みそ文

皮膚の治癒力

 長野県野沢温泉に逗留中の涼しい夜。数日前の仕事中に、紙箱と対決して、名誉の負傷を負った手指が、またたくまに治ってゆく。野沢のお湯の治癒力にしみじみと感心しつつ、あのときの弟を、ここに連れてきてやりたいなあと、思い出したことがある。

 保育園からの帰り道、弟と二人、手をつないで歩く。空色のスモックを着て、黄色い帽子をかぶって。
 私たちが住む集落の入り口は、道が三叉路になっていて、ときどき母がそこまで、出迎えに来てくれる。母の姿が見えると、弟も私も、駆けてゆきたい衝動にかられる。だから母の姿が見えると、二人とも「あ、おかあちゃんじゃ!」と叫んで走り出す。
 急がなくても、そこに母はいるのに。駆け寄って、飛びついて、保育園での今日のおやつが何だったのか、どんな絵を描いたのか、あれもこれも話さなくては、という意気込みに突き動かされる。

 その風景も、そのときの気持ちも、私はとてもよくおぼえている。だけど、弟はさらにもっとよくおぼえている。
 彼の記憶によれば、母の姿が見えて走り出すときに、私が弟の手を離さず、手をつないだままだったと言うのだ。そのおかげで、年齢が三才ちがうため、当時は私に比べると、ずいぶんと体の小さな弟は、私と同じ速さで走ることなどできなくて、足がもつれて倒れたまま、私に引きずられたのだという。

「それなのに、ねえちゃんは、わしを引きずったまんまで、ずっと走り続けるんじゃけん。わしはねえちゃんに引きずられたまま、ひざが道路でこすれて、すりむけて、血が出て、ずるずるになったんで。わしはわしで走るけん、手を離してくれりゃあええのに。ねえちゃんは手を離さんと、しかもわしが倒れとることに全然気づかず走りつづけるんじゃけん。ひどいじゃろ。ひどすぎると思わんか?」

 それはひどいよ。あんまりだ。でも、本当に、ねえちゃんは、そんなこと全然おぼえとらんのんよ(おぼえていないのよ)。
 弟が誘拐されたら嫌だから、おうちに帰るまでは絶対に、手を離したらいけんと思っていたんじゃないかな。それにきっと、そのあとの処置もずいぶんとよかったんじゃろうね。ひざの傷も今見たら、もう全然わからないし。とりあえず、まあ無事に、こんなに大きくなったしね。本当によかったよ。

 ここの温泉に入るとね、すぐに怪我が治るんだよ。今度は一緒に、野沢温泉に来ようね、と、小さな弟の膝小僧を思い出す。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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