みそ文

魔法と智慧

この世を味わう力と、自分を味わう勇気を。

ほんの一歳か二歳か、まだ三歳にはならないくらいの、とても小さな私が、広島の、祖父母の家で過ごした時。当時のことを後年祖母は、何度も語って聞かせてくれた。

その話をする前に、ちょっとだけ解説。当時の扇風機は今とは異なり、本体と電源を繋ぐコードの途中に、プラスチックの塊があり、そこについているスイッチを押すことで、電源を入れたり切ったりする仕組みであった。後の文中に出てくる「扇風機のスイッチ」とは、手のひらにおさまるくらいの大きさの「プラスチックの塊」のことである。そして、私が幼少の当時は、けっこうな昔であるため、全ての家庭に電話があったわけではなく、電話はまだやや珍しい存在であった。祖父母の家にはたまたま電話があったが、その電話は柱の高いところにくっついていて、子どもの手には届かない。もちろん「おもちゃの電話」などない。たとえあったとしても、私の周りの世の中は、そういうものが手に入るほど、たぶん裕福ではなかった。というわけで、幼少の私にとって、電話は馴染みの薄い存在であったという前提を、心に留めていただきたい。

さて、では、本題。

その夏、小さな私が両親に連れられて、父の実家である、広島の、祖父母の家で過ごした時。私はやっとなんとか上手に歩けるくらいの小ささで、まだたいした芸はなにもできない。それでも私はちびっ子なりにすこやかに遊ぶ。熱心に遊ぶ私が、ふと、おもむろに、扇風機のスイッチを手にとって、自分の耳にあててみる。私のその姿を見て、祖父はなぜかいたく感心し、「この子は賢い! 電話の真似をしとる。こんなに小さいのに、世の中に、電話があることがわかっとる。この子は非常に賢い!」と、何度も何度も絶賛する。今の私がその場にいたら、「じーちゃん、じーちゃん。よく考えろ。扇風機のスイッチを電話と間違っているのは、ばかだからじゃないのか?」と、つっこまないではいられないが、当時の私の周りには、「親ばか」と「祖父母ばか」しかいないので、大人たちは、みんなそろって、「ほうじゃ、ほうじゃ。ほんまじゃ(そうだ、そうだ。本当だ)」と、祖父に同意してしまう。

祖父は私が三歳になってまもなく亡くなった。そして祖母は生きている間、小さな私にも、中ぐらいになった私にも、大きくなった私にも、さらに大きくなって完全に大人になった私にも、何度も何度も、その出来事を、繰り返し、聞かせてくれた。母も何度か、そのときのことを、思い出しては、話してくれる。そのせいもあってなのか、私の中の当時の記憶は、捏造と塗装を幾重にも重ね、自分でも当時のことを、まるで本当にそうであったと、はっきりと見聞きしたように、つぶさに鮮明に記憶しているつもりになっている。

あのとき祖父は、電話の真似をした(かどうかはわからない)私のことを、「この子は非常に賢い!」と言い、自分の膝に、ちょこんと、私を乗せた。そうして、祖父の膝に座る小さな私の小さな手を、祖父の大きな手のひらで、包み込んで握りしめ、私の瞳をじっと覗き込む。

そう。あのとき、じーちゃんは、私に魔法をかけたのだ。一生、ぜったい、消えない魔法。私の存在を全て肯定する魔法。私の能力全てを信頼する魔法。そして私に授けてくれた。この世を生きるすべての智慧を。何があっても、何がなくても、いつか死にゆくそのときまでを、ちゃんと生きてゆくことを。たとえ何度か死にそうになっても、本当に死ぬそのときまでを、生きようとすることを。

この世を味わう力と、自分を味わう勇気を。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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