みそ文

やさしそうな夫再び

昨夜の日記を書いた後でいただいたコメントによると、少なくともその方が「やさしそうな旦那さん」という表現を使う場合には、その言葉は、かなり上位の誉め言葉の一種であり、「よい結婚生活を送っているのですね。安心しました。よかった」という喜びの気持ちを表したり、「さすが誰誰さんが選んだ結婚相手だけのことはある」というある種の敬意を込めたり、どちらにしても、その旦那さん自体というよりは奥さんのほうに対してかなりの好意を抱いている場合に出てくるものなのだ、ということであった。

私は、そのつまびらかで鮮やかな日日翻訳ぶりに脱帽し、おおいに感心感嘆する。いつの間に、そんなにいろんな意味が「やさしそうな旦那さん」という語に含まれるようになっていたのかは、相変わらず謎のままではあるけれど、私が自分で辿り着いた日日翻訳「穏やかなイメージの人で、少なくとも自分は好感を覚えましたよ、敵意は感じていませんよ、そしてそういう人の関係者であるあなたに対しても一定以上の好意を抱いていますよ」もあながち間違っていたわけではなく、いただいたコメントの翻訳にかなり近いではないか。私が自力で辿り着いた翻訳は、やや無粋な感じだけれども、こうして別の方の言い回しで説明してもらってみると、なんとも自然で流麗な日本語で、それでいて、たしかに、そのままを言葉にするよりは、「やさしそうな旦那さん」という言い方に含意することで、あからさまさが軽減され、奥ゆかしさが醸し出される効果を感じる。

いやはや、この年になってようやく、こうやって知ることもあるのねえ、そりゃああるよねえ、と、せっせと帽子を脱ぎまくる。せっかくだから、この感動を夫に聞いてもらおうと思い、夫に「ねえねえ、聞いて」と呼びかける。

「どうやらくんの知り合いの人、たとえば、会社の人だとか、普段は直接私のことを知らない人が、私のことをどうやらくんの妻として認識したときに、後で、私の印象に関して、何か言及を受けることがある?」
「別段、ないなあ。なんで?」
「そうか。ないのか。今日さ、どうやらくん、お店に来てくれたじゃん。そのあと、同僚の人たちが、しきりに、旦那さん、すごくやさしそうな人ですね、って言っててね」
「うん、そのとおりじゃん」
「そのとおりはそのとおりだけど、やさしそう、っていうのがもうひとつよくわからなくて、やさしい、はわかるんだけど、やさしそう、っていう印象が、どういうイメージなのかわからなくて、質問したら、むやみやたらに怒らないかんじで、ぎゃんぎゃん言わないかんじ、だって説明してくれちゃったんよ」
「まさにそのとおりじゃん。むやみに怒らんし、ぎゃんぎゃん言わんじゃん」
「言わないよ。でも、それは、私もそうだし、たいていの人がそうでしょ?」
「それは、人間の条件か?」
「そこまでは言わないけど、ある意味人としての基本だとは思ってる、と思う。少なくとも自分にある程度選択肢も選択権もある状態で、むやみやたらに怒る人やぎゃんぎゃん怒鳴る人を結婚相手に選ぶことはないし、親しい交友関係者として付き合うこともないと思うん。何か事情やいきさつの関係で、そういう人と共通の場で過ごす成り行きになったときには、心理的なり物理的なり、何か絶対的な距離を確保して自尊心の保護と育成に努めると思う」
「ふうん」
「でね、もしかすると、やさしそうな旦那さんですね、ていうのは、あなたの配偶者にとりあえず好感を覚えましたよ、少なくとも敵意は抱いていませんよ、そして、あなた自身、あ、今回の場合だったら私のことね、に対しても一定以上の好意を抱いていますよ、って言う意味じゃないかなあ、と思ったの」
「うわ、そこまで持ってくるか」
「うん。ここまでは、自分で翻訳できたところなの。でもね、ここまで翻訳できたのを、みそ文に書いてアップしたらね、コメントをもらってね、その人の説明だと、もっと腑に落ちやすいし、表現も自然なの」
「どんなん?」
「えーとね、その人にとってはね、あ、その人は女性の方なんだけどね、やさしそうな旦那さん、という表現を使うときには、それはかなりランクの高い誉め言葉なんだって」
「誉め言葉か? まあ、誉め言葉か」
「誉め言葉、であると同時に、よい結婚生活をしようてんですね、安心しましたよ、よかった、っていうその人の喜びを表す表現でもあり、さすが誰誰さん、素敵な結婚相手を選んでいらっしゃる、というある種の尊敬を込めたり、それよりもなによりも、その旦那さんのほうよりも奥さん自体に対する大きな好意があるときに出てくる言葉なんだって」
「うわー。そこまで言うか」
「たしかに、私の翻訳よりも、無粋じゃなくて、粋、でしょ? 一定以上の好意、とかいうよりも、日本語として自然でしょ? それにね、私も思ったんだけど、たしかにね、自分が好意を持つなり肯定的に認識していない人に対しては、わざわざその人の配偶者の肯定的印象を伝えたりしないかも、っていう気がする」
「ほほう」
「それにね、この翻訳だと、私が非常に気分がいいから、今度から、誰かが、どうやらくんのことを、やさしそうな旦那さんですね、って言った時には、自動的にこの翻訳を脳内に再生しようと思うん」
「ごっつぁん」
「でも、それにしても、みんな、どこで、こういう含意、言葉にその言葉以外の意味を含ませるっていう意味の含意ね、の技を身につけるんだろうねえ。まあ、私はもともと、言語能力高めの割に、そういう含意技がどちらかというとかなり低い自覚はあるんだけど、どこで習い損ねてるんだろうねえ」
「ああ、なんか、たいへんやなあ」
「え? 誰が? そういう含意表現を日常的に使う人たちのこと?」
「ちがう。Youだよ、you、君、きみ、みそきち」
「え? 私? なんで?」
「一般的には、成長の過程で、自然に身についているそういうものを、他の人はどこで習ったんだろう、とか、自分はどこで習い損ねてるんだろう、と思うあたりが、もう、たいへんじゃん。脳に事情がある人たちは、やさしそうな旦那さん、に限らず、あらゆるところでそういうことが、自動で把握できないことや、手動で理解しなおすことが、いちいちあるんやろうなあ。そういうのは、どこかで習うもんじゃなくて、自然と身につくもんじゃけん」
「じゃあ、どうやらくんも、やさしそうな旦那さん、の意味は知ってたん?」
「それはわからんけど」
「じゃあ、私とおなじじゃん」
「違うよ。男と女は、そういうとっさのときの言い回しや考え方が違うから、男同士では、あんまり聞きなれてないだけで、実際その場面に身を置いたら、わざわざ手動で翻訳しなくても、本意はなんとなく推察できる」
「むう。なんか腑に落ちんけど、まあ、いいよ。私は今回、またひとつ偉くなったけん」
「よかったね」

「やさしそうな旦那さん」という表現が、夫に対する肯定的好感印象にとどまらず、私への肯定的好感心情を表しているのだとしたら、私が昨日思いついた対応「さらりと、ややはにかみながら、それでいてにっこりと、そうですか、ありがとうございます、と言う」は、かなり適切な気がする。もしかすると、「そうかなあ、てへへ」と照れたりするのもいいのかもしれない。

実は私は、誰かが夫に関して「やさしそうな人ですね」と言うたびに、これといって特筆するほど高く肯定的に評価する点を思いつかなくて、苦し紛れ、というのか、あたりさわりなく、というのか、そういうかんじで、肯定的な感想を述べる手段として「やさしそう」という言い回しを使っているのかな、と思うことがあった。あんまりおいしくない食べ物を口にしたときに、「でも、からだには、すごくよさそう」と言ったりすることがあるみたいなかんじで。でも、そうではなくて、世の中では、もっと、いろんな、安心や安堵や好意をこめて「やさしそう」という表現を、もっとやさしい気持ちをこめて、使うものなのかもしれない。

それにしても、夫の配偶者である私に関する印象の言及が、夫側周辺ではなされていない、ということは、私の印象があまり好感や肯定感を伴うものでないということなのか、それとも、夫自体がその人の好感や肯定感の対象となっていないということなのか。あるいは、男性同士の会話では、口の達者なタイプの人でないかぎり、恋人や配偶者や家族に関する印象をあまり語ったりしないもの、ということか。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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