みそ文

妖怪米子駅

 大山からJR米子駅までは渋滞なく円滑に到着。帰省前に自宅のPCで米子駅について予習した時、送迎などで利用の場合は地下駐車場を使ってね、という案内を見た。地上のロータリーが空くのを待つ車が並ぶが、私は地下駐車場利用だから通してね、降りるわよ、と、地下駐車場に進む。

 地下駐車場の案内に従い空いているところに車を駐める。車から降りて駅につながるエレベーターに乗る。母のキャリーバッグは夫が持ってくれている。エレベーターを出て米子駅みどりの窓口へ。夫はみどりの窓口の外側で待つ。母と私が列に並ぶ。

 窓口販売を待つ私達に、JRスタッフの女性が「どちらまででいらっしゃいますか?」と声をかける。もちろん母は自分で答えることができるが、母はとっさの問いかけや申し出を把握するのに私よりも時間がかかる傾向がある。それなりの数の人が待つ状態であるから、問いかけの内容を先に把握した私が素早く答える。「岡山経由で山陽新幹線東広島駅までです」「それでしたらこちらの自動券売機でご案内できますのでどうぞこちらへ」と列を外れて窓口のとなりへと誘導される。

 制服を着て丸い帽子をかぶった駅員さんである女性が「十四時二十八分の特急やくもですね」「お座席はお一人様用のお席(シートが一席だけの列で隣席がない)でよろしいでしょうか」「岡山からはこだまの窓側席があいております」「岡山での乗り換えは何分です、東広島駅到着は十八時何分となります」と、タッチパネルで次々と選択し、「ではお支払いをお願いいたします」と案内してくれる。母がお札を機械に入れると切符とおつりが出てくる。

 母は本来であれば『ジパング倶楽部』という会員特典で切符を割引で購入できるのだが、今回はそのジパング倶楽部の会員カードを持ってくるのを忘れたため、その特典は得られない。

 母が切符を確認してみどりの窓口から出てくる間に、私は外の自動券売機で入場券を二枚買う。一枚を夫に手渡す。母は「もうここまでで大丈夫なのに、中にまで見送りに来てくれるの?」と言う。私は「うん。特急やくもも見たいし、どんなホームかも見てみたい」と答えて一緒に改札を通る。

 駅のホームは妖怪に満ちている。ゲゲゲの鬼太郎とその仲間たちを中心にその他の妖怪もたくさん。妖怪の置き物もあれば、顔を出して写真撮影する妖怪のパネルもある。日本全国の各種妖怪マップが上のほうにかけられる。母と私を妖怪の前に並べて夫が母のカメラで写真を撮る。

 母は夫と私に何度も「このたびはたいへんお世話になりました。すごくゆっくりできて楽しかった。ありがとうね、ありがとうね」と言う。私は「あとは電車に乗れば無事に帰るだけだね。電車には母の荷物もちゃんと一緒に載せないとね」と言い、夫は「おれがこのままホームでこのカバンを持ったまま、じゃあねー、言うて見送って、あとから、ああっ、しまったー、返し忘れたー、カバンが残ってるっ、いうこともありうるからな」と言う。

 米子駅は大きすぎず小さすぎず使い勝手のよう構造。アナウンスの後まもなく特急やくもがホームに入る。夫は母にキャリーバッグを手渡して「お気をつけて」と見送る。母は車両の中ほどの指定一人席に無事座る。ホームに残る人たちは皆誰かの見送りに来た人のようで、私達と同じように特急やくもの中にいる誰かに手を振る。夫が「ここのホームなら、入場券のお金払ってでも、中に入って見てみたくなるなあ」と言う。私は「本当だねえ」と言いながら、発車する母に手を振る。

 特急やくもが走り去ったホームで、各種妖怪の展示パネルをぐるりと見る。それでは、米子駅から大山に戻りましょう。夫が「宿の近くにある山屋さん(登山用品屋さん)に寄りたい」と言うから、では帰りに寄りましょう、と決める。

 昨日島根から大山に来る時に通ったのと同じ道を走って大山に近づく。大山に近づくと空気が涼やかになる。山用品屋さんの横にある砂利の駐車場に駐める。お店の名前はモンベル。夫は何を買うのかな。     押し葉

ソフトクリームは乳の味

 天空リフトの駐車場から『みるくの里』へ。ナビは細くて暗い山道へと案内しようとするが、私は看板表示のある大きな道路を選ぶ。我が家のナビは「距離が近いこと」に対するこだわりが大きい。距離が近いこと至上主義で、他に広くて走りやすい大きなよい道路があるとしてもそちらは選ばない。これまで何度も彼(ナビ)の案内で狭くて走りにくい道に迷い込み心細い思いをした。その学習を活かして、看板の案内に期待して、大きな道を走る。案内通りの走行で無事にすみやかに到着。広い駐車場には鳥取県内外各地の車がたくさん。私達も家族連れではあるが、主に小さな子どもを連れた家族客が多い。

 ソフトクリームはどこかなあ、と、探し求めつつ、なんとなくこっちかなあ、よくわからないなあ、と話しながら大きな建物へ。そこに至る道中から少し離れた戸外には牛舎があり、その牛舎で牛を見て過ごす人たちがいる。自宅にも親戚宅にも牛がいないことの多い現代、飽くことなく延々と牛を眺めて過ごそうと思ったら、こういうところに来ることになるのねえ、と思う。

 建物の中にはお土産物売り場がある。主にお菓子と乳製品。テイクアウトのアイスクリームやシュークリームも。ソフトクリームコーナーには人々が列を作る。夫が「おれが並んで買う」と言い列に並ぶ。母は「私はおみやげのお菓子を見てていいかね」と言うから、私は「わかった、ソフトクリーム買ったら持っていくね」と言う。ソフトクリームコーナーに向かって右手奥には一般的なレストランがあり、ソフトクリームコーナーに向かって左手にずっと進んだ奥にはバーベキューレストランがある。お昼時ということもあり、どちらのレストランにもそれなりにたくさんのお客さんが入っている。

 夫が買ってくれたみっつのソフトクリームのうち、ふたつを受け取る。地元のお菓子を見る母にソフトクリームを渡す。ソフトクリームは濃厚なミルク味で、母は「いかにも牛乳の味がする」と言う。バニラソフトクリームというよりは牛乳ソフトクリームな味。店内は冷房が効いているので、ソフトクリームをゆっくりとした速度で食べ進めることができる。館内に入ってくる前に建物の外の陽の下でソフトクリームを食べていた人のそれは気温の高さでどんどんと溶けて垂れて落ちていたけれど、館内なら安心。

 母は母でお菓子を見ながら、夫は夫でどこかで、私は私で牛肉やアイスクリーム売り場を見ながら、ソフトクリームを食べる。気持ちとしてはどこかに腰掛けてじっと集中して食べたいものであるけれど、そういう設備がない施設であるのはいたしかたないことであるから、こぼさないように垂らさないように人にぶつからないように人がぶつかってこないように細心の注意を払って立ち食い。食べ終えたらコーンの裾の紙の袴を牛乳瓶返却場所横にあるゴミ箱に捨てる。通りすがりに母を見たら母も食べ終えていたから紙の袴を受け取ってそれと一緒に捨てる。

 母は「おみやげのお菓子はこれとこれに決めた」と二種類のお菓子を指さす。ひとつはカマンベールチーズケーキ。もうひとつは兎の耳の形をしたフィナンシェ。どちらも個包装になっている。

 山陰には「因幡の白兎」というおはなしがある。山陰生まれの私の中ではその歌も含めて非常に有名な作品なのだけれども、夫は「因幡の白兎」の話をあんまりなんとなくしか知らないと言い、「大きな袋を肩にかけ大国様が来かかると」の歌詞とメロディにいたってはまったく知らない、なにそれ、と言う。私にとっては「桃太郎」や「かぐや姫」や「一寸法師」などと同等に有名なつもりでいたのに、それを知らないだなんて、夫が昔話に疎いのか、因幡の白兎が全国規模でないのか、いったいどちらなのだろう。

 その因幡の白兎にちなんだ「因幡の白兎」という名前のおまんじゅうが昔からあるのだが、その会社が作った姉妹品のフィナンシェがたいへんに可愛らしく美味しそうで、これは私の職場にもおみやげとして買いましょう、と思う。母が「これ、かわいくて、おいしそうでしょ。あんたたちにもお礼にこれを買ってあげようかと思うんだけど」と言う。「いやいや、いいよ、それは。ありがとう」と気持ちだけありがたくもらう。

 母はチーズケーキとフィナンシェをそれぞれ十個ずつ地方発送で送ってくださいとお店の人に頼む。ヤマト運輸の段ボール箱ふたつに分けて送ることになる。私は自分のフィナンシェを二箱買う。自分の買い物が済んだ後、母と手分けをして送り状を一枚ずつ書く。送り先は広島の実家、つまり母の自宅。差出人は母本人。母は「わかりやすいように品名も書いておこうっと」と言い、一枚には「チーズケーキ」と、そしてもう一枚には「フィナンセ」と書く。

 母よ、それはフィナンセではなくてフィナンシェだ、と思うが、いや待て、たしかに商品名は『因幡の白兎フィナンシェ』ではあるが、フィナンシェ自体がそもそも外来語であるし、どこかの国や地域ではこういうお菓子を意味する語彙をフィナンセと発音するところがあるかもしれないと思い直し指摘を控える。母にとって自宅に届いた荷物の中身が「これがこっちね」と思えればいいだけのことである。販売店の人はチーズケーキを入れた箱にチーズケーキと書いてある送り状を貼ってくれさえすれば、あとはもうひとつの箱にフィナンセと書いてある送り状を何も考えずに貼ればいいだけ。運送会社の人にとっては中身がフィナンシェであろうとフィナンセであろうとどちらでもいいことだ。

 母の買ったお菓子の代金と送料を払いレシートと送り状控えを受け取る。私たちはレジの列とは別のすみのほうで発送作業と支払いの対応をしてもらったが、レジには次から次へとお客さんが並び、途切れることなく何かが売れる。

 ソフトクリームで血糖値の上がった身体でいろんなお菓子を見たらなんだか満腹感がさらに増す。「ソフトクリーム満足したね。では米子駅目指しますか」と建物の外に出る。外は眩しくて暑くて夏休み気分が盛り上がるお天気。ウッドデッキ風な造りの通り道を歩いて駐車場に戻る。夫には先に車に行ってもらい、母と私はトイレに立ち寄る。

 これから米子駅に行けば、午後二時二十八分の特急やくもにゆったりと間に合うね。それに乗れば夕方六時過ぎには広島に帰れるから、家で夕ごはんを食べるのにもちょうどいいね。大山から米子駅までは車で三十分から四十分と聞いている。それでは安全運転で米子駅に向かいましょう。     押し葉

ヤギとリフト

 車のナビが「目的地周辺に到着しました、案内を終了します」と言う頃には、「天空リフトこちら」の案内があちこちに見えてもうまったく迷いようがない。第一駐車場はいっぱいで、それではとリフト乗り場からは少し離れた位置にある別の駐車場に駐める。

 冬にはスキー場になるのであろう広大な敷地が夏場は草原として開放される。草原に座り寝転びくつろぐ人もいれば、存分に駆け回る小さな子どもたちもいる。

 草原と草原の間にある通り道を歩く。リフト乗り場の手前に、山側には白ヤギが、道路側には黒ヤギが、それぞれに立つ。親子連れの人が何か葉野菜を与えている。白ヤギと黒ヤギの間の地面には「エサのかごはこちらに返してください」の入れ物が置いてある。夫が「帰りにヤギのエサやる!」と宣言する。私が母に「どうやらくんね、旅先で、動物にエサをやるのが好きなん」と話すと、母が「むむぎーもなんよ。北海道のクマ牧場なんかでも、必ず『おれ、エサやる!』いうてエサやってる」と言う。

 天空リフトは冬はスキー客を運ぶために使うもので、屋根や壁はなく枠組みと二人乗りの椅子があるだけのもの。夫が先ほどの茶屋に続き「ここもおれが出すから」とリフト券を三人分購入してくれる。母と私は夫に「ありがとう」「ありがとう」とお礼を言ってからふたりで一緒に乗る。夫はその後ろのリフトに一人で乗る。リフトに乗って動くと高原の風に包まれる。

 リフトの下には植物が生い茂る。母が「これはハゼじゃね」と言い、私が「どうやらくん、この前、山でウルシにかぶれておおごとじゃったんよ」と話す。後ろの夫を見やると、ハゼの存在に気がついて「ひょええええ、こええええ」と身を縮めている。

 コスモスが咲き、萩がほころぶ。母が「ここはもうすっかり秋になってるんじゃねえ」と植物で季節を測る。私は「そうか、これが萩なのか、かっこいい形だね」とその姿を愛でる。大山は早くに秋になるというよりは、お盆のこの時期にこれらの植物が活躍するのが標準で、これが大山の夏、大山の盛夏、なのではないかしらと思う。

 リフトの終点で係員の人の指示に従いリフトから降りる。展望台までほんの少しだけ歩く。大山寺の展望台から見た景色とはまた少し方角が異なる。右手には美保湾、弓ヶ浜、中海、そして遠くにわずかに宍道湖かなという日本海側の景色が、左手には山陽と山陰を隔てる中国山脈。「こうして見ると中国山脈は脈脈しているのねえ」と思わず言うほど、みゃくっ、みゃくっ、とした山々が延々と連なる。母が「たぶんあれが三瓶山だね」と遠くを指さす。

 三瓶山は島根県の浜田市に住んでいた頃父に連れられて行って馬に乗せてもらった記憶はないが写真がある。写真の中の三瓶山はずいぶんと高原風味な景色。そして三瓶山は広島で高校生をしていた時の林間学校で行った山。登山、というほどのことはせず、なんとなくキャンプ、なんとなくオリエンテーリング(グループで歩いて草むらの中からカードを見つけて点を得ると同時にコースをどれだけ速く歩いてゴールするかを競うものでもあったらしい)(あったらしい、というのは、私はなんとなく山っぽい場所をグループで散策気分で歩いた記憶しかなく、同じ高校で同じ学年にいた夫が「あのときおれらのグループは得点よりもスピードで勝とうという作戦にした」という記憶を話してくれて、あれはそういうゲームだったのかとたぶん初めて知ったから)、なんとなくキャンプファイヤーをした場所。

 夫に「山頂からだともっとこれが遠くまで広々と見えるの?」と訊くと、「うーん、だいたいこんなかんじ」と盛り上がりに欠ける返答。「お天気がよければ四国まで見渡せる日があるらしいけど、今日くらいのお天気だとそんなに遠くまでは見えんかった」から「だいたいこんなかんじ」なのだとか。だとしたら、ますます私は、自力で歩いて高いところに登ることなくこうして乗り物に乗って移動して景色を眺めれば満足だなあ、むしろどちらかを選ぶときには斜面を歩かなくていいほうを積極的に選ぶなあと思う。しかし山を歩く人にとっては、景色を眺めることも楽しみのひとつではあろうが、そこに至る道程、坂道斜面を歩く行程が楽しいんだろうなあ、きっと。

 リフトは往復券と片道券がある。私たちは往復券で往復したが、片道券で登った人は、ここからさらに徒歩で山頂あるいは大山寺もしくは大神山神社を目指すようだ。

 展望台からの景色を満喫して下りのリフトに乗る。ここで係の人に半券を渡す。下りはのぼりとは異なり外界を見下ろしながらの運行。リフトがぐわっと宙に浮いた途端、身体がひょひょうっとよじれる。上りの時には山の斜面を足元に見て安心感があったのに、今はリフトと山肌との距離がなんだか妙に大きくて、断崖絶壁の端っこにギリギリ立っているようなこころもち。

 母がリフトの取っ手をぎゅうっと掴んで「さっきまで気持ちよかったけど、ここは苦手だー」と言う。断崖絶壁や吊り橋系が苦手な夫はどうしてるかな、と後ろを向くと、しっかりと深く座って「ここ怖い」と言う。母に「どうやらくんは、こういう感覚の場所に来ると、おしりの穴がきゅううってつぼむ、って言うん」と話す。母は「ああ、それ、わかるわあ」と言う。

 しばらくすると、また地面がわりと近くなり身のすくむ感覚はなくなる。帽子が風で飛ばされないよう軽く手で抑える。のぼりのリフトに乗る人達とすれ違う。小さな男の子がふたりで乗るリフトが通り過ぎる時、そのふたりがこちらに向かって元気よく「こんにちは!」と挨拶する。大山とリフトが楽しくて嬉しくてたまらない満面の笑みで。私達も「こんにちは」と挨拶を返す。ふたりの男の子たちは後ろの夫にも、その後ろからくる人にも繰り返し「こんにちは!」「こんにちは!」と元気よく挨拶する。男の子たちのうしろには、小さな女の子が祖母と思われる女性とふたりで乗っている。その女の子もやはり満面の笑みで私達に「こんにちは!」と言う。「こんにちは」とまた挨拶を返す。

 下界ではそれほどでなくても、なぜか山では挨拶が多くなる。夫も山ではすれ違う人とよく挨拶を交わすようで、山情報を交換したあとの別れ際には互いに「お気をつけて」と言うのが定型なのだそうだ。まだ八月になる前に、実家の父と弟がそれぞれに夫に宛てて夏の贈り物を送ってきてくれた。私が仕事で不在の時にそれを受け取った夫は、すぐに私の実家にお礼の電話をかけた。電話には母が出て、お礼を言い、「しめじくん(弟)にもよろしく伝えてください」と言い、「それでは、お気をつけて」とつい言うてしもうたんだ、と夫が話していた。夫は山歩きの挨拶言葉を電話で使うのはおかしかったような気がする、としばらくの間気にしていた。私は「夏の暑い時期の電話だし、お体にお気をつけて、でもなんでも、お気をつけて、は別におかしくないと思うよ」と言ったが、夫は「ううむ」と腑に落ちなさそうであった。その話をリフトの上で母にしたら「あら、電話の最後が、お気をつけて、だったかどうかはおぼえてないけど、夏バテしないように気をつけてくださいね、くらいの意味で捉えていたのかな、なんにも不自然に思わんかったよ」と言う。

 それよりも問題なのは、夫が母に「しめじくんにもお礼をよろしく伝えてください」とお願いしたにもかかわらず、そして母は「はいはい、わかりました」と言ったにもかかわらず、しかし私の実家家族間ではこれは本当によくあることで、もはや誰も問題にすらしないのではあるけれど、私が後日弟に「先日はおいしい贈り物をありがとう、と、受け取ってすぐにどうやらくんが電話して、母に、しめじくんにも伝えてください、と言ったのは伝わっていますか」とメールを送ったら、弟からの返信に「母からは聞いていませんが、今の姉からのメールで伝わりました」と書いてあったことのほうだと思う。

 リフトは無事に終点に着く。面白かったね、眺めよかったね、と、満足して草の上を歩く。夫は小さな売店で「ヤギのエサ」をひとかご購入。母と私よりも先に歩き、夫は白ヤギのもとへ向かう。かごの中身はキャベツだろうか、レタスだろうか。半分白ヤギに与え終えたところで、今度は黒ヤギに向かうが、黒ヤギの周りには家族連れの人達がいて、夫は「黒ヤギは忙しそうだから、白ヤギのところに行ってくる」とふたたび白ヤギのそばへ。

 夫が白ヤギにエサをやる姿を母がカメラで撮影する。大山の山の形が背景にきれいに入るように。白ヤギと夫の両方とも全身が写るように。母が「ああ、いい具合に撮れた」と満足そうにその画像を私に見せる。ああ、ほんとうだ、よく撮れてるね、と私が言うところに夫が近寄る。夫は自分と白ヤギと大山の姿を見て「おかあさん、今、クマ牧場でクマにエサをやるむむぎーと同じレベルに、この写真、分類してるでしょう」と不本意そうに問う。母は「うん」と当たり前のことであるかのようにうなづく。私が「いいじゃん、エサやり好きの仲間じゃん」と言うが、夫は「おれは中一のガキんちょとは違うっ」と小さく叫ぶ。そして最後の一枚のエサを持ち、家族連れの気配がなくなった黒ヤギのそばに近寄る。黒ヤギはちゃんと夫の手からエサを食べる。

 夫が「ここのヤギはこっちの手に持ったエサは食べるけど、食べそこねて地面に落ちたやつはそこにあると示しても食べない」と言う。それは人間の手の高さがちょうどヤギの口の位置の高さにあるから、屈む手間がなくてラクだからかしらね、と予想する。

 白ヤギさんも黒ヤギさんも働き者な人たちだねえ、と、感心しながら離れる。夫はエサのかごを定位置に戻してから私達にすぐ追いつく。私が「あそこの駐車場の向かいの建物でソフトクリーム食べたい」と言うと、夫が「ソフトクリーム食べるんなら、どうせならミルク牧場に行こうよ」と言う。母は「そこは私も行きたい、行きたい」と言う。では、ソフトクリームを求めて、大山まきばみるくの里に行きましょう。     押し葉

ブナの森を漕ぐ花筏

 宿の玄関から駐車場までは石段で降りることもできるが、庭を経由して緩やかな斜面で降りることもできる。

 大神山神社から大山経由で宿に戻ってくるときに、母と二人で「そういえば、昨日の夜食べた山菜の天ぷらの、船頭さんが葉っぱの筏に乗ってるみたいなやつ、ブナの森の中にちょくちょくありますよ、って宿の人が言ってたよね」と、どれだろう、どれだろう、と探してみた。緑色の葉の真ん中に直径6mmほどの小さな黒い丸い実がちょこんと乗るものをいくつか見つける。「ああ、こんなところに、こんなふうになっていたのねえ」と感心する。だけど昨夜食べたものは実の部分が緑色だったな、あの緑色のは花でそれが実になるとこういうつるりとした黒色になるのかしら。これはあとでどうやらくんにも教えてあげよう。

 そう言いながらさっきここを歩いたんだよ、と、夫を花筏のあるあたりに案内する。えーとね、たしか、このへんだったんだけど、と探すけれど、母も私もなかなか目当ての花筏がどこにあるか見つけられない。葉っぱだけでは普通の葉っぱに見えてそれが特別花筏だとはわかりにくい。私達が見た時には黒い実がついている葉は数枚で、すべての葉に実がつくわけではないようであったから、そのいくつかを見つけるためにしゃがんで探す。夫は「さっき見たばかりなのにもう場所がわからんのん?」と呆れたように言う。

 あった、あった、これこれ、と、黒くてつやつやした丸い実がのる葉を指さす。夫が「おおー、くっついてるなー、不思議やなー」とまじまじと花筏を見る。

「ね、不思議でしょ、全部の葉に実がついてるわけじゃないのよ」
「それはもう実が落ちたからとか」
「でもね、地面にそれらしい実が落ちてないの」
「ほんまやなあ」
「実がつく葉っぱとつかない葉っぱはどうやって決まるんかなあ」
「いや、やっぱり、ほんとは全部についてたんじゃないかな、ほら、これなんか、実がついていたっぽい葉脈の突起があるじゃん」
「そうなん、そういうのもあるん。でも、まったく実の気配がない葉っぱもあるん。なんだろう、葉っぱに雄と雌があるのかなあ」
「そんなん聞いたことないけどなあ」

 花筏の紹介を終えたら、安心して斜面を降りる。駐車場は林の中で陽が当たらなくて涼しい。いったん母の荷物を車に入れる。母と私は朝からお菓子っぽいものだけの食事だったから、ちょっとなにか食事っぽいものを食べておこうか、と相談する。「何か食べたいものがある?」と母に訊くと、「そうねえ。おにぎりなら一個、お蕎麦なら軽く、なんかそんなかんじかなあ」と言う。「軽くでいいならさっきの茶店に行こうよ、私、冷たい甘酒が飲みたいから」と提案する。

 三人で茶店に入る。テーブル席に座る。母と夫は「芋もちと冷やし甘酒のセット」にすると言う。私は「芋もち入り冷やしぜんざいと冷やし甘酒をそれぞれ単品で」と注文する。しばらくするとお店の人が「冷やしぜんざいはこれから作り始めると少々お時間がかかるのですがよろしいでしょうか」と確認に来られる。「では、私も、芋もちと冷やし甘酒のセットで、三人とも同じものでお願いします」と注文を変更する。

 芋もちは直径10cmちょっと厚みは1cmよりも少し分厚いくらいのひらたいベージュ色のお餅が焼いてあるもの。「芋はなんの芋だろう。サツマイモかな、山芋かな」と言う私に、夫と母が「餅の芋といったらジャガイモでしょう」と言う。母は「北海道に旅行した時にお餅と言えばジャガイモのお餅で、もち米よりもジャガイモがたくさんとれるとこういうことになるんじゃねえ、と思いながら食べたんよ」と言う。

 甘酒はコウジから作ったタイプ。広島で甘酒というと酒粕を水に溶かして煮たものが大半だが、母は「山陰の甘酒はこれなのよ」とコウジの甘酒を飲むたびに言う。

 芋は一応でんぷん質ではあるとはいえ、そしてコウジが発酵した甘酒は糖分十分であるとはいえ、あまり食事っぽいとはいえないけれど、そのときに食べたいものを飲みたいものを身体に取り入れるのがいいよね、と、満足して茶店を出る。

 茶店では蕎麦のセットを食べる人もいれば、ソフトクリームだけを注文する人もいる。

 私たちは茶店を出て駐車場の車に乗る。観光地図に掲載されている天空リフトの電話番号をナビに入力する。ナビはピンポイントではわからないから周辺に案内するね、と、案内を始める。天空リフトというくらいだから近くに行けば案内があるよ、きっと、と、気軽な気分で出発。リフトたのしみだな。     押し葉

大切なことを思い出す

 石畳の参道からそれて少し歩くと大山寺に着く。境内の裏側から寺社の敷地に入る形。境内の表側は広く張り出したバルコニーのような展望台のような構造。手前の米子市内はもちろんその向こうの美保湾に弓ヶ浜から島根半島までずっとのびやかに見渡せる。

 母が「弓ヶ浜がきれいな弓の形に見えるねえ」と指差す。母が山陰地方の地名を呼ぶ時、その声には、ふるさとに対する愛着のような音色が自然と奏でられるように感じる。私は大山に来たのはたぶん初めてで、大山寺からのこの景色を見るのも初めてで、ああなるほどだからあそこを弓ヶ浜と呼ぶのかと、弓の形の陸を眺める。

 境内から下る階段をおりる。途中のちょっと広いところでベンチに腰掛ける。それからまた階段をおりる。階段を下から登ってくる人たちとすれ違う。すれ違う人々の年齢層はさまざまで、かなり段数のある階段だけど、二歳くらいかな三歳くらいかなと思える小さな子もひとりで歩く。前後には身内の大人がともに歩いて安全は確保している。小さな子は自力でひとりで階段をあがれるのが誇らしくてたまらない表情ですれ違う私達に「こんにちは!」と声をかける。私は「こんにちは」とにっこりとする。母は「はい、こんにちは、ひとりで上手に歩くねえ」と言う。そのあとも私達の背後の人たちが「がんばってよー、まだ先は長いよー」などそれぞれに対応してくれるから、その子はますますはりきって「こんにちは!」「よいしょ、よいしょ」と力強く階段をあがる。

 階段をおりきったところが昨夜ライトアップされていた山門で、昼間の金剛力士像はひんやりと静かに立つ。おとなひとりあたり協力金三百円をお願いします、と書いてある札を見てお財布を開ける。母が先に五百円玉を置いたから私が百円玉をひとつ置く。大山寺と書かれた紙を二枚受け取る。母に「二百円おつり要る?」と訊くと「そんなの、いいようねえ」と言うから、「ありがと、じゃ、私は百円で」と寄進百円で大山寺と大神山神社を満喫。

 山門から外界におりる。山の上のほうに比べるとやはり少し暑く感じる。参道前の角にある茶店の外のメニューを見る。あれもいいね、これもいいね、と思うけれど、私は部屋に帰って緑茶で『生もみじ』が食べたいなあ、と思う。それは歩いている間少しずつお腹がすいてくるにつれ、何度もああ生もみじが食べたい、と思ってそうつぶやいた。母は「生もみじもそこまで望んで食べてもらえたら本望じゃろう」と笑う。結局茶店には入ることなく、宿に戻る。

 部屋には夫がいて「おかえりー」と迎えてくれる。手を洗ってうがいして、新しいポットのお湯で緑茶を淹れる。卓上の生もみじを選ぶ。私は抹茶味のものとつぶあん入りのものを、母は「私はこしあん」と言う。はて、母は、こしあん派だったのかしら。夫はつぶあん派であることを名言している人だけど、私はつぶあんもこしあんもそれぞれ両方とも好きで、あとからまたこしあんの生もみじを食べる気満々。夫に「お茶飲む?」と聞くと「いただく」と言うから、みっつの湯呑みにお茶を注ぐ。はいどうぞ、はいどうぞ、と、それぞれの前に置いて、生もみじを開ける。

 散歩というには少し長くおよそ二時間歩いて帰ってきた身体に生もみじがおいしい。緑茶もおいしい。

 私達が宿を出たのは九時を少し過ぎたくらいでおそらく九時十五分かそれくらい。夫は九時半頃宿に戻ってきたのだとか。「ああ、じゃあ、ちょうど入れ違いくらいだったのね」と話す。夫が宿に戻ってきたときには、まだ部屋の掃除中だったから、一度お風呂に入りに行き戻ってきたら掃除が終わっていて横になれたらしい。「お布団が出したままにしてあったからよかったでしょ」と私が言うと、夫は「布団は使ってない。畳にそのまま寝転んでた」と言う。

 夫が歩いた行程の写真を見せてもらう。出発から一合目、二合目、と珍しく順に何合目という表示ごとに撮影されている。写真の中の夫は二時間もしないうちに山頂に着く。まだ朝八時になっていない。お昼ごはんのおにぎりというにはあまりにも朝な時間だから、おにぎりは食べずにおりてきて、宿に戻ってから食べたのだそう。夫は朝のおにぎりは五時半頃に部屋で食べた。みっつのおにぎりの中身は梅、昆布、ゆかりを全体に混ぜ込んだもの。夫は「さすが精進料理。おにぎりも精進なのか、と思った。鮭もおかかもツナもなかった」と言う。

 母が「そういえば」と母のカメラを見せてくれる。「昨日のライトアップの写真、今日になって見たらちゃんと撮れてた」と。傘の明かりだけではなくてその前に並ぶ母と私の姿もはっきりと写っている。昨夜は暗闇で画面を見たから、写ったものが写っているのか写っていないのかさえも見えなかったということなのねえ。

 このあとはゴンドラリフトに乗りに行くのだと話すと夫が「おれも行く」と言うから、三人で出かけることに。母はリフトのあとそのまま米子駅に送ってもらうとちょうどいいと思うと言うから、じゃあ旅の荷物を車に積んで行こうね、ということにする。母は「いい部屋だった」と満足そうに部屋を出る。夫が母の荷物を持ってくれる。階段をおり、フロントで「また少し出かけてきます」と声をかける。その時にも部屋のポットを出して「また帰った時にお湯をください」と頼んでおく。

 母が宿の人に「私はこれで先に帰りますが、本当にお世話になりました」と挨拶する。宿の方が「ごゆっくりお過ごしいただけましたでしょうか」と問われ母は「それはもう本当にゆっくりとできました。昨夜の精進料理もおいしくて大満足でした、ありがとうございました」と答える。ではどうぞお気をつけて、と宿の方に見送られて駐車場までの石段を降りようとして、ふと、私が「母、母、宿の前の写真」と思い出す。母は「うわあああ。また忘れて帰るところだった、よう思い出してくれた」と玄関前に戻ってくる。夫が「撮りますよ」といったん母からカメラを受け取るが、宿の方が「わたくしが撮りますので、よろしければ皆さんご一緒に」と促してくださる。宿の入口を背景にして母と夫と私の三人で並ぶ。

 今回の山陰路で娘夫婦と一緒に写真を撮るという母の念願がかなってよかった。     押し葉

学校行事と楽勝ぽんち

 今回の大山登山を夫は「楽勝ぽんち」と表現する。本当はもっと歩きたい稜線があるにもかかわらず、大山は崩落している部分と崩落しやすい部分が多く、山全体の大きさのわりには安全に歩行できるエリアが限定されているのだとか。それでもいくつかのルートがあり、私にしてみたら「それで充分じゃろ」なのだけど、夫にしてみたらもっと手応えというのか手強い感があるほうが歩き甲斐歩いた甲斐があるのかもしれない。

 それでも大山は「日本百名山」のひとつで、中国地方では唯一の百名山だから、百名山のうちいくつ登った、というのがおたのしみのひとつになっている夫は大山を外すわけにはいかなかった。そして百名山である大山は、見る方角によってその山の姿が異なることも、見る方角によってはその円錐形がたまらなく明媚であることも、山頂から遠くまできれいに見えることも、天候によっては瀬戸内海や四国まで見わたせることも、すべてが百名山であるゆえんだ。

 夫がふだん登る山では、どちらかというと中高年の特に六十代以降のグループ登山が圧倒的に多いという。それが今回登った大山では、小さな子ども連れの家族グループが大半なのが、これまでの他の山とは大きく異る点なのだそう。富士山や立山など大きな山でも小さな子どもの登山者はいる。でもその数は大山に比べるとずっと少ない。

 夫が「楽勝ぽんち」と呼ぶその大山に、母は中学生のときに登っている。学校行事のひとつで、前日にふもとの宿に泊り、翌朝早朝暗いうちに出発して、山頂で日の出を見る。眼下に広がる「丸い虹」に驚き感動したものの、道中のあまりのしんどさに、二度と登ろうと思ったことはなかった、と母は語る。その話を聞いた夫は「昔と今では、靴にしても服にしても装備全般から、水分や塩分当分の補給の仕方に至るまで、知識や情報も世の中に用意されているものも全然違うから、今のほうだ断然ラクなんやと思いますよ」と自説をふるう。

 帰省から戻り職場に出勤して「大山がすっごくすっごく楽しくて気持ちよかったんです」と話す私に職場の人は「だんなさんは、無事に大山に登ってこれたの?」と訊く。職場の人々は私の夫は山に登るけど私は登らずお見送り専門であることを知っている。「はい、往復三時間ちょっとで楽勝だった、って言ってました」と話すと、岡山出身の先輩が「私は中学と高校のとき、夏の林間学校が大山登山で、それがもう嫌で嫌で、なんでこんなしんどい思いをしなくてはならないのかと、大山のばかやろー、と当時は思っていたなあ」と回想する。しかしその先輩は現在は北陸を中心にあちこちの山にご夫婦で登る。やはり中学や高校の体操服と運動靴ではなく、きちんと登山に適した吸湿速乾性のある衣類を身につけ足首をしっかりと保護する登山靴で歩くと、山に対してばかやろーと毒づくことなく気持よく快適に山に接することができるのかも。

 学校行事というのは、学校行事であるから、いつ行くか、どのようなスケジュールで行くか、どの登山道を通るか、どこでどれくらい休憩するか、どういう服装装備で行くか、どこで食事休憩をとるか、どういうペースで歩くか、そういったすべてのさまざまを自分では決めることができない。しかしおとなになってから、自分で計画して行く登山は、それらのすべてを自分でアレンジできる。いや、ツアー登山の場合はツアー会社がたてた計画どおりに行動することにはなるが、それでもどういう日程のどのようなツアーを選ぶかは自分で考えて自分で決める。そしてそれに出す参加費も自分が管理するお金から支払うから、慎重に検討するし、参加したからには愉しむぞという気概が自然と高くなる。しかし学校行事の場合は、参加費が必要であっても直接自分の懐が痛む支払い方ではないし、日程もツアー内容も選びようがないぶん、参加したからには愉しむぞの気概が湧きにくいのかもしれないなあ。     押し葉

大黒様の袋の柄

 石畳の参道をずっと歩いてくる間、私が母に「ここの神社はね、私が大山に行く話をしたら、めいちゃんが『それならぜひとも大神山神社に行ってみて』ってすすめてくれたんよ」と話す。めいちゃんというのは広島の実家近所に住む保育園の頃からの友人で、以前大山に来た時にこの参道を歩いたのがすごく気持ちよかったのだと、あの清らかな空気はきっとみそちゃんも好きだと思うから時間があったら行ってみて、と教えてくれた。時間はある。時間は作る。

 その話をしていたから、母は参道の途中でも、山門をくぐったところでも、階段の途中でも、階段を上がりきったところでも、「これはたしかにめいちゃんがおすすめって言うだけのことはあるねえ」と何度も何度も感心する。私は自分もおすすめしてもらった立場であるにもかかわらず、「でしょ?」と自慢する。

 階段を上がりきったところには広い社殿が建つ。帽子を脱いで社殿の中に入る。入って左側にはこの神社の由来を説明する文章が大きな板に書いてある。その奥には牛の像があり、なでたいところをなでるとその部分がよくなるような説明が書かれている。その奥には大国主命(オオクニヌシノミコト)の大きな絵。大きな袋を肩にかけた若き日の大黒様だ。

 後日大山から帰る車中で夫に「私ね、オオクニヌシノミコト、好きなんよ」と話すと、夫は「どの人?」と私に訊く。

「大きな袋を肩にかけた人」
「ああ、七福神の大黒様やな。あの袋は白いん?」
「白いよ。白以外の袋を思いついたことがないんだけど」
「大黒様の袋が緑地に黒の渦巻き模様だったりしたら、イメージがずいぶん違うだろうなあ」
「そんな袋は大国主命のとはちがうっ」
「ところであの袋の中には何が入ってるん?」
「え? 福、じゃないの?」
「あ、なるほど、福、ね」

 社殿の中央には賽銭箱。その奥には畳の部屋があり、部屋の中では説明の音声が流れているようす。私たちはその場で手を合わせて目をつむる。右側の上にはかつてはさぞ色鮮やかだったであろう天女の絵が飾られているが、今はぱっと見には天女とはわからない色あせ具合。そこから出口に近いところには『おまもり』などの販売を行うコーナーが設置されている。

 母は「みみがーに、あれでも一応合格祈願のお守りを買おうかな」と言う。

「ああ、中学受験ね。じゃあ、学業のお守り?」
「うん、でも、あんまり見た目がお守りお守りしてなくてかわいいのがいいなあ」
「うーん、どれがいいかねえ。あ、ここ見て見て。いろんな系統の願いごと別に仕切って分別してあるけど、ここの『願い事全般』のところだけ、ことごとく売り切れてる」
「人情じゃねえ。あ、みみがーにはこれがいいかもしれん」
「手毬みたいな模様じゃね、この鈴みたいなおまもり。みみがーは赤が好きなん? オレンジが好きなん? ピンクが好きなん?」
「みみがーはピンク」
「そうなんだ」
「みみがーに買うとなると、むむぎーにも買わないとねえ」
「むむぎーは受験生じゃないけん、他のにするんじゃね」
「どれにしようかなあ」

 そうして母は二種類のお守りを別々の白い紙袋に入れてもらってお買い上げ。社殿を出て左側へ。大山の登山道と神社の地図を見る。夫はこのルートかなあ、それともこっちのルートなのかなあ、もしかすると下りてきてこのへんでばったり会ったりするのかしら、などと思う。何人もの登山服姿の人とそこここですれ違う。

 背の低い木に蝶が舞う。

 階段をゆっくりと、天と地と、前と後ろと、右と左を、何度も振り返りながら、一段一段おりる。バッグの中の携帯電話が鳴る。夫からの着信。

「はい。どうやらみそです」
「今どこ?」
「神社の階段。これから帰り道、どうかなあ、あと一時間かもうちょっとかかるかなあ」
「別にいつでもいいよ。おれ、宿に戻って風呂入って部屋で横になってるところ」
「あらあ、もう下りてきたんだ」
「そういうわけだから」
「うん、わかった、じゃ、あとでね」

 母に「どうやらくん、もう宿でお風呂に入って横になってるんだって」と伝える。

「あらあ、ずいぶん早いねえ」
「そうなんよ。どうやらくんは最近でこそ、山歩きのペースを落とす目的でデジタルカメラに植物の写真を撮るようになったんだけど、そうするまではひたすらに山頂を目指して歩き続けて、下山の時もたったかたったか歩いて、あまりにも早すぎて疲労がたまる歩き方だったんだって。でも、なんでもいいけん植物の写真を撮るようにしたら、そのぶん立ち止まるけんゆっくり歩けるようになったんだって」
「へえ、そんな写真の撮り方もあるんじゃねえ」
「目的が立ち止まるための写真じゃけん、かわいいなあ、とか、なんだろうなあ、とか、そういう好奇心で撮ってるわけではないけんね、なんかそういう写真なん」
「あとで見せてもらうのがたのしみ」

 私達が宿を出てくる時に、夫が昨夜使った部屋はチェックアウトした形にして空けてきたから、夫は昨夜母と私が過ごした部屋で横になっているはず。お布団のシーツは替えてもらってあるから、きっと快適にお昼寝というか、まだ十時過ぎだから朝寝になるのかな、できるはず。

 母と私は下りの道をまたゆっくりとゆっくりと歩く。道端の何かを見つけてはしゃがんで覗きこみ微細な構造に感嘆する。山門を通り過ぎてしばらくして、あっ、山門の下で神社に向かってお礼を言うつもりだったのに、忘れてた、とずいぶんと遠くなった神社に向かってお礼をする。

 途中で参道から横道に入る。昨夜ライトアップされた金剛力士像を見た大山寺につながる道。大山寺経由で宿まで戻ることにいたしましょう。     押し葉

石畳を歩く

 部屋でだらだらしていると、母が「この時間まで部屋で何をするでもなく過ごすのはいいねえ」と言う。「おとうさんとの旅行だと、普通は九時までには、遅くても九時半には、チェックアウトして予定してる観光に出かけるけんねえ」と。私は「まだ九時にもなってないけん、十時から営業のゴンドラリフトまでには時間があるし、昨日ライトアップで歩いた参道の先にある神社まで散歩しようよ」と提案する。それではそうしましょう、と外出用の服にゆっくりと着替える。何ごともすべてがゆっくり。

 母が窓から大山を眺めながら「子どもの頃にね、年に一度、地域の子どもが集まって、男の子は男の子だけで男の子の山へ、女の子は女の子だけで女の子の山へ、登りに行く日があったのよ」と話しだす。

「なに、それは、ハイキング?」
「まあ、ハイキングじゃろうねえ。山といってもこんな大山みたいな高い山ではなくて、近所の小高いところに行くんよ。女の子の山では、樹の枝でこう囲いのようなものを作ってね、陣地みたいにして、お家ということにして、いくつかのグループに別れて、お互いにお互いのお家を訪問して、おもてなしをし合うの。親が作って持たせてくれたお重のお弁当の中身をみんなとかえっこして食べたりね。うちの母は巻き寿司を巻いてくれてね、おかずに煮物が入っていて、おいしいお弁当だったなあ。うちはきょうだいが多かったから、巻き寿司巻くのもたいへんだったろうにねえ、よく人数分のお弁当を用意してくれたもんだなあ」
「お弁当の数が多いのはたいへんじゃけど、巻き寿司に関しては、どうせ巻くなら一本だけよりも何本か以上まとめて巻くほうがやりすいんじゃないかねえ」
「ああ、それはそうかもしれん。でね、他の子のおうちはでは巻き寿司ではなくて、楕円形のおにぎり外側全部に海苔を巻きつけてね、細い丸の部分に十字に切り込みを入れてそこに佃煮やら梅やらなんかの具を詰め込んであってね、それが見た目がいちじくみたいでかわいくてねえ、自分の巻き寿司とかえっこして食べたのもおいしかったんよ」
「おにぎりに切れ目を入れて具を詰めるとか、みなさん、こまめにしたくをしてんじゃねえ」
「ほんとうにねえ、親たちはよくやってくれてたよねえ。今みたいに買ったものをそのまま入れるなんてこともなければ、買ったものをそのまま持たせるということもない時代だったからねえ。でね、そうやって一日山で遊んで最後に夕方帰るまえにみんなで大山にむかって『おおやまだいせんだいごーんげーん(おおやま大山大権現)、ばんざーい!!』って声を合わせて叫んでおしまい」
「なるほど。お山信仰というのは、そういう小さい時からの積み重ねで培われるものなんじゃねえ」
「今にして思えば、お山信仰の形のひとつなんじゃろうけど、その頃はまだ大山に行ったこともないし、大山がこんなところなのも知らずに、ただただみんなが『おおやま大山大権現、万歳』言うのを真似して言いようただけじゃったんじゃけどねえ。おとなになってから大山に来て、ああこれがおおやま大山大権現じゃったんかーと」
「おとなになってからは山登りで来たん?」
「特別登りに来たわけではなくて、銀行での研修で来たときもあったし、スキーで来たこともあるかなあ、私はシューッとはよう滑らんけん下の平べったいあたりでウロウローウロウローっとしようたねえ」
「それはもうだいぶんかなりおとなになってからのことじゃねえ。そしたら今回来てもわりとその当時のことおぼえとるんじゃないん?」
「おぼえとる言うても何年前じゃいうこともない。結婚する前じゃけんあんたもまだ生まれてないし」
「そうか、私が四十六歳ということは、少なくともそれ以上ぶりいうことか」
「当時が二十歳前後だとしても、今はもう七十過ぎてるけん、五十年ぶりだが、久しぶりも久しぶり」
「ああ、じゃあ、久しぶりに思いがけず大山に来れてよかったね」
「ほんとうよう、あんたらのおかげよう」

 さて、そろそろ出かけますかね、と九時を少し過ぎたところで、卓上の茶器をお盆の上にひとまとめにしてすみに置く。昨夜からそれまでに出たゴミをビニール袋にまとめる。自分のバッグ以外に、そのゴミ袋とお湯のポットを持って下におりる。フロントの人に「神社に散歩に行ってきます」と声をかける。部屋で出たゴミを手渡して「また新しいお湯をあとでください。お部屋は簡単な掃除と茶器の交換をお願いします。あと、お布団はシーツだけ交換して外に出したままにしておいていただけますか、お昼寝に使うと思いますので」とお願いする。

 宿の玄関のを出て、昨夜ライトアップされていた庭先を通る。石畳の参道をゆっくりと歩く。昨夜と違って明るいから足元は安心。でも石畳の石はなかなかにごつごつとしているから、参道の両端の平たいところを選って歩くか、ゆっくりと足元を踏みしめながら歩くほうが安全。

 私が母に「私ね、こういうふうに道の両側の木の枝と葉っぱでトンネルになったような道が好きなんよ」と言うと、母が「私も私も」と言う。母は「高校生の時や銀行に勤めていた時には毎日バスで通学通勤していたけど、そのバスのの通り道に街路樹が道の両側から腕を伸ばしたみたいになっている道があってね、そこを通るのが毎日すごく楽しみだったんよ」と話す。

 上り坂だからというのもあるけれど、これといって急ぐ旅ではないから、ただひたすらにゆっくりと歩く。神社を目指して歩くというよりは、参道で目に留まるいろんな植物を観察するほうが主な目的なのかなというくらいにゆっくりと。だけど実際にはそんな観察目的はない。ただたとえばときどき母が「これはなにやら(私にはおぼえられないけど有名な植物名)の仲間じゃろうねえ」と言いながらカメラにその姿をおさめるのを「へえ、そうなんだあ」とそばにしゃがんで眺める。あるいは私が遠くの木の葉っぱと葉っぱの間からお日様の光が透けて見えるのを指さして「私ね、ああいうふうに葉っぱの間から光と空が見えるのも好きなの」と話す。参道の道端にいるお地蔵様の前で帽子を脱いで手を合わせる。そんな繰り返しで歩くから、速度としては分速10メートルほどだろうか、もっと遅いかもしれない。

 母が「これくらいぽっしょんぽっしょんとゆっくり歩くのはしんどくなくていいねえ。どこか目的地までぐんぐん歩くと途中で息が切れるけど、これくらい全然息が切れないくらいに歩くと道端のいろんなものがちゃんと目に入っていいねえ」と言う。私は「どうやらくんはね、サクサク歩いて目的地に着きたい人だからね、私がこうやってゆっくりゆうるり歩いていると、こんなふうに指先で私の腰の後ろの骨を押してね、『魔法の指』って言って速く歩けるように手伝ってくれるんよ」と言って、いつも夫が私にそうするように母の腰の後ろの骨を指先で軽く支える。母は「ラクに早く歩きたいときにはありがたいけど、ゆっくりでいいときには要らんね」と言う。

 参道の空気は涼しい。木々がちょうどよく日差しを遮ってくれるからまぶしくない程度に明るい。参道では、私達よりも先に神社に参り戻る人々や、明らかに大山登山から今おりてきたところなんですね、というのがわかるいでたちの人とすれ違う。彼らの多くは、神社の山門を出てきたところで、今一度神社に向かって一礼をする。

 私たちはこれから山門をくぐる。山水が出るところで柄杓に水をすくい両手と口を清める。ハンドタオルで手と口を拭く。帽子を一度脱いで、入りますよ、のお辞儀をする。太陽があたるところは眩しいからもう一度帽子をかぶる。山門をくぐるとまわりの空気の何かが変わる。いやな変わり方ではなくて好ましいく気持ちのよい変わり方。そこまで歩いてきた参道も涼しくて爽やかで清々しくてそれはそれは気持ちがよかったけれど、それよりもさらにやわらかくひんやりとした風が前後左右上下すべての方角から全身を包む。

 場と気が澄んだところに行くと、空気がぴーんとしーんとして身が清められるような感覚を覚えることがある。大山の空気も凛としていて身が清まる感覚はあるものの、どこかふうわりとまあるいかんじがしてそれがたいへんに心地よい。ただひたすらにらさらと涼やかで、この清浄な場にいつまでも身を置いていたいようなそんなこころもち。山門をくぐってから少し歩いたところから神社への階段が始まる。この階段の幅と一段一段の高さと傾斜の角度とその段数がなんともいえず美しく、階段好きとしてはじっとその場に立ち止まりしばしのあいだ見惚れる。この階段の上にあるのが大神山神社奥宮。階段をゆっくりとゆっくりと一段登っては左右を見渡し目に留まる石や植物に近寄り、また一段登ってはうしろを振り返り、ここまで歩いていたきた参道を見て「なんともきれいな道を私達は歩いてきたんだねえ」とよろこぶ。

 階段を一段上がるごとに、場の空気の凛とした度合いと清浄な度合いとが増す。でもやはり静謐(せいひつ)というのとは少し異なるやわらかくてやさしい空気。さあ、あと数段上がれば、本殿。お参りしましょう、そうしましょう。     押し葉

アンの旅立ち

 歯磨きを終えたあとはしばらく部屋でだらだら。私が昨夜から卓上に置いていた本を母が手に取る。昨夜寝る前に「もし明日私が遅くまで寝てて、かあちゃん暇じゃったら、机の上の本読むか、そのへん散歩するかなんかしてね」と話した。でも実際には二人とも同じくらいの時間に起きたから、その本を母が見るのはそのときが初めて。母は「これが、前にみそが言いようた『赤毛のアン』の新しい訳なんじゃね」と言う。最初の出だしのところを読んだ母が「うわ。なんか最初の風景のイメージが、私の記憶の中のものとはちがう」と言う。

「そうじゃろ。大筋はもちろんそのままなんだけど、風景のイメージや登場人物の人格が微妙にちがうの。ほら、扉のところに、ブラウニングの詩があるの、おぼえてる?」
「おぼえとるようねえ」
「それもね、訳者さんによって、訳し方がみなさんちがうの、ほらほら」
「ああ、ほんとうじゃねえ。でも、村岡さんの訳があるのに、また別の人が新たに訳す必要があるんじゃろうか」
「村岡さんの訳文の格調の高さはゆるぎないものなんだけど、現代語訳には現代語訳ならではの現代ならある概念の語彙に訳してあるのはわかりやすいなあ、と思うんよ。むかしはキルトやパッチワークっていう言葉がなかったけん村岡さんは『つぎもの』って訳しとってじゃけど、そこはキルトのほうが今はわかりやすいじゃろ」
「それはそうじゃけど。村岡さんの訳はすごくいいと私は思うんよ」
「それはね村岡さん以降のどの訳者さんもそう思った上で仕事しちゃったんじゃと思うよ。林さん以前にも他にいもいろんな人の訳があるんよ。私も本当は他の人の訳を買うつもりで本屋さんに行ってその人のがなくてたまたま見つけた林さんのを買っただけじゃけん。児童向けのダイジェスト版でも村岡さん以外のいろんな訳者さんがおっちゃったよ。林さんのアンはね、言葉遣いが少し現代っ子でね、『なんとかしちゃうわ!』とかなんとか、しょっちゅう、ちゃうちゃう、言うの」
「ええー、アンがー?」
「マリラやマシュウの言葉遣いも、他の登場人物も、みんなちょっとずつ、村岡さんの訳の人格とは違っていて面白いんよ」
「みそに頼まれて、うちにあるアンのシリーズ探したんじゃけど、見つからんのんよねえ。私が捨てるわけがないけど、うちには『捨て捨て魔』がふたり(父と弟)おるけんねえ。また涼しくなってからゆっくり探してみるけど」
「まあ、売ってるんじゃけん、また買ってもいいと思うよ、私達それくらいの財はあるんだし」
「私はみみがーに赤毛のアンを読ませてやりたくて、子ども向けのダイジェスト版を買ってやろうかと思いようるんよ」
「いやいや、みみがーはちゃんと本が読める子なんじゃけん、村岡さんの訳でも平気で読むと思うよ。読む力があんまりない子はダイジェストのほうがいいかもしれんけど、ダイジェスト版はダイジェストじゃけん重要なシーンが削除してあってね、淡々としているというか躍動感が低いというか、まあ村岡さんのアンは、今になって読むと、あんたちょっと落ち着きなさい、なかんじではあるけど、前半ああだからこそ後半の成長が味わい深いんであって」
「そうかねえ、みみがーに読めるかねえ」
「読めるよー。だって、ほら、見てよ、村岡さんの訳のほうは、難しい漢字を全然使ってないでしょ。どうしても画数の多い漢字のときにはちゃんとふりがながついてて。でも、ほら、林さんのほうだと難しい漢字が読み仮名なしでそのままじゃけんね、こっちはある程度の大人というか大きい年代の読者を意識してるんだと思うんよ。でも、村岡さんは十代前半の子やもしかしたらもっと小さい子も読者層として意識しとっちゃったんじゃないじゃないかねえ」
「ほんまじゃねえ、これならみみがーも読めるかー」
「読める読める。この村岡さんの本、みみがーにあげてくれていいけん、持って帰ってみて」
「いいん? あんたが買った本なのに」
「いいよ、私はまた欲しければ買うけん、私は今はこの英語版があればそれで充分あそべるけん、林さんのほうもよかったら持って帰って読んでみてよ、村岡さんのと読み比べながら読むと面白いよ、しばらく遊べるよ」
「そうする。それはたのしみだわあ。村岡さんのをみみがーにやるのは私が読み終わってからじゃね。私は今回の旅行にむむぎーが貸してくれた本を持ってきたのがあるけんそれも読まんといけんのんじゃけど、アンが二冊増えたし、忙しいわあ」
「むむぎーの本はなんなん?」
「えーとね、これ(とカバンの中から出して見せてくれる)。むむぎーが『ばあちゃん、おれの本、読む気ある?』言うけん『うん、読むよ』言うたらこれを貸してくれたん。なんかね漫画みたいな推理小説」
「おおー。むむぎーがこんなに活字ばっかりの本を読むようになったとは、大きくなったんじゃねえ、めでたいねえ」
「そうじゃろ。内容は本当に漫画みたいなんじゃけどね」
「でも、ほら、こんなに漢字がちゃんとあるじゃん」
「そうなんよ、ちゃんと読まずに読めるところだけで適当に話をつなげとるんかもしれんけどねえ」
「それでも、活字だけの本をむむぎーが読むようになったのが成長じゃんー。みみがーはむむぎーより年下でも赤毛のアンくらい読めるじゃろうと思うのに、むむぎーに対する読書力の期待値は低いところで安定してるなあ」

 こうして私の手元から、二冊の『赤毛のアン』が広島へと旅立った。     押し葉

朝ごはんはマンゴープリン

 宿のトイレまで部屋からは廊下を数メートル歩く。トイレ用スリッパに履き替える。昨夜は夜だったからやめておいたけれど、今はもう朝だからトイレの窓を勝手に開けて換気をする。窓に一番近い位置にある洋式便座の個室に入る。トイレを出る時には窓を閉める。

 トイレから出たら廊下の突き当たりにある洗面台で手をしっかり洗う。タイル張りで水道はみっつ排水口はひとつの水だけが出るタイプの洗面台。洗面台にうつむいて口をゆすぎ顔を洗う。口をゆすぐときには毎朝そうするように指のひらで歯と歯茎がキュキュっと音がするまでマッサージする。首にかけたタオルで手と顔の水気をぬぐう。

 部屋に戻ると母は起き上がっている。私は自分の布団を半分に折りたたみ押入れ側に寄せる。母も同じようにする。卓上の急須のお湯があと少しで沸騰する。持参の紅茶ティーバッグをやはり持参の耐熱プラスチックマグカップに入れる。母に「あとで緑茶も入れるけど、今飲むのは紅茶がいい? 緑茶がいい?」と尋ねる。母は「紅茶。紅茶がいい」と言う。卓上の宿の湯呑みにも紅茶のティーバッグを入れる。お湯がぐつぐつぶくぶく沸騰したら急須からお湯を注ぐ。

 持参の豆乳のストローを差し込む部分にいったんストローを差し込む。そのストローを抜く。穴の開いたところを逆さまにしてマグカップに豆乳を加える。母に「豆乳入りがいい? 豆乳なしのストレートがいい?」と問うと、母は「豆乳を入れた紅茶を飲んだことがない」と言う。「じゃあ、私のを一口飲んでみて気に入れば入れて、好みじゃなければなしにしたら?」と提案する。母は私のマグカップの豆乳紅茶を少し口に含み飲み込んでから「豆乳入りにする」と言う。紙パックの豆乳から母の紅茶にも豆乳を入れる。残りの豆乳はすべて私のマグカップの中へ。

 豆乳入り紅茶を飲み、私はサプリメントをいくつか飲む。そうしている間にポットのお湯に携帯湯沸かし器を浸けて、また電源を入れる。携帯湯沸かし器の電源はコンセントを差し込めばオン、コンセントを抜けばオフという原始的な構造で、必ず本体を水かお湯に浸けた状態でコンセントの抜き差しをする。そうしないと安全機能が空焚きと判断し本体が壊れることで電源を切りそれきり使えなくなるようになっているのだ。

 急須の中に宿の緑茶の葉を入れる。ポットのお湯が沸騰したらそのお湯を急須に注ぐ。電源を抜いた携帯湯沸かし器は卓上の布巾の上で乾かす。ポットのお湯が空になったから、厨房でもらってくることにする。そのついでに厨房の冷蔵庫で預かってもらっているマンゴープリンをもらってこよう。

 ポットを持って一階に降りる。「お湯をください。それから冷蔵庫で預かってもらってるものを一部取りたいんですが」と伝える。出してもらった冷蔵品の袋からマンゴープリンをふたつ取り出す。「あ、そうだ、スプーンもふたつ貸してください」とお願いする。スプーンは葉っぱの形をしたお皿にのせてあった。スプーンとマンゴープリンを持ってフロント横の「七夕短冊コーナー(正座して好きな短冊に願いことを書くことができる台)」で短冊の柄を眺める。宿の方が「お湯は沸いたらお部屋までお持ちしますよ」と言ってくださる。「ありがとうございます。では、お願いします」と部屋に戻る。

 母に「朝ごはんにマンゴープリンを食べよう」と言ってマンゴープリンとスプーンを卓に置く。私のマグカップと母の湯呑みを水道でゆすぐ。急須の緑茶をそれぞれのカップに注ぐ。よしよし、渋めにおいしそうに出ている。

 母は「ああ、朝ごはんにマンゴープリンはちょうどいいねえ、うれしい」と蓋のフィルムを剥がしてスプーンで一口食べる。そして「おお、またこれは、なんとも濃いマンゴープリンだ」と言う。どれどれと私も同じように味見する。

「うわあ、ほんとうだ。これは、まさにマンゴー。いや、マンゴープリンだからマンゴーなんだけど、マンゴーの果実がそのままなかんじ」
「マンゴーの実をそのままか、ちょっとだけ裏ごししてカップに詰めただけなんじゃないかと思うくらいマンゴーだねえ」
「マンゴーの果肉自体がもともとこんなかんじだが。ゼラチンか何かを少しは加えて固めてあるのか、マンゴーの果肉を裏ごししたのをカップに入れて冷やしたらこういうかんじになるのか、どっちかと思うくらいマンゴーマンゴーしてるねえ」

 マンゴープリンで甘くなった口に緑茶がおいしい。母がおやつにと持参してくれた『生もみじ』シリーズを食べる。『生もみじ』の姉妹品である『せとこまち』。漢字で書くと瀬戸小町なのかな。八朔ジャムを挟んだやわらかいおせんべい。宿の方が部屋の扉を叩いて「お湯お持ちしました」という声が聞こえてポットを受け取りに出る。新しいお湯で追加の緑茶を淹れる。

 義妹(弟の妻)のゆなさんが「車中で皆さんで食べちゃってもいいし、残りは福井に持って帰ってもろうてください」と私の好きな鳳梨萬頭(おんらいまんとう)(私はなんとなく『ほうらいまんじゅう』と呼ぶ)を母に預けてくれていたものをいただく。

「これこれ。私の大好きな鳳梨萬頭」
「鳳梨萬頭ってどんなん?」
「かあちゃん、食べたことないん?」
「ないと思う」
「そうかなあ、食べたことあると思うよ。見たら思い出すかもよ。見て思い出せなくても食べたら思い出すんじゃないかな」
「うーん。見た目に記憶はないなあ」
「じゃあ、実物を」
「うーん、一個は多いけん、ちぎって分けて」
「はい、じゃあ、これくらいかな(不均等に半分に割る)」
「ありがと。(一口食べて)あ、思い出した、食べたことある。そうそうこんなだった。ご馳走様でした。これって中国か韓国がどこかにもおんなじようなお菓子があるよね」
「そうそう、台湾でよく売ってる。台湾のは中身がパイナップルジャムなのは同じだけど、外側の皮がこんなにやわらかくしっとりとはしてなくて、なんかもっとビスケットっぽくて硬いのが多いかな」
「そうそう、それだ。台湾か」

 朝ごはんはこれくらいでよしとする。あとはゆっくりと歯磨きをする。母は「顔を洗ってこようっと」と洗顔フォームや化粧水などが入ったポーチを持って立ち上がる。私が「ここの洗面台でも洗えるけど、廊下の洗面台のほうが奥行きがあって洗ったりすすいだりしやすいと思うよ」と伝えると、母は「そうする。ついでにトイレにも行ってくる」と言う。

 歯磨きをしながら部屋の窓から大山を眺める。夫は今頃どのあたりを歩いているんだろう。大山、大きいなあ。     押し葉

大山で目覚める

 自然と目がさめた時には、もういかにも朝な明るさで、でもまだ空気はひんやりとしている。時計を見ると五時五十分よりも少し前かな、なくらい。夫は朝六時くらいに出発予定と言っていたから、もしかするとお見送りができるかしら、と思いながら、布団の中でのびをして待つ。

 目覚めた時に行うと気持ちがいいことに気がついて最近ほぼ毎日そうしていることがある。布団の中で自分の手のひらと手のひらをこすり合わせる。手の甲も手のひらでこする。それまで睡眠モードだった心臓が活動モードに切り替わる。さらに両手を親指から順に折り曲げ小指から順に開く。それからゆるやかにグーとパーを繰り返す。足の指もグーとパーを何度かする。それから両手のひらを顔に当ててすりすりと顔の表面をこする。頬から顎、額からまぶたそして耳。顔の毛細血管に血液がぎゅんぎゅんと流れてまぶたがパチリと開く。

 昨夜夕食のときに夫は、朝ごはんとしてのおにぎり(三個入り)と、山頂で食べるためのおにぎりを、宿の人にお願いしていた。何時頃に用意しましょうか、と問われて、皆さん何時頃に登られるのですか、と夫は問い返す。暑くなるといやだからと早朝四時あるいは五時に登る方もいらっしゃいますが、ゆっくりと七時八時になって出発の方もおられます、とのこと。夫は、では五時半頃におにぎりを取りに来て六時出発の予定にします、と言う。宿の方が、朝の帳場は六時半からとなりますので、作りおきのおにぎりをフロントのカウンターに置いておきます、五時過ぎに取りにきてくださっても大丈夫です、と案内される。夫が、どれが自分のおにぎりなのかわかるように名前か何かつけていただけるのでしょうか、と尋ねると、明日山に登られるのはお客様おひとりだけですのでご安心ください、と言われる。

 夫はもうおにぎりを食べたかな、もうじき荷物を持ってくるのかな、と思っているうちに六時がすぎる。あれ、寝坊したのかしら、それとももしかしたら、もうとっくに出かけたのかな、と思い、お布団から這い出してふすまを開けてみる。スリッパをぬぐスペースのところに夫の旅行かばんがある。ああ、じゃあ、もう、とっくに出かけたということなのね。

 母が布団の中で伸びをして「あー、すっきりー。よく寝たー」と目覚める。「こんなに静かで真っ暗なところで寝るとぐっすり眠れるねえ。それにしてもここの窓から入ってくる外の空気はなんと気持ちがいいことだ」と言う。

「どうやらくんね、六時出発って言ってたけど、それよりも早く出たみたい。荷物がそこにもう置いてあった」
「まあ、そうなんねえ。今日は昨日よりも山がよく見えとるけん、上からの見晴らしもいいじゃろうねえ。どこの尾根をどんなふうに歩いたんか、どうやらくんが帰ってきたら話を聞きたいねえ。あ、みその枕の向きが昨日の夜と反対になっとる。やっぱり私のいびきがうるさかった?」
「ううん、ちがうん、エアコン消してから窓開けて風の通り道に顔を置きたかったけん、布団ずらして枕もこっち向きにしたん。かあちゃんのいびきはじっくり聞いてみたけど、うるさい、というよりは、息苦しそう、じゃったよ」

 母も夫も治療を要するレベルに微妙に到達しない程度の睡眠時無呼吸症候群傾向があるため、仰向けに寝ると弛緩した舌の筋肉が喉を塞いで気道が細くなり呼吸が浅くなりいびきのような音が生じる。横向きに寝るとそれは軽減するのだが、都合よく横向きばかりで寝ることができない。CPAPの導入も含めて各種要検討試行錯誤の分野だ。

 夜涼しく寝汗をかくこともなく肌はさらさらのままで、朝風呂欲求は湧いてこない。持参の延長コードをコンセントにさして、卓の近くでコンセントが使える状態にする。急須の中を空にして縁側の洗面台の水道水ですすぐ。ポットでぬるくなったお湯を急須にいれる。持参の携帯湯沸し器を急須のお湯の中に浸ける。湯沸かし器の電源を延長コードのコンセントに入れる。ぬるま湯からだから水からお湯を沸かすよりは早く沸くはずだけれども、それでもおそらく数分はかかるから、その間にトイレに行って顔を洗ってくることにする。部屋の洗面台でももちろん顔は洗えるのだけど、トイレの前にある広い洗面台のほうが奥行きがあって洗いやすそうだから。首にタオルをかけて部屋を出る。

 お湯が沸いたら紅茶を入れよう。持参の紙パック入りの豆乳を紅茶に加えて、自宅で毎朝そうするように寝起きの豆乳紅茶を飲もう。そのあとのことはそれからゆっくり考えるのがいいね。     押し葉

快眠環境向上委員会

 大山の夜は暗い。母はいつのまにか眠りの海に完全に飛び込みその海原で悠々と泳いでいる。私は母の実家で夕方たらふくいただいたおいしい緑茶のカフェイン効果で、こんなに眠いのに、身体のカフェインに反応する部位が覚醒していて寝つけない。

 それでも暗闇で身体を横たえているだけで、細胞が細胞として夜間になすべきことを少しずつしてくれているのがわかる。明日は特急やくもと新幹線で広島に帰る母を米子駅まで車で送りに行く以外には、これといって特段の用事はない。気が向けば神社に行こうね、ゴンドラにも乗ろうね、ソフトクリームも食べようか、という程度の流動的な予定は実際にそうしてもそうしなくてもどちらでも問題ないことだ。たとえいま寝つけなくて明日遅くまで寝ていることになるとしても、この部屋は連泊用だからいつまででもいくらでも寝ていてもかまわない。それにだ。そもそもまだ世の中は夜九時半になるかならないかなのだから、大人がこんなに早くから無理に寝る必要はないとも言える。

 最初は部屋の押入れ側に枕を並べる形で布団が敷かれていた。そのお布団にそのまま寝たものの、こうしてなかなか寝つけないなら、この部屋の睡眠環境を快適に整える遊びをしよう、と決める。

 まずそのままでこれまでどおりに寝てみる。窓からの風がどのあたりを通過するのかを身体で感じる。風が主に流れているのは私の足首あたりだろうか。今度は身体の向きを変えて自分の頭を足元側にしてみる。風は私の胸の下あたりにあたるように感じる。ということは、窓から部屋の中央部分あたりに吹き込んでくる風を顔で受け止めようと思ったら、布団全体をもう少し押入れ側に寄せて、もともとは足元側だったほうに枕を置けばいいということかな。

 母が目覚めないよう静かに布団の移動作業を行う。横たわる。目をつむる。息をする。山と木の香りをはらんだ風が呼吸のたびに私の顔に新しい空気を運んでくる。うん、これはいい。しかし、窓が開いているところが一ヶ所だけでは、空気循環としてもうひとつだ。換気は二ヶ所以上開いていることで、室内の空気と外気との循環がより円滑になるものだ。夕方は蜂が入るからと閉めた縁側の窓を開けたらどうかな。

 寝る前に用いた虫よけスプレーを持って縁側の窓を15cmくらい開ける。窓を開けたら窓の上部にスプレーを噴霧する。念の為に部屋のなんとなく四隅かなというあたりにもシュッシュッと。その状態で布団に横になってみる。すると空気に新しい流れができて、なんとも塩梅がよろしい。風は強すぎず弱すぎず、私の呼気を完全に拭い去っては山の空気を運び込む。ああ、完璧。車旅行だからと自宅から持参した自分の枕に頭をのせて、宿の枕は抱き枕として抱きかかえる。ああ、素敵。

 次に気がついたのはまだ少し薄暗さの残る明け方で、でもこれくらい明るければもう虫の心配はしなくていいな、と一度立ち上がり大山側の窓を全開にする。部屋の空気がさらに清浄さを増す。それからまた横になる。そうして深くすこんと眠りの海原に潜る。その海原にたゆたう私が呼吸するたびに山の空気とともに、あれはなにだろう、『山の英気』のようなものが、私の中に脈々と注ぎ込まれる。呼吸で鼻と気道を経由するそれだけではなく、自分の全身がなにか『山の力』のようなもので覆われ外側も内側も洗われそして濯がれる。洗濯の時にすすぎの水が完全に無色透明になるまでじゃぶじゃぶとじゃぶじゃぶとじゃぶじゃぶと濯ぐように。

 この部屋では、別に無理にぐうぐうぐっすりと眠らなくても、いや結果的には緑茶カフェイン効果もおそらく十二時前には切れてぐうぐうぐっすりと寝たのだけれども、この場に身体を置くだけで、そこに横たわるならなおのこと、一般的に『リフレッシュ』と呼ばれるような種類のもののかなり格上のなにかが身体に起こっているのだろうなあ、きっと。なんだか大山はとてつもなくえらいなあ。     押し葉

傘と蝋燭

 夕食がすんで二階の部屋にあがる。夫は自分一人の部屋でたぶんタバコを一本吸う。宿泊先で夫は部屋に自分ひとりのときには部屋でタバコを吸い、私と一緒のときには部屋では吸わず館内のどこかにある喫煙コーナーで吸う。

 母と私は畳の上に大山周辺観光地図を広げる。事前に大山旅行の相談を母としていた段階では、近くに点在するブルーベリー園でブルーベリーをたくさん食べようよ、計画していた。宿の朝ごはんを食べるとブルーベリーを存分に食べることができないから、だから宿の朝ごはんはなしにして、部屋で軽く何か食べるだけにしよう、ということにしていた。
 
 でも観光案内の地図を見ていたら、ブルーベリー園もいいけれど、天空ゴンドラというのがなんだかとても楽しそうだね、と母娘で思う。冬場はスキー場のリフトとして運行しているものを夏場には大山観光用に運行しているようだ。夫のように自力で山に登って降りることに関する興味はないけれど、乗り物で高いところに運んでもらって登って下ることができるなら、それはぜひともそうしてみたい。

 コンドラにも乗りたいけれど、明日になったら、今夜これから歩く予定のライトアップされた石畳の先にある神社にも行きたい。もしも明日早起きしたときには、朝早めの涼しい時間帯に神社まで歩いて行って戻ってきて、宿でちょっとお茶など飲んで少しごろりと寝転んでから、十時に営業が始まるゴンドラのところに行くのもいいかも、と計画する。
 あるいは、神社から戻ってそのまま車に乗って、車で五分強走ったところにあるゴンドラに乗ってもいいし、その途中で何かおいしそうなものを見つけたらそれを食べてもいいしね、と、夢はひろがる。

 夫が「そろそろ行きましょうかー」と言いながら部屋の扉を開けてふすまの外から私達に声をかける。母と私は「はーい」と立ち上がり部屋のエアコンと明かりを消す。

 夫は明朝早い時間に山登りに出かける。たぶん朝六時くらいには出ていくんじゃないかなという。夫の部屋の荷物のうち登山道具以外の荷物はフロントに預けようかなどうしようかな、と言うから、お客さんが多いわけじゃないし今夜母と私は部屋の鍵をかけずに眠るから、明日の朝出発するときそうっとドアを開けてふすまの手前のスリッパをぬぐ場所か、ふすまをそうっと開けて、部屋に入ってすぐのどこかに荷物を置いてくれてもいいよ、と伝える。夫は「じゃあそうする。もし閉まってたら部屋の外の廊下に置くかもしれんし、フロントに預けるかもしれんけど、部屋の荷物は出しておく。でも、六時に出発したらたぶんチェックアウト時間の十時までには帰ってくるとは思うんだけどなあ。大山登山往復の標準時間が五時間らしいから、おれだとたぶん三時間か三時間半かなあと思ってるんだけど、まあ、自分の部屋には荷物を残さないようにするよ」と算段する。

 部屋のポットのお湯は夕方チェックインしたときから持参のなたまめ茶のティーバッグを浸出して飲み干したから、フロントでポットを手渡して「ライトアップから帰ってきた時にまたお湯を入れたポットをください」とお願いする。ポットは銀色のどっぷりとした形で取っ手と蓋は黒色。宿泊の予約をするときに「湯沸かしポットか電気ケトルの貸し出しはありますか」と尋ねたけれど、保温ポットでのお湯の提供のみということだった。ポットの容量は800ccというところだろうか。

 夕食のときに、夫はビールを、母と私はお水を飲んで、食事の最後に卓上においてある急須のお茶を湯のみに入れて飲んだ。なんのお茶だろうか、知っている味と香りががするのだけど、おいしいけれどなんだろう、と母と話す。母が「うちのおばあちゃん(広島の祖母)がよく作ってたハブソウ茶の味にも似てる気がする」と言う。私は「うん、ハブソウ茶の豆が多いときの味にも似てるねえ」と答える。

 ライトアップの散歩に出かけるとき、フロントにポットを預けて、ふとフロント横を見ると「大山名物なたまめ茶」が販売されている。ああ、夕食のあとのあのお茶はこのなたまめ茶だったのか。豆が多い部分のハブソウ茶の味と香りの記憶かと思ったけれど、宿についてからずっと飲み続けている持参のなたまめ茶の味と香りの記憶のほうが近かったのか。

 宿の玄関で靴を履く。母が玄関に置いてある宿の下駄のようなカランコロンと歩くタイプの履物を見て「これを借りて履いて行ってもいいのかな」と言う。宿の方が「参道の石畳はけっこうゴツゴツしていますから、歩きやすい靴のほうがよろしいかと」と言われる。それぞれ自分が履いてきた靴を履く。玄関を出て左側の中庭からもうライトアップが始まっている。筒状の和紙の中に蝋燭の火がゆらめく。中庭を抜けると石畳の参道が始まる。街灯はなく、参道両脇の蝋燭の灯火では足元が見えない。

 母が「ほんとうだねえ、たしかのあのカランコロンとした履物でここを歩くのは無理だわ」と言う。私は「人の言うことはきいてみるもんじゃねえ」と頷く。歩いていると足元がそうっと明るく照らされる。催し物開催関係者の方々が明る過ぎない懐中電灯で私達の足元を照らして「足元気をつけてお進みください」と声をかけてくださる。暗くてあまりよくわからないけれど、スタッフのかたがの声のかんじは大学生よりはもう少し年上の社会人になって間もないくらいの年頃の方たちかしら、というかんじ。

 母は「しばらく腕につかまらせて」と言って私のうでをつかむ。暗い中で石畳を歩くのは難しいものなのねえ、と思いつつゆるゆると歩く。途中からは蝋燭だけでなく色鮮やかな和紙を貼った傘が開かれたその中にライトが照らされていて、闇の中に傘の和紙の色が映える。

 母がカメラを出して撮ってみる、という。フラッシュがないほうがいいのかな、とフラッシュを切って撮影しようとしたら、夫が「撮りますよ、そこに並んで」と言う。傘の前に母とふたりで立つ。今撮った写真を見て確認しようとしても暗くてなんだかよくわからない。私の携帯電話を開いてその明かりでカメラの画面を照らす。母が「フラッシュありにしてみる」と言ってカメラを少し操作する。夫がまた「じゃあ、そこに並んで」と言うから母とふたりで立つ。夫が撮ってくれた写真を見てみても、なんとなく傘が写ってるかなあ、という以外のことがよくわからない。

 私が母に「とりあえず傘はきれいに撮れるみたいだから、傘の塊を撮ったらどう?」と、ライトアップコースの最後にある和傘の塔を指さす。塔といっても傘を七つくらい重ねて内側から照らしてあるものなのだけど、和紙の色合いが様々で暗闇をほんのりと彩る。母は「そうする」と言って和傘の塔にカメラを向ける。画面を確認して「ああ、きれいにとれた」と言って、カメラをケースに片付ける。

 帰り道の下り坂でもまた開催スタッフの方たちが足元をライトで照らして声をかけてくださるけれど、この頃には私達の目が暗闇に慣れてきたからなのか、来た時よりもずいぶんと石畳の石ひとつひとつがしっかりと見える。

 参道をくだりきったところに大山寺というお寺がある。その入口もライトアップされていて、門の両端には金剛力士像というのだろうか、片方の像は口を閉じていてもう片方の像は口を開けている木彫りの像が立っている。その像も下から明かりで照らされているから、普段日陰では見えない細かい彫りの部分までがくっきりとよく見える。

 母が「この仏さんの胸の乳首は花びらの模様に彫ってあるのねえ」と言う。夫と私がどれどれとその仏像に近寄る。「ほんとうだ。花びらだ」と言ってから、「もう一個のほうも同じなんじゃろうか」と、もうひとつの仏像に近寄って見る。

「どうやらくん、見てみて、花びらなのは同じだけど、花の種類が違うよ」
「あ、ほんとだ、さっきのは桜みたいだったのに、こっちのは菊の花に見える」
「え、さっきのは桜だったん?」

 今一度、もとの仏像の胸を見る。ほんとうだ。こっちのほうが花びらの形に丸みがある。もうひとつのほうは絵や彫り物における菊の花っぽく角張った形。山門の両方の仏像の間を行ったり来たりして、金剛力士像の乳輪を比較し続ける。乳輪だけでなく他の部分も普段なら見えないところが明かりに照らされて、彫りの細かいところまでよく見えるのがたのしい。

 山門まではライトアップされていてもそこから先は真っ暗だから、山門から宿に向けて引き返す。山門の前の道を下る。この道は平たく滑らかな石畳で、両脇の商店等の明かりがあり、さっきの参道よりずっと歩きやすい。夫が「せっかくじゃけん下まで散歩してこようか」と言うから少し歩いてみたけれど、お店が開いているわけでもなく、他の人達はライトアップのイベントに来た帰り道で帰っていくばかりで、私たちは下までおりる用事はなにもない。私が「私はもういいや、先に宿に帰る。どうやらくんとかあちゃんは歩きたいだけ歩いてきて」と言う。夫と母が「ならもう帰る」と言うので、三人でまた駐車場から宿までの石段を登る。

 「ただいま帰りましたー」と玄関に入る。フロントで部屋の鍵とお湯のポットを受け取る。二階の廊下で夫と左右に別れる。「じゃあ、明日はお見送りはしないと思うけど、いってらっしゃい、いってらっしゃい」と私が言うと、母が「気をつけてたのしんできてね」と言う。夫は「たぶんドア開けて荷物を中に置いていくけど起きなくていいから。じゃ、おやすみ」と言う。

 部屋に戻ってきたのは九時を少し過ぎたくらい。新しくもらったポットのお湯でまた新しくなたまめ茶を入れて飲む。毎晩寝る前に飲むアレルギーの薬も飲む。ほんとうはもう一度お風呂に入って、母の足のマッサージをして、と思っていたのだけど、なんだかとても眠いから、もうお布団に入ろうと思う。母が「私も眠くて眠くてたまらないから、もう寝る」と言う。「寝る前の薬は飲んだ?」と訊くと、「おお、そうだった、そうだった、飲んでから寝る」と昼間に飲んでいた爽健美茶の残りで飲む。

 母が「電気真っ暗なほうがいいんだけど」と言い、「私も真っ暗にするのが好き。ちょっと息苦しいから真っ暗にして窓を少し開けてみる」と言ってから電気を消して窓を10cmくらい開ける。この段階ではまだエアコンはつけたままで気温がどんなかんじなのか様子を見てみる。窓をあけたところに部屋の四隅に噴霧するタイプの虫よけスプレーをシュッと噴霧する。これを噴霧すると蚊取り線香やベープマットや液体ノーマットを使わなくても一晩蚊を避けることができる。そして蚊取り線香やベープマットや液体ノーマットと比べると私の身体的負担が少ない。部屋のテレビのうしろには液体ノーマット蚊取り器が置いてあったけどとりあえず持参のスプレーのみで過ごしてみる。

 窓を開けてしばらくすると、部屋の中の空気がひんやりとすっと透きとおる。呼吸が深くらくになる。母は自分の片脚を折り曲げ膝を立てその膝の上にもう片方の脚のふくらはぎをのせてセルフマッサージをしながら寝ている。ああ、母の足と脚のマッサージしてあげたかったなあ、と思いながら眠りの淵をゆらゆらとさまよう。

 せっかくの暗闇なのに、なんだかまぶしい、と感じてまぶしい原因を探る。ひとつはテレビの電源の赤いランプ。暗闇の中でメイン電源を切るスイッチを手触りで探すけれど指先ではうまく見つけられなくて、コンセントから電源を抜く。赤いランプが消えると暗闇度合いが少し増える。脳が、しん、と静まるような心地良い感覚。それでもまだなにかが明るいのは、エアコンの本体にある作動中を示す緑色っぽい明かり。手元のリモコンでエアコンを切る。窓をもう10cmほど大きく開ける。涼しい風が強く吹きこむ。外の木々の枝と葉が揺れる音が聞こえる。

 エアコンを消しても暑くない。これなら窓を開けて寝るほうが気持ちいい。まだもう少し明るくまぶしく感じるのは、リモコンのスイッチ部分の蛍光塗料。リモコンを裏向きに伏せる。これでもう部屋の中で光るものはない。お布団に横たわり、そよそよとそよぐ夜風を身に浴びながらしずかにぴたりと目を閉じる。     押し葉

ため息の出る精進を

 時計がだいたい七時になる。夕食の支度ができたら部屋に呼び出しの電話がかかることになっている。どこか他の部屋で電話の音が鳴るのが聞こえる。夫の部屋かな。

 数分後、夫が母と私の部屋の扉をコンコンと叩いて入ってくる。夫は「夕ごはんまだかなあ」と私に言う。

「そろそろだと思うけど、さっきの電話の音、どうやらくんの部屋に呼び出しがあったからこっちに呼びに来てくれたんじゃないの?」
「ちがう。あれはよその部屋の電話の音。まだかな、まだかなあ、と思って待ってたけど、なかなか電話がならないから、こっちの部屋にかかるんかもしれんと思ってこっちに来てみた」
「こっちの部屋もまだだけど、もう七時だし、下に降りてみようか」
「うん。行こう、行こう。お腹がすいたよ」

 母が「ほら、やっぱり、どうやらくん、お腹がすいてたんじゃないの。夕食六時半のほうがよかったんじゃないの」と言う。私は「私達もちょうどよくお腹がすいたから、この時間なら一緒においしくいただけるよ、七時で正解」と応じる。夫には「どうやらくんは母と私以上にしっかりお腹がすいたから、きっとすっごくおいしいね、七時に合わせてくれてありがとね」と伝える。部屋の電話が鳴る。「一階にお食事の支度ができました」

 一階に降りる。階段を降りる手前の広い場所の窓が開け放たれていて、夕方の涼しい風が気持ちいい。フロントの前を通過すると、宿の方が「こちらにどうぞ」と個室に案内してくださる。私は母と並んで、二人の間の向かい側に夫が座る形で卓を囲む。

 食前酒はヤマモモ酒。夫はビールを一本、母と私はお水を頼む。前菜は柚子の皮の甘露煮、ヤマブキ佃煮、つくしの煮たもの、生麩の田楽などなど。
 胡麻豆腐にはうっすらと白濁したおだしを葛でよせたものがかかっていてお醤油で食べるよりもこっくりと味わい深い。
 葛を固く弾力のある状態にしたものを細切りにしたのはイカのお刺身に似せたもの。となりには湯葉のお刺身も。
 お豆腐をぎゅっと固めた小判型のものを焼いて甘辛いタレをかけ山椒の酢漬けを飾ってあるのはウナギの蒲焼に似せたもの。
 豆乳鍋は卓上炎が消えかけたら手前の出汁を入れて混ぜて仕上げる。山菜の炊き合わせと山菜の天ぷらはあたたかいものが運ばれる。春から夏の間は山菜が、秋から冬になるとキノコが、メニューの主役になるのだとか。
 山菜の天ぷらの中に「花筏(ハナイカダ)」という名前の葉っぱがある。葉の表側の中ほどに丸い緑色の花のような実のようなものがついていてそれが舟を漕ぐ船頭さんのようだから葉のほうを筏に見立てた名前。ブナの森の中にときどき咲いているのです、と宿の方が説明してくださるから、明日になったら探してみようと母と話す。
 山菜の白和えも、他にも思い出せない何もかもが私好み。
 ご飯は山菜おこわ。赤米のおこげのお吸い物は出汁が滋味深く細胞の隅々まで染み渡る。
 精進料理だからネギ・玉葱・ニラ・ニンニクは出てこないとは思っていたけれど、シシトウもピーマンも唐辛子もパプリカも使われてないからすべて残すことなくいただくことができる。

 食事の間、私が何度も「ああ、おいしい」「ふう、おいしい」と溜息をもらすたびに、母が「そんなに何度もおいしいおいしいと言ってもらえたら料理も喜んどるじゃろうねえ」と言う。

 頭痛対策で食事に制限を設けて以来、外食で外泊で特別これを抜いてくださいあれを使わないでくださいというリクエストを事細かにしなくても、これほどまでに同行の人と同じメニューでなおかつ私がすべてをおいしくいただけるところがこれまでにあっただろうか。

 夫も母も私ほどではないとはいえ、いちいち「うまいなあ」「おいしい」とつぶやく。精進だから出汁も植物性のみの出汁のはずだけど、奥行きと輪郭がしっかりとした味わいで、頭のてっぺんから手足の指先まで体全体でおいしいと感じるそんな味。

 母は「やっぱりいちばん上等なコースだとお腹がいっぱいになるねえ。真ん中のランクのがちょうどいいくらいの量なんかもしれん。でも、お腹いっぱいでもお腹が軽いというかラクだわあ」と言う。夫が「これが肉や魚だとこんなに品数食べていたら途中で苦しくなるんだけどなあ」と言うから私は「これなら私も全部食べられて、完食した満足感までおいしく味わえてうれしい」と言う。

 なんにもまったく残すことなく、だけどこれ以上はなにも要りませんな満腹状態で「おいしかったねえ、ごちそうさまでした」と三人で手を合わせる。

 夕方チェックインしたときに、ちょうど今日まで宿から大神山神社前の石畳の途中までをろうそくと和紙の傘でライトアップする催し物が行われますので、よろしければぜひお出かけください、参道入口の茶店では甘酒やひやしあめなどの飲み物や軽い食べ物を出していますので、そちらもよろしければ、と案内してもらっていたから、少しゆっくりしたらそれに出かけようね、と話す。

 部屋に戻るとお布団がふたつのべてある。外はもう暗くなった。部屋の明かりをつけて窓をあけると虫が入ってくるから、いったん窓を閉めてエアコンをつける。部屋の蛍光灯は二重になった輪のうちの外側が切れていてつかない。食事をする個室の蛍光灯は内側の輪が消えていた。

 ライトアップは夜九時半までの開催。今夜は暑くなくて寒くなくて雨も降っておらず夜の外歩きにはちょうどよい気候。私は天然虫よけスプレーを肌の露出部分に一応スプレーする。耳と首筋にはいったん手のひらにとったスプレー液を両手でこすりあわせてからつける。母は「暗くて撮れるかどうかわからないけど一応カメラを持っていく」とデジタルカメラの準備をする。ライトアップ、どんなかんじなのかな、たのしみ。     押し葉

お風呂で背中を洗う

 大山の宿のお風呂は、シャワー付きの洗い場がななつくらいと大きな湯船がひとつ。湯船はおとなが五人くらいは一度に入れる広さだけれど、ひとりかふたりでゆったり入るほうが快適そう。

 母と並んで頭と顔と身体を洗う。母と私の背中は似ている。姿形のことではなくて背中の痒くなる場所が。だから母と一緒にお風呂に入れる時には互いに相手の背中を洗い合う。

 背中というのは自分で洗おうと思っても自分ではなんというかこう背中に垂直に圧をかけることができない。ボディタオルを使ってもボディブラシを使っても、自分の背中の一番洗いたい部分には直接自分の手は届かず自分で洗おうとするとどうしても少しくぼんだようになる。しかし自分以外の人に洗ってもらうとその部分がきゅっきゅっと深いところまできれいになる。

 お互いに背中を洗ってもらうとき、母も私も「くうーっ」「気持ちいいーっ」「そこそこーっ」と歓喜の声をあげる。この背中を洗ってもらって気持ちがいい感覚、母と私はお互い以外の人とはなかなか共有できない。
 妹は背中に痒いポイントは持っていないらしく、洗ってやっても「はい、ありがとー」で終わるし、洗ってもらっても特に洗いあげてもらいたい微妙な位置の確定をする前に「はい、おしまい、きれいになったよ」と洗い終える。
 夫に私が「背中を洗ってあげようか」と言っても彼は必ず「別にいい」と言う。「じゃあ私の背中を洗って」と頼むと「はいはい」と洗ってはくれるのだけれども、これまたすぐに「はい、洗った、おしまい」と洗い終える。

 それが母とであれば、まずは全体をざっくりと洗い、それからそれぞれの背中の痒いポイントとその周辺を集中して少し強めに洗う。「もうちょっと左かな、もう少し下の、そうそう、そこそこそこそこ」という位置の確定も思い通り。念入りに洗いあげた背中はぴかぴか。

 広島の祖母が生きていた頃、母は祖母の背中をよく洗っていた。祖母も背中に痒くなるポイントを持つ人であったらしく、背中を洗うための亀の子たわしを常備していたように思う。祖母の背中を洗う母に祖母は何度も「もっと強くこすってほしい。背中の皮膚が破れて血が出てもいいからもっと強くこすってくれ」と言っていたという。

「広島のばあちゃんは私らと同じで背中を洗ってもらいたい人だったけど、島根のばあちゃんはどうだったん?」
「そうえいば、母の背中をそう思って洗ってあげたことはないかもしれん。痒いけん洗ってほしいって聞いたこともないねえ」

 湯船のお湯は熱くはないけどぬるくもなくて、あまり長くは入っていられない。母は先にあがって外で髪を乾かしてるから、と先に出る。私は浴室の窓を少し開けて換気しながら湯船で身体を伸ばす。湯船に入るといつもそうするように、お腹と太ももとおしりとふくらはぎと足の甲と裏と足の指をこころゆくまでマッサージする。

 お風呂を上がる時には、自分が開けた窓を閉める。浴室の窓にも部屋の窓にもここの宿の窓という窓には網戸がついていない。

 脱衣所で体を拭いて素肌に浴衣を羽織る。宿泊者の中では母と私がこの日最初の入浴なのかと思ったけれど、脱衣所の床には髪の毛がぱらぱらと落ちている。母の髪よりは長くて私の髪よりは短い髪の毛。今日のチェックアウトのあとの掃除のあとで日帰り入浴利用の人でもいたのだろうか。髪の毛が裸足の足の裏につくと気持ちがよくないから、洗面台のティッシュで床をざあっとぬぐって落ちている髪の毛を集めて捨てる。ゴミ箱の中に捨てようとしたら、ゴミ箱の中がけっこういっぱい。部屋のゴミ箱はちゃんと空になっていたけれど、そういえば、二階のトイレの手洗い場所の紙タオルを捨てるゴミ箱もかなりたくさんゴミが溜まっていたなあ。ゴミ箱のゴミがいっぱいになるまでゴミ袋を取り替えたり中身を回収したりしないスタイルなのかな。

 浴衣を着たら私は五本指の靴下を履く。病院や宿泊施設や投票所など大勢の人が共用するスリッパを履く時に迂闊に素足で履くと、白癬菌に噛み付かれたようなチキーッとした痛みに見舞われることが多いから。私の足はどちらかというと乾燥しているタイプなので、噛み付いた白癬菌が水虫として増殖することはないのだが、あのチキーッは避けたい。

 お風呂から二階の部屋に戻る。浴衣から持参の半袖シャツと吸湿速乾短パンに着替える。母が「私も部屋着に着替えようっと」と言って持参の軽くて涼しい服に着替える。浴衣は湯上りに簡単に羽織るのには便利な衣類なのだけど、そのままずっと過ごすには夏には少し暑くて冬には少々寒い。

 母は部屋の窓から大山を眺める。「大山が見えるだけじゃなくて、周りの立派な大きな杉の木のてっぺんが見えるのもいいねえ」と満足そう。私は化粧水を顔につけて、髪の毛に保護トリートメントをつけて、持参のドライヤーで髪を乾かす。私くらい長い髪の毛になると、脱衣所のドライヤーで乾かすのでは時間がかかる。部屋でゆっくりと畳の上に座り込んで、しっかりとした強風を出してくれる持参のドライヤーで乾かすと、その作業もくつろぎになる。

 母が「今何時なの?」と訊くから時計を見る。「六時半少し過ぎかな」と答える。母は「この時間にこんなふうにゆっくりするのはいいねえ」と言う。私は「六時半夕食にしようと思ったら、ここがちょっと慌ただしかったじゃろ。今日の夕ごはん七時だと、落ち着いてこうやって髪の毛しっかり乾かせて、さらにゆっくりできていいじゃろ」とゆるりとした夕方を喜ぶ。

 お風呂に入るまでは、自分の身体を舐めたわけではないけれど、なんとなく塩味風味だった身体が、今はもうさっぱりすっきりさらさら。満足満足大満足、と、畳で大の字に寝転ぶ。     押し葉

写真のことを思い出す

 大山のお宿にチェックインしてこれからお風呂に入りましょう、というところまで書いたけれど、その前の時系列部分で書き足したいことがあるから、お風呂の話はもう少しあとにする。

 母の実家でおばが何度も「あれを食べるかこれを食べるか」とすすめてくれるのだけど、私は宿坊の精進料理にむけてお腹を備えなくてはならないから、おばの煮しめの蒟蒻とお漬物とスイカ以上のものを食べることはできないのだ。しかしおばはなおも怯むことなく私のスイートスポットを突いてくる。「みそちゃんは、マンゴープリンは好きかね」と。

「うう、マンゴープリンは、好き」
「じゃあ、出してきてあげようかね」
「おばちゃん、待って、ええと、ここでいただいていくんじゃなくて、もしも一個一個個包装になっているものなら、開けないでそのままもらって帰ってもいい?」
「個包装のだよ。ほんなら、袋に入れてあげようかね」

 おばはそう言ってマンゴープリンをビニール袋に入れて手渡してくれる。宿についたら厨房の冷蔵庫で預かってもらい、明日の朝ごはんの一品にしよう、と、たのしみな気持ちになる。今回泊った宿には各部屋に冷蔵庫はないので、冷蔵しておきたいものは厨房の冷蔵庫に預ける。


 島根から移動してきて大山町に入る頃には、後部座席の母はうとうとと寝ていた。シャリラリシャリラリシャリラリと母の携帯着信音がなる。運転しながらルームミラーで母を見やり「おーい、おーい、かあちゃーん、携帯がなってるよー」と言う。母は「はっ、ほんとだっ」とバッグから携帯を取り出す。

 電話の相手は松江市に住む母の姉で、お墓参りは無事にできたかね、道中は無事だったかね、などなど、妹と姪夫婦一行の道中を案じる内容だったようだ。母は「おかげさまで無事無事」「うとうとしてる間に大山に着いたみたい」と報告する。松江の伯母は母の姉だから当然ながら高齢だが、広島から妹が来ると知ればなにくれとなく気遣いお世話をしてくれる。
 姉妹としてあの年齢まで、住むところは離れ離れであるものの、ともに年を重ねて大きくなるというこのはどんなかんじなのかなあ、私と弟や妹がもっとたくさん年を重ねたときにはどんなかんじになるんだろうなあ、と、なんだかたのしみになってくる。


 宿の部屋に着いて少ししてから、母が「そうだ、無事に宿に着きましたの電話をしておいたほうがいいかしらね」と母の実家にいるおばに電話をかける。私は「うん、それはぜひそうしてそうして。私からのお礼も伝えて」とお願いする。
 電話を終えた母が「みそちゃんとどうやらくんからもお供えをしてもらってたのに、さっきは気づいてなくてお礼が遅くなったけど、よろしゅうよろしゅう伝えといてね、っていうことだったよ。ありがとうねえ、私からもお礼を言うよ」と言う。

 私がお供えしたのは日持ちのするお菓子で、ピーナッツが散りばめられたおせんべいと同じ会社製造のアーモンドが散りばめられたクッキーのセット。私は現在居住地の地元菓子であるこのおせんべいが好きなので、なにかというとこのせんべいを買いたがる。けれど夫はこのせんべいに対する評価があまり高くないらしく、私がこのせんべいに手を出そうとすると「他のものがいいな」と言うことが多い。夫がこのせんべいをあまり高く評価しないのは硬いからではないかなと思う。夫は硬いものをバリバリと咀嚼するのがあまり得意でないから。でも、せんべいというのは概ね硬いことが多く、硬いものをバリバリ咀嚼するのが好きな私にとってはその硬い食感も含めておいしさのうちなのだけど。夫に相談してからだとこのせんべいをお供えにすることに彼は反対するだろうな、と思ったから、私は夫には何も相談せずひとりでこのおせんべいとクッキーのセットを購入し「お供え」ののしをかけてもらい自宅に持って帰ってから「お参りのときのお供えは用意してあるからね。あとは持って行ってお参りするだけだよ」と報告した。

 母の実家にいるおばとの電話を終えた母に「あそこでマンゴープリンをもらえたのは予定外だったけど、明日の朝ごはんに一緒にいただこうよ」と話す。母が「冷蔵庫は?」と言うから、「厨房で預かってもらうの」と説明する。「そんなこともできるんじゃねえ、それはたのしみだねえ」と母が言う。

 それから浴衣に着替えて、お風呂に入る支度をする。母が何かを思い出してくすくすと笑う。マンゴープリンをくれたおばについて「正直でおもしろい人だよねえ、ああいう人だけん骨折してもあんなに治りが早いんかもしれんねえ」と話しだす。

「お墓参りに行く時に、家の外の水道でお花の準備をしたでしょ?」
「うん。おばちゃんがお花を水切りして下の方の葉っぱを取ってからかあちゃんに渡してくれてた」
「あのとき、ほら、兄の同級生のおばさんが来とっちゃったじゃろう、おばさん言うても私もおばさんじゃけど、兄のほうが年上じゃけんあの人もまあおばさんでもよしとして、そのおばさんが来ていることだし、お花のことは私に任せて中に入って相手してあげて、って、あの時言ったのよ」
「ああ、そうだったんだ、そこは聞こえてなかった」
「そしたらね、『いいの、いいの、私、あの人のことはちょんぼししか好きでないけん、あんまりずっといっしょにいないほうがいいの』って」
「ああ、それは、おばちゃんらしい表現だねえ」
「嫌いだけん、でも、あんまり好きじゃないけん、でも、いいようなもんだけどねえ」
「でも『ちょんぼししか好きでない』のほうが相手に対する肯定部分もちゃんとあるかんじがするし、なにより『ちょんぼし』っていう方言が『少し』や『ちょびっと』よりもやわらかいのがいいね」

 あのとき母とおばがお墓に持って行くお花の準備をしていた水道の後ろ側には、かつては牛小屋だった建物がある。いまは保存野菜やいろんな道具を置く納屋的な場所になっており、建物自体明るくさっぱりとした風情のものに建て替えられていて、ほぼ当然であるが牛はいない。私が夫にその建物を見せて「むかしね、ここには牛がいたんだよ」と説明する。夫は「うん、そうやろうな、むかしの家には母屋とは別に牛のいる建物があったもんなあ」と言う。そうしたらおばが振り向いて「今は牛はいないからね」とわざわざ説明してくれる。私は「うん、知ってる。見るからにいない」と言う。
 幼い私はこの牛小屋で牛を眺めるのが大好きで、しょっちゅう牛小屋に入っては延々牛を見ていた。今考えるとどうしてあんなに飽きることなくいつまでも牛を眺めていたのか、何がそんなに面白かったのか、どこが私の興味のツボにはまっていたのか、牛の何をどう観察していたのか、まったくもって難解だ。
 「今は牛はいないからね」と教えてくれたおばは、牛に見とれて牛小屋から帰ってこない幼い私を何度も呼びに来たり連れ戻したりしてくれたのかもしれないなあ。

 おばとの電話を終えた母が突如「ああああーっ、忘れてたーっ」と何かを思い出す。

「どしたん?」
「お墓参りが済んだら、家の前でみんなで写真を撮ろうと思って、そのためにカメラを持ってきとったのにー」
「ああー、それはー。かといって今からあそこに戻るのはないけんねえ。残念残念」
「残念よー。今回のメンバーであそこのお墓に参りに行くことなんて、きっともう二度とないじゃん」
「おばちゃんなんか、いつ写真を撮られても大丈夫! いつでもどんとこい! なスーツ姿だったのにねえ」
「そうよう。あんたら夫婦とおばちゃんの三人をまず私が先に撮って、あとは順番に撮りあいこしたら全員が写るね、よしよし、と思っとったのにー。なんで思い出せんかったんじゃろうー、そうかー、あのおばさん(伯父の同級生の女性)がずっとおったけんかもしれんー」
「そういえば、あの人、けっこう、ずっと長いことおっちゃったよね、お仏壇参ったら、私らがお墓に行ってる間にさっさと帰っちゃってもおかしくないのにねえ」
「ほんとよう。ああ、ここの宿の前では忘れずに、どうやらくんと三人で、写真撮ろうね、ぜったい」
「うん。明日撮ろうね」

 私はもともと自分がカメラなどを持ち歩いて写真を撮る習慣がないため、母の残念な気持ちに充分共感できてはいないのだろうけれど、明日明るい時間帯に宿の前で写真を撮るのを思い出せるといいな。     押し葉

伯耆大山

 東出雲町から東へしばらく走って高速道路を降りる。ナビが案内するとおりに走行すると、道路標識に「大山こっちだよ」の案内が増える。それから「伯耆」の文字が道路標識上に表示されるようになる。夫が「この伯耆の字がホウキって読めんかった」と言う。母が「実際書いてみたら難しい字じゃないんだけどねえ、老人の老の上の字の下にお日様の日の字を書くだけなのにね、ふだん書いたり読んだりしない漢字だよね」と言う。

 夫は「大山のことを伯耆大山っていうって今回知って、へえ、ホウキなんだあと思った」と言う。私は「伯耆坊の伯耆でしょ」と言う。夫と母が「なにそれ?」と言う。

「どうやらくんは知らんかもしれんけど、かあちゃんは知っとるじゃろう。和菓子の伯耆坊」
「伯耆坊?」
「そうよ、ホウキボウ」
「そんなお菓子あったかいねえ」
「若草や山川も好きだけど、子どもの頃の私はもう少しもちもちっとしたお菓子のほうが好きだったけん、大風呂敷(きなこ餅に黒蜜をかけて食べる)も好きだったし、伯耆坊も好きだったんよ。伯耆坊はあんこが固めてあるんだけどきんつばみたいな皮じゃなくて、なんかもっと表面はかちっとしたかんじでね、中はもちっとしてたと思うん。でも子どもの私が自分で買ったとは思えないから、母が買ってくれたのを好んで食べたんだと思うんだけど」
「伯耆坊ねえ、うーん、思い出せんねえ」
「あとあと、私は小太郎(やわらかくて平たく甘い短冊状のお餅をくるくるっと巻物のように巻いて食べる)も好きだったよ」

 大山に近づくに連れて標高がだんだんと高くなる。私の耳が何度か自動で耳抜きをする。後部座席の母はいつのまにかうとうとと眠っている。なんとなく世の中が涼しくなってきたなあと思いながら走っているうちに大山寺の手前まで来る。やってきてみたものの、インターネットの地図で確認しておいたはずの宿泊先の場所の記憶がはっきりしない。案内所の前に上り坂だけど車をとめて、夫と母を車に残して、案内所で宿の場所を尋ねる。「そこでしたら、ここの前の道を上のつきあたりの手前まで上がったら、左手に駐車場が見えてきますよ」と教えてもらい、そのとおりに行ってみたら、ちゃんと案内が出ていた。

 駐車場は建物の下の広い敷地で、車はどこにでも駐め放題。木陰になる涼しい場所に車を駐める。それぞれの旅のカバンを持って、宿までの階段をのぼる。母は高齢だけどこれくらいの階段は大丈夫なのかしら、と思ったけれど、ゆっくりめではあるものの難なくひとりであがってきた。階段の右側にはゆるやかな斜面の道もあり、どちらを通っても宿の入り口にたどり着く。玄関には七夕が飾ってある。いろんな短冊がかけてある。「おばあちゃんの病気がよくなりますように」と書いてある短冊の「病気」がと「よくなりますように」の間に挿入のくちばし印が書いてありその右に「早く」と付け足してある。

 そういえば、母の実家周辺でも、ひな祭りや鯉のぼりは旧暦で祝うと聞いたことがある。ということは七夕も旧暦で行うのかもしれないな。

 案内された部屋は和室で、夫は八畳くらいの和室。母と私はその向かい側にある十畳くらいの広さの和室。宿の方が「夕食は何時になさいますか」と訊かれて、「そうですね、七時でもいけますか」と問い返すと、「はい。大丈夫ですよ。個室でのお食事ですので、ゆっくり過ごしていただけますので」と言われる。では、七時になりましたら、電話でお呼びいたしますね。何かご用があれば電話でフロント九番にご連絡ください」と説明される。

 部屋が暑くてエアコンをかけてくださったけど、これはきっと外のほうが涼しそうと思い和室と縁側の二ヶ所の窓をいっぱいに開ける。涼しくて強い風が入ってきて部屋の気温はいっきに下がる。しばらくこれで涼みます、とエアコンを消す。宿の方は「夜になると虫が入ってきますので、お気をつけくださいね」と言われる。

 しばらく、母とふたり、ああー、涼しいねえー、と、のんびりと涼んでいたら、縁側の窓から蜂が二匹ぶうんぶうんと入ってくる。ううむ、蜂はいけませんねえ、蜂もむやみに入ってきたいわけじゃないだろうから、無事に外に出たらこっちの窓は閉めてあげよう、ということにする。

 それからあとは縁側の窓はぴしっと閉めて、和室の窓全開で過ごす。その窓からは大山が見える。部屋の床の間にかけてある版画の大山の形と同じみたいだけど、今日は上の方は雲に隠れていて版画とおなじようには見えない。

 宿泊予約は一泊目は母と三人で二室、二泊目は夫とふたりで一室で、一泊目も二泊目も夕食のみで朝食はなし。母が「あんたたちはこんな宿をどうやって見つけて予約するの?」と訊くから、「今回は、大山、宿泊、で検索してたらここが出てきて、宿坊で精進料理と書いてあって、料理の写真を見たらおいしそうな精進料理で、しかも玉葱ネギニラニンニクも写真では使われてなくて、これなら私も安心して食事できていいかも、と思ってここにしたの」と説明する。

「ちなみに、いくらくらいなの?」
「今夜は母と三人だから、一番上等な精進料理にしてもらってね、一泊夕食のみ朝食なしで一人一万一千円。料理の差で値段が三段階あってね、精進料理なのは共通だけど、一番安いので七千円、中くらいのが九千円で、一番高くて一万一千円。予約のときに何が違うんですかって質問したら、品数と内容が少しずつ違うっていう説明だったよ。朝ごはんをつけたらそれぞれもう千五百円くらいずつかかるんだったと思う。登山の人はおにぎりか幕の内弁当を別料金で作ってもらうことができるんだよ。どうやらくんは明日の早朝の朝ごはん用と山頂で食べる用におにぎりを注文してたけど、別に山に登らない私達でもお弁当を作ってもらって、それを朝ごはんやお昼ごはんに食べることもできるんよ。かあちゃん明日おにぎり食べたい?」
「いや、おにぎりは、いいわ。それにしても、なんとまあ、お手頃なお値段なのねえ」
「父と母が普段旅行で泊まるようなところに比べたら、ここは、激安、の部類になるかな?」
「うん、激安激安。なのに、こんなに周りが緑だらけで静かで快適なら言うことないねえ」
「まあ、お値段がお値段だから、超上等というわけじゃないけど、充分に快適だよねえ。山が近くて空気が気持ちいいからよけいに。私は外泊するときに宿で食事をいただこうと思ったら、予約の時にあれ抜いてください、これも抜いてください、って説明が必要だけど、それってけっこう面倒でねえ、こういうお寺の精進だとその説明をしなくていいのがラクでうれしいかった」
「なるほどねえ。精進料理たのしみだねえ」
「うん、すごくたのしみ。今夜と明日の四千円の差がどんな内容差なのかを見るのもたのしみなんじゃ」
「そういえば、夕食七時にってお願いしたときに、どうやらくんは『七時? 六時半じゃなくて?』って言ってたけど、お腹がすいて七時まで待ちきれんのんじゃないんじゃろうか」
「だいじょうぶ。お腹はしっかり空いてからご飯食べるほうがおいしいけんね。六時半じゃ、かあちゃんと私のお腹のすき具合がもう少しでしょ」
「うん、それはそうだけど、なんかどうやらくんに悪い気がして」
「大丈夫。どうしてもお腹すいたら、かあちゃんが持ってきてくれた生もみじも他のお菓子もあるからそれを食べてもいいことなんじゃけん。それにこれからお風呂に入ってゆっくり髪の毛乾かしたりして六時半だとなんか慌ただしいじゃん」
「それはそうじゃね、じゃあ七時の精進料理を楽しみに、お風呂に入りに行こうかね」

 部屋の縁側には水のみが出る洗面台はあるけれど、トイレは同じ階の共用で、女子トイレは洋式便座がひとつと和式便座がみっつ。トイレットペーパーはタンクの上に予備がちゃんと置いてある。トイレを出たところには広い洗面台がある。古いタイルのタイプで蛇口はみっつ、ここも水のみ。水道の水がひんやりと冷たくて気持ちいい。

 部屋の窓から大山が見えるのもうれしいけれど、宿の周りの大きな杉の木やその他のいろんな植物群がどこまでもひろがって見えるのが心地よい。濃くて深い山の香りが胸に入る。

 一日車で移動しただけなのに、なんだかずいぶん汗をかいている。自分で自分の身体をしょっぱく感じる。お風呂に入ってさっぱりしましょう。     押し葉

島根県から鳥取県へ

 お墓から母の実家に戻る。家に入る前に庭木の外側に立って「おばちゃん、この木から落ちたんだ」と転落現場付近と思われる場所の高いところと地面を見る。私は「息子くんたち(私にとっては従弟にあたる。母にとっては甥たち)、きっとすっごく怖かっただろうねえ」と彼らの心情を思う。夫は「母親がいきなり高いところから落ちて、倒れて血だらけになってたら、そらあさぞかしおそろしかったやろうなあ」と言う。母が「息しててよかったよねえ」とため息をつく。事件現場ではなく事故現場から家の中に移動する。

 仏間では、伯父の同級生の女性とおばが引き続き話している。母がおばに「ありがとうね。お墓参り無事にできました」とお礼を言う。私はおばに「お参りセット、ありがとう、お米も置いてきた」と報告してお参りセットのバッグを返す。

 母が「もう一度お仏壇にお参りしてから出発しようね」と仏壇前の椅子に座る。母が椅子からおりて次に私が椅子に座る。お仏壇の右側の壁には伯父の写真がかかっている。夫が「おじさんの写真、前におじさんに会った時とおんなじかんじなんじゃけど、いつの写真?」と訊く。母とおばが「わりと最近のだよね」と言う。

 私が仏壇に手を合わせおえて椅子から立とうとしたときに、伯父の同級生の女性が母に「それで、そちらの女の子は、こよみさんのお孫さんかね?」と問う。母は「ちがうちがう、娘よ。娘とその旦那よねえ。娘夫婦が私を車に乗せて広島から連れてきてくれたの」と言う。私はそれにかぶせるように椅子に座ったまま後ろ向きに振り返りその人にむかって「長女です」と言う。そうしたら夫がさらにそれにかぶせるように「孫だとか、いくらなんでもそんなに若くありません」と言う。

 夫が仏壇前の椅子に座って手を合わせてから立つと、おばが台所から「スイカを切ったけん、食べていって」とスイカが入ったお皿をよっつお盆にのせて運んでくる。ひとつひとつのお皿には一口大にきれいにカットされたスイカが山盛りに入っている。「ひとり一皿はちょっと多いから、三人でひとつのお皿のを分けていただくね」と卓上の小さなフォークをひとり一本ずつ持って、しゃくっしゃくっとスイカを食べる。今日は暑い中移動して来たからなのか、私の身体も「今日はスイカ、オッケー(喉かゆくしませんよー)」な風情だから私も安心して食べる。ああ、おいしかったね、ごちそうさまでした、スイカを食べると涼しくなるね、とフォークを置く。

 それから三人なんとなく並んで、おばに「お世話になりました、ごちそうさまでした、では行きます」とおじぎをする。母は伯父の同級生である女性に「ばたばたと出たり入ったりして慌ただしくてごめんなさいねえ。お先に失礼いたします」と挨拶する。

 夫がおばに「ここから大山までどれくらいかかりますかね」と尋ねる。おばは「三十分くらいかな」と気軽にいう。いやいや、米子から大山までが車で三十分くらいのはずで、ここから米子までも三十分くらいはかかるということは、合計すると一時間くらいかもうちょっとかなと私は思っているのだけど、夫は「ええっ、そんなに近いんですか」となんだかうれしそう。
 母が「いやいや、いくら新しい道ができたといっても、三十分では行かんでしょう、一時間はかからんかもしれんけど」と言うと、おばが「でもほら、大山は、すぐそこに見えちょうだけん」と言う。伯父の同級生女性が「そげだ、そげだ、見えちょうだ」と頷く。
 ここに住まう人々にとっては、大山は、実際の距離よりもずっと近しくて親しい存在なんだなあと思う。

 玄関を出て、玄関のすぐ前にとめた車に乗る。おばが「今回もみそちゃんの運転なんだねえ」と言う。そうか、前に来た時にも私が運転していたのかな。おばはさらに「みそちゃんはよっぽどシビックが好きなんだねえ。前に来たときにはエンジ色のうしろがない形のシビックだったが」と言う。

「わあ、おばちゃんよくおぼえてるねえ。そうなの、あのあとこの青いセダンのを買ってね。でももうシビックの製造がなくなったから、次にはもうシビックじゃなくなるの」
「そういうことなら三台くらいまとめて買っておいたらよかったのにねえ」
「今にして思えば。ねえ」

 母が「みそが『ゆう川』を見て行きたいっていうから川のほうに出るけど、次のインターに乗ったらいいんだよね」とおばに確認する。おばは「そうそう。どこどこのところを超えてどっちに行ったらどうなってるから、そこから乗れるから」と地元地名を羅列する。「じゃあねえ、ありがとうございました」「気をつけてねー」と車の中と外で手を振り合う。

 川沿いの道に出る。私が母に「ここはむかし七夕さまを流していた川だよね」と訊くと、母は「そうよ。今はもうそんなことできないし、周りの草がボウボウ過ぎて川におりることもできんようになってるじゃろ」と言う。私の記憶の中の『ゆう川』は気軽に川のそばにおりてその流れを眺めることができる場所だったけど、数十年後の現在はぱっと見には水面が見えない。

 交差点にさしかかったときに、道路脇の地名表示に気づく。意宇、と書いてある。

「かあちゃん。もしかして、『ゆう川』は『意宇川』なの?」
「そうよ。意、宇、と書いて、意宇、で、いう川、実際の発音は、ゆう川」
「知らんかった。意宇なんだ」

 意宇川をあとにして、夫がナビに設定してくれた大山を目指す。ナビはおばが説明してくれたとおりの道で私達を高速道路へと誘う。母は「このナビさんはこのへんの道のことをよく知ってるみたいだねえ。そういうことなら私はもう安心してお任せしようかな」と後部座席でふううっと背もたれに体を預ける。

 私が「大山たのしみ」と言うと、夫が「おれもすごいたのしみ」と言う。母も「私も何十年かぶりですごくたのしみ」と言う。三人三様のたのしみな気持ちを乗せて、島根県から鳥取県へと県境を越える。     押し葉

お墓の四隅にお米を置く

 母の実家の仏間で話をしたあと、母が「それじゃあ、ちょっとお墓に参りに行ってくるけん」とおばに伝える。おばが「じゃあ、お参りセットとお花の用意をするね」と立ち上がる。そうしたら玄関に誰かが来た気配と声がして、母が「私が出るけん、お参りセットをお願い」と言って玄関に向かう。

 玄関から母が戻ってくると、あとから年配の女性が入ってくる。お参りセットの小さなバッグのようなリュックサックのようなカバンを手にしたおばはその女性を見ると「ああ、だれだれさん」と声をかける。その女性は近所に住む人で、伯父とは同級生なのだとか。伯父と同級生ということは、伯父のすぐ下の妹である母もその人のことは小学校などで見知ってはいるのかもしれないが、母にはその人の記憶はない。相手の人も最初は誰だろうかと思っていたようだったが、おばが「妹のこよみさんだがね」と説明すると「ああ」と思い出したふうで、でも母は思い出せないふうだ。その人に簡単に挨拶して、母と夫と私はお墓へと向かう。

 母の実家からお墓までは歩いても行ける距離ではあるが、車で四分くらいのところだし、暑い時期でもあることだから、車で行こうね、と決める。おばが家の外にある水道のところでお供え用の花を支度してくれる。母が「お花は適当にもらっていくから、お客さんの相手をしてあげて」と言うが、おばは「いいの、いいの。お花はこれとこれを持って行って。お墓のお花もまだきれいだろうけど、暑さでしおれているのがあったら入れ替えてもらえたら」と作業を続ける。母が「じゃあ、お花を新聞紙に包んで、行ってくるね」とお花の準備を仕上げる。

 母の案内で私が運転してお墓に行く。母の実家のお墓の場所はとても気持ちよいところにある。広い平野の田んぼがつらなる中でも広々とした敷地に数十の墓石が並ぶ。大きな道から少しだけ小さな道で入ったところにある墓所からは晴れていれば大山がくっきりと見える。夫はここでも「おおー、大山ー」と翌日の登山にむけて気持ちを備える。母は「ここからは出雲富士がほんとうにきれいに見える日には見えるんだけどねえ。出雲富士っていう呼び名は、出雲の人間にとってはだけどね」と言う。夫が「でもこっちがわから大山を見るときれいな円錐で富士山みたいに見えるらしいですから、そりゃあ出雲側の人としては出雲富士と呼びたくなるでしょう。こういうのは言うた者勝ちですから」と言う。

 墓所は相変わらず明るくて広々としている。四方を塞ぐものは何もなくて東西南北すべての方角からの風がお墓と私達をさらりさらりとなでる。共同で使う水道に桶と柄杓が置いてある場所はいつものようにきれいにしてある。母は新聞紙からお花を出して、お墓でしおれた花を抜き取る。抜き取った花は敷地内のお花類を土に返す場所に捨てる。その横には紙ゴミを入れる大きなゴミ箱も設置されていて、お参りする人たちにとっては実に便利な環境。

 私はここに来るたびに「こんなに明るくて気持ちのいいお墓だったら、再々お参りに来ようっていう気になるよね」と言う。母は「ほんとうにねえ。このへんの人たちはお墓の共同の場所をいいところにしたよねえ」と言う。

「これくらい使い勝手のいい墓所だと、子孫としても気軽にお参りしたくなるよねえ。いつ来ても皆さんきれいにしてらっしゃるし」
「まあ、今はお盆だから余計にきれい、というのはあると思うけど、それでもここはいつ来てもみんなきれいにしてるねえ。月命日ごとに来てる人もいるんじゃないかな。またこうして共同の墓地だから、集落の意識としては、よその家がきれいにしているのに自分ちだけがきれいにせんわけにいかん、っていうような感覚にもなるんじゃろう」
「なるほどねえ。でもそれでご先祖様も子孫も気持ちいいならいいねえ」

 母がお花をきれいに生け替える。私は墓所敷地の端に位置する他家のお墓の陰で風をよけながらお線香に火をつける。お参りセットの中には小さなプラスチックケースが入っている。その中身は白米。夫が「お米、なににするんだろう」と言う。「私も知らない」と言う。母が「お米はお墓にお供えするに決まってるでしょう」と言う。夫も私も「そんなことしたことない。広島のお墓参りでそんなのせんじゃん」と言う。母は「そういえば、そうねえ。でもこのへんはそうするのが当たり前だからお墓もそういう作りになってるでしょ」と言う。

 そう言われて見てみると、お墓の中央にある一番背の高い墓石の手前の低い位置には細くて横長な広めのスペースがある。その中程は浅くくぼみをつけてやはり横長に掘ってあり、どこの家のお墓でもそこには水が入れられている。その両側がお花を飾る筒。中央の墓石と水の間には、みっつに分かれた線香立てが置いてある。そして水を入れるくぼみの周囲が幅数センチでぐるりと平たくなっていて、どうやらお米はその長方形の四隅に少しずつ置くもののようだ。

 母の説明を聞いてから、母がお米を四隅に置くのを見る。母は「こうしておくとカラスが喜ぶけんね」と言う。私が「スズメじゃなくてカラスなの?」と訊くと、母は「スズメもかもしれないけれど、結果的にはカラスが喜ぶんじゃないかな。お墓の中の人はここのお水を飲んで、四隅のお米を食べて、お花を見て、喜ぶわけよ」と言う。

 母が私に「お線香をみっつに分けてね」と言うから、私は「わかった」と返事をして、三等分したお線香をお墓の前のみっつに分かれた線香立てに立てる。そのままそこで手を合わせて目をつむろうとしたら、母が「あんたたちもお米を置かんと」と言う。

「あれ? さっき母が置いてくれたお米がみんなの代表のお米じゃないの?」
「ちがうよ。お米はひとりひとりが少しずつ自分で四隅に置くんよねえ」
「なんと。そうだったんだ。どうやらくんも、はい、じゃあ、お米を四隅に置いてね」
「おれ、こんなんしたことない。前に来た時にはせんかったじゃん」
「だって私もこんなんしたの覚えてないけどたぶん初めてじゃもん」
「しめじくん(弟)と一緒に来たときは、三人ともそんなこと知らんけん、ただ線香立ててお参りしただけで、米持ってくることなんか、米置くことなんか誰も思いつかんかったなあ」
「仕方ないよ、知らんかったんじゃけん」
「そうよそうよ、知らんことはできんけんね。はい、じゃあ、ふたりともお米は置いたね。じゃあ、みそちゃん、お線香をみっつに分けたのを私とどうやらくんにもちょうだい」
「お線香ならみっつに分けて線香立てに立てたよ」
「それは、みそちゃん、ちがうじゃないの。みっつに分けたお線香を、あんたとどうやらくんと私とそれぞれが持って、それぞれがお墓の線香立てに自分自分で立てるんだが」
「なんと。そうなんだ。うーん、じゃあ、今回はそうしました、ということで、私が置いたお線香で三人ともいいことにして。なんなら一応それぞれにお線香触って入れ直してくれても」
「そうじゃね、もうようけい入っとるけん、今回はそうしよう。では、手を合わせて、と。そしてこの左隣のお墓が本家のお墓で、その左がさらに本家にあたる家のお墓だけん、こうしてついでにお参りしたら完了」
「え? おかあさん、今、ついで、って言いました?」
「うわああっ、言い間違い言い間違い、ついでじゃない、ついでじゃない」
「かあちゃん、ご先祖様らが『おい、おまえ、今、ついで、言うたな、ついで、だとー』いうて言いようてじゃわ」
「だから、言い間違いだってば。はい、ご先祖様にご挨拶したら、一番手前の無縁仏のお墓にも手を合わせてね、これで本当に完了」

 夫が柄杓と桶を水道のある場所に戻す。私はお参りセットのバッグを持つ。車に乗る前にもう一度大山を眺める。母が「明日は晴れるといいねえ。せっかく登るんなら見晴らしがいいほうがいいもんねえ」と雲のかかる大山を指さす。

 もう一度おばちゃんが待つ家に戻ってお仏壇に手を合わせたら、大山に向かいましょうか、と話してお墓をあとにする。     押し葉

おいしいお茶と漬物と膝

 母の実家では他界した伯父の妻であるおばがにこやかに出迎えてくれる。つい先日の八月五日まで七月に負った骨折治療のために入院していたおばは「一日1280kcalの病院食がダイエットになって、むかしの服が着られるようになった」とやわらかな珊瑚色のスーツを着てぱりっと立って歩く。 母が「そんなに動いて大丈夫なの?」と心配するが、おばは「大丈夫、大丈夫、動くのもリハビリのうちだけん」と軽やか。

 そういえば、私の自宅の近所で数年前に夕方になると歩行のリハビリをする男性がいた。脳血管の梗塞か何かで半身が不自由になられたのであろう動きで、片手で杖をついてゆっくりとゆっくりと時間をかけて歩行の訓練をされていた。その人の歩行がまだまだ不自由な時期、その人の服装はいつもきちんとしたスーツだった。ネクタイも必ずつけておられて、スーツは仕事風のスーツであったり、結婚披露宴に出る時のような礼服であったりと、さまざまであった。
 最初は、スーツではリハビリの動きに差し支えるのではないかと、ベランダや駐車場からたまたまその人を見かける私はなんとなく思っていたけれど、途中から、もしかするとあの人にとってはスーツをきちんと着ることで気持ちがしゃきっとするというか、スーツはリハビリに取り組むモチベーションを維持するための装置なのかもしれない、と思い至るようになった。
 リハビリは私の目には順調に進んでいるように見えその人の歩行はどんどん自由になった。実際には数年以上の時間がかかっていたのかもしれない。今はその人は片手に念の為にというかんじで杖を持ってはおられるけれども、殆ど杖を使うことなくさっささっさと歩く。そしてその人の服装は歩行が自由になるにつれて、どんどんラフなものになった。最近はTシャツとひざ丈の短パンでお孫さんをそばに従えて、自宅から駐車場まで歩き、車を運転して出かける姿をよく見かける。小さなお孫さんたちが走り回るのと同じ速度で歩くくらいに回復されたんだなあ、よかったねえ、と思う。

 だからおばのやわらかな珊瑚色のスーツも、痩せて着られるようになって嬉しいから、というのもあるかもしれないけれど、そしておばの夫であり母の兄であり私の伯父であるその人の初盆に訪れる来客をしゃきっとした姿で迎えてもてなしたい、という思いもあるかもしれないけれど、おば自身まだまだ骨折後の回復過程にありまだときどきは腫れも痛みもある状態の中で日々の気持ちをしゃんと保って治療をすすめるための装置なのかもしれない、とあとでふとそう思った。

 仏壇のある部屋に入るなり、おばは「お赤飯を炊いたから食べるか」と私達に問う。いやいや少し前に割子そばを食べてまだお腹いっぱいだから、と答える。

 おばは「毎月こよみさん(私の母)が送ってきてくれる『みそぶみ』を読んじょうけん、みそちゃんの近況は会ってなくても知っちょう気分だ」と言う。私は「『みそぶん』にお付き合いくださり、ありがとうございます」とお礼を伝える。

 おばは「お赤飯がいらんなら、なんだったら食べるかね」と訊くが、母は「もう、本当にお茶だけで。座って話ができたらそれがいいんだけん」と茶を所望する。夫も私もここの家の緑茶は大好きだから「うん、お茶ほしい、お茶ほしい」と声をそろえる。私はカフェインで寝付きが阻害される体質だから、夕方になって緑茶を飲むことを普段は避けている、しかし、この家に来て緑茶を飲まないわけにはいからないから、今夜寝付きが低下するのはそれはそれでよしと決めて、お茶お茶、お茶がほしい、と言う。

 おばが台所に姿を消した間に、お仏壇にお参りする。膝を骨折して脚が不自由なおばが日々参りやすいように、そして高齢のきょうだいや友人知人やご近所の方々がお参りに来てもラクに仏壇に向かえるように、お仏壇の前には座布団ではなく小学校低学年の子が教室で使うくらいの高さの椅子が置いてある。母、私、夫の順にお線香に火をつけて手を合わせる。私は北陸で用意してきた日持ちのするお菓子をお供えの場所に重ねる。

 おばが片方の手にはお茶の道具をのせたお盆を、もう片方の手に煮しめのお皿とお漬物のお皿をウエイトレスさんのように持って現れる。母が「いくらリハビリでもこんな重いお皿やらをそんな片手で持って歩いたらいけん」と言って手伝う。

 卓上には、お菓子の器と、水ようかんやゼリーが入った器と、煮しめ各種がのったお皿と、お漬物のお皿が並べられる。おばが緑茶を淹れてくれる。爽やかに澄んだ味と香りが口にも喉にも鼻にも食道にも胃袋にも広がる。私は煮しめのお皿の蒟蒻に目が惹かれる。「おばちゃん、私、蒟蒻が食べたい」と言って、お皿に蒟蒻をもらう。ここでのお茶にお漬物はセットだからお漬物もいただく。白っぽいウリのお漬物と、奈良漬っぽいいろのお漬物。夫が「おれも漬物取ってください」と言うから、夫のお皿にも漬物をのせる。蒟蒻好きなのにそういえばしばらく蒟蒻を食べていなかった私の身体に蒟蒻はおいしく染み渡る。お漬物をポリポリとかんでからお茶をくいっと飲む。

 幼い頃、この家に滞在すると、一日になんどもお茶の時間がある文化に浸ることができて、私はそのことをたいそう気に入っていた。お茶は常にお漬物とセットで、お菓子が登場することは少なめだった気がする。
 午前に午後に夕に夜に家族でお茶を何度も飲むのはもちろんなのだが、たとえば郵便配達の人が郵便物を届けに来ると、祖母は「みそちゃん、郵便屋さんが来てごしなった」と私とお茶とお漬物を連れて玄関に出る。当時は配達する郵便物が少なかったから問題がなかったのか、郵便屋さんはしばし玄関口に座ってお茶を飲み祖母と何かしら話す。幼い私は祖母の隣に座ってその光景を眺める。

 夫と私はきゅうっきゅううっと、おばが淹れてくれた緑茶を飲み干してはおかわりをお願いする。ああおいしいねえ、はあおいしいねえ、と、緑茶の至福を堪能する。

 お仏壇の前の椅子だけでなく、お茶をいただく卓のまわりも座布団ではなくて回転式の座椅子が置かれていて、私たちは「この椅子は便利だねえ」と感心する。おばは「便利でしょう。私はその高さではまだ膝が痛くて立ったり座ったりができないから、こっちのちょっと高い椅子で失礼させてもらうけんね」とお仏壇の前にあるのと同じくらいの高さの椅子に座って、何度も急須から湯のみにお茶を注いでくれる。

 おばが見せてくれる膝と右腕にはきれいな手術痕のスジがある。膝はお皿が七枚に割れ、腕は骨が何個かに折れてバラバラになったものを切開してワイヤーと装具でつないで内部で固定する術式なのだとか。私が「お皿が割れて骨が折れた直後はすっごくすっごく痛かった?」と訊くと、おばは「全然痛くなかった」と言う。

「ええーっ、こんな大怪我なのに痛くなかったの?」
「だって、気を失っちょったけんね。息子二人と庭の手入れをしていて、私が一番高い木の剪定をするのに背の高い脚立のそのまた上に伸びるハシゴみたいなところに立って作業しながら、これバランスに気をつけんと危なそうだなあ、と思った時にはぐらりと脚立のバランスが崩れたのがわかって、落下しながらとっさに、ああ、このまま地面に落ちたら危ないな、どうやって落ちたら怪我が少なくて済むかな、と考えたところまでが最後の記憶だけん」
「ええー、ええーっ、じゃあ、その後は、どうやって?」
「息子ふたりがびっくりしてよってきて、地面で落ちた時に顎を強打して顎の皮膚がひどいことになって血だらけになってる私を見て、これは死んだんじゃないかって息を確かめたら息してたけん、生きとる生きとるって病院に運んでくれて。といってもその騒ぎを見たお向かいのお隣さんが気を利かせて救急車を呼んでくれたつもりが、間違って110番に電話したとかで、パトカーがふぁんふぁんふぁんふぁんやってきて」

 夫が「それは事故じゃなくて事件扱いになったということですか?」と訊く。

「でも事件じゃないが。事故だが。そのあとちゃんと救急車も来てくれて、うちはいつでも救急車が入ってこれるように、そのために家の前の道も広くしてあるのに、パトカーやらがおって救急車が入ってこられんで、救急車が家の前に来てくれればそのまま救急車にのせえもらえるのに、救急隊員の人はストレッチャーを持ってきてそれに私をのせて救急車まで運んでくれたらしいんだわ。それでね、そのときの記憶は私には全然ないのによ、上の息子が言うには、救急隊員の人に名前を聞かれた時にも生年月日を聞かれた時にも私はちゃあんと自分の名前と生年月日をはっきりと答えとったって言うんだわ。人間の頭脳は不思議だねえ」
「ということは患者さんに声をかけて反応を見て反応があるからといって意識があるとは限らんいうことなんじゃねえ」

 母が「目はどこで覚めたの?」と訊く。

「病院の処置室で。その処置をしてくれた先生は腕がいいのはいいんだろうけど、意地悪というかちょっとへんな先生でねえ。目が覚めて自分の状態に気づいた私が『ここはどうやって処置するんですか』って初めて質問したのに、『何回も何回も同じこと訊いて、そんなに何回も同じことは教えてやらん』ていきなり言いなってねえ。そんな『何回も何回も』って言ったって私の記憶では一番最初の質問なのに」
「ということは、名前と生年月日を答えた以外にも、記憶のないままにいろいろ話していたらしいってことなんかなあ」
「そうみたいだけど、私の記憶ではその質問が最初に戻った意識だけん、質問にはちゃんと答えてもらいたいが」

 その後もおばの入院中の話を事細かに興味深くときどきうぎゃあうぎゃあ痛い想像もしながら聴く。おばはもともとが活動的な人だから、入院中のリハビリにも熱心に取り組み脅威の早さでの回復を遂げたようだ。外傷による頭部の影響を調べるテストでは満点の優秀な成績で、自力で熱心にリハビリに取り組むおばののことは放っておいても大丈夫と思われたのか、医師も看護師もおばのことはなんだかほったらかし気味だったらしく、おばはそれに関する不満を切々と語る。もちろん一日1280kcalの食事がどれほど「飢餓地獄」だったかについても。

 それでも何はともあれ、無事に退院して、通院でのリハビリを続けるおばがお盆に元気に出迎えてくれた。おばは「初盆をしてあげる立場のつもりが、危うく自分まで初盆してもらう立場になるところだったわあ。でもせっかくのこういう機会だけん、転んでもタダでは起き上がるもんか、何かつかんでやる、と思って、入院中も退院後も自分のこれまでとこれからの生き方を考えて、これからの人生をどう生きる必要があるのか、いろいろ学習したのよ」と言う。おばが学習したこととしていくつかあげてくれた話の中で、私の印象に一番強く残ったのは、「庭の木を自分で剪定しようとして途中で落ちて怪我して入院して痛い思いをして入院費を払うよりも、庭師さんに来てもらったほうがずっと安い」という学習。

 そして私の学習は、電話のプッシュホンにおいて、119と110は押し間違いやすいのかもしれない、自分がもし通報する時には0と9を間違えずに正しく選んで押すよう気をつけようということ。

 と、ここまで書いたところで、夫が「今どこまで書いたの?」と私に訊いてくる。「えーとね、島根のおばちゃんち」と答える。

「まだそこか、といっても、それでも、もうおばさんちまではたどり着いたんや。どうせ、おばさんネタで転がしまくってるんじゃろう」
「そりゃあそうよ、これでも随分端折っていて全部は書いてないんだけど」
「これで、島根のおばさんもおれの気持ちをわかってくれるようになるやろう」
「なんで?」
「自分がネタにされて、ちがーう、おれはこんなふうには言ってないっ、おれを誤解するなーっ、ていくら言ってもお母さんの親戚の皆さんは、いいじゃん面白いんじゃけんとか言いようちゃったみたいじゃけど、自分がネタにされたら、みそきちの極悪非道な脚色に気づくはず」

 夫は自分が私の日記ネタになることには狭量だが、彼以外の人がネタになることには非常に寛容だなあ、とよく思う。
 とりあえず、おいしいお茶とお漬物の話はいったんここまでで閉じて、次はお墓参りの話に移りましょう、そうしましょう。     押し葉

宍道湖に想いをはせる

 松江自動車道から山陰自動車道に入って走る。山陰自動車を松江方面に向かうと左手に宍道湖が見えてくる。「わあ、宍道湖だー。宍道湖って大きさがちょうどいいのがいいよねえ、琵琶湖みたいに広すぎないのが好きなのー」と宍道湖びいきの私が言うと、夫が「じゃあ猪苗代湖は?」と言う。猪苗代湖というのは今年の五月に旅した会津地方にある湖で猪苗代湖観光遊覧船に乗っている間夫はぐっすりと寝ていた。そして目覚めた時に「あー、眠かったー」と言うから私が「眠かったー、は、眠たかったけど寝ずに起きていた人が言う言葉であって、眠いのに任せてぐうぐう寝た人が言うとしたら、よく寝たー、じゃないかなあ」と言ったなあ。夫はよくうたた寝から目覚めた時に「あー、眠かったー」と言うことがあり、そのたびに私が「眠かったんじゃなくて、本当によく寝てたから、あーよく寝たー、なんじゃないかなあ」と飽きずに言ってきた成果なのか、最近は「あー、よく寝たー、すっきり」と言うことが増えてきた。

 高速道路の助手席から宍道湖を眺める。宍道湖沿いの道路から間近に宍道湖を見るのも好きだけど、これくらい離れたところからこうして遠目にひろびろと宍道湖とその周辺の町の様子を目にするのもいいなあ。宍道湖いいなあ、山陰自動車道いいなあ、とひとりごちる。

 途中のパーキングエリアでトイレ休憩をして夫と運転をかわる。パーキングエリアは風が強くて、しかもその風がドライヤーのような熱風で、あらためて今日は暑いのねえ、と思う。暑いのは暑いのだけれども、以前と比べると自分の夏の身体をメンテナンスする私の技が発達してきたからなのか、いわゆる夏バテのような暑さに負ける感覚はない。新しい高速道路の新しいパーキングエリアのトイレは当然たいへんにきれいで、洋式便座は乙姫付きのシャワートイレで、トイレットペーパーも使い放題、もちろん適量を大切に使うけれど。この日最初に使ったJR新幹線の小さな駅のトイレとは大違い。

 トイレから出ると母が「みそちゃん、あんたは、前からそんなにトイレが近い子だったかね」と言う。私は「どうかなあ、むかしはおぼえてないけど、最近は意識して頻繁に出すようにしとるけん、そのほうがむくまんじゃろ。巡りがよくてラクじゃけんね、トイレに行ける時には行ってちょびっとずつでも出して、新しい水分をまた補給するん。どうやらくんは外出先で私が頻繁にトイレに行くと旅の行程が遅れるのが嫌で『えー、またー』って文句言うけどね」と説明する。母は「出してすっきりして調子がいいんならまあいいわね」と言う。

 しかし後日になって夫が「どてらのおかあさんが、あのとき、みそはえらい再々トイレに行くけど大丈夫なんじゃろうか、っておれに言って心配しようちゃった」と言う。「で、どうやらくんは『そうなんですわー、ええ迷惑ですわー』って言うたん?」と訊く。夫は「そんなことは言ってないけど『そうなんですよ、再々でしょ、なんかええ薬ないですかね』とは言った」と言う。頻尿や残尿感等で自分が不便を感じれば私はそれ用の「ええ薬」があるのは知っている。膀胱括約筋や骨盤底筋を鍛える体操も知っているし、その体操のようなものを排尿中や日々の折々に行なう。その上でよく飲みよく出し早め早めに運転を交代する機会としても休憩するようにしているのだけど、夫の身体は男性で蓄尿機能が高いからなのか、なかなか私の排尿に対する意欲や快適な排尿のための快適なトイレを求め評価する心情に対する共感を持ちにくいようだ。

 宍道湖といえば、母が通った高校では当時、年に一度「宍道湖マラソン」という行事があったという話を思い出す。その話を聞くたびに思い出すたびに、いくら宍道湖好きな私でもあの湖の周りを延々走るのはいやだわ、と思う。母の記憶によれば、男子は湖の周りをぐるりと一周、女子は半周のコースだったのだという。「それにしてもいったい何キロあるんだろう、一周で30kmくらいはあるのかな」と言う私に、母は「どうじゃろうねえ、何kmかねえ。今は道路の交通量も増えたし、あんなマラソンはしてないんじゃないかな」と言う。私は「みみがーの中学校の受験の志望動機が『給食ではなくお弁当で自分が食べられるものだけを持って行って食べたいから』と同じレベルかもしれんけど、私がもし松江高校の学区に住む子で松江高校に行く学力がある子だったときには、宍道湖マラソンがしたくないっていう理由だけで他の高校を選んだかもしれんなあ。長距離走は嫌いじゃないけど、好みとしては1000mか3000mかせいぜい5000mくらいがいいなあ、それは長距離じゃなくて中距離かもしれないが。宍道湖一周とか半周なんてその私好みの距離を遥かに超えてるじゃん。でももし私がこのへんの子だったら、松江高校に行けるんだったら、宍道湖マラソンするのも仕方ないと思ったんかなー、それか意外と『宍道湖マラソン気持ちいいなー』って楽しみにしてたんじゃろうか」と一生することのない宍道湖マラソンに想いをはせる。

 今なんとなく「想いをはせる」という言葉を使ったけれど、変換候補の文字を見て、「思い(想い)をはせる」の「はせる」は「馳せる」だったのか、と気がついた。「馳せる」は遠くまで早く駆けていく様子を表す漢字だけれど、私が使ってきた「想いをはせる」の「はせる」は、何かと何かの間、どちらかというと紙のようなものと紙のような何か薄いものの間にそれよりさらに薄い何かを挟むようなときに用いる広島弁の「はせる」だ。本のページにしおりを挟むのも「はせる」で、アルバムの透明フィルムの下に写真を入れるのも「はせる」。だから「想いをはせる」という表現には、記憶や思いの片鱗と片鱗の間にすうっとまた別の一枚の想いを差し込んで挟むイメージを抱いていたなあ。でも今日からは、従来通りのイメージと同時に、何かに対して抱いた想いが韋駄天のように駆け足で、びゅーっ、と、だあーっ、と、どこかに向かう様子を同時に思い起こすことになりそう。

 そしてそのパーキングエリアを出て高速道路をさらに東へ東へと進み、母の実家が近づくにつれて遠くにうっすらと本当にうっすらと大山が見えてくる。上のほうが濃い雲に覆われていてはっきりとは見えないけれど、夫は「あれが大山だー」と目を凝らし、母は「大山が一番かっこよく見える道経由にしようかと思ってたんだけど、ちょっとこれでは見えづらいねえ」と少し残念そうに言う。私は「でもやっぱり大山は『山』だねえ、こういう『山』を見ると、広島のそのへんにあるのは『山』じゃなくて『丘』なんだなあ、って思うねえ。マウンテンとヒルが違うっていうのが、最近よくわかるようになったよ」と話す。

 どこからどこまでが有料でどこからどこまでが無料なのか、もうひとつよくわからない高速道路ではあったけれど、ナビには母の実家の電話番号を入れて周辺まで連れて行ってくれるように頼んであるから安心で、そこに母ナビが加わることでさらに適切な道を走行できて、なんとも快適な移動。

 そういえば、ここからの下道は以前に夫と二人でお墓参りに来た時にも、夫が松江で他の用事をしている間に私ひとりお参りに来た時にも、松江で弟と待ち合わせをして夫と三人でお参りに来た時にも、この道は通ったなあ、と、当時は高速道路ではなくてバイパスだった道からお墓がある場所と母の実家まで通った道を思い出す。夫も「あ、ここの道、記憶にある」と何かを思い出す。あのときには、今回お参りするメインの対象である伯父がいつも極上においしい緑茶を淹れて私達をもてなしてくれたんだよなあ、と、記憶の中の伯父の存在と現在の伯父の不在のその差になんだか不思議な気持ちになる。

 少し細い道に入る。そこを左、そこを右、という母の案内にしたがって、母の実家にたどり着く。母が玄関を開ける。家の奥にむかって三人で「こんにちはー」「こんにちはー」とそれぞれに声をかける。奥からはおばの「はーい。ようこそ、ようこそー」という声が聞こえる。母は「勝手に上がるねー」と靴を脱いで三和土(たたき)からあがる。夫も私も母につづいて靴を脱ぐ。     押し葉

雲の南と東の雲の地

 54号線を北上しながら母が何度も何度も「いいお天気だねえ」と言う。たしかに空は青く輪郭のはっきりとした白い入道雲が浮かんでいて夏の「いいお天気」だ。母は天気予報ではもっと不安定な天候だと聞いていたのに、とも言う。明るい道は見通しがよくて運転しやすい。そして交通量が少ない道路だと助手席に座っていても車間距離のストレスがない。

 車間距離のストレスというのは、前後に車がいるからという場合もあるが、私の感覚ではもっとしっかり車間距離をあけてほしいな、と感じていても夫がずいぶんと車間距離を詰めて運転することで、前方の車が近すぎて視覚的に圧迫感を覚えるというようなストレスもある。

 この日の夫の運転は、私ひとりだけを乗せている時よりも若干丁寧で、前後左右の揺れがほとんどなく、たいへんに快適。普段は「どうやらくんにとってはなんでもない揺れかもしれないけど、私の頭痛にはひどくこたえるから、車線変更や加速減速は早めにゆるやかにしてほしい」と頼むことがあるのだが、母が同乗しているからか、頼まなくても快適な走行がかなうのは相当に気がラク。

 母が「むかしはお父さんは私が運転するようになったときに、前との車間距離を詰めろ、とよく言ってたんよ」と言う。「前の車とぶつからない程度に一定の速度でくっついて走行してないと他の車が後ろから追い越して割り込んでくるから、というのがその理由だったんだけどね。でも今は言うことが全然違ってきて、とにかく前との車間距離をあけろ、後ろに車がいるなら追い越しさせて、その車とも距離をとれ。そうしてないと誰かが急ブレーキをかけたときに玉突きになってぶつかるからって。若いころと今とでは言うことが全然違っとるがと思うけど、私はもともと車間距離が充分ある方が好きじゃったけん、年取ってよかったなあと思うんよ」と説明を続ける。

 私は「車間距離の安全な間隔は昔も今もそう変わらんと思うけど、私も車間距離はしっかりあるほうが好き。眼と脳に圧迫感がなくてラクじゃけん。それにもしも追い越して割り込んでくる人がいるとしても、割り込みくらいさせてあげるよ、って思う」と言う。

「そうじゃろ。私も割り込みくらいさせてあげたらいいじゃん、好きに運転させてよって思ってたけど、お父さんが横でうるさいけん、はいはい、言うて、若い頃は車間距離短めにしようたよ。なのに今はお父さんも車間距離は広くあけんにゃあいけんいうて私にも言うし、若い子らにもそう言うんよ。人間年を取ると変わるねえ。老い先が短くなってくると手に入れたい安全が違ってくるんかね」
「うーん。たぶんそれはね、昔は父も闘争心スイッチが作動してたんじゃないかな。若い男子には闘争心スイッチがどこかに埋め込まれているらしくて、なんでもないところで闘争する傾向があるみたいよ。追い越しや割り込みは『闘争』の一種なんじゃないかな」
「ああ、追い越させてやるもんか、割り込ませてやるもんか、って闘争するんじゃね」
「そうそう。どうやらくんは最近はずいぶん減ったし若い頃からそんなに闘争心旺盛なタイプではなかったけど、それでも、とっさのときに、君はなぜそこでそのような闘争に駆り立てられるのだ、と不思議になるようなことがあったけんねえ、運転でもそれ以外でも」

 夫が「ナビにはなんとなく掛合(かけや)の地名で設定してるけど、新しい自動車道が近くまで伸びてきてるらしいけん、どこから乗るんか地図見てくれる?」と私に言う。「地図は見ても地図が古いけん新しい乗り口はまだ書いてないねえ」と私が言うと、母が「大丈夫よ。もうちょっとしたら新しい道はこっちこっちって案内が出てくるけんわかるよ」と教えてくれる。

 母が言うとおり、しばらくするとその案内が出てくる。しかしその案内があったところからしばし走行してもなかなか新しい高速道路が現れない。夫が「本当にこっちでいいんかなあ」と不安がって「ナビ見て」と言うが、ナビも新しい高速道路の存在は知らない人だから、ただひたすらに自分の現在位置を機嫌よく走行しているだけだ。母が「合ってるよ、これでそのうち高速出てくるから」と夫を安心させる。

 私が道路脇に立つ地域表示をいくつか見てから「このへんは雲南市っていうところなんじゃね」と言うと、夫が「出雲の南だから雲南なんやな」と言う。私は「ああっ、そうか、出雲の雲の南で雲南だ。このあたりの人々にとっては出雲から見てどこにあたるかというのが重要なんかも」と言ってから、母に「このへんは昔から雲南市じゃったん?」と訊く。

 母は「ちがうんよ。市町村の大合併があったときに、うんじゃらくんじゃらあって、どこどことどこどことどこどこが一緒になって雲南市になったんじゃけど、私らにしてみたら昔の地名のほうが馴染みがあるけん、もともとあった雲南町は雲南じゃと思えてもこのへんまでが雲南市いう名前なのはなんかへんなかんじがするよ」と言う。「でも一応このへんはたしかに出雲の南といえばまあまあ南じゃけん、雲南で間違いはないんじゃろ」と問うと「それはまあそうじゃけどねえ。私の実家があるあたりもまえは八束郡じゃったのに、今は松江市になったじゃろう、東出雲町の名前は残ったけど松江市の東出雲町じゃけんねえ、なんかちがう気がするんよねえ、東出雲町立だったものはみんな松江市立になったじゃろう」と答える。
 
 そんな話をしているうちに高速道路に入る。最近完成したばかりの新しい道は明るくてとてもきれい。夫が「運転しやすーい」と感嘆する。母が「山陽自動車道とちがって交通量が少ないけん走りやすいじゃろ。兄の葬式に来た時にもこの道通ったんよ。でもお父さんはここの道を通ったときに、こんなに使う人が少ない道路に投資して、投資しただけの回収はできんじゃろうに、これから人はどんどん減るからさらに利用者も減るのに、とかなんとかいろいろ言いようたねえ」と言う。

 私が「まあ、そういう道路は、高速道路以外でも普通の道路でもその他の交通機関でも全国にいっぱいあるけんねえ。よその人間で特にすでに便利な地域に暮らす人間にとっては頻繁に使うわけじゃない必要性の少ないものでも、地元の人にとってはもう少し早く大きな町に運ぶことが出来れば助かったのになんていう記憶や思いからきている悲願だったりすることもあるし。早い時期に交通の便が発達していろんな便利を享受してきた中国山脈の南側の山陽地方の人間が中国山脈の北側の山陰やら他の地域のようやく今更かもしれん交通の発達に関してとやかく言うもんじゃない、って私はよく思うんよ」と言うと、母は「地元の人にとってはねえ、そりゃあようやくじゃろう。今日の私らにとってもこの道のおかげでしゅいーっと早く行けるんじゃけん便利じゃああるけどねえ。ただお金の出処(国)がそんなに豊かなわけじゃないのがねえ」と現実的でまっとうなことを言う。

 それにしても後からできた自動車道というのは、先にできてむかしからある自動車道に比べると、道路そのものもトンネルの中も、どこがどうとは説明できないけれども、先にできた道路にはない新しい工夫があちこちに施されていて、走行時の快適と安全が増すようにできているなあと、こういうのは道路工学というのかなあ交通工学というのかなあ、医学が進歩するようにこういう分野の学問も日進月歩日々更新なんだろうなあ、と、地方の新しい自動車道に乗ると自分の体全体でその学問の力に感心する。     押し葉

頓原の学習

 お蕎麦でくちくなったお腹を抱えて、国道54号線を北上する。道はずっと下り坂。あれれ、下り坂では夫が運転してくれていた記憶があるということは、お蕎麦屋さんを出る時の運転は私ではなくて夫だったということかしら。つい二日前のことなのに、なんだか記憶がずいぶん遠いなあ。その坂道で夫が「すごい下り坂」と言い、私が「アクセル踏まなくてもいいくらい?」と訊くと、夫が「アクセルなんて全然踏んでない、ほら」とアクセルから離した右足を揺らして見せたということは、やはり夫の運転だったのかしら。

 母が「ここは坂道が急でしょう」と言う。私が「うん。このへん頓原(とんばら)だよね。山からいっきに下りてます、下っています、ってことなんじゃろうね」と応える。

「むかしねえ、お父さんと結婚して最初のころ、まだあんたがお腹の中にいたころよ、お父さんが年末にどうしてもお正月は広島に帰りたいって言ってねえ、その頃は松江に住んでて、私は島根の人間だからお正月を島根で過ごすことに全然抵抗はないというか、そうするもんだと思っていたんだけど、お父さんは広島の人じゃけん、お正月は島根じゃなくて広島で過ごしたかったんじゃろうねえ、レンタカー借りて広島まで運転して帰るって言い出してねえ、当時は今ほど道もよくなくて時間がかかるけん、それなら私は留守番しとるけん一人で帰ってきてって言ったんだけど、一緒に帰ろう、って説得されてねえ、島根県側からここの頓原の坂道までお父さんの運転で来たのよ、昔はお父さんしか運転できんかったけんね、でもここの坂道は急で、あの頃はこのへんは雪が深くて、タイヤが滑って坂道を上がれんいうのがわかって、お父さんはようやくこれはダメだってあきらめたんよ」
「七月に私が生まれるまえの年末年始ということは、まだ妊娠初期じゃん。雪の中で遭難せんでよかったねえ」
「ほんとようねえ」
「あの頃はまだスタッドレスタイヤが世の中にふつうにはなかったじゃろうし、雪道を車で走るとしたらチェーンをつけるしかなかったじゃろうけど、ここの坂道はチェーンをつけても滑るような雪道だったん?」
「どうじゃろうねえ。あの頃はお父さんもまだ島根の雪に慣れてたわけではなかったんじゃろうけん、チェーンをつけとったんかつけてなかったんかどうかねえ」
「えー、でも、今は広島で冬に少し雪が降った時にスタッドレスタイヤもチェーンもなしで運転する人のことを父はむちゃくちゃ大馬鹿野郎扱いするじゃん」
「そうよー、自分だって最初から雪道に慎重だったわけではないのにねえ」
「でも、それはきっと父はここの坂道で学習したということなんじゃね、冬の雪道を走行するならそれなりの装備は必需って」
「でもねえ、この坂道で滑って上がれんようになるよりもずっと手前の町中から雪はひどかったけんねえ、もうこんなお天気で山を越えて広島に行くなんて無理無理と私は思うとったけど、お父さんは自分で納得するまでは頑固じゃけんねえ。あの頃は今みたいにいい具合に除雪車が雪をよけてくれるわけでもなかったしねえ、今よりもずっと雪が多かったけど、お父さんも若かったけんねえ」
「とうちゃんとしては、お嫁さん(母)に広島の正月を見せちゃりたいと思うたんかもしれんし、お腹におる私のことを広島のじいちゃんやばあちゃんに自慢したかったんかもしれんけど、まだ安定期に入ってない妊婦を車に乗せて当時の雪道の峠を越えようだなんて、それはいかんやろう、私が危ないじゃん」
「あの時お腹におった子がこうして私を広島から車に乗せて島根に連れて行ってくれるくらいに大きくなったんじゃけんねえ、あのとき無事でよかったよねえ」
「よし。当時の父の雪道体験は『頓原の学習』と名付けよう。頓原の坂道、当時の父にいろいろと教えてくれてほんとうにどうもありがとう。おかげさまであのとき雪の中でこの坂道の上にいた私はこうして無事に生まれてこんなに大きくなることができました」

 胎児期の私にそんななんとなく危険なひとときがあったことを、自分がこの両親のもとに生まれてくるにあたって必要なこころづもりと学習のいくつかのうちのひとつをおそらくこの坂道でもしていたんだなということを、この夏、私は初めて知った。     押し葉

出雲そばの割子そば

 広島県から島根県へと県境を越えるときに赤名峠という峠を通る。子どものころ親に連れられて島根県に行く時には必ず立ち寄っていたドライブインがその峠にはあった。事前の母情報によると「あそこはもうすっかりさびれてねえ」ということだった。しかし実際にその前を通ってみたら、さびれているを通り越して完全に廃業していた。「赤名峠といえば、母はここのドライブインでちくわを食べるのが定番だったのにねえ」と私が言うと、母は「たしかにいつもちくわを買って食べていたけど、あんたはおかしなことばかりおぼえている子だねえ」と笑う。

 峠をぐんぐんぐんぐん下る。随分前からお腹はもうかなり減っている。お蕎麦屋さんはまだかなかまだかな、近づいたらもうじきだよって教えてね、と母に何度も頼む。母は「私も近くに寄って蕎麦の旗を見んとわからんけど、まだもう少しかかると思うよ」と言う。島根県側に入って54号線をしばらく走る。母が「あ、あそこだあそこだ」と道端のお蕎麦屋さんを指し示す。駐車場には案内の男性がいて、駐車場にお客さんが入りやすいように出やすいように誘導してくれる。

 お蕎麦屋さんの名前は一福(いっぷく)。お昼時だからお客さんでいっぱいで、しばらく待ち時間がある。入り口に入ってすぐのところにある順番待ちの紙に「ドテラ」とカタカナで名前を書く。ドテラは私の旧姓であり母の現在の姓だけど、現在の私と夫の姓である「ドウヤラ」と書くよりもスムーズなことが多いから、夫も私も外食先では主に「ドテラ」の名前を用いる。名前を書いたらいったん外に出て待つ。お店の外にはおみやげ物の出店があり、お店に隣接する小屋では蕎麦ソフトクリームが販売されている。お店の前には木でできた椅子がいくつか置いてある。日陰に無料のそば茶サービスコーナーがあり横に小さなプラスチックの使い捨てコップがたくさん用意されている。私はコップにそば茶を入れて木の椅子に腰掛けて飲む。おいしい。私が「そば茶おいしい」と言うと母は「私もいただこうかな」とコップにそば茶を入れる。そして私の隣に腰掛けようと歩いてくる途中にどこかにつまづく。母が手に持っていたそば茶が私のスカートに飛び散る。母は「うわーっ。ごめんごめんごめん」とあわてる。

「だいじょうぶよー。お天気いいし、待ち時間長いし、ハンドタオルで拭いてから、ここに座ってスカートパタパタしてたらすぐに乾きそうよ。でも、そば茶こぼれたのが私のところでよかったね、よその人のところじゃなくて」
「ほんとによかったわー。いやいや、あんたでも申し訳ないけど、よその人だったらそれこそどうしていいかわからんわー」
「うん。今の展開でお茶をこぼしたのがよその人の服にだったらそれはちょっと恐縮過ぎるかもしれんね」
「恐縮で済みゃあええけど恐縮なだけじゃすまんじゃろう」
「まあ、もう一回そば茶入れて来たら? 今度はこぼさんようにしてちゃんと飲んだほうがいいよ、せっかくのおいしいそば茶じゃけん。私ね、蕎麦ソフトクリームが気になる。蕎麦を食べる量を少なくして蕎麦ソフトクリーム食べようかなあ。お蕎麦は割子の三段重ねのにしようと思ってるん」
「三段の割子ならソフトクリームも食べられるじゃろう。私も三段の割子にして天ぷらがのってるのにしようかなあ」
「私は天ぷらは食べられそうにないけん天ぷらがないほうにするけど、どうやらくんも天ぷらがのってるぶんにするって言ってた。二人とも天ぷらの気分なんかね。でも今夜の大山でも山菜の天ぷらが出てくると思うけん、そのつもりでお腹の調整してね」
「ああ、そうか。天ぷらが夕ごはんにも出るかあ」
「でも今天ぷら食べて夜にも天ぷら食べるのは食べられると思うよ。食べたいときに食べたいものを食べるのがいいよ」

 それから私は蕎麦ソフトクリームを買う。もう一度同じ木の椅子に座ってソフトクリームをかじる。おいしいのはおいしいけれど蕎麦があんまりわからないかなあ、と思いながら食べていたら、夫が「一口味見」と言ってソフトクリームをかじる。夫は「あ。舌ではわからんけど、鼻に抜ける香りが蕎麦」と言って去る。そう聞いてあらためて目をつむって蕎麦ソフトクリームを今一度ほおばり舌と口と喉の粘膜の体温で溶かして飲み込む。ほんとうだ、鼻腔に蕎麦の香りが広がる。

 この日は母の実家でお仏壇をお参りをしたあとで、母の実家から近い場所にあるお墓に参り、それから母と夫と私の三人で鳥取県の大山(だいせん)に泊まる予定。島根県経由で自宅に戻ってくるならば鳥取県を通ることだし、日本百名山のひとつである大山に登れたら登りたいな、という夫の希望と、たぶん大山には行ったことがないから山には登りたくはないけどその姿を近くで見てみたいな、という私の希望と、久しぶりに大山に行きたいな、自分ではわざわざ行かないけれど娘夫婦が行くなら一緒に行く行く、という母の希望とが合致しての計画。宿泊先は大山ふもとの宿坊。料理は山菜中心の精進料理。お昼にお蕎麦をたくさん食べ過ぎると夕食に差し支えるから控えめに控えめに調整せねば。

 母が「こんなふうに人がたくさん並んで待つところはお父さん(私の父)は好きでないけん、待つくらいなら他所に行く言うて待たんのんよねえ」と言う。私は「私も並んで待つのは得意じゃないんよ。でもどうやらくんは待つのもエンターテイメントのお楽しみとして好きなんだって」と話す。

「そう、それよそれ、私もどうやらくんとおんなじ。こうして待つ時間があるけんこそ、そば茶飲んだり、あんたは蕎麦ソフトクリーム食べたり、蕎麦でできたお菓子やらいろいろ見物したり、そのへんの景色を眺めたり、いろいろできて楽しいんじゃん」
「待たずに飲食して、なおかつそば茶や蕎麦ソフトクリームや関連品や景色を楽しめるほうが私はいいな」
「でもまあ、私がお父さんに合わせてあげてるみたいに、待つのが好きなどうやらくんにあんたは合わせてあげてるんじゃね」
「待つのが好きでない私にどうやらくんが合わせてくれることもあるよ。かあちゃんはここのお蕎麦は食べたことがあるん?」
「あるよ。何回も。お父さんと二人で来たこともあるし、お父さんとしめじ(弟)と三人でも食べたことがあるかも。たぶん混んでないときに来たんじゃろうね。今はお盆で夏休みでお昼時じゃけん混んでるけど、混んでないときもあったんじゃろう」

 外の椅子に母と座って話をしていると、お店の中で店内の様子を観察しながらそば打ち実演を見物している夫が、合間合間に「あと何組で順番がくるよ」と教えにきてくれる。そうしているうちにそば茶で濡れた私のスカートはすっかり乾く。

 夫が「あと何組で呼ばれるから、そろそろお店の中に入ってたほうがいいよ」と呼びに来てくれる。それから順番が来て奥の座敷席に案内される。順番待ちの間にメニューを見て予め決めておいたとおりに、夫は五段重ねの天ぷらも付いている割子そばを、母は三段重ねの天ぷら付きの割子そばを、私は三段重ねの天ぷらなしの割子そばを「薬味にネギが付く場合にはネギ抜きで」と注文する。

 ほどなく注文した品が運ばれる。お腹がすいたね、いただきます、ああおいしい、と蕎麦をすする。出雲まではまだ距離があるのに、ここでもう出雲そばが食べられるのはうれしいね、と話す。私の割子そばの一段目は卵、二段目は山芋とろろ、三段目は山菜。薬味はきざみ海苔と花カツオ。お漬物とそば湯付き。母のセットには生わさびと小さなおろし器とわさびのお漬物が付いている。母は「私はワサビやカラシの辛味に弱いみたいで、いつもお父さんにゆずるんよ」と言う。私が「私はワサビは好きよ。今のところ問題なく食べられるし」と言うと、母は「じゃああげるから食べて」と言う。「ありがとう、じゃあもらう」と言ってお蕎麦にわさびを加えて、ときどきワサビのお漬物に箸を伸ばす。

 五段の割子を頼んだ夫が一番最初に食べ終わり、次に母が食べ終える。私は最後においしかったねごちそうさまでしたと手を合わせる。夫も母も一緒に手を合わせてごちそうさまでしたと言う。母が伝票とお金を用意しているのを見て夫が「ああっ、お母さんが払おうとしてる」と言う。私が「わあー、かあちゃんがごちそうしてくれるん? ありがとう。ごちそうさまでした。じゃあここはお任せするね。大山は私に任せてね」と伝える。母は「ここは島根県じゃけんね、島根県は私に任せて」と言う。夫が「ありがとうございます、ごちそうになります。じゃあ、鳥取県に入るまでよろしくお願いします」と言う。

 お店に着いてすぐに一度トイレに入ったけれど、出かける前に私はもう一度トイレを利用する。便座は洋式で、トイレットペーパーも付いているトイレ。

 駐車場の車の中で待つ夫と母に「おまたせしました」と声をかけて運転席に乗り込む。お蕎麦、おいしかった。満足。     押し葉

広島県から島根県へ

 通常であれば、淡々とした旅の記録は「みそ記」に書くところであるが、今回は帰省後半の一部を切り取ってみそ文に書いてみる。

 8月12日には私の実家に泊まり、13日と14日はどうやらの実家泊。その間のことはまた別途書くことにして、ここでの話は8月15日から始める。

 15日の朝どうやらの実家(夫の実家)を出発する。10時を少し過ぎた時刻に最寄りの新幹線駅で母と待ち合わせる。母はその駅まで自分の車で来ている。母は駅前駐車場に自分の車を駐めてから駅のロータリーに立って私達夫婦を待つ。ロータリーで母を乗せたら、私は車を降りて駅のトイレを利用する。その間夫は車をロータリーの送迎車停車位置に車を停め、母と今後の打ち合わせをする。私たち夫婦は最近はどこに行くにも車で移動することが多く、高速道路のサービスエリアやパーキングエリアのトイレはどこもきれいに快適に進化していて、外出先でも気持ちよくトイレを利用できるのが私の中で少しあたりまえになっていた。それがJR新幹線の小さな駅のトイレはふたつある個室のふたつともが和式便器で、トイレットペーパーの設置がない。自分でティッシュペーパーを持ち込んで使う必要がある。ああ、そういえば、ここの駅のトイレはそうだったなあ、と古い記憶がよみがえる。しかし、私が広島を離れてからもうずいぶん経つのいうのに、駅のトイレの改修がされていないままでよいのか。高齢の膝に不自由を抱えるお客さんたちはこの和式トイレにしゃがむことが難しくて、それでますますJRでの外出を避けるのではないだろうか、と業績不振か好調なのか知りもしない山陽新幹線の繁盛具合を勝手に心配する。がんばれJRたのむぞJR、と思いながら車に戻る。夫と母に駅のトイレがこんなだったと話をすると、母は頻繁にこの駅を利用して父との旅行にでかけているにもかかわらず「あれえ、そうだったかねえ」と記憶があまりなさそうに言う。夫は「高速道路のトイレがそんなに進化してる実感がなかった」と言う。男性トイレと女性トイレでは、特に小便器だけだとあまりよくわからないのかなあ。

 それから島根県にある母の実家を目指す。広島からの経路としてはいろんな選択肢があるのだが、今回は国道375号線から国道54号線を北上する経路を選ぶ。

 すこし前に母の兄(私にとっては伯父)が他界した。幼い時分の私は島根に住んでいたから母の実家に滞在する機会が多く、母方の祖父母と伯父夫婦にたいそうよくしてもらった。その伯父のお参りをできたらしたいなあと帰省前に思っていたら、母も「兄の初盆だからお参りに行こうと思っている」と言うので、母と一緒に母の実家のお仏壇とお墓を目指すこととなった。道案内は車のナビと島根出身の母のナビの両方があるからとても安心。

 母は手荷物に母と夫と私の三人分のペットボトル入り爽健美茶と『生もみじ』というお菓子を車中のおやつとして用意してくれていた。『生もみじ』というのは通常のもみじ饅頭とは少し異なるお菓子で、もみじ饅頭よりも生菓子風味でやわらかく餡以外に求肥っぽいお餅が入っていてふんにょりとした食感がおいしい。しかし、お昼ごはんは県境を超えて島根県に入ってしばらくしたところにおいしいお蕎麦屋さんがあるからそこにしようかという母情報と提案を得た夫と私はいっきに割子そば気分が高まる。水分補給は必要だけど、お蕎麦をおいしく食べようと思ったら、そこまでの車中で菓子などを食べるわけにはいかない。

 途中の道の駅でトイレ休憩をとり、運転を夫と交替する。道の駅の駐車場で夫が「ほら、あそこの絵というか看板というか、あれ、カープの梵(そよぎ)選手」と建物の一部を指し示す。「梵選手はこのあたりの出身の選手なん?」と訊くと夫は「たぶんそうなんじゃないかなあ、どうなんかなあ、そうなんかなあ」とカープファンとしては少々心もとない情報を提供してくれる。道の駅のトイレにはトイレットペーパーは設置されていた。便器は和式と洋式の両方があった気がする。

 ここからは夫の運転で私は助手席に座る。再び乗った車中では、姪(私の弟の子)のみみがーが無事にひとりで船に乗って島のおばあちゃんのところに着いたんだってよ、という話を母から聞く。小学校六年生にもなるとそんなことがひとりでできるようになるのねえ、大きくなったなあ、と、夫とひとしきり感心する。
 母は「まあひとりとは言っても、こっちかがわの港まではゆなさん(弟の妻。みみがーの母)が車で送って、船に乗せるところまでしてやって、船が出港したらゆなさんが島のお母さんに携帯で電話して『みみがーが船に乗ったけん、何時にそっちの港に着くけん迎えに行ってやって』って頼んだら、船の下り口のところに迎えに来てくれてんじゃけん、乗船時間は20分くらいのもんじゃし」と言う。
 12日に実家に泊まった時に、ゆなさんも同じことを説明してくれたけれど、たとえそうであるとしても、ひとりでじっと座って船で移動して、船をおりたところで祖母を見つけて(見つけてもらうのかもしれないが)ひとりで祖母宅に数日間宿泊するなんて、やはり大きくなったではないかと、そのときにも感慨深く思ったのだ。

 ちなみに甥(みみがーの兄)のむむぎーがなぜ同じ船に乗っていないかというと、彼は二週間のカナダホームステイに出かけていて不在だから。

 現在小学校六年生のみみがーは来年中学生になる。現在むむぎーが通う私立中学をみみがーも受験するのだという。みみがーは勉強は問題なくできる子だからなんの心配もなくて安心だね、と言う私に、母が「ほんとにねえ、むむぎーのときには受かるじゃろうかどうじゃろうかいうて受かるまで心配したけどねえ」と応える。私が「でもみみがーだったら他の私立中学でも受験も合格もできるじゃろうに、なんでむむぎーと同じ中学なん? 近いけん?」と聞くと、母は「みみがーはお昼がお弁当の学校に行きたいんよ。給食が出るところじゃなくて」と説明する。夫と私は「ええーっ。進学の志望動機がそれ?」と驚く。母は「そうよねえ。みみがーは小学校の給食を食べきるのがたいへんでたいへんで苦労しようるんじゃけん」と言う。私が「やっぱり野菜が苦手なん?」と訊くと母は「あれでもだいぶん食べられるようにはなったんよ、自分の好きなものはたくさん食べるしね、でもどうしても食べるのにすごく時間がかかるものや時間をかけても食べきれんもんがあってねえ、残してごめんなさいの挨拶をしに給食室に再々行くけん、みみがーは給食のおばさんとは仲良しなんじゃけん」と言う。そういうのを「仲良し」というかどうかについては多少の疑問を感じながらも、偏食傾向のあるみみがーのことを温かく見守りながら給食の工夫をしてくださる給食室のスタッフの方々にはありがたいことであるよと感謝を覚える。

 と、いつもは広島往復だけの帰省だけれども今回は山陰路も巡ることにしたから、その島根紀行を書き始めてみたものの、なんだか長くなりそうだなあ。小分けにして気長に書いていってみよう、おー。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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