みそ文

雪の願いと安寧と

正月に実家で母が、どういう話の流れでだったのか、「うちの子たち(私弟妹)は、小さい頃、広島から島根に里帰りする途中の峠の雪深いところあたりを車で通るたびに、なんでこのへんの子に生んでくれんかったんか、こんなに雪がいっぱいあるところの子どもに生まれたかった、って文句を言いようたよねえ」という思い出話を語り始めた。そういえば、そんなことを、言った記憶があるようなないような。その記憶があってもなくても、幼少の頃の私は、いつでも雪が大好きで、待ち焦がれていたのはたしかだ。雪がいっぱいあるところに住みたい、雪の降る様を飽きるほど見たい、雪景色を満喫したい、思う存分雪と戯れたい、と、何度も何度も強く思ったし、何度も何度もその思いを、いろんな表現で口にした。そうして、その夢は叶った。三十代も半ばになってから、北陸暮らしを始める、という形で。幼い頃に願い始めてから、おおよそ三十年以上の時を経て。

雪の夢が叶った現在は、何を願っているかというと、雪かきや雪道運転のためにエネルギーを使わなくてもよい暮らし。そのためならば、居住地周辺限定の地球温暖化だって腹黒く目論むし、冬将軍との交渉の手間も惜しまない。

母には、「うん。おかげさまで、当時の夢は叶ったよ。もう雪はおなかいっぱいです、雪かきも雪道運転も一生しなくても一切の心残りはありません、っていうくらい。強く強く願ったことは叶うんだなあ、というのはわかったけど、何かを強く願うときには、時期とかタイミングなんかを、より具体的にイメージしとかんと、こういうかんじになるんじゃねえ、というのがよくわかったよ」と話す。弟は「ねえちゃん、よかったよのう。雪、好きじゃったんじゃろ。わしら(弟と妹)の分の雪も、ねえちゃんにやるけん。ありがたいじゃろ」と言い、妹は「まあ、ねえちゃんのところに遊びに行くなら、ぬくいときじゃね」と言う。

雪が降ることを、積もることを、あんなに心待ちにしていた、かつての自分のことを思うと、今の自分はずいぶんと、素直さや純粋さのようなものが欠損したような気分になったり、それを残念なことのように感じるような気がしてきそうになったりする。テレビドラマの中で雪が降り、登場人物たちが「わあ、雪!」と感嘆したり喜んだりする姿を見ると、「けっ。どうせ雪下ろしや雪かきや雪道運転のことなんて全然なんにも考えてないんじゃろ!」と、まずいったん毒づいてから、その後、私の脳内道場で、登場人物たちを、男子も女子も次々と、背負い投げては床に叩きつけ、連続で何本も「一本(柔道用語の)」を決める。けれども、今夜みたいに、普段は降雪や積雪が少ない地域に住む人たちが、雪に対して、どちらかというと、わりとかなり好意的に肯定的に受けとめている様子や姿を垣間見たときに、「よかったねえ、せっかくなら満喫してね」と感じたり思ったりしている私は、素直さも純粋さも、必要十分十二分、これくらいあれば人として全然問題ないじゃん、というふうに思えてきて、安堵したり安心したり。そして、そもそも、人の素直さや純粋さというものは、そういうところ(雪に対する感情など)で測るものじゃないじゃろ、という当たり前のことに気づいたり。私の願いは叶うときにはちゃんと叶い、雪も降りたいときに降りたいところに降り、私の素直さも純粋さもどうこういうほどの問題もなく、とりあえずだいたいのことが安寧でよかったよね、と腕を組みながら頷く夜。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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