みそ文

扇の要返し(後編)

再び、承前。

今年のお正月だっただろうか。広島の実家に帰省して、家族全員で食事をして、みんなだいたい食べ終えて、少しずつお片づけしましょうか、という頃合いになったとき、姪っ子のみみがーが「わたし、要返しができんのんよ」とおもむろに言う。すかさず妹が「できんのんよ、じゃないじゃろう。練習してできるようになりんさいや」と言うけれど、みみがーとしては、たぶんそんなにできる人が多いわけではないであろう、ちょっと難しいことに挑んでいる自分のがんばりを少しばかり披露してみたいような心情での発話だったのだろうなあ、と、あとになってから思う。

妹が「みみがー。せっかく、みそちゃんも来とるんじゃけん、みそちゃんに要返し教えてもらいんさい。わたしよりわかりやすう説明してくれるかもしれんよ」と言って、別の部屋から扇を数本持ってくる。みみがーは「えー? みそちゃん、要返しできるん?」と訊く。「できるよ。これじゃろ?」と言いながら、扇をくるくるふわふわと回す。

「なんで、みそちゃん、できるん?」
「なんで、いうて、ここの家に住んどった頃は、踊りを習いようたけんじゃ思うよ」
「えー? みそちゃんも踊り習いようたん?」
「そうよ。私だけじゃないよ。みみがーのお父さん(弟)も、おじいちゃん(父)も、おばあちゃん(母)も、ひいばあちゃん(祖母)も、みんなで習いようたんよ」
「じゃあ、おとうさんも要返しできるん?」

ここで弟が「できるに決まっとるじゃんか。ほら」と、くるりくるりふわりふわりと扇を回す。みみがーは「みそちゃんやおとうさんが要返しができるって、わたし、しらんかった」と言う。

妹が「知らんかったことはないじゃろう。何回もその話はしたじゃん」と言うけれど、みみがーは「だって、やぎちゃん(妹)の踊りは見たことあるけど、みそちゃんや、おとうさんや、おじいちゃんやおばあちゃんのは、わたし、見たことないもん」と言う。その後、「おばあちゃんもやってみて」「おじいちゃんもできるん?」と扇を持って近寄っては、誰もが難なくできるごとに、みみがーの顔が不本意げになってくる。

私は「みみがーも、ちょっと、扇、持ってみて。人差し指と中指の間で扇の端の骨のところを挟むんよ。中指と薬指と小指の三本指を並べて、要を抑えるかんじで持って。それから、親指で補助するようにして扇を立てます。そして、指先で扇を回転させながら、同時に手首も使って、扇が踊ってるみたいに、こう、ふわりくるりと、返しながら回す、と。でも、みみがーは、まだ、手が小さいけん、指先だけで扇を支えるのは難しいじゃろ。そういうときには、指の深いところでしっかり挟んで持ってみて。とりあえず扇が回って舞ってるふうに見えればいいんじゃけん。ああ、扇が周りようるなあ、いうかんじで、手と手首全体を動かしてみたらいいよ」と言ってみる。みみがーは一応扇を持ってみるけれど、そこに、習ってできるようになろう、という気概は殆ど感じられない。

そうこうしているうちに、弟と妹と私の、それぞれの要返しの仕方が、微妙に異なることに気づく。私が扇を要返し開始の形で構えて、「ほらほら、しめじ(弟)と私、指の当て方がなんか違うと思わん?」と言うと、弟も別の扇を持って「ほんまじゃのう。なんか違うのう。でも、回してみたらおんなじに見えるで」と言いながらまた回す。「ほうじゃねえ」と言いながら、私もひゅわりひょわりと回す。妹は扇を構えて回してから、「ええんよねえ。同じじゃわいね。それらしゅう見えとりゃあええんじゃけん。ほら。みみがー、あんたも、よう見ておぼえんさいよ」と言う。

そうしながら、弟が「ちょっと、ねえちゃん、聞いてや。ゆな(弟の妻)の何がすごい、いうて、自分は踊るわけじゃないのに、みみがーの踊りの振付を全部頭の中でおぼえとるんじゃ、これが。実際踊るわけじゃないのに、みみがーの練習見ながら、ほらっ、そこっ、ちがうじゃろっ、ぐるっと回って引き足(決めの足の型のひとつ)じゃったよ! いうて言うんじゃ。おまえすごいのう。踊ったことなしに、そこまで言えるいうてすごいのう、思うんじゃ」と言う。

すると妹が「ゆなさんがおぼえてくれすぎたら、みみがーが自分でおぼえんでもお母さんに聞きゃあええ、思うて、おぼえとらんかったりするんじゃけん、ゆなさんじゃなしに、みみがーが、自分でおぼえんにゃあいけんのんよ」と言う。

私が「ゆなさん、そんなにおぼえるの上手なんじゃったら、ゆなさんも踊り習ったらいいのに」と言うと、ゆなさんは「私はいいです。踊りはいいです。子どもらの習いごとの面倒見るので手一杯じゃし」と拒む。

そんな話などしながら、三人で、繰り返し要返しをしているうちに、いつのまにか、みみがーは、すっかりとふてくされていて、「みんなできてずるい」と言いだす。そして「わたしは、おかあさんに教えてもらう」と言う。母であるゆなさんが「おかあさんは、できんじゃん。おかあさんは踊り習うてないんじゃけん。踊りを習いようるのは、みみがーでしょうが。じゃけん、おかあさんはできんでいいけど、あんたはできるようにならんと」と、たいへんにもっともなことを言う。みみがーは「だって、みんなできるのに、わたしだけできんもん。ずるいおもう」と言う。

そこで甥っ子のむむぎーが「おれも、要返し、できんよ。できるの、みんなじゃないじゃん。お母さんもできんじゃろ。おれもできんじゃろ。もっきゅん(妹の夫)も、じめいさん(私の夫)もできんじゃろ。ほら、みんなじゃないじゃん」と言う。弟が「そりゃあ、むむぎーは、踊り習いようらんけんじゃろう。お前も踊り習うか? うりゃ」と、手のひらを、ぐう、にして、むむぎーの頭を両手の拳で挟むみたいにぐりぐりとなでる。むむぎーは、父にかまってもらうのが楽しいぞう、嬉しいぞう、な表情で、「うひゃうひゃうひゃひゃ」と笑いながら、「おれは空手習いようるけんいい。空手のほうがいい」と言う。

妹は「みみがー、あんた、ずるいとか、そういうのは、ちがうじゃろう。みんないっぱい練習したけん、できるようになったんじゃん。みみがーも練習すりゃあええんじゃん」と言う。けれど、みみがーは、正論を聞けば聞くほどに、すねた気持ちになるらしく、いつのまにか居間のソファーの隅っこに、しゃがんでうずくまり始める。

私がみみがーに近付いて、「ねえ。みみがーは、まえはコロなしの自転車に乗れんかったじゃん。でも、今は乗れるじゃろ。どうやったら乗れるようになったかおぼえとる?」と訊いてみる。みみがーは「練習した。いっぱい練習したら乗れるようになった」と言う。「ということは、要返しも、そうじゃと思わん?」「そうかもしれんけど、要返しは、わたし、もっきゅんとじめいさんに教えてもらいたい」と謎の理屈を語りだす。

母(みみがーにとっては祖母)は「だいじょうぶよねえ。大きくなりながら練習すりゃあ、できるようになるようねえ。それに、みみがーは、いったんやる、と決めたことに対する根性はすごいんじゃけん。いったんやる、って決めるまでは、あれこれぐずぐず言うたりするけど、いったん決めたら、みみがーはすごいんじゃけん」と言う。

ゆなさんが「そうよ。みみがーは、やる時はやるよね。でも、みみがー、なんぼやる気になっても、ずっとおかあさんに、付いて見とって、いうのは、あれはやめようやあ。自転車のとき、おかあさん、つらかったわあ。日が暮れても、夕ご飯作って食べようやあ言うても、トレイに行きたくなっても、まだがんばるけん、見とってほしい、言われて、もう明日にしようやあ、練習はちょっとずつコツコツしたほうがええよ、言うても、だめ、まだやる、できるまでやる、できるまで見とって、言うて、あれはおかあさんつらかったわあ」と遠い目をする。

これまで私が見たことのあるみみがーの舞台(録画)では、扇の要返しが必要な演目はまだない。ソファーの隅っこで「要返しは、もっきゅんとじめいさんに教えてもらいたい」と謎の理屈を繰り出していたみみがーが、華麗で軽やかな要返しをふわりくるりと繰り出して舞う演目も、そのほかの演目も、堂々と喜びとともに踊れる大きな女の子になる未来を、私は、きっとかなり真剣に、心待ちにしている。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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