みそ文

アクセント自由地帯

私が現在暮らす地方は、「崩壊アクセント」と呼ばれる方言文化を持つ。「アクセント崩壊地域」と呼ぶ場合もある。「崩壊」というと、「ほんとうは崩れないほうがよいにもかかわらず」であるとか、「壊れないようにしたほうがよいのではないか」などというイメージが伴われがちかもしれないけれども、そうじゃないんだよ、という気持ちを込めて、別の呼び方をするならば、「アクセント自由地帯」あるいは「アクセントフリーダムエリア」と言えるのではないかと思う。

語彙のアクセントには、各地方の方言ごとに各地域独特の「規則性」が存在することが多いが、ここではその「規則性」が存在しない。たとえば、「飴」と「雨」、「橋」と「箸」、「熊」と「クマ(目の下にできる)」などのアクセントを特別言い分けることはない。

一応学校教育の中では、日本語使用地帯のうち、わりと多くの地域において、そういうアクセントによる言い分けが存在するんですよ、具体的にはこういう例がありますよ、という趣旨のことは、国語の授業で習うらしい。が、地元の人同士が話すときには、単語は前後の文脈や状況によって殆ど理解できるものであるから、アクセントによる弁別の必要性は低い、と、認識されている様子。

例えば、先日、夫の実家の親戚から、大量の柿が送られてきて、その量が二人家族では途方に暮れる量だったから、私の職場に持参して、同僚たちに持って帰ってもらうことにした。顔を合わせた同僚に、「広島の柿、よかったら、持って帰って食べてください」と伝えるのだが、店長は「ありがとうございます。僕、カキフライ好きなんですよ」と返答してきた。

「店長。牡蠣ではなくて、柿なので、フライにはせずに、そのまま素直に皮を向いて食べるのがいいと思います」
「え。でも、広島の柿といえば、貝の柿が有名ですよね。広島は果物の柿も有名なんですか」
「いいえ。果物の柿は、特別有名ではないです。ふつうだと思います。だから、ふつうの柿だなあ、と思って食べてください」
「そうなんですか。いただきます」

上記の会話中、店長が「柿」と発音しているもののうち、「広島の柿」「貝の柿」の部分の「かき」の意味は「牡蠣」だ。しかし、アクセントは「柿」の「かき」なのだ。

いわゆる「共通語」風に発音する場合、便宜的にドレミの音階を流用するなら、「柿」は「ドミ」、「牡蠣」は「ミド」。「雨」は「ミド」で、「飴」は「ドミ」。「熊」は「ミド」(熊出没のニュース報道では「ドミ」の音階で発音されるが、「クマのプーさん」にならってここでは「ミド」とする)で、「クマ」は「ドミ」。けれど、この近辺では、いちいち「ドミ」と「ミド」を意識して使い分けたりはしない。

いや、一応、私のような「外部から来た人」に対しては、使い分けてあげた方が、会話が円滑なことが多いからね、と意識的無意識的に気を遣って、気がつけば使い分けてみてくれたりもするけれど、地元人同士で話すときには、その使い分けは全く必要ないことであり、それくらいの文脈把握は人間簡単にできるもので、把握が難しいときには確認すれば済むことで、たとえ把握を間違えたとしてもそれはたいした問題じゃなく、「ドミ」だとどっちで「ミド」だとどっちだ、などということにエネルギーを消費するのは、なんというかナンセンスじゃないかしら、というような、おおらかーな、ゆるやかーな、感覚がそこには存在している。

以前の職場で、雨の日に、その日は喉が痛かったか何かで、喉飴をなめながら、窓の外の雨を眺めながら、薬局の窓ふきなどをしていたら、同僚が「どうやらさん、雨が好きなんですか」と訊いてきた。雨好きの私としては、よくぞ訊いてくれたことであるよと少々意気込んで、「そうなんですよ。よくわかりましたね。私、雨が降るのを見るのも、雨が降る音を訊くのも、すごく好きで、雨が降ると、見なくっちゃ、聴かなくちゃ、と思うんです」と応える。すると同僚が「え?」と言うから、私も「え?」と訊き返す。少し考えてから同僚が「どうやらさん、今日、たくさんキャンディを食べているから、好きなのかと思って。好きなのは、キャンディじゃなくてレインなんですか。ああ、なるほど。今みたいな状況はめったにないとは思いますが、こういうときには、アクセントで、雨と雨を言い分けたほうが便利なんですね」と言うから、「それ、雨と雨じゃなくて、雨と飴、です」と一応指摘する。同僚は、「アクセントで言い分けるのは、面倒くさいから、食べるあめ、と、降るあめ、って言い分けますね」と言うが、「食べる」や「降る」を添付するエネルギーを節約するための工夫として、アクセントでの言い分けがあるのではないかと思うのだけど、ま、いいか、本人がラクならそれで、ということにする。

このように発音の規則がないから、雨のことを「あめ(ミド)」と言うこともあれば「あめ(ドミ)」と言うこともある。一人の発話者の中でも、継続して「雨」について話していても、文中のあるところでは「あめ(ミド)」と言い、別のあるところでは「あめ(ドミ)」と言う。ときには「ドド」や「ミミ」のこともある。それでも、意味がほぼ問題なく通じ合い、必要であれば、「ああ、降るほうね」「食べるほうね」と小さな確認を入れるだけ。

なんとおおらかで自由奔放なのだろう。私自身の脳みそは、すでに、アクセントによる語彙の使い分け文化に洗脳されすぎているから、その自由奔放さを真似る力量はないけれど、彼ら彼女らのそのこだわりのなさと鷹揚さに、うっとりする力量なら万全。

たしかに、公に、大勢の人たちを相手にして、瞬時に理解を得るための話法としては、アクセントによる語彙の使い分けを行うほうが便利なことがあるだろう。でもそれは、「便利」なだけであって、「正しい」わけではないのだ。

一応、地元テレビ等のアナウンサーをする人たちは、放送上は、アクセントによる語彙の使い分けをしている。たまに、使い分けが逆になっていたり混同されたりすることもありはするけれど、それを特別誰も気にしないところが、私はけっこう好きだ。

こういう文化の中にいると、どの地方では特定の語彙のアクセントをどこに置いて発音することが多いのね、というような観察や文化比較等を興味を持って愉しむのであればともかく、誰かの発音やアクセントを「正しい」だとか「まちがっている」だとか、そういう観点で捉えることは、ある意味何かに毒されている、と思えてくる。人が話す言葉の発音の細かなことについて、指摘することも言い募ることもなく、必要であれば自分の方が文脈や状況を想像して把握や確認の手間をかける、そんな心意気をごく普通に抱いている、この地方の人々の、豊穣な柔軟さを、私はときどき、全国に布教したくなる。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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