みそ文

見据える

自分が選んだことも、自分が選ばなかったことも、責任を持って受け容れる。

何かを選ぶということは、殆んどの場合、何かを選ばないということと、セットになっているものなのだ。そのどちらにも、自分の意思と責任を意識すると、それだけで、お腹の下の、お臍の下に、温かくて強くて柔軟な力の玉が膨らんで大きくなる。大地を踏みしめる両足の力がぐっとぐっと強くなる。天を見上げる眼の力が鋭くなる。この世を味わうこころの力が丈夫になる。

砂をかむような不安感や、くやしさや、なさけなさや、自分のしょぼさや、ままならなさも、すべてを引き受け味わった結果、辿り着くところを静かに目指す。

誰かや何かにどうにかしてもらおうと思っているあいだは、お腹の力の温かな玉は、存在しない。誰かや何かがどうにかしてくれるはずだと思っている間は、自分の責任で何かを選ぶということとの縁は薄い。

選ぶことも、選ばないことも、どちらもせずに過ごす方法も、たぶんある。あいまいな不安感の、漠然とした不快感の、その本質を見極めることなく、ずっとずっと、胸のザワザワを抱える方が得意な人もきっといる。そのやり方しかできない状態の人もいる。それはそれで、力も勇気も必要なことなのだ。

けれども、それとは別に、何がつらくて、何が苦しくて、何がどうしてザワザワしているのか、そのことをつまびらかに見極めて知った上で、ああ、だから苦しいのか、ああ、だからつらいのか、と理解して味わった後、打開策があるかもと、探したり、試したりするのが得意な人もやはりいる。

何が怖いか、は、人それぞれ。真実を知るのが怖い人。真実がぼやけているのが怖い人。どちらの恐怖がより強いか。

何が安心か、は、人それぞれ。真実を見据えることが安心な人。真実から目をそらすほうが安心な人。どちらの安心がより強いか。どちらを選んで、どちらを選ばないか。

どちらかがよいでもなく、よくないでもなく、どちらを選んで、どちらを選ばないか。ただ、それだけなのだ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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