と言って紙袋を手渡してくれる。「まあ、ありがとうございます。いただきます」と受け取って、また車に乗って帰宅する。さて、今度こそ、おやつね、と、小皿に小倉クリームのコロンをのせてこたつに入る。いただきます、とつぶやいてから、はむっ、ほむっと、食べる。うふふ、おいしい。

そういえば、十月に法事で広島帰省したときに、駅のお店で「羽二重くるみ」というお菓子を買ったときにも、似たかんじのことがあったなあ、と思い出す。羽二重くるみは、実家の家族たちにも人気があるからと思って、張り切って、少したっぷりめに買ったのだけれども、特急列車に乗って、指定の座席に座って落ち着いて、ふと、あれ、わたし、お店で、お釣りを受け取り忘れた気がする、と気づく。お財布を開けてみて、レシートと現金を見ると、出発前に財布に入れた金額から、羽二重くるみの代金を引いた金額よりも五千円少ない。お釣りが五千円もらえるように、端数分は小銭を出して、一万円札で支払ったんだったよね、と思い出して、とりあえずお店に電話連絡することにする。

「先ほど、羽二重くるみ二十個入りを三つ購入した者なんですが、合計金額いくらのところで、一万円と小銭とをお渡しして、そのあと、お釣りの五千円を受け取り忘れたみたいなんです。またのちほどでも、お時間の大丈夫そうな時に、レジの余剰金を確認してみていただけますでしょうか。それでもし五千円多い場合は、わたくしの受け取り忘れた五千円かと思いますので、ご連絡いただけますか。レシート番号は何番で、レジの時間は何時何分と、レシートに刻印されています」と、携帯電話からの通話で伝える。お店の人は「はい。すみませんが、今すぐレジを閉じることができませんので、いったんお電話切って、またのちほど確認してからお電話さしあげてもよろしいでしょうか」と言われる。「はい、お願いします」と電話を切って、京都駅で特急から新幹線に乗り換えているところに、お店の人から電話が入る。

「レシート番号何番ですと、お買い上げ内容が羽二重くるみ十個入り二個となっているのですが、それでお間違いなでしょうか」
「いえいえ。それは違います。わたくしが購入したのは、羽二重くるみ二十個入りを三個です。合計金額はいくらです」
「そうですか。レシート番号何番のお買い上げ内容は、こちらの控えでは、羽二重くるみ十個入り二個になっているのですが」
「レジの控えのレシート番号の事情はよくわかりませんが、わたくしが手元に持っておりますレシートの内訳は、羽二重くるみ二十個入り三個で、金額もその金額になってます。時刻は何時何分と書いてあります」
「そうですか。では、すみませんが、レジ精算して確認してみますので、もう少しお時間ください。今日の夕方頃にはご連絡差し上げられるかと思いますので、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、お手数おかけしますが、よろしくお願いします。ご連絡お待ちしております」

それから、新幹線の中で、お昼過ぎの山陽の風景を眺めながら、のんびりとぼんやりと過ごす。夕方に電話がかかってくるかも、ということは、実家に到着しても、携帯電話を傍に置いておくようにする必要があるのね、と思いながら。そう思って、三十分も経たないうちに、ふたたびお店からの着信。

「レジ精算をしてみましたところ、たしかに、ちょうど五千円、レジのお金が多くありました。お釣りをおわたしするのを忘れていたようです。本当にすみませんでした。お電話くださるの、気分がよくなかったでしょうに」
「ああ。ありましたか。よかったです。羽二重くるみを受け取った後、駐車券のことを教えていただいたり、紙袋を多めに付けてくださったりで、なんだかばたばたしてましたから、お互いうっかりしたんだと思います」
「あ。あのときの、駐車券のお客様ですよね」
「そうです。一日二十四時間駐車で最大千円のところの駐車場の」
「ああ。そうでした、思い出しました。一万円と小銭をいただいて、五千円お返し、と思ったのに、駐車料金のお話したりしてたら、そのまま、ああ、そうです、わたしです、わたしの接客でした。すみません」
「いえいえ。無事にわかりましたから、もう大丈夫です」
「お釣りのほうは、どのようにお返しする形にいたしましょう」
「今、広島に向かっているところで、明日の夕方そちらに戻りますので、そのときに、また、お店に立ち寄ります」
「まあ、よろしいんですか。ご来店いただけますか。お手数おかけして本当にすみません」
「いえいえ、こちらこそ、レジを確認していただくのに、お手数をおかけいたしました。ところで、営業時間は何時まででしたでしょうか」
「はい。夜の七時までなんですよ」
「明日は六時半ごろ到着予定なので、営業時間中にうかがえるかと思います。もし、何かで間に合いそうにないときには、またあらためてお電話しますので、そのときには相談にのっていただけますか」
「はい。承知いたしました。では、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします」

そういういきさつで、無事に五千円の在り処がわかったんだよ、と、新幹線の中で夫に話す。翌日の法事のあとの会食では、隣の席に座る義弟(彼も羽二重くるみ好き)に、こんなことがあったんだよ、と話す。だから、何時何分の新幹線で出発しなくちゃ、なの。羽二重くるみ屋さんの営業時間に間に合うように。そうしたら、法事と会食終了後に、義弟と妹が彼らの車で、私と夫が乗る予定の新幹線の時間に合わせて駅まで送ってくれた。車を降りるときに、義弟が「みそちゃん。今度は、忘れんと、お釣り、ちゃんと受け取って帰ってね」と声をかけて念を押してくれる。「ありがとう。気をつける」と応えて、妹夫婦に手を振って車を見送る。

途中乗り換えの京都駅では、ホームから見えるお月さまがたぶん三日月前後の状態で、なんだかとてもかっこよくて、三日月を国の旗のデザインに入れたくなる気持ちもわかるなあ、と、思う。満月や新月や半月や三日月を、何度も何度も繰り返しているだなんて、お月さまも地球も太陽も、みんな気長な人たちだなあ、ということにも感心する。

特急列車は何事もなく、定刻通りに到着する。改札を出たら正面にある建物の中に入って、羽二重くるみ屋さんに立ち寄る。「昨日、お電話さしあげた、どうやら、なんですが」と名乗ると、前日接客してくださった店員さんが「わざわざありがとうございます。本当に申し訳ないことでした。こちらがお釣りの五千円です。ご確認ください」と、茶色い封筒に「どうやら様。五千円」と書いてあるものを手渡される。中身を見て「はい。たしかに。五千円札一枚受け取りました。ありがとうございました」と伝える。お店の人が「このたびは、ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。あの、こちらは、店長から、お詫びとしてお渡しするように、ということでご用意したものなんですけれど、どうぞお持ち帰りください」と、箱の入った紙袋をくださる。「まあ、そんな、お気遣いありがとうございます。ありがたくいただきます」とお礼を言ってお辞儀をして、それから駐車場に向かう。

帰宅してから、もらった袋の中の箱を開けてみたら、羽二重くるみが十個入っている。夫が「みそきちが、うっかり、ぽんすけ、ドポンスキーで、五千円を保管してもらった上に、羽二重くるみを十個ももらうなんて、おぬしもワルよのう」と言う。

「たしかに、私もお店の人もうっかりしたけど、元はと言えば、どうやらくんの中の、とりあえず妻に逆らいたい小人、の、せいだと思うな」
「また、そんなこと言って、みそ文に書くつもりじゃろう」
「たぶんね。でも、今はまだ、どうやらくんの所業に呆れてるから、すぐには書けないけどね、ほとぼりが冷めて落ち着いた頃に、また別途、書くよ」
「あああ。また、俺が悪者になるんじゃ」
「どうやらくんは、悪くはないよ。ぽんすけ、なだけで」

それから、旅の荷物をひととおり片づけて、実家の家族たちに、無事に帰宅したよ、のメールを送信する。義弟には、「羽二重くるみのお釣りの五千円、無事に受け取って帰りました。お詫びにと、羽二重くるみを十個もらいました」と報告したら、「みそちゃん、それ、ぶち得したじゃん」という返信。

以上の出来事を鑑みるに、あのときのわたしと店員さんと、今日のパン屋でのわたしと店員さんと、今日の岩盤浴屋でのわたしには、共通性があるように思う。ただ単に何かを忘れたというだけではなくて、そのあとの対応策を講じることで事なきを得ていて、問題がないのがいい。これは、わたしの、忘れっぽさ、の才能だけによるものではなくて、忘れん坊妖怪の仕業というかおかげというか、そういうものなのではないかなあ。なんだかよくわからないけれど、忘れん坊妖怪は、なんとなく、いいやつ、のような気がするな。

おまけ。
「みそちゃん、それ、ぶち得したじゃん」の「ぶち」とは、広島弁で、とても、すごく、たいへん、非常に、などをあらわすときに用いる語彙。
「うっかり」「ぽんすけ」「ドポンスキー」とは、夫がわたしの忘れっぽさや過失具合などを形容するときに用いる言葉で、左から順に出世魚のごとく、うっかりや過失の度合いが増す。今のところ「ドポンスキー」が最上級。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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