みそ文

蓋の未来容れ物の未来

 「眠たくなったら眠ること」のようなできごとにより、医療保険という制度の中で入手した薬の一部または全部を手元から失った場合、無料または保険の自己負担金と同等の金額でその薬を再度入手するのいうのは本来正当ではない。もしも再度同じ薬を入手したいと希望する場合の正当な手順としては、まず、保険の効かない全額自己負担でふたたび受診し、紛失したぶんの薬について医師に相談する。数種類のうちの一種類であればその一部のみ、数種類全部であれば全部について相談することになる。先の日記のケースであれば「粉薬(実際はドライシロップなので水に溶かした時点でシロップになるが)は全部そのままあります、寝る前のシロップだけがなくなってしまいました」と相談する。そしてその処方箋を再度書いてもらえないだろうかとお願いすることになるだろうか。世の中には紛失を装った不正な行為もたしかに存在するので医療関係者は慎重に対応する。紛失したお薬分の処方箋再発行のためには、事前にクリニック等に電話をかけるなり受付で相談するなりして予約をとり直す手間と時間をかけ、すぐに予約がとれなければひたすら順番待ちをする手間と時間をかけ、その手間と時間をかけている間もしも小さな子どもがいればその子らをともに待合室で待たせながら面倒を見るか、そうでなければ、別の誰かに頼んで自宅または誰かの家で見ておいてもらえるようお願いと手配をする手間と時間をかけなくてはならない。そして全額自費で入手した処方箋を持って調剤薬局に行く。保険が適用されない自費処方箋であるから、ここでも支払いは全額。バッグの中に保険証があろうが乳幼児医療の受給者証等があろうがその恩恵に与ることはできない。そういった一連の面倒くさい手間と時間とお金をかけないのであれば、本来なら飲んで速やかに回復できたであろう薬(紛失した薬)のことは諦めて経過を看る腹をくくる。保険医療という「公の講(多くの人が少しずつお金を出しあって相互扶助する資金制度、といったところだろか)」の制度と恩恵の中で入手した薬の管理を結果的にとはいえ怠るということは本来であればそれだけの面倒くさい手間と思いとそれに伴う経過や結果に対する覚悟を引き受けることがセットになった「過失」といえる。その前提で考えると、私が前日記のおかあさまにとった対応は厳密には「不正」であり「甘やかし」に相当する側面がおおいにある。

 近年は市販のシロップ剤に関しては、子どもの手では簡単に開けられない仕組みの蓋が主流になっている。それは市販のシロップ容器本体や外箱には可愛らしい絵柄を配してあることが多いぶんより子どもが手を伸ばしやすいという危険性を鑑みての部分があるのかもしれない。だが、可愛らしい絵がついていようがついていまいが、どんな容器であっても、容器に手を伸ばす子は手を伸ばし開封しその中身を口に入れる子は口に入れる。子どもだけではなく認知機能に不自由を抱えたおとなでも同様のことはあるだろう。保険医療の現場では、簡単には開かないキャップのシロップおよび水剤の容器を本格的に採用しているところはおそらくまだそれほどには多くない。将来は、乳幼児がいる家庭の場合は安全キャップ容器で、手先は不自由だけど認知はしっかりとしている年配者等が自力で開封して飲む場合は従来の少ない力で開けやすく閉めやすい容器で、あるいは開閉は簡易だが注いだり飲んだりするには少し別の知恵と力が必要な容器や、蓋をあけた状態で容器が倒れても中身がこぼれにくい新しいタイプの容器など、錠剤もカプセルも粉も液体もそれぞれの剤形に応じた簡便性と安全性を、公の講の中でそれなりに、選択するような選べるような時代になるかな、どうかな。     押し葉

眠たくなったら眠ること

 数ヶ月まえのこと。たしか二十分ほど前にお薬をお渡ししてお見送りしたはずの女性(小さな子どものおかあさま)が空のプラスチックボトルを片手に「すみません…。さっきシロップのお薬をいただいた者なんですが、あのあと下の子がおねえちゃんのシロップを勝手に開けて半分以上一気飲みしてから『プハーッ、おいしかったー。もういいっ』って、じゃばーって、残りをその場にぶちまけたんです…。お薬全部なくなっちゃって…。どうしたらいいでしょうか。もう一回先生に処方箋書いてもらったらいいんでしょうか」と相談に来られた。

「まあ、それは、びっくりでしたね。シロップは今すぐ新しく作り直しますね。そちらの容器お預かりして一回洗ってそこに入れさせてもらいますね」
「あの、下の子は、おねえちゃんの薬をいっきに半分も飲んで、大丈夫でしょうか、なにかしてやったほうがいいでしょうか」
「そうですねえ、もう何十分かしたら、すごーくすごーく眠くなってくると思いますから、そうしたら、今日はさっさと寝かせてあげてください」
「それだけでいいんですか」
「はい、あとはそうですね、念のため普段よりも様子をよく観察してあげてください、普段よりも異様にぐっすり眠る以外には特にこれといって何も起こらないはずなんですが、一応念のために。喉が乾いて水分をほしがるようならお水でも麦茶でも飲ませてあげてください。それよりも、このあとお渡しする作りなおしたお薬には、もうけっして弟くんの手が届くことがないように、全部おねえちゃんにきちんと飲んでもらえるように、厳重に管理して隠しとおしていただけると助かります」
「それは、もう、鉄壁の守りに入ります。ああ、もう、びっくりしました」
「ですよねー、びっくりしますよねー。今後はおうちの中のすべてのお薬の保管をこれまで以上に警戒態勢でお願いしますね。では、こちらが新しく作りなおしたお薬です。今日から毎晩寝る前にここの目盛を一目盛ずつで四日間続けてくださいね、冷蔵庫保存なのは、先程もう説明しましたね、だいじょうぶでしたね」
「あの、お薬代は…?」
「今回のはお代はけっこうです、このままお持ちになってください」
「ええっ、いいんですか、それはなんだかわるいです」
「いいんです、いいんです、早くお帰りになって、眠くなった人を寝かせる準備をしてあげてください」
「はっ、そうでした。では、お言葉に甘えます、ありがとうございました、失礼します」

 ちょっと勝手にシロップ飲んで、ねんねして、だっこして、おんぶして、またあした。     押し葉

薬を飲んだら笑うこと

 幼稚園児や小学校低学年の年頃の患者さんは、幼稚園や学校から帰ってきてから病院やクリニックを受診する。その後処方箋を薬局に持ってくる。おかあさんと一緒に来る子もいれば、おとうさんと一緒の子もいれば、祖母または祖父とともに来局する子もいる。

 午後三時から四時くらいまでに薬局に来た人には「今日のお昼に特別何もお薬飲んでいなければ、今日は今すぐお薬を飲んで、四時間か五時間あいだをあければまた次を飲めますから、今日の夕食後か夜寝る前にもう一度お薬飲んでから寝てもらうと、今日のうちにぐっとラクになれるかなと思います」と説明しながらお薬を手渡す。

 保護者の方が「ここで飲ませてもいいですか」と尋ねられた場合には「もちろんぜひ飲んでいってください」とおいしいお水のウォーターサーバを指し示す。小さな患者さんたちは、粉薬をそのまま「んあ」と口に入れてもらってからムニュムニュと口の中でなじませておいてお水をごくんと飲む子が多いが、紙コップの中の水またはぬるま湯に粉薬を入れて溶かしてから飲ませてもらう子どももいる。

 今日お薬を渡した子は「えー、今日は、ピンクじゃないのー? 白いくすりー?」とやや不満を示した。私は「このまえはピンクのお薬でしたよね。今日の白いお薬も甘くておいしいお薬なので、がんばって飲んでみてくださいね」と説明する。その子のおかあさんが「甘くておいしいんやってよ。よかったね。ここで飲んでいこうか」とさらに積極的な服用を促してくださる。その子は「うん、いま、のむ」とウォーターサーバの前に立ち、おかあさんが口に薬を入れやすいように斜め上をむいて口を開ける。おかあさんが粉薬を開封して子どもの口に入れている間に私は残りの薬を袋の中に片付けつつ見守る。その子は口の中の粉薬の味を確認するように眼球を少し動かした後、おかあさんが汲んだ水が入った紙コップを受け取る。両手で紙コップを持ってコクコクと水を飲む。コップに入った水をすべて飲み干す。

 私が「わあ、お薬飲むのじょうずですねえ。では、今夜もう一度飲んでから寝てくださいね」と言ってお薬をおかあさんに手渡すと、その子は「おいしかったー!」と満足そうにニパッと笑う。ああ、うん、薬も必ずやよい仕事をするにちがいないけれど、きみのその極上の笑顔にきみの脳はきっと満足してぐんぐんとからだの自己治癒力が高まるね、と確信する。薬局の出口に行くまでにその子はおかあさんに「すっごいおいしかったよ」と報告し、自動ドアから出る前にさらにもう一度薬局の中を向いて私たち従業員に「ありがとっ。おいしかった!」と言って手をバイバイの形に振る。足取りはスキップ風。

 薬局というところは、患者さんに薬の味のおいしさを提供することを第一の仕事にしているわけではない。そして薬の味付けは既にメーカーで行われたものであり薬局の腕で薬がおいしくなったわけではない。それでも、不調の改善のために一時的に服用する薬であってもそれを口に入れた人から「おいしい」と評してもらえるとうれしいような気持ちになる。これがもしも味のおいしさを提供するのを第一の仕事としている飲食業の人であれば、その味付けはそのお店の腕によるものということになる。そんな立場で聞くお客さんからの「おいしかった」のひとことはどんな音色がするのだろう。

 私はもうずっとまえから小さな子どもではないから、片手でバイバイしながら、そしてややスキップをしながら、「ありがとうっ。おいしかった!」と言うことはないけれど、飲食店でなにかをおいしくいただいたら、お店を出る時お店の人に手を合わせて静かに「ごちそうさまでした。おいしかったです」と軽く会釈する。これからもその習慣を続けられる心身であるあいだはそうしよう、そうしたい。     押し葉

ちゃんことちゃんぽん

 昨夜仕事から帰ると、夫が「夕ごはん、ちゃんこ?」と疑問文を装った勧誘をしかけてくる。夫は取立山(とりたてやま)経由鉢伏山(はちぶせやま)経由大長山(おうちょうやま)登頂という長時間山歩きから戻ってきて身体がちゃんこを欲しているのであろうな、ということは想像できる。しかし私の身体は二週連続のちゃんこにそれほどの魅力は感じていない。出勤前に塩麹に漬けておいた鶏肉を焼いて、野菜を炒めて、私が食べても頭が痛くならないインスタントちゃんぽんでの夕食をたのしみにしていた私は「ちゃんぽん?」と問い返す。疑問を装った勧誘。夫は「ちゃんぽん、じゃなくて、ちゃんこ」と返す。

「塩麹に漬けた鶏肉があるん。それでちゃんぽんを作るつもりだったの」
「ちゃんぽんかー、うーん、ちゃんこがいいなー」
「私、疲れてるから、あんまり外出も運転もしたくないからお家ご飯希望」
「ちゃんこ、おいしいよー。シメにラーメン入れたら、ちゃんぽんの希望にも近くなるよー」
「うーん、わかった。じゃあ、明日のお昼ごはんをちゃんぽんにして、今夜はちゃんこにしよう」
「やったー。みそきちどんさんのシビックに乗せて行ってくれる?」
「それはいや。運転はしたくないんだってば。どうやらくんがシビックの運転してくれるんならいいけど、私は運転はしたくない」
「そうかー、わかった。じゃあ、おれの軽で行こう。運転する」

 そんな経緯で昨夜はちゃんこ。二週連続ちゃんこ。ちゃんこ鍋はいつもと同じ内容でネギ・玉ねぎ・ニラ抜きで鶏レバーと豚肉追加、シメはラーメン一玉。単品は「白魚の唐揚げ」「レンコンの唐揚げ」「タコ酢」「焼き鳥塩」。レンコンは私の身体が家からお店までの間に「レンコンが食べたい。レンコンの唐揚げが食べたい」と強く希望してきたため注文。半分に切ったすだちを絞ってかけて食べるレンコンの唐揚げはおいしい。唐揚げでなくても輪切りにしてフライパンで焼いたものも好き。
 食べ始めてしばらくのあいだ夫が「おれ、ラーメンひとりで一玉食べたい」と言うから「じゃあ、ふたりで二玉食べようよ。たぶん私もひとりで一玉食べられると思う」と話していたが、鍋が進むにつれて夫が「二玉も食べられるかなあ、なんかだいぶんお腹がいっぱいになってきたんだけど」と言い始める。「だったら、まず一玉頼んで食べてみて、それでも足りなかったらもう一玉追加注文して食べよう」と提案する。結果的には一玉でちょうどよかった。それ以上食べたら苦しくてつらかっただろうと思う。夫は帰路で「二玉食べようと思ったら、単品をもう一品か二品減らしたら食べられたな」と話す。「減らすとしたら焼き鳥かな」と私が言うと夫は「タコ酢もなくていいかも」と言う。

 そして今日のお昼、インスタントちゃんぽんを作る。オリーブオイルを熱して緑色の冷凍すじなしインゲンを炒める。インゲンを取り出す。そのあと再びオリーブオイルを熱して塩麹につけておいた鶏肉を焼く。鶏肉を取り出す。計量カップで500mlの水を鍋に二回入れる。お湯が沸騰してくる。夫が「どうしてお湯が茶色いん?」と私に訊く。「塩麹がついたものを炒めた鍋をそのまま使っているからかな、塩麹焦げやすいから」と応える。洗濯機が今日二回めの洗濯(一回目は普通の洗い物、二回目はソフト洗いのもの)が仕上がった音を鳴らす。「どうやらくん、ここからちゃんぽん作るのお願いする。私、洗濯物干してくる」

 サンルームに洗濯物を干し終えるとちょうどちゃんぽんができあがったところ。私は洗濯かごを洗濯機の横に片付けてから、胡椒とすりゴマのすりおろし容器を卓上に置く。椅子に座って、いただきます、と手を合わせる。夫は「今日のちゃんぽんには焼き海苔がすごくよく合う」と言っては、丼に焼き海苔を入れる。私のちゃんぽんが終盤に入ったとき、すでに先に麺を食べ終えてスープを味わう段階にいる夫が「このスープはおいしいラーメン屋のおいしいスープに匹敵する」と言う。

「おいしくてよかったね。塩麹漬けの鶏肉を先に焼いた味があとで入れたお湯のスープについたのかな」
「もしかしたら鶏がなくてもいいんじゃないかな」
「先に塩麹だけ少し炒めてそこに水を入れても同じようになるってこと?」
「うん、たぶんそうだと思う。塩麹、すごいなあ」

 夫の山欲もちゃんこ欲も、私の洗濯欲もちゃんぽん欲も満たされた、よき週末、よき休日。     押し葉

ヨーグルトに学ぶ

 「満願成就ヨーグルト」を書いたことで初めて思い至ったこと。

 ヨーグルトのカップの蓋の裏に付着したヨーグルトを舐めて食べるのをたのしみにしている人もいる。

 ヨーグルトのカップの蓋の裏に付着したヨーグルトをスプーンでこそげとって食べることによろこびをおぼえる人もいる。

 蓋の裏にヨーグルトがつく製品と、満願成就ヨーグルトのように蓋の裏にヨーグルトがつかない製品と、その両方が存在する世の中にいるということは、私の願いも叶っていて付着好きな人の希望も叶っていて、我々はよき時代とよき世界を謳歌していることであるなあ。     押し葉

満願成就ヨーグルト

 ヨーグルトは冷蔵庫から取り出してしばらく卓上に置き常温に戻してから食べるのが好みだ。ヨーグルトのメーカーや銘柄にこれといったこだわりはないが、乳脂肪はきちんと入っているもののほうを選ぶ。最近はうっかりしていると低脂肪や無脂肪を手に取る確率が増えているように感じるが、それは低脂肪無脂肪製品が増えているわけではなくてただ単に私のうっかりが増えているのだろうか。

 先日スーパーのヨーグルトコーナーで突如「アロエヨーグルトが食べたい」と思った。最初これにしましょうと思い手にとったヨーグルトがかごの中から「わたしは低脂肪でございますがようござんすか」と問うてくる。あらあらそうでしたか、では別の方にいたしますわ、と、そのヨーグルトは棚に戻す。そして普通脂肪のアロエ入りヨーグルトを探す。

 そうしたところ四個綴りのカップタイプのヨーグルトで普通脂肪でアロエ入りのものを見つける。森永のビヒダスシリーズのようだ。これまでビヒダスのカップヨーグルトはあまり買ったことがない。特にこれといった理由があるわけではなくてただなんとなく目につかなかっただけなのだけど。今回手にとって見たら「蓋の裏にヨーグルトがつきにくい」と書いてあることに気づく。

 おおっ、それは常々私がカップヨーグルトに対して求めていた改善事項のひとつではないか。あのカップの蓋をぺろりと剥がした時に蓋の裏に付着したヨーグルトが勢いあまってぴゅっと飛び出してきたのを拭うのも、蓋の裏のヨーグルトをスプーンでこそげ落とすのも、さらに蓋の裏を水道水で洗い流してきれいにしてからゴミ箱に捨てるのも、その手間がいただけない。その一連の作業の面倒くささは私に無意識のうちにヨーグルトの摂取を控え気味にしていたかもしれない。他社の製品になるが、ダノンビオのカップヨーグルトは蓋をめくると蓋の裏に「ギュナイドゥン」と書いてある。「ギュナイドゥン」とトルコ語で「おはよう」の挨拶をしてもらえるのはたいそう好ましいけれど、その「ギュナイドゥン」の文字はヨーグルトに透けて見える状態であり、その文字をはっきり見ようと思ったらやはり蓋の裏のヨーグルトをこそげ落とす必要があったように記憶している。ちなみにダノンの蓋裏の文字は「ギュナイドゥン」以外のこともある。

 以前は四連カップ(サービス品だと六連のこともある)入りヨーグルトは、その胴体に巻いてある紙がうまくはがれないのがストレスでその手の製品を避けていた時期があったのだが、最近はどの会社の胴体巻紙もきれいにはがれるようになりヨーグルト購入時の選択肢が拡がったことがありがたい。

 さて、どれどれ、「カップの裏にヨーグルトがつきにくい」とわざわざ謳うだなんて、いったいいかほど蓋の裏にヨーグルトが付着しないのかお手並み拝見しようじゃないの、とビヒダスカップヨーグルト普通脂肪アロエ入りを購入。帰宅して着替えて手を洗いうがいをする。食器棚から陶器のスプーンを取り出す。四連のカップをパチンパチンと折るようにしてちぎって離し一個だけ卓上に置く。残りの三個は冷蔵庫にお片づけ。テーブルにおいたヨーグルトに対峙してふたを開ける。

 うわーっ、蓋の裏に全然ヨーグルトが付いてないーっ。パチパチパチパチー。ひとり盛大に拍手する。ビヒダスえらい、森永えらい、これは素晴らしい技術だ。蓋の裏をこそげ落とす必要もなければ、水で洗い流す必要もない。蓋の素材は「紙」の分類でそのまま「燃やせるゴミ」に捨てられる。

 夜になってから夫にビヒダスカップヨーグルトの蓋の裏にはヨーグルトがつきにくいんだよ、ほとんど全然つかないんだよ、ストレスフリーで快適だよう、と本日の喜びを語る。夫は「そこはヨーグルトとして力を入れるところなのか。おれは一度もそんなこと気になったことも求めたこともないぞ。ヨーグルトに対してそこはあんまり求められてないんちゃうかなあ」と言う。「私はずっと気になっていたしこころの中でずっと改善を求めていたよ。願っていたことがこうして叶ってすごくうれしい。満願成就。これでこれまで以上に私のヨーグルト欲に応えやすくなったと思う。この技術はきっと他社も追随してくるはず」と言う私の肩に手をおいて夫はゆっくり「よかったね」と言う。

 ビヒダスカップヨーグルト普通脂肪アロエ入りをひとつ卓上に出して蓋をあける。蓋はそのままゴミ箱に捨てる。干しぶどうを十数粒ヨーグルトの中に入れる。スプーンで混ぜる。しばらく放置する。ヨーグルトが常温に戻り、干しぶどうがちょうどよくふやけてから食べるヨーグルト、おいしい。     押し葉

ちゃんこ鍋を礼儀正しく

 夫は山へ山歩きに、私は職場へお仕事に、それぞれが出かけることが多い土曜日。私が帰宅して山からおりてきた夫に会うと彼はちゃんこ鍋を食べたい身体になっていることが多い。

 そんなときには我が家から車でほど近いちゃんこ料理屋さんに行く。注文するものはだいたいいつも同じ。マグロの山かけ、焼き鳥塩味、しょうゆだしのちゃんこ鍋からはネギとタマネギとニラを抜いてください。鶏肉と鶏レバーはもともと入っているけれど、そこに追加で豚肉と鶏レバーを注文する。今日は春メニューで「白魚の唐揚げ」と「菜の花と白魚の山かけ」があったからこれも頼んだ。今日は食べなかったけれど、酢の物をお願いすることも多い。鍋の最後は雑炊またはうどんあるいはラーメンで今日は雑炊。

 一日山歩きをした人と一日働いた人はお腹がすいているからちゃんこ鍋がすこぶるおいしい。他のものでももちろんおいしいけれど、いろんなものが少しずつ入っているちゃんこ鍋はその各種栄養素がからだの隅々まで染み渡る。

 ちゃんこ鍋はふたりで「一人前」を注文するのがちょうどよい。「二人前」注文すると他のものが食べられなくなるが「一人前」なら最初から最後までおいしく食べつくすことができる。

 ちゃんこ屋さんは個室になっている。天井は隣の部屋とつながっていて壁の上の方は少し隙間が開いている。そのため隣の人達が大きな声で話しているとその内容がときどき聞こえる。今日の隣の人の会話は「礼儀正しすぎる人と礼儀が悪い人とだったらどっちがいい?」というテーマだった。

 「礼儀が悪い」というのは「礼儀がよくなさすぎる」ということであり、「礼儀正しすぎる」の「すぎる」のも、「礼儀よくなさすぎる」の「すぎる」のも、「すぎる」のはだいたいなんでもよろしくないのではないかしらね、すぎない程度で適切で適量なのがなにごともよいよ、と思いながらレバーを食んだ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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