みそ文

種なしぶどう

私のひいばあちゃん(父方の曾祖母)の命日は、五月七日。

ひいばあちゃんは、晩年は、ずっと寝たきりだった。私が同居するようになったときには、すでに殆んど寝たきりだった気がする。ああ、そうか。だから父は実家に戻ったのかもしれない。島根でのサラリーマン生活を終えて、広島の実家に戻ったのは、じいちゃんが死んで、ばあちゃん一人では、ひいばあちゃんの介護の面でも、たいへんだったからなのかもしれない。

ひいばあちゃんは、小柄な人で、年をとってさらに小柄になっていた。ばあちゃんは当時まだ若く、ひいばあちゃんに比べると、ずいぶん背が高くスラリとして見えた。なので、私は二人を呼び分けるために、ひいばあちゃんを「小さいばあちゃん」、ばあちゃんを「大きいばあちゃん」と呼んでいた。

小さいばあちゃんの命日は憶えていても、私が何歳の時まで生きていたのかは憶えていない。お墓に行けば、享年何年五月七日と書いてあるのに、その何年が憶えられない。その何年が思い出せない。私はまだ三歳か四歳で、小さかったせいもあるのだろうだろうけれど、お葬式の記憶もない。

夕方、お風呂に入る。当時のお風呂は五右衛門風呂で、お風呂の底に板を沈めて湯船に入る。湯上りには寝間着としての浴衣を着る。もちろんパジャマも持っていたが、浴衣も同じくらい頻繁に寝間着として着ていた気がする。お風呂上りに浴衣を着たら、小さいばあちゃんの部屋に行く。側で父が小さな弟を膝に乗せていたかもしれない。お布団に横になってる小さいばあちゃんのところに行って、私はひとしきり、歌をうたいながら踊る。歌は童謡や創作歌。踊りも創作。ダンスではなく日本舞踊風。もしかすると、保育園で習ったお遊戯も披露したのかもしれない。小さいばあちゃんは「みそちゃんは踊るのが好きなんじゃねえ」と笑いながら、適当に手拍子をとりながら、いつも最後まで思う存分歌って踊らせてくれた。

そんな小さいばあちゃんの、最後の最後の晩年を、私は全然思い出せないのだけど、毎日介護にあたっていたばあちゃんと母は後年、秋になると話していた。小さいばあちゃんが死ぬ前に、「種なしぶとうが食べたい」と、何度も何度も言ったのだと。「種なしぶどう」というのは、今でいう、デラウェアのこと。今でもぶどうは旬のものだが、当時は今よりももっと旬が厳密で、ハウス栽培や輸入物が殆んどなくて、その季節のものはその季節にしか、食べることがかなわなかった。だから、小さいばあちゃんが死ぬ直前の、4月から5月にかけて、ぶどうは手に入らなかった。それでも、祖母と母は手分けして、行ける限りの遠くまで歩いたらしい。行く先々の食料品店でぶどうを求めてみたけれど、どうしても手に入らなかった。「今だったら」と、祖母と母は話していた。「今だったら、春でもぶどうを手に入れることができるかもしれない。高いかもしれないけれど。冷凍品も缶詰もあの頃はなかった。今ならば、なんらかの形で食べさせてあげられるだろうに」と。

死ぬ間際の小さいばあちゃんのことは、何ひとつ憶えていない私なのだけど、この話はなぜかよく思い出す。そして、デラウェアを食べるたびに、小さいばあちゃんを思い出す。小さいばあちゃんの前で、思う存分、歌ったり踊ったりする小さな私を思い出す。そして、小さいばあちゃんを偲んで話す祖母と母を思い出す。だから、他の食べ物をいただくときにも、味わい深さや感謝を感じるけれど、デラウェアを食べるときだけは、なんとなく特別に、普段の二割り増し、気合が入る。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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