みそ文

みんな、じゃない

小さい頃、妹が、何かをねだったり主張したりするときに、「だって、みんな、持っとるもん」「学校のみんなが、そう言いようるもん」という言い方での理由付けをよくしていた。

そのたびに、私が、「みんなって、誰と誰と誰?」と問い返す。それに対して妹が、「だれちゃんと、だれくんと、だれさんの、みんなが、そういうて、言いようた」と言う。すると今度は、弟が、「それは、みんな、じゃないじゃろう。みんな、いうんは、クラスの人全員なのが確認できてからじゃ。そうじゃないんなら、みんな、じゃない」と言う。

妹は、「ひーん。でも、みんなじゃもん。ひとりひとり全員に聞いてなくても、みんなそう思いようると思うもん」と半泣きになる。「やぎ(妹)が勝手に、みんながそう思うとる、いうて思うとっても、実際にみんながそう思いようるかどうかは、それぞれの人に聞いて、たしかめてみんとわからんじゃろ。クラス二十五人中三人しか確認できてないんじゃったら、みんな、いうのは、言わんほうがええよ」と私が畳み掛ける。

妹は、「でも、だれちゃんと、だれくんと、だれさんの、三人の中では、みんなじゃもん」と断言したのち、「うわーん。かあちゃーん。ねえちゃんとにいちゃんが、やぎ(妹)がわりい、っていうー」と、母に泣きつく。けれど、母は、「何を言いようるんね。誰も、あんたが悪いなんて言うてないでしょうが。よう調べもせんと、みんなが言うとる、やら、みんなが思いようる、やら、言うけんでしょうが」と、面白そうに応える。

毎回そういうやり取りをするにもかかわらず、妹は、不屈の闘志の持ち主なのか、それとも忘れっぽいだけなのか、何かにつけては「みんなが」という言い回しを、折々に使い続けた。そして、そのたびに、私と弟からのツッコミを全身に浴びては半泣きになる、ということを繰り返す根気のよい人だった。けれど、気がついたときには、妹は大きくなり、いつのまにか、「みんなが」という言い回しや理由付けはしない人になっていた。

そして、今では妹は、姪っ子(弟の子)が何かを主張したいときに、「だって、みんなが、そういうて、言いようるもん」というような類のことを少しでも言おうものなら、「ちょっと、みみ(姪っ子の名)、みんないうて、誰と誰のことなんね。言うてみんさい」「そこにおった人全員がそう言うたのをちゃんと確認したわけじゃないんじゃったら、みんな、いうて、言いんさんな。みんな、じゃないじゃろ」と、ぴしゃりと、厳しく言い渡す叔母として活躍中だ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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