みそ文

よそはよそ、うちはうち

「みんながいうもん」と主張する小さな妹に対して、私も弟も、「みんな、じゃない」と言っていたのは、父と母からたびたび、「よそはよそ、うちはうち」という教育を仕込まれていた影響が大きいのかもしれないと、昨夜から考え続けている。

何かをしてはいけないとき、あるいは、何かをしたほうがよいとき、両親は、殆どの場合、「みんなしてないことなんだから」とも、「みんなそうしているのだから」とも、言わなかったように記憶している。そのときに説明可能な理由であれば、どうしてそれをしてはならないのか、なぜそれをしたほうがよいのか、子どもにもわかるような理屈で説明してくれていたし、説明が難しいことであれば、「大きくなって自分で考えてわかるようになるまでは言うとおりにしておきなさい」と言われていたように思う。

その教えは、子どもごころにも、まっとうに思えたし、他人や他家と比較して不満や不安を感じない生活習慣は、慣れれば実に快適で、私や弟や妹の基本思考として、十分に定着した。そして大きくなった現在でも、その習慣や思考は、やはり私たちきょうだいの、基本の一部のままであるような気がしている。

「よそはよそ、うちはうち」の教育が定着した子どもたちにとっては、他人や他家と比較して不満や不安も感じないことは既に自然なことだった。けれど同時に、「よそはよそ、うちはうち」だから、自分や自分ちが他人や他家より何かが恵まれているとしても、そのことにひどく安心もしなければ、大袈裟に喜びもしないことも、それなりに自然だった。特に私は、三人きょうだいの中で、一番長く、親からの教育を受けてきた身であればこそ、その教育は深く行き届いていたし、一度こうだと思い込んだことはなかなか変更の融通が利きにくい傾向も手伝って、「よそはよそ、うちはうち」教の教祖になれそうなくらいに、その点は徹底していた。

けれど、両親にとっては、たまに親として少し奮発して、上等なものや珍しいものを、食卓や家庭や各子どもに供したならば、子どもたちには、もっと派手に、にぎやかに、喜びを表現してほしかったのだろうなあ、と、今ならば想像できる。だけどあまりにも、「よそはよそ、うちはうち」の教育が行き届いていたため、子どもとしては、嬉しいなあとじんわりと喜んだり、ありがたいなあと地味に感謝はしても、よその誰かやどこかに比べて、いい思いをしているのだからと、優越感や大きな喜びを持つことも、その喜びと感謝を大きく表現することも、あんまり思いつかなくなっていた。それが普通だと思っているわけではないけれど、ことさらに恵まれていることに気づくには、やはりある程度の比較観察も、その研究を伴った成長も、必要なのだろうと思う。その比較観察さえ日常から手放した姿は、それはそれで、「よそはよそ、うちはうち」教の信者としては、かなり敬虔で信仰深いと言えるだろうし、両親の教育も大成功の部類と言えるだろう。

そんな子どもたちを見て、父が、なんとなく残念そうに、あるいは、やるかたなさそうに、「よその家では、こんなふうな贅沢は、そんなにできることじゃないんで。おまえらは、もっと、ありがたいと思わんにゃあいけんじゃろう」と言うことが、ときどき、あった。そのたびに、私は、父の言葉の真意を測りかね、内心やや混乱していた。「よそはよそ」で「うちはうち」ならば、こんなふうな贅沢も、「うちはうち」で「よそはよそ」だろうと、子どもとしては思うのだ。

そもそも、それが「贅沢」なのかどうかさえ、人生経験の浅い子どもには、たいしてわかりはしないのだ。自分のおかれた境遇が、「贅沢」に類するものなのか、「恵まれた境遇」のひとつなのか、判断できるようになるには、ある程度以上大人になることと、ある程度は「よそ」と「うち」を常時比較することが、たぶん、おそらく、必要だ。家庭と学校とほんの少しのその他だけが、殆ど全ての世界の中の小さな人間にとっては、目の前にある現実が、常に、ある種の標準で、比較を手放せば手放すほど、その標準はさらに標準度を増す。

我が家ではいつだって、「よそはよそ、うちはうち」のはずなのに、なにゆえ、たまに、こういうことに関しては、よそと比べろと言うのだろう、よそと比べてその豊かさを喜んだりありがたがったりするべきだと言うのだろうか、と、私は本気で不思議に思った。ありがたいし嬉しいけれど、そのありがたさやうれしさを、「よそと比べて」高位にあるか低位にあるかを判断したりすることは、「よそはよそ、うちはうち」教の教義においては、ありえないことだったのだ。

それでも、大人になった今ならば、なんとなく、私もわかる。おそらく、あの頃の父、今の私よりももっと若かった父にとっては、父として、たくさん働いていることや、稼いだものを家族に還元することに関して、もっと、なんというのだろうか、家族から、賞賛に類するエネルギーのようなものを浴びる必要があったのだろうと思う。子どもであっても、大人であっても、自分に関する肯定感は、どんなときにも必要なもので、それは自分の在り方によっても、自分以外の誰かの言動によっても、補強されたり、削がれたりする。私たちきょうだいが、もっと派手に興奮して、「うわあ、とうちゃん、やったー、ありがとう!」と声高に喜べば、当時の父の中の何かは、もしかすると、もう少し豊かに、満たされたのかもしれない。

子どもを育てるということは、なんと、加減の難しいことだろうか、と、このことを思い出すたびに、一人で勝手に考え込む。「よそはよそ、うちはうち」でありつつも、うれしいことやありがたいことに、十分以上の喜びや感謝を「表現する」力を養うには、どんなふうにしたらいいのだろう。他人や他家と比べて、卑屈になることも不満をつのらせることもなく、傲慢になることも優越感に溺れることもない、絶妙に健全な加減で。自分や自分の周りの人に対する肯定感を自然に、かつ、十分以上に表現するには、どんなふうな教育を、自分にも子々孫々にも、心がけたらよいのだろう。

当時のことを思い返して、不遜にも、なんとなく私が思うのは、私たち子どもの喜び具合や興奮がそれほど派手でなかったのは、私の両親の私たちきょうだいに対する肯定の「表現」も、それほど派手でもなく、興奮も伴っていなかったことが関係しているのではないのだろうか、ということだ。両親ともに、私たちきょうだいに関しては、常に肯定的ではあったけれど、賞賛的だったかというと、それほどそういうわけではなかったような気がするのだ。いや、賞賛は十分にしてくれたのかもしれないけれど、それが賞賛であることに、受け手(私)が気づかないほどに、表現がフラットでナチュラルで、事実の伝達か何かのように感じていたような気もする。

ああ、それでなのか、と、気がついたことがある。私が誰かに何かを言ったり伝えたりしたときに、その人が「褒めてくれてありがとう」という種類の反応を表してくれると、私は、「いやいや、私は、別に褒めたつもりではなくて、そうである事実と感想を述べただけ」だと、思ったり言ったりするのは、そういう生育環境と感受性の個人的事情が関係しているのかもしれない。

「褒める」ということは、相手や相手の関係者に関する肯定的な事実内容を、「相手が喜ぶように」と少し意識して表現することらしいことに、最近私は気がついた。「賞賛」も、もしかすると、ただの「肯定大会」ではなく、その賞賛の受け手が喜ぶように意識して表現してこそ「賞賛」となるのだとしたら、私は少し意識改革を行わなくてはならない。

ところで、子どもに対しても、親に対しても、その他家族に対しても、自分に対しても、大切な他人に対しても、「賞賛する」ことを習慣化したいと思うときには、どうすればいいのだろう。私が受けた「よそはよそ、うちはうち」の教育と同等かそれ以上に、繰り返し繰り返し、家庭内でも自分ひとりでも、「賞賛」の実践を行うことは、とりあえず必須だろう。ラテン的な熱さもなく、感情表現地味めの文化で暮らす私たちにとっては、自分も含めて誰かの喜びを意図して狙った表現を行うことには、少々力を要することもあるだろうし、多少困難も伴うのだろうけれど。そうであるとしてもなお。

「よそはよそ、うちはうち」を、ちょうどよく、そして、より高度に、実践しつつ、自分に関しても、家族に関しても、友人知人に関しても、常時自然に、喜びと感謝を十分以上に表現し、賞賛を行う文化に至り、その文化に天下を取らせる(一定以上の多数の人が、その文化を受け容れて実践する)ことは、私にとっては、望みでもあると同時に、きっと必要なことなのだ。だから、今からでも、そうする。できる範囲で、気づく範囲で、縁(えにし)に恵まれた範囲で。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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