みそ文

クセとコツ

 この世の中の多くのことは、エネルギーによって成り立ち、生き物の大半のことは、クセと意思で成り立っていると思うことがある。
 クセにはたぶん習慣のようなものも含まれる。クセや習慣には、便宜的に言って、よい習慣、よくない習慣、よくもよくなくもない習慣、よいこともよくないことも両方ある習慣、の四種類があるような気がする。
 たいていのことは、いったんクセや習慣になってしまえば、その継続や再現は容易になる。

 人がしあわせであるコツは、しあわせを感じるクセがあるかどうか、というところにあるのではないだろうか。

 クセや習慣は、本人の意思によらないものもあるけれど、意思や繰り返しや馴染みによって作り出されるものもある。
 最初はクセではなかったものが、意識しないで繰り返しているうちに、あるいは、意識して繰り返しているうちに、クセになるものもある。
 身体的に何かが上達する場合もあるだろう。精神的思考的なものや、態度として、クセになるものもあるだろう。
 嬉しいことを感じるクセ。他人に好意を感じるクセ。敵意を感じるクセ。感謝が湧くクセ。反省するクセ。精進するクセ。楽観するクセ。悲観するクセ。面白がるクセ。面倒くさがるクセ。不満を感じるクセ。不平を言うクセ。誰かに腹を立てるクセ。自分のしあわせを認めないクセ。何かを誰かのせいにするクセ。人生に保障を求めるクセ。

 自分の中の好ましいクセは、おおいに継続してゆきたい。が、意思によらずにクセになってしまったことで、それが自分の望むものでないのなら、あらたに、意志の力で、他のクセに置き換えることができるものもあるとしたら。
 自分の中にあるクセの中で、置き換えたいものがあるかどうか観察してみるだけでも、実際置き換えられるかどうか取り組んでみるだけでも、やってみるのも、この世のひとつの醍醐味だと思うのだけど。
 その結果、「ああ、うれしいなあ、しあわせだなあ。」と感じる頻度が増えるなら、悪くないというよりも、よかりけり、だと思うのだけど。

 ああ、そうか。しあわせは、誰もが、全ての人が、望むものなのではなくて、望む人が望むもの、なのかもしれない。
 誰もがしあわせを望んでいると思い込むことは、あどけなく、浅はかなのかもしれない。

 誰もがしあわせを望み、臨み、願うのかどうかはわからない。けれど、少なくとも自分は、しあわせであることに常に臨み、そして、挑む。
 しあわせになろうとするのではなく、既にしあわせであることを認識し続ける力と勇気を、力強く望む。
 力みがあればほぐしつつ、穏やかに、伸びやかに、そう望み、臨み、挑み続ける、そのことが、自分がしあわせであるコツであり、自分がしあわせであるために必要なクセであることを、私は知っている。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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