みそ文

あじさいと結束

 日曜日のお昼にあじさいを見に行った。市内を一望できる小高い山の上にある茶屋までの坂道に連なるあじさいの群れと茶屋の周りに咲き乱れるあじさい。あじさいは花も立派だけれども葉っぱもいいと思う。その葉脈のぶりぶりとしたその様が。

 山頂の茶屋でお昼ごはんにおろしそばとカツ丼のミニセットを食べる。夫はソースカツ丼で私はおろしカツ丼。おろしカツ丼には大根おろしと水菜をのせてそこに醤油がかけてある。夫はソースカツ丼を食べながら「なんかそっちのカツ丼のほうがよかったな。水菜ものってるし」と言う。食後には黒糖わらび餅。

 食事を終えてお店を出て車に乗る。私達よりも先に会計を済ませ茶屋の周りのあじさいを見ていた女性三人が車の前を横切る。三人とも上半身の衣類の柄が横向きの縞模様なのを見て夫に「あのひとたち、三人ともしましま」と言う。夫は三人を見ると「しましまきょうだい」と言う。

「きょうだいではなくてたぶんあのひとたちは他人だと思うんだけど。たまたま今日当日会ってみたら三人ともボーダー柄だったんかな。それとも今日はボーダー柄を目印に集合しようという計画で各自衣類か持ち物のどこかにボーダー柄を持ってくることという掟のもと目印にしましまを着てきたんかな。それか今はボーダーが流行中なんだろうか」
「ああ、『しましまきょうだーい』って声をかけたいけど、そんなことしたら『あんたらだってチェック野郎やん』って言われるけんやめとく」
「チェック? 誰が?」
「おれら」

 そう言われて夫を見ると夫のシャツは細かいチェック柄で、そういえば私のスカートは夫のシャツよりは大きめのチェック模様。そんな話でもしなければその日に夫が着ているシャツがチェック柄だということを認識することなく一日を終えたかもしれない。私達がふたりともチェック柄の衣類だったのは別段今年の流行とはなんの関係もなく集合の目印にしたわけでもない、集合そのものもしていない、ふたりとも同じ家から出かけてきた。

 集合、といえば、半年か一年くらい前に永平寺より少し手前にあるお蕎麦屋さん風食堂に行った。本当は別のお蕎麦屋さんに行くつもりで出かけたのだけど目的のお蕎麦屋さんにはたくさんのひとが行列していて、行列に並んでまでそのお店のお蕎麦を食べたいこだわりを抱いていたわけではなかったからあっさりと別のところにした。どこにしようかと車を走らせながらお店をさがしているときに夫が「じゃあ、あそこ」と言ったところ(これまで見たことはあっても入ったことはなかったお店)に入ったのだが、そのお店はどちらかというと観光客向けのお店で、地元の人が好んで何度も通うようなお店に比べると一見(いちげん)の通りすがりのお客さんたちに地元の代表的なメニューを紹介するような内容と味。地元に暮らし同じメニューをいろんなお店で食べ比べてきた私達には味の満足度が低く、今度こういう展開になったときにはもう少しそのへんの勘を働かせて別のタイプのお店にしようね、ということになった。

 そのお店の味とは関係のない話なのだけど、そのお店の店員さんたちが制服として着ているTシャツが黒地に白の文字が書いてあるデザインで文字の内容は地元観光に関係のある語彙だったような気がする。店内で座っているときにそのTシャツのデザインを見て夫に「どうやらくんがときどき着ているTシャツとデザインが似てるね。どうやらくんのTシャツに書いてある文字は、なんだっけ、何かがぎゅっと集まって集合して固まるような、そんな意味合いの言葉で、集合? 凝集? 固着? なんかそんなやつ」と問うと夫が「もしかして、それは、それをいうなら、結束。だけど黒地に白文字という以外は似てない」と言う。「ああ、そうだ、うん、結束」と夫のその日は着ていないTシャツのデザインを思い出す。

 夫のそのTシャツは夫が卒業した大学のアメリカンフットボールチームのチームデザインTシャツ。夫は年に一度か二度OBとして試合の観戦に赴きそのときにチームへの寄付も兼ねてチームデザインのグッズを何か買ってくる。スポーツチームの団結と好成績を願うデザインの語彙としては、『集合』よりも『凝集』よりも『固着』よりも、『結束』のほうが適切だな。     押し葉

ナビの交替

 車のナビが新しくなった。これまで使っていたナビは今の車になる以前の車のときに購入し取り付けて使っていたもので今の車を購入した時にもナビだけそのまま付け替えてもらった。そのナビを購入したのは十年以上前のことで長年いろんなところに案内してもらった。

 西日本東日本それぞれの地図が入ったCD-Rを読み込ませるタイプだったのだが、今はもう当時の地図にはない新しい道があちこちにできていて、そういう新しい道を走るとナビ上の画面では道なき荒野を駆け抜けているような画像が示される。それでも目的地にはそれなりに近いところまで連れて行ってくれるし旅の道中が多少荒野でも実際の道路上の標識を見て進めばそれほど不便なこともなく頼りにしてきた。

 ときどきはナビのどこも触っていないのに画面が勝手に動いて現在地が野を越え山を越えしまいには海に飛び出してそのまま日本海を北へ北へと進んだり太平洋をどんどん南に走ったりすることもあったけれど通勤途中にそういうことがあっても通勤の道路はいつもと同じでナビの道案内は必要なく海の上をどこかへ突き進んでいても音楽はそれまで通り聴けるのでナビもどこか未知の世界に飛び出したいそんな気分になることもあるのだろうなくらいで放置して問題のないことだった。

 5月の連休の旅から帰ってきたときだったか、夫が「なにか音がする」と言う。音の発生しているところはどこだろうとあちこち探っていくとナビのCD-RやCDやDVDを入れるところから音がするとのこと。そこからナビのCD-Rを取り出すとカラカラというような異音は止まる。しかしCD-Rを取り出すと本格的な道案内をしてもらえなくなる。

 本格的でなくてもよければ、いったん地図CD-Rを入れた状態で行き先設定をしCD-Rを取り出すとメモリナビという簡易案内のナビが起動する。このメモリナビは画面の作りが簡易であるだけでなく音声もなんとなく偽物っぽい声色で『わたくし本物ではありませんので詳しいことはわかりません、一応案内はいたしますがそのつもりでよろしく』という雰囲気が漂う。

 私が訪れるようなところはそれでも十分に事足りるから別にいいやと思っていたのだが、夫は少し前からしきりに「新しいナビがほしいなあ」「そろそろ新しいナビにしたいよなあ」と言っていた。それが今回CD-Rを入れるとカラカラと異音がするようになり、その状態でどこかの百名山に行って帰ってみたら道中の不快がたまらなく不快に思え、彼が行きたいお山までの道をちゃんと知っているナビに変えたい、という思いが強くなったらしい。

 日曜日の午後に「今日ナビの交換に行ってくる。今度のナビは音楽CDを入れたらそのCDの内容をナビが記憶してくれるよ」と夫が言う。「そうなんだ。じゃあ、いつも私が車中で聴いているベートーヴェンの5番と7番のこのCDを持って行ってオートバックスからの帰りにCDを入れて録音しておいて。次に私が車に乗ったらこれまでどおりに聴けるように再生中の状態にしておいて」とCDを手渡すと夫は「わかった」と言って出かけた。

 オートバックスから帰ってきた夫が「新しいナビは画像がきれい」だと言う。「CDの録音はうまくできた?」と訊くと「録音していない」と言う。私が手渡したCDを彼は何故か持って行っておらず家に置いて行ったという。夫は「今度のナビはSDカードが中に入れてあってそのSDカードを持って帰ってパソコンにつないでCDのデータを入れてそのSDカードをナビに入れたら音楽が聴ける」と言う。

「そんな面倒くさい方法はいや。そんな方法じゃパソコンのない人はこまるじゃん。パソコンなんかなくても車中のナビとCDさえあれば録音できることなのに」と私が異を唱えると夫は「そういう方法もあるよ、ということでそうしようというわけじゃない」と言う。

「まだご飯を作るのに時間がかかるから、持っていくのを忘れた(のか置いていったのかは不明)CDを車に持って行って録音してきてよ」
「これから?」
「うん、これから。今のままじゃ次に私が車に乗った時に交響曲鳴らないでしょ。どうやらくんがナビを新しくすることには反対しないけど私は賛成の立場でもないの。私にとってだいじなのは日々運転の時に聴いている音楽がそのまま聴けることだから。それが失われるなら古いナビでこれまでどおりの音楽が聴けるほうがいい」
「わかった。行ってくる」

 そう行って夫は車に行ったがしばらくすると戻ってきて「CDを一度全部流さないと全曲録音できない」と言う。「そんなわけないと思うよ」と答えるがとりあえず夕食の支度ができたから食事をする。夫に「私が頼んだことが私にとってそれほどだいじなことだとは思っていなかったのかな」と尋ねる。夫は食事中なのに「そんなに言うなら今から行ってくる」と立ち上がろうとするが「食事を先にしよう」と制する。「CD1枚全部終わるまでおれ車の中におらんといけんのん?」と夫が言う。「録音そのものはそんなに時間かからないと思うよ」「どれくらい?」「さあ、もともとのCDの音質と録音側の音質設定にもよるんだろうけど、ちゃらい音質ならCD1枚で3分から5分、いい音質なら7分から10分くらいかな、パソコンに取り込むときのかんじは」

 夫は私からの依頼を軽んじた後ろめたさがあるからなのかそそくさと食事を終えるとCDを持って駐車場に行く。10分から15分弱程度で戻ってきて「3分では済まんかった」と言う。「でもずっと全部聴かなくても録音できたでしょ。オートバックスからうちまでが15分くらいだから帰りにCDを入れてくれたらそれでうちに着くまでに録音済んでたはずなんだけど」

 夫は自分の山へのナビ案内を新しくすることだけに夢中で私が日々の音楽環境に強いこだわりを持っていることには重きを置いていなかったのであろう。CDの録音は来週にでも気が向いたときにすればいいことでそれより早く聴きたいならみそきちが自分で録音すればいいことだと思っていたのかしらと言うと夫は「そのとおりです、すんません、わるうございました」と言う。夫には「私がCDを手渡して頼んだのにそのCDを置いて行くことも録音作業を来週以降に後回しにしようとすることもどちらも私のことや私がだいじに思っていることを蔑ろにしていることだと私には感じられてたいへんに残念な気持ちになることなんだよ」と伝える。

 夫が日曜日の夕食後に車の中で録音してくれた交響曲を次の出勤の時に聴くとこれまでのナビでMDで聴いていたものよりもこれまでのナビでCDで聴いていたものよりもずっとずっと音がきれい。夫が録音作業している間に私は新しいナビの取扱説明書のオーディオ部門を熟読した。それによると初期設定の標準音質録音よりもさらに高音質の録音ができ再生するときにも音の聴こえ方や臨場感を好みに設定できるという。

 夫がナビを付け替えてから一週間経った日曜に二人で野菜レストランにお昼ごはんを食べに行く。夫に運転してもらい、私は助手席でナビのオーディオ設定を行う。まず初期設定ではCDを挿入するととりあえずなんでもかんでも記憶していないものに関しては自動録音を開始するようになっているのを取りやめて手動で録音開始したときだけ録音するように設定する。録音音質を標準設定から高音質設定に変更する。一週間車の中で聴いていた交響曲をいったん消去する。持ってきたCDを入れる。録音を開始する。うちから野菜レストランに行くまでの半分くらいの時間(6分程度)で録音は終了する。オーディオを再生するときの音質や臨場感の設定をする。低音を強化するとティンパニやコントラバスがドスドスと響いてきてそれはそれで聴き応えがあるが長時間聴き続けるには向いていないかんじなので「聴き疲れしにくいナチュラル設定」というのを選ぶ。

 夫が「なにこれ今まで聴いていたのと全然ちがう。いや、ちがわんけど、これまで聴こえてなかった音が聴こえる。バイオリンの音に厚みと奥行きがある。バイオリンは弦で音を出してるんじゃなくてあの木のボディから音が出てきてるのがすごくよくわかる」と言う。

 そういうわけで新しいナビの道案内機能にはまだ私はお世話になっていないけれど、オーディオとはすっかり仲良くなった。このオーディオがあれば長時間の移動もぐんとたのしくなりそう。そして私は車の中でテレビを見る習慣も欲求もないのでこれまでのナビでは一度もテレビ機能やDVD再生機能を使ったことがなかったのだけど、今度のナビはドラマの音響や効果音を強化してダイナミックな迫力を味わえるような音を出す設定もあるらしいので、画面を見る目的ではなくドラマの音響を愉しむ目的で清盛のDVDを入れて聴いてみると自宅のテレビで再生して視聴するときとはまたちがう味わいがあるかもしれない。今度の夏の帰省のときのおたのしみおたのしみ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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