みそ文

先の見えない安心

 十代の後半や二十代前半のあの頃、体も心も若くて、ぴちぴち、というよりは、何かをもてあますほどに、たぶん、体も頭も、すべてが、むちむち、としていて、そのもてあます何かを、消費して吐き出すかのように、ああ、そうだ、小さな子どもが意味もなく、走り回ってひたすらにエネルギー放出するみたいに、あの頃の私達は、しょっちゅうどこかに集まっては、夜遅くまで、食べたり飲んだり、喋ったり笑ったり、何かで落ち込んでみたり、びーびーと泣いてみたり、誰かの誕生日が近いといっては、手料理を持ち寄って、誕生日パーティーを行い、誰かの誕生日だといっては、また料理を持ち寄って、再びお祝いパーティーを開き、何もなければ、ただそれぞれが住む部屋に互いに遊びに訪れて、食べて飲んで、喋って笑って、そして眠くなったなら、昏々と眠リ続けて、英気を養い、目を覚まし、また食べて飲んで、喋って笑う。

 あの頃の私達は、あの頃の出来事とそれに伴う感情で、殆どの時間手一杯で、二十数年後の今のことも、その前のことも後のことも、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、それでも多少はいろいろと想像して、それなりに覚悟する部分があったとしても、それはあくまでも、たくさんある可能性をただ、あんなこともあるかもしれない、こんなこともあるかもしれない、と、たぶんそれなりになんとなく、いろいろ思っていただけで、むしろ期待を抱いて、楽しみにしていたはずで、具体的に、こんなふうに、現実を生きてゆくことを、嗚咽こみ上げる思いを抱えてそれでも日常を生きることを、抱えきれるとは思えない悲しみや苦しみをそれでも抱えるしかないことを、そのことにただひたすらに呆然とすることを、ままならぬことに遭遇して脳を絞り続けることを、それでも呼吸を整えて、お腹に力を蓄えて、日常を整えて、日々を味わい、丁寧に生きてゆくことを、あの頃の私達は、そんなことは、いつだって、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、おそらくかなりほとんどの時間を、心の底から安心して、日々を重ねていたようにおもう。
 そうやって、心底安心した上で、食べたり飲んだり、喋ったり笑ったりを、飽くことなく、繰り返し、重ねていたようにおもう。

 あの頃の私達が、未来にある悲しみや苦しみを、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、安心して生きていた、そのことをただひたすらに、いとおしく、ありがたく、腕の中に引き寄せて、柔らかく、力強く、抱きしめる。
 あの頃の、そしていくつもの、安心を重ねた時間があるから、あの頃の、そしていくつもの、思い出の蓄積があるから、おぼえることなく忘れ去った数多くの出来事の蓄積があるから、その後の、現在(いま)の、これからの、あらゆることを、いろんなことを、それがたとえつらくても、それがたとえ苦しくても、それがたとえ悲しくても、それでも丁寧に向き合って、ひとつひとつ感じて、思って、考えて、選んで、動いて、したいことと、するべきことを、重ねて、歩んでゆける。

 あの頃の私達に、「先(未来)」のことは、いつだって、何ひとつ、見えていなかったけれども、そしてそれは、今だって、いつだって、見えることはないけれど、きっとあの頃の私達は、「先(未来)が見えない」からこそ、いつも心底安心して、あんなふうに、泣いたり笑ったりすることができたのだ。

 「不安」というものは、先が見えても、見えなくても、生じる時には生じるし、感じるときには感じるもので、その不安の真の理由が、まだ明確に、つまびらかになっていないとき、まだ明確に、つまびらかにしようとしていないとき、まだ具体的な対策にとりかかってはいないとき、具体的な対策のための力を蓄えている時、一時的に、便宜的に、とりあえず、今手元に既にある「不安」の「原因理由」として「先が見えない」ということを、目の前にあげてみて、それが理由だと、だから不安なのだと、そんな気分になっておく、あるいは、「こんなに大丈夫な未来がたしかにここにありますよ」と、誰かに、何かに、保証して、保障して、補償してほしい気持ちが、「先の見えない不安」という表現を紡ぎ出す、そういうものなのかもしれない。

 でもほんとうは、いつだって、「先」は「見えない」からこそ、安心していられるのだ。安心だとか、不安だとか、そういうことを意識しないくらいに、心の底から安心して、食べて飲んで、喋って笑って、あの頃の私達が、いつもそうしていたことに、ずっとそうできていたことに、迷わずそうしてくれていたことに、泣き出しそうないとおしさと、息が止まりそうなありがたさが、とめどなく溢れ続ける。
 だから今も、これからも、「先の見えない」そのことに、安心して、感謝して、いつか必ずおとずれる、自らの死のときを、しかと迎えるそのときまでを、丁寧に、丁寧に、食べて飲んで、喋って笑って、生きてゆく。決意。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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