みそ文

仮病とお粥

 おととしの年末、私はやさぐれていた。やさぐれたまま高速道路を運転し、夫の実家へと向かう。助手席の夫に、私がやさぐれている理由と事情の要点は伝えてある。

 年末の仕事を終えて帰宅した私に、友人からの電話がかかってきた。
 秋頃から次第にひどくなった腰痛に関して、詳しい検査を受けた結果を知らせてきてくれたのだ。
「結論から言えば、愉快な結果ではなかった。」と、友人は、まず、ことわりを入れる。そして、「やはり再発していた。」「余命は半年とドクターは言ったけど、実際は三ヶ月だろうと思えるかなり厳しい状況だ。」「今後の方向性については、これから夫と相談する。」と簡潔に説明してくれた。
 私は「わかった。私がしてもいいことがあるならするから。」と伝える。
「それなら」と、友人は、「他の皆に伝えるかどうか、伝えるとしたらどう伝えるか、を、みそさんに任せたい。」と言う。「自分の今後の身の振り方と、実家の家族たちにどう伝えるかを、考えるので精一杯やけん。」と。

 「他の皆」というのは、大学の寮で知り合って以来、ずっと仲良くつきあっている共通の親しい友人たちのことだ。
「わかった。考えてみる。任せて。」と、静かに、でも、たしかに、請合う。電話口では二人とももう、嗚咽で、声が出ない。
 それでも友人は気丈に「難しいことを頼んでごめんね、じゃなくて、ありがとう。気をつけて広島に帰ってね。」と、私を気遣う言葉を紡ぐ。「ごめんね、じゃなくて、ありがとう。」は、私が彼女に対して発布している「ごめんね禁止令」を遵守してくれてのことだ。
 そして彼女は、「じゃあね。」と電話を切った。

 電話を終えた私は夫に、彼女のがんが再発したことと、がんセンターの診断ではあと半年と言われたらしいこと、を、さくっと、淡々と、伝えた。

 それから、帰省の荷造りをしながらも、お風呂に入りながらも、翌日高速道路を運転しながらも、私は、延々と、「いったいどうすればいいのだ。」と、ぐるぐるぐるぐる考えていた。
 目の前にある現実が存在していることは知ってても、理解はできていないというのか、その現実を認識することを全身が拒否しているような、まったくもって愉快ではない、非常に混乱した状態だ。夫の実家に近づく頃には、混乱度合いはさらに高まる。
 私は夫に、「私、風邪を引いたことにして寝込むから。悪いけど、おとうさんとおかあさんがあんまり心配しないように、適当に話しといて。」と頼む。

 夫の実家に到着して、ただいまかえりました、の挨拶をすませるなり、「ごめんなさい。私ちょっと風邪ひいたみたいなんで、このまま布団に横になりますね。」と伝えて、夫と私用に供される部屋にひきこもる。
 義母は、「ありゃあ。みそさん、かわいそうに。こっちに帰ってきて寒かったんじゃろう。遠くから運転してきたけん疲れたんじゃろう。寝んさい。寝んさい。」と、こころよく、私の寝込みを応援してくれる。

 自室にひきこもった私は、現状認識を拒む自分の気持ちを汲み取る作業に励む。
 できることならゆっくりと、汲み取ってやりたいところだけれども、時間はあまりないのだ。
 急がなくてもいいし、焦ってはならないけれど、先延ばしにはできない、そういう状況にあることだけは、ちゃんと認識していた。
 とにかく、とりあえず、感じることは感じつつ、それとはまた別に、するべきことを考えよう。

 夫の実家は山に囲まれた田舎だ。冬の乾燥した空気越しに見える夜空はいつも澄んでいて、星の明かりも月の光も存分に浴び放題だ。
 布団の中で煮詰まると、部屋のサッシを開け放ち、自分の頭を外に出す。
 頭を半分だけ外に出し寝転んで、天の川を見上げる。それからふうっと目を閉じて、じいっと静かに夜を浴びる。腕を伸ばし、手のひらを開き、宙に漂うあらゆる力を、我が身に引き寄せる。自分の中にある迷いや不本意や不都合や不愉快を、いったん天に預ける。
 十二分にそうしてから、再び布団にひきこもる。

 ひきつづき、ぐずぐずと、絶賛ひきこもり仮病嘘寝大会に勤しんでいたら、部屋の扉を、こつこつと、ノックする音が聞こえる。
 ノックと同時に、義母の、「みそさん。お粥さん作ったら食べれそうな?」という、控えめで柔らかい声が聞こえる。
 私は、お布団から這い出て、部屋の内側から扉を開ける。
 義母は、今度は、「みそさん。お粥さん作ってあげようか。お粥さんなら食べられるかもしれんよ。」と、言い方を変えて、同じ情報を伝えてくれる。
「はい。いただきます。」と、こくこくと頷きなら、私はしゃがんだまま、義母を見上げて応える。
 義母は、「そうね。よかった。じゃあ、できたら、また呼びにきてあげるけん。もうちいと寝ときんさい(もう少し寝ていなさい)。」と、言いながら扉を閉める。

 それからしばらくの間、私は今度は、嘘寝ではなく、本当にすこっと眠った。
 そして目が覚めたときには、けっして爽やかではないけれど、ほんのちょびっと少しだけ、自分の中の何かが、火打石を打ち始めていた。
 ごそごそと布団から抜け出し、真冬でも開けて眠る窓をさらに大きく広く開けて、息をしっかりと吐き出す。そして、冬の空気を、ゆっくり、ゆっくりと、全身の細胞のひとつひとつの隅々にまで、届くように吸い込む。
 ドアがこつこつと鳴って、義母の声が聞こえる。
「みそさん。お粥さんできたよ。持ってきてあげようか? それともむこうのコタツ(夫の実家では食卓でもある)で食べる?」
「あ。はい。ありがとうございます。コタツに行きます。」

 居間のコタツには、お椀についだお粥と箸と、梅干と塩昆布が、小さくまとめて置いてある。
「梅は体にええんよ。食べられるんじゃったら、食べんさい。」と義母が促してくれる。
「いただきます。おかあさん、塩昆布ももらいますね。」と手を合わせる。梅干ひとつと塩昆布少しを、お粥にのせる。
 ふうふう、と、少し冷ましつつ、お粥を口へと運ぶ。
 おいしい。内臓が、ゆっくりと、温かくなる。だいじょうぶだ。おいしいと思える、ということは、私はだいじょうぶだ。
「おかあさん。おいしいです。」と言う私に、義母は、「そうね。そりゃあ、よかった。まだあるけん、おかわりしたらええけん。お粥さん食べて、またゆっくり寝たらええけん。」と返してくれる。

 そして、私は、「おかあさん。私、この鍋のお粥、一人で全部食べていいですか。」と、質問ではなく、意思表明をして、鍋のお粥を次々食べる。
 義母は、「ありゃあ。よかったわあ。食べんさい、食べんさい。それだけ食べられるんじゃったら、風邪もすぐに治るわ。食べたら、そのまま置いといたらええけん。私があとで洗うけん。みそさんは、またすぐ横になりんさい。」と、うれしそうに言ってくれる。

 仮病なのに、おかあさん、ごめんなさい、おかあさん、ありがとう、と、心の中で手を合わせる。
 はぐはぐ、がっしがっし、と、お粥をたいらげる頃には、自分の中の火打石が、かなり高速で、力強く、打ち始めているのがわかる。
 だいじょうぶだ。私はだいじょうぶだ。ちゃんと考えることができる。みんなにも伝えられる。みんなにきちんと伝えよう。

 今度は心の中ではなく、実際に手を合わせる。おかあさん、ごちそうさまでした。ほんとうにおいしかったです。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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