みそ文

だれにもまけない

「なにかひとつだけでいいから、これだけは誰にも負けない、というものを見つけなさい」。どこで誰が言った言葉なのか、全然思い出せないけれど、子どもの頃に、この言葉を聞いた私が感じたことはよく憶えている。『誰にも負けない、って、この地球上の三十八億人(当時地球人口は三十八億人だったのだ)全員と、競い合うのも、その頂点に立つのも、そんなの無理だし、面倒くさいし、いやだよ』。

「誰にも負けない」というのは、そういう意味ではなかったのだな、ということが、今ならばたぶんわかる。「誰にも負けない」というのは、他人と競い合った結果、というよりは、自分自身の鍛錬や修練の結果、自分自身がある程度、じっくりとその何かを行うことも味わうことも可能なレベルに達した状態をいうのだ。

「これだけは」というときの「これ」とは、何かが上手にできることや、何かの役に立つことや、広く知られることや、何らかの形で褒め称えられることをいうのでもなかったのだな、と、今ならば理解できる。だけど、小さかったあの頃は、上手にできて、役に立って、他人から認められて、高得点や好成績を修めることこそが、「誰にも負けない」といえる条件であるかのように思っていた。もちろんそれも、そうであってもよいのだけれど、それだけが目指すところではないことを、今の私は知っている。

だから、私にっての、「これだけは誰にも負けない」ことは、今では、けっこうたくさんある。「これだけ」限定ではなく、たぶん「あれも」「これも」「それも」、私は誰にも負けなあ、と思うことがいろいろある。つまり、ある程度の鍛錬や修練を積んだのかもしれない結果、そうしたくてそうしようと思うときにはそうできて、そうすることにもそうしたことにも喜びに似た感覚を抱く。

けれど、そのことは、私の場合においては、他人と比べるようなことではないから、競い合う方法もなければ、評定する基準もない。他の人よりも自分が、勝っているのか負けているのかは、まったく知りようがない。それでも、こういうことが、「誰にも負けない」ということなのだな、と、思う存分腑に落ちる。

私にとって、「これは」と思っていることのひとつは、「庭を眺めて、じいいん、とすること」。きれいに丁寧に手入れされた庭を目の前にしたときには、ほぼ必ず迷うことなく、しばしその場に身を置いて、庭の姿に目を見張る。自分が手入れをしたわけでもなく、手間や時間をかけたわけでもない。私の知らないところで、私以外の誰かが、極上の技術と上質の冷静さと熱意で整えたのであろう結果を、全身全霊で感じる。

庭の姿の美しさと、そこに在る風と空気の静謐さを、全身全霊で感じる私の、じいいん、とした感動は、きっと誰にも負けない。そのときの、その季節の、その時間帯の、その庭に接しているのは、この星の上に生きる人間の数を思えば、ごくわずかな人数のみだ。同じときにその庭を眺める私以外の人たちの、こころの振動の様子と、比べあうことや競い合うことは、できないししないけれど、それでも私は間違いなく、誰にも負けていない。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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