みそ文

池にふりむく

 穏やかな日差しの日。父と弟と一緒に、釣りに出かける。私は五歳くらい。弟は三歳くらい。祖母と母と、まだ赤ちゃんの妹は、お留守番だ。
 家から歩いて、大人なら五分強くらい、子どもの足だと十五分くらいのところに、その池はある。
 当時「釣りに行く」ということは、この池に行くことを意味していた。釣りに出かける前には、畑でミミズを捕まえておく。池に着いたら、父が釣り針に、そのミミズをつけてくれる。エサ(ミミズ)をつけた釣竿を持って、池の縁の土手に腰掛ける。釣り針を、池の中の少し遠くに沈める。水面には、浮(ウキ)が浮く。ときどき鮒が糸を引く。浮がぴょこぴょこと上下に動く。釣れるのは鮒ばかり。釣れた鮒は、池の水を入れたバケツの中で泳がせる。バケツの中で泳ぐ鮒を、弟と二人でしゃがんで眺める。池の水の匂いと、鮒独特の魚のにおいを感じながら、鮒の体を指先で触って、ぬるぬるしていることを確かめる。帰るときには、水も鮒も、池に返す。

 父は釣竿を垂らしてじっと座っていることがそんなに苦痛じゃないようで、むしろなんだか、少しのどかで楽しそうだ。けれども、弟と私は、座って釣竿を持ってみたり、釣竿を父に手渡して、草むらの草や虫に見入ってみたり、草笛を吹いてみたり、かわいい石やカッコイイ石を拾ってみたり、立ったりしゃがんだり、あんまりじっとしていない。

 私が立って何かしている、そのときに、弟の「おねえちゃん、こっちむいて。」という声が、背後から聞こえる。それは弟の「作戦」で、弟は、私が「なあに?」と振り向いたら、私のほっぺに弟の人差し指が食い込むように、いたずらするつもりでいたのだ。人差し指を突き出して、構えていた弟。だけど、私が実際に、「ん? なんなん? しめじ。」と、ぐるんと、振り向いたそのとき。私が振り向いたその勢いと、私のほっぺたの力に押されて、弟は、私の頬を指差した姿勢のまま、背中側に倒れる。背中側の池の中に。ばっちゃーん。水しぶきが飛び散る。弟は水の中から天を見る。私を指差した人差し指を、水面から天に向けて突き出して。

 すぐに父が、弟の腕と洋服をつかんで、池から引き上げる。全身びっしょり濡れた弟は、「おねえちゃんがー、おねえちゃんがー。」と泣き叫ぶ。父は「おねえちゃんがー、じゃないじゃろう。しめじがみそにちょっかい出しょうたじゃろうが。」と弟に言い、弟は「でもー、おねーちゃんがー、おねーちゃんがー。」と泣き続ける。

 ええと、ええと、この場合、私は悪くはないはずだけど、なんだかとても悲しい気持ちだ。今にして思えば、あれは「過失の悲しさ」だろうか。それとも「事故の悲しさ」だろうか。父がすぐそばにいてくれて、すぐに助けてくれたから、大丈夫だったけど、もしも、弟と二人きりで、こんなことになっていたら、私の力では、きっと助けることができない。溺れてゆく弟を、どうすることもできなくて、もしもあのまま池におぼれて、弟が死んでしまったりしていたら、もっともっと悲しくて、大きくなるまで、大きくなっても、自分が死ぬまできっとずっと、悲しかったにちがいない。そうやって、目の前の小さな悲しい気持ちが、勝手に、やみくもに、際限なく、巨大化する。

「うわーん。うわーん。」
「うわ。なんで、みそまで泣くんな。」
「おねーちゃんがー、おねーちゃんがー、うわーん、うわーん。」弟はずぶぬれのまま泣き続ける。
「二人とも、泣かんでええけん。帰るで。帰って着替えんにゃあの。」

 父は釣り道具を片付けて、弟と私の手を引いて、家に帰る。五右衛門風呂に水をためて、薪をくべてお湯が沸くのを待つ。それからやっと、お風呂に入る。
 五右衛門風呂の底は熱くて、そのままでは入れない。風呂底サイズの丸いスノコに乗って、それを沈めて入るのだけど、幼児の体重では思うように沈まない。父が先に入って、スノコをうまい具合に沈めてくれる。そこに、父の膝に乗るような形で、弟と私が湯船に入る。

 お湯で体が温まると、悲しい気持ちもやわらぐ。弟が、だいじょうぶで、よかった。今度、また、弟や、今はまだ小さな赤ちゃんの妹が、大きくなってもっと上手に喋るようになって、「おねえちゃん、こっち見て。」と言ったときには、もっとゆっくりと振り向くことにしよう。それだけは気をつけよう。悲しいのはイヤだし、もっと悲しいのはもっとイヤだ。小さな私は、お風呂の中で、決意する。記憶の中の映像は、そこまでで途切れている。

 とにかく、「振り向く時はゆっくりと」、そう決意したはずで、その決意と実行の甲斐あって、順調に安全に、私も弟も妹も、大きくなったと思っていた。
 それなのに、大学生のとき、ポニーテールのような髪型の私が振り向くと、ともに実験している同級生や研究室の先輩が、「ひょえー」「痛いー」と叫ぶことがあった。私が「え? 何がどうして痛いの?」と問うと、彼らはその都度、「みそさんの髪の毛が、振り向いたときの勢いで、鞭みたいになって、ぺしーん、ぱしーんって、ほっぺたをたたくねん。」と説明してくれる。
 髪の毛が鞭になるほどの勢いで振り向いていただなんて。あんなに、あれほど、ぜったいに、ゆっくりと振り向こうと、決意していたはずなのに。これでは、またもや「過失」だし、今度は明らかな「加害」ではないか。振り向く、という行動は、自分が思う以上に、もっともっとゆっくりと、するべきものなのか。

 教訓。振り向く時は、スローモーションを意識する。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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