みそ文

四十六歳成人男性そりに乗る

 以前「四十五歳成人男性そりに乗る」という話を書いたことがある。その後まもなく無事にその桃色のそりには「これまで長年ずっと一緒に引越しについてきてくれてありがとうね」とお礼を伝えて燃やせないゴミの日に手放すことができた。当時「桃色のそりは雪山で遊ぶのに使うかもしれないから保管しておきたい」と主張していた夫だったが、その後の雪山遊びはもっぱらスノーシューでの歩行に終始しており、夫から「やっぱりそりに乗りたい」という希望を聞くことはなかった。

 それが先日山歩きから帰宅した夫が「みそきちどんさん、近々アマゾンで買い物する予定ある?」と問うてきた。

「さあ、どうかなあ、あるかなあ、うーん、すぐには思いつかないけど、なんで?」
「このヒップソリがほしいなあ、と思って(とPCの画面を私に指し示す)」
「ヒップソリ?」
「うん、これまでは山から降りる時にスキーを履いている人はシューッと早く滑り降りられてラクそうでいいなー、とは思ってたけど、スノーシューでバフッバフッと歩くのが楽しいけん自分が滑ることは考えてなかったのが、今回なんとなく尻もちついてそのままシュシュシュシューっと滑り降りたら、こりゃあラクでいいやー、と思って、そこからは意図的に尻で滑っておりて帰ってきた」
「登山服のズボンは雪の上で濡れてしみたりはせんのん?」
「防水加工がしてあるけんちょっとくらいなら大丈夫、楽勝。でもあんまりやってたら生地がいたむやろうなあ。あと雪の下の樹の枝なんかにあたったら破れるかもしれんけん、ちゃんとしたヒップソリの上に座ったほうがいいな、と思って」
「それはそうだろうねえ。で、このスコップみたいな形の小さなソリでいいん?」
「スコップ? しゃもじみたいな形だと思うんだけど」
「しゃもじ、かなあ、私にはスコップに見えるけど。それはともかく、以前うちにあったような、もっと大きなしっかりとしたソリもアマゾンさんにはあるみたいよ。ほんとにこんな小さいのでいいのかなー?」
「そんな大きなもの山に持って行くわけないじゃん。ヒップソリならリュックに入れていけるのに」
「でもどうやらくん、まえにうちにあった桃色のそりを私が捨てようとしたとき、自分が山に持って行くから捨てたくないって言ってたじゃん」
「ああ、そんなこと、そういえば言うてたなー」
「このヒップソリは本当にリュックに入る?」
「うーん、たとえ入らなくてもこれくらい軽量だったらリュックにくっつけても運びやすいけんこれがいい」
「わかった。このソリだけでも送料無料ですぐに送ってもらえるけど、私の買い物があるときのついででいいの?」
「うん」
「どうなんだろう。どうやらくんが愛用している好日山荘(アウトドア用品屋さん)なんかではこういうソリは売ってないのかな」
「あー、あるかも。もし今度好日山荘行ったときに見つけたら買うかも。なかったときやアマゾンのほうが劇的に安いときにはみそきちどんさんの買い物と一緒に買ってください」
「がってん承知」

 そんな話をして数日後、私がアマゾンで購入したいものができた。夫はまだ好日山荘にソリを買いに行っていない。それでは夫のそりも一緒に注文しましょう、と決めて注文。その夜夫に「そうそう、お知らせがあるん。どうやらくんのそり、アマゾンさんに注文したよ」と伝える。夫は「ありがとー」と言う。

 今日になってアマゾンから「ご注文の商品を発送しました」のメールが届く。そのメールによると「今回のお支払い総額は0円です」とのこと。な、なんで?

 そのメールをよくよく見ると、アマゾンポイントの利用で商品代金と消費税が割り引きされ結果的に無料になっている。さらに注文直後に届いていた「ご注文を承りました」のメールも見てみるとその時点で既に「今回のお支払い総額は0円です」と書いてある。ああ、そうなのか、そうだったのか、そういえばアマゾンポイントというものがあったのかなあ。これまでその存在を意識したことがなかったから、いったいいかほどのポイントが貯まっているのかも知らず、今回の注文でもことさらポイントを使いますの意思表示をしたつもりはなかったのだが、知らないうちに「ポイント使います」の意思表示欄にチェックを入れていたのか、それともあまりに私がポイントをほったらかしにしていることに業を煮やしたアマゾンさんが勝手に今回の代金分のポイントを使ってくれたのかなあ。

 帰宅した夫に「そりを注文したぶんね、私が注文した商品も一緒になんだけど、なんだかよくわからないんだけど、アマゾンポイントが充当されて無料で手に入ることになったんよ」と知らせる。

「もともと700円弱のそりを送料無料で送ってもらえるだけでもどういうことなんや、と思ってたのに、さらにタダになるなんて、もともとのそりの値段はいったいいくらなんや、と言いたくなるなあ」
「うん。私の買い物と合わせても1200円くらいだったんだけどね。そのお値段お支払いする気満々で『クレジットカード決済』を選んだんだけどな。まあ、いいかあ、私があまりお世話が得意でないポイントの世界には時々こういうことがあるんかもしれんね」
「で、そりはいつ来るん?」
「どうだろう、今日発送したらしいから明日か明後日には来るんじゃないかな」
「やったー。今度山に持って行こうっと。そのそり、間違ってもクマのプーさんの絵柄なんかが入ってたりせんやろうなー」
「うーん。画面の写真で見る限りはなんの絵もないただの青色だったけど、何か絵がついてたらついてたでもまあいいじゃん」
「お金は出すけん変な絵がついてないほうがいい」
「まあ、そういうわけでね、今回のそりはタダになったんじゃけど、私が買うてあげることにしたけん、私からの贈り物と思って存分で雪山で遊んできてくれたまえ」
「おう、おおう! やったね!!」

 このような経緯により、夫は近々雪の中、新しいそりに乗って遊ぶ予定だ。低めの雪山の斜面で青色のそりに乗ってひとりたわむれる中年男性がいたらそれはおそらく夫だ。青色のスコップのようなしゃもじのような形をしたしなやかなプラスチックのソリをお尻に敷いてしゅるるるるーっと滑ったりあるいはそのまま雪のなかでころころ転げまわる人がいたらそれもきっと夫だ。もしもそんな夫の姿を見かけた時には、声はかけなくていいから、こころの中で「よかったね、新しいそり買ったんだね、やっぱりそりは新しいのがいいよ、古いのは捨ててよかったね」と思いその気持ちをそうっと夫に注いでいただければいとうれしゅうございます、お天道さま。     押し葉

上の句下の句あさぼらけ

 元旦に広島の実家で百人一首。しかし姪のみみがーはなぜか参加を拒む。「百人一首は学校でやって一年生に負けていやじゃったけんもういい、ぜったいにいや、もういい」と小学六年生は言い張る。「それなら、みみがーは読み手さんをしてよ。それなら勝ち負け関係ないけんいいじゃろ」と私が言うと、みみがーは「読むのなら、できる」と参加を表明。

 甥のむむぎーと夫のチームと私の単独チームとが向かい合う。居間のじゅうたんの上に取り札を五十枚ずつ自陣に並べる。

「自陣の札が先になくなったら勝ちでそれでおしまい、という方法と、全部の札を取り切るまで勝負して最終的にたくさんの札を取ったほうが勝ち、という方法とあるけど、どっちがいい?」と訊くと、むむぎーが「全部取る方」と勇んで言う。ではそうしましょう、と決めて開始。

 みみがーの札読みは不慣れな古文書読みのようにたどたどしい。いやまあたしかに百人一首はみみがーにとってはまさに「不慣れな古文書」ではあるのだろうけれど、みみがーは国語の音読は上手なはずなのに、百人一首に関しては慣れない外国語の表音文字をそのままただただ声に出しているような、読んでいるものの意味と内容を理解していない読み方。「キミガタ、メ、ハルノノ、ニイデ、ワカナツ、ムワガコロモデニユ、キハフ、リツツ」。そしてみみがーは一度読んだらその札をすぐに読み終えた札の場所に置く。待ってくれー、今の札をなんと読んだかすらよくわからないのに、せめて下の句はもう一回繰り返してー。

「えーとね、みみがー。歌の全体がだいたい五七五七七で構成されてるのはわかる? 読むときにもそれを意識して五七五七七のリズムで読んでくれると気持ちがいいなあ。それと、下の句の七七のところは二回読んでほしいん。我が衣手に雪は降りつつ、我が衣手に雪は降りつつ、って。そしたら札を探す方はゆっくり落ち着いて探せるけん」
「そうなんじゃ。わかった」

 みみがーが読む歌にはリズムもメロディもないけれど、取り手たちは熱心に取る。百人一首初体験の夫と小学校六年生の三学期に習ってやったことがある現在中学一年生のむむぎーは「二人対一人ならおれらのほうが有利かも」と意欲的。小さいときから百人一首が大好きで、勝負としての百人一首というよりは、自分で読み札を読んで下の句の札を取るひとり遊びを好んでよくしていた私としては、歌の大半を忘れた今でもいつでも札を取る気は満々。

 私が小さい頃自分で読み札を読み自分の周りにばらまいた取り札を取って遊んでいたんだよという話をしたときに夫が「果たしてそれは面白いのか」とたいそういぶかしがった話をしたところ、義妹のゆなさんが「ひとりでそうやって遊びようてのおねえさんを遠くから見るのが面白いかもしれん」と言う。

 みみがーは「わかった」とは言ったものの、一度読み終えるとさっさと読み札を読み終えた札の場所に置くから、「だからー、みみがー、下の句をもう一度読んでー」と頼む。みみがーは「あ、そうじゃった、そうじゃった」と札を取り上げて「ここからかな」と言いながら彼女なりに下の句だと判断した部分を再度読む。

 むむぎーと私は何度か同時に札に手を置く。同時の時にはじゃんけんで決めよう、というルールにのっとって「最初はグー、じゃんけんぽん」とじゃんけんをする。そのたびにむむぎーが勝ち私が負ける。むむぎーは「みそちゃんは百人一首は強いけど、じゃんけんは弱いねえ」と感心したように言う。

 しばらくすると、台所での作業を終えた母が私の隣に座る。むむぎーが「えーっ、ばあちゃん、そっちにつくん? おれら負けるじゃん」と言う。母は「私も久しぶりじゃけん、それはどうかねえ」と言いながら札を見る。母の参加で私の側の獲得札が順調に増える。

 さらにしばらくすると、みみがーが「私、読むのに飽きてきた。取る人になりたい」と言い出す。おやまあ、小学一年生に負けた屈辱で「もういいぜったいにイヤ」と言っていたのに札を取る側に参加したくなるほど読むのに飽きたのかしら。母が「じゃあ、みみがー、こっちにおいで。私がそっちに行って読むけん」とみみがーと場所を替わる。

 母の歌読みはきちんと百人一首風で下の句もちゃんと二回読んでくれるから聞き取りやすく探しやすい。下の句が「今日のなんとか」のときに、私がみみがーに「きょう、と来たら、けふ、で始まる札を探すんよ」と指令を出す。みみがーとむむぎーは「なんで、けふ、なん?」と私に訊く。私は「むかしの言葉では、けふ、と書いて、きょう、と読むっていう決まりがあったん」と説明する。そこからみみがーは「今日」が出てくると「けふけふけふけふ」と「けふ」を探す。

 後半なにかの歌のときに、むむぎーが「これだーっ」と勢いよく札に手をつき、私は別の札にぽんと手を置く。むむぎーの「これだーっ」はお手つき。私の「ぽん」が正しい札。夫が「むむぎーの今のお手つきは見事なお手つきだったなあ。もしも『百人一首の遊び方』の解説ビデオがあったら『お手つきとは』のところで『これがお手つきです』のお手本になりそうなお手つきだった」と言う。それを聞いたみみがーは「おにいちゃん、すごい」と言う。私も「たしかに今のお手つきは立派だった」と言う。むむぎーは両腕を勝者のように掲げて「おれはお手つきもうまいぜー」と誇らしげに胸をそらせる。なんだろう、この、むむぎーの、テヘヘと照れるわけでもない底なしの自己肯定感は。そして私はこれと似たかんじの何かをどこかで見たことがあるような気がするのだけど、と少し考えて、ああ、私か、私じゃん、とすぐに気づく。そしてそういうときに夫が私のことを「アメリカ人」と呼ぶことも思い出す。

 参加者それぞれに記憶に残る歌が異なるようで、自分がよく知る歌が出てくると「あ、この歌有名。おれ知ってる」「あ、私このうたおぼえてるよ、有名じゃもん」と言う。百人一首に選ばれたほどの歌であるから、百首どれも相当に有名な歌であろうとは思うのだけど、各自ツボにはまる歌の種類が微妙に異なるのだろうなあ。夫は「あさぼらけ」が出てくるたびに「おれ、あさぼらけ、好き」と言う。

 勝負の結果は夫とむむぎーチームが五十三枚、みみがーと私のチーム四十七枚で、夫とむむぎーの勝ち。「接戦だったね」「いい勝負だったね」と話しつつ、坊主めくりの準備にうつる。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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