みそ文

心意気を携えて

裁判員制度というものは、たいていの人は審査面接で不合格(?)になるシステムなのに、どうして世の中の論調は、どうやって拒もうか、選ばれたらどうしようか、をそんなに心配するんだろう。そう簡単には適任者として選ばれないと思うのだけど。心配する「プレイ」なのかな、と思いそうになるけど、本当のところはどうなんだろう。

どちらにしても、どんな形にせよ、裁判員制度に関わることは、この時代に、大人として生きる縁(えにし)を得た者としての「務め」だと理解している。「関わる」ということは、自分の状況や状態に応じて、適切に辞退することも含む。自身の整い具合を見極めて判断し行動することも、大人の「務め」であり「役割」でもある。

これまで永きにわたって、多くの先人達が、手間暇時間エネルギーを費やし、場合によっては命をかけて、議会制民主主義や普通選挙制度やその他諸々のシステムを手がけてきてくれたように、私達も、自分が生きている間には満足や恩恵を得ることがないかもしれないことや、もしかすると最終的にシステムとして成立しないかもしれないことを、手がけることに参加することは、ある程度持ち回りかな、と。後世の人たちにとって使いやすいシステムに成熟していくかどうかは、実験でもあり冒険でもあるのだと思う。よりよいシステムとして成長するとよいなあ、と、願う。数限りない先人達への感謝の気持ちを、何かの形で恩返ししようとするなら、戸惑いや不安を抱き抱えながらも、試行錯誤することを引き受ける、そういうものなのだと思う。

現状の裁判員制度では、量刑の判断も裁判員が行うことになっており、それは素人にはちょっと過酷な部分であるのかもしれない。だけど、玄人さんだって、いつでもラクラク量刑判断してるわけではないだろうから、素人にはなおさら過酷なのは、ある程度しかたのないことだろう。けれども、それでも、先人達が引き受けてくれた多大な過酷さを思えば、「ちょっと過酷」くらいは、どんと引き受ける心意気でいるほうが、たぶん、粋。

実際は、時間をかけて気長に気長に「運用しながらの議論」を行い、制度として成熟するかもしれないその時までを、ゆっくりとゆっくりと歩むことになるのだろう。きっと常に先など見えず、面倒くささが伴うことではあるけれど、それでも、これは人類として許容範囲の試行錯誤のはず。

自身がある程度整った状態や状況に恵まれている場合には、その幸運を、ある程度、世に還元する、還元しようとする。そんな心意気を携えて、この世を過ごしてみようと、そう思いながら、生きてみる。そうして生きてる間に、体調もまあまあよくて、ボケてないうちに、通知が来た時には、ちょっと頑張って、裁判所へ審査面接受けに行こう。

ただひとつ気がかりなのは、法廷や、裁判員室の窓は、私の好き勝手に開けたりできないのかなあ、できないよねえ、ということ。私は年中、真冬でも、吹雪でも、窓を開けて寝るほどに、酸素要求度が高い体であるから、通気不十分なところでは、実力を発揮しきれない。思考力にも判断力にも、新鮮な濃い酸素は必要不可欠なのだ。 酸素が薄くては、まともに考えられない。面接の時に裁判官さん(かな?)に、そのへんは相談してみよう。窓を開けての自由な換気が難しい場合には、せめて酸素スプレー持ち込み許可してもらえるとよいのだけど。心意気は携えていても、酸素の事情で「そういうことであればご無理なさいますな」と不合格になるのかもしれないなあ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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