みそ文

王様のパジャマズボン

 夫が「パジャマズボンのゴムがもうビロンビロンで生地もすりきれてきたけん、そろそろ新しいパジャマを買いたいなあ」と言う。私は「買ったらいいというか買ったほうがいいと思うよ。どうやらくんはパジャマを買うくらいの財はあるんだから」とすすめる。

「でもなあ、買ってすぐのパジャマのズボンって、ちょうどいいときにはいいんだけど、ゴムがきついときがあるじゃん、あれがなあ」
「それならいまの古いパジャマのズボンのゴムだけを入れ替える方法もあるけど、生地も薄くなってるんなら、新しく買ったほうがいいんじゃないかなあ。私もパジャマのゴムがきついのは苦手じゃけん、新しいパジャマのゴムをすぐに自分でちょうどよくなるように入れ替えることあるよ」
「おおー。さすがは王様やなあ。そこでこれは自分のほうが太ったんじゃないか、太ってウエストが太くなったんじゃないか、これは痩せたほうがいいんじゃないか、とは思わずに、自分のお腹にパジャマのほうを合わせるんやなあ」
「どうやらくん、なにを言いようるん。私のウエストは自分でメジャーでときどき測るけど大きな変動はないし、腹囲は健康診断のときに毎年測定があるけど別に大きくなってないんよ。それなのに自分のお腹をきついパジャマのほうに合わせて小さくする必要はないじゃろう。パジャマというのは気持ちよく着て寝てこそのものなのに、快眠のための衣類なのに、自分のお腹をパジャマのサイズに合わせるためにきついのを我慢してそのまま着て着心地寝心地よくなくて睡眠の質を下げたのではそれは本末転倒じゃん」
「それはまあそうなんじゃけど、仰せのとおりでございます」
「どうやらくんは山を歩くようになってお腹まわりがどんどん細くなったって言ってたじゃん。このまえもベルトの穴がどうとかって細くしてたじゃん。今なら新しいパジャマでもゴムがきついのそんなに気にならんかもよ。もしも気になる時には私の裁縫道具箱の中のゴムを入れ替える道具を使ってくれていいけん、それで入れ替えたら大丈夫よ。入れ替えたことがないんじゃったら入れ替え方は教えてあげられるよ」
「わかった。新しいの買う」

 夫は寝る時上半身はコットンTシャツを着ることが大半で、パジャマの上を着るのは一年のうちでもパジャマの上を着ないと寒いと感じられるごくごく一時期のみ。

「どうやらくんは、パジャマの上はあんまり着んじゃん。パジャマのズボンだけっていうのが、ときどき生協カタログに載ってることがあるけん、また見つけたらお知らせしようか?」
「うん。教えて。それ見てみる」

 今の夫のお腹にぴったりゆったり寝心地ばっちりなパジャマズボンとの出会いはきっとすぐそこだ。     押し葉

大きな子どもの発表会

 職場の医療事務の人が「次の次の土曜日なんだけど、子どもの発表を見に行きたいから、次の土曜日とシフト変わってもらえるかなあ」ともうひとりの医療事務の人に相談する。相談を受けた事務さんは「もちろん、交替するのは全然かまわないんですが、同僚さんの息子さんはもうすごく大きいのに、そんな大きい子がいったい何を発表するんですか」と問い返す。

「大きくても発表することはあるの」
「でもたしか、同僚さんの息子さん警察官ですよね。警察の人がなにを発表するんだろう」
「うちの子は警察の音楽隊でトランペットを吹いていて、その音楽隊の発表が今度ホールであるのよ」
「まあ、トランペットですか、それはカッコイイですね」
「そうなんやって。普段うちにいるときはだらーんとしてても、音楽隊の制服着てびしっとしてトランペット吹いてるのは親ばかだけどカッコイイなあと思うから、見に行ってやりたいなと思って」
「ああ、それはカッコイイでしょうねえ、ぜひぜひ行ってあげてください」

 ふたりの会話を聞きながら、大きい子が発表するのも素敵だけど、人の親ばか機能が私はたいそう好きだなあ、とにんまりとほくそ笑む。     押し葉

脳内妄想バーベキュー

 喉が真っ赤に腫れて痛くて飲食がまともにできなくて脱水症状が心配、という患者さんに処方された薬を調剤してお渡しする。患者さんは六十歳は少しこえているかなどうかなな年頃の男性。ひと通りの説明を終えたところでその患者さんが私に向かって「やっぱり薬を飲んでる時にはお酒は飲まないほうがいいんだろう?」とわかっているけど再確認、という面持ちで尋ねられる。

「はい。やはりお薬を飲むと薬の代謝で肝臓や腎臓に普段よりも負担がかかりますから、薬の効果をしっかり出して副作用は少なめにするためにも、役割を終えた薬の代謝のためにも、喉が痛いのを身体が自力で治そう治ろうとする力を発揮するためにも、アルコールでこれ以上の負担を身体にかけるのは控えることをおすすめします。喉の腫れと炎症と痛みがよくなってお薬飲み終えても翌日翌々日くらいまではお酒は控えてもらったほうがより安心安全です」
「そうかあ。やっぱりそうかあ。でもなあ、こう暑いとビールを飲みたくてなあ。おいしいやろう、暑い日のビール」
「はい、冷たいのをきゅうっと飲むのはおいしいはずですが、でもここ数日喉が痛くてお食事も水分摂取もあまりあできないということでしたよね」
「それが、ビールなら飲めるんやあ」
「ええっ、それは、ええと、ビールのあの刺激が喉に痛くはないですか?」
「痛いんやあ。すごく痛いんやあ。味もいつもよりはおいしくないんやあ。ビール一口飲んでは『いてて』いうて言いながら飲むんやあ。でもビールを飲んで喉が痛いのは我慢ができるんやなあ」
「そ、そうなんですか、ビールお好きなんですねえ。でも炎症がひどいところにむやみに刺激を与えると、やはり治りも遅くなりますから、できれば喉に刺激の少ないトロミのある飲み物や食べ物で水分補給と栄養摂取をまずはしていただきたいですねえ。ビールは治ってからのほうがいいですよ」
「せやんなあ。今週の土曜日にバーベキューの予定があるんやあ。土曜日までに治したいんやけど、治るかなあ」
「ああ、それは喉をちゃんと治して、おいしくビール飲んでお肉やお野菜食べたいですねえ。ぜひぜひ、せめて今日明日明後日くらいで薬が効いて、喉の炎症と腫れと痛みがひくまでは少しだけビール我慢して、まずは治してください。せっかくのバーベキューの時に体調がすぐれないのはたのしくないですしもったいなですもん」
「そうやんなあ」
「喉の粘膜が治るときには、やはり、ビール以外の栄養素もすごく大切ですから、ビールで痛いのを我慢する時と同じくらいの我慢を少しして、食べやすいものを少しずつでも召し上がってくださいね。腫れと痛みと炎症をとる薬を毎食後に飲んでもらっていれば、あまり痛みが気にならない状態で食べたり飲んだりしてもらいやすいはずですから、そのタイミングを狙ってお食事や水分補給してみてください」
「そうかあ。やっぱりビールはちょっとの間やめたほうがいいかあ。そうかあ。そうかあ。そうかあ」
「土曜日のバーベキューのためにも、どうかぜひ」
「そうかあ」

 そんなのねえ、薬の内容にもよるけれど、それなりに薬を飲んでいる人に、最近薬を飲んだり使ったりしたほぼ直後の人に、薬局の薬剤師が「大丈夫ですよー、お酒は思い切り底なしに飲んでくださいなー、いっちゃえ、いっちゃえー、へいへーい」なんて言うわけはないのだ。
 体調がよくなくて薬を飲んだ当日翌日翌々日あたりの飲酒はたとえその時にはもう体調が回復していても可能な限り控えてもらいたいものだ。そのタイミングでの飲酒で何事もなければそれでもよいかもしれないし、たとえ何か不都合があったとしてもそれは自分が飲酒してよいタイミングを見誤ったせいなのだと反省して次回以降にその経験を活かしてもらえるならそれもよい。
 しかしそのタイミングで飲酒した結果なんらかの不都合が生じた時に、その不調の原因を自分が飲んだ「薬」のせいにして「飲酒」のせいにはしない言説に遭遇することはこの仕事をしていればそれは頻繁なのだけど、そんなの薬のせいにしないの、それは自分の身体とよく相談もせずにあなたが飲んだお酒のせいだから、はいはい、いいから、だまってここに来てきちっとしゃきっと正座しなさい、そしてよーく聴きなさい、と私の脳内道場でこんこんと説教すると、だいたいみなさん気持よく納得して帰って行ってくださる。
 私がそれほどひどく暴れることなく、それなりに穏やかに仕事を続けられているのは、この脳内道場の存在と自分の妄想力のおかげなのかもしれないなあ。     押し葉

ギリギリセーフ

 日曜日の午後一時四十二分の急行に乗りたかった夫を駅前ロータリーで降ろしたのは一時三十五分頃。いってらっしゃい、いってきます、と互いに手を振って見送る。夜になってから大河ドラマを見終えて、夫の携帯に電話をかけてみる。

「どうだったー? 一時四十二分の列車には無事に間に合ったのかしら」
「うん。ギリギリセーフだった」
「自動販売機で簡単に切符買えたでしょ?」
「ううん。せっかくじゃけんクレジットカードで支払いしたかったけんみどりの窓口で切符買った」
「それはすっごい余裕じゃったんじゃん」
「ううん。ギリギリセーフじゃった」

 夫は予定通りの特急に乗れたので、大阪の品揃えの多い山用品屋さんでゆっくりと見物して、前々からほしかったものを買おうかどうしようか迷ってその迷いを迷いのままホテルに持ち帰り、たのしくウキウキと迷いつつ機嫌よく広島カープの試合をずっと見ていたところだと言う。

「あれ? どうやらくんが大好きなちびまる子ちゃんは見なかったの? 大河ドラマは?」
「それが、なんかなんとなく今日が日曜日なのを忘れてて、気がついたらもうまるちゃん終わってた。テレビつけたらカープの試合してたから、そのままそれ見てる」
「そうなんだ。私はね、どうやらくんがおらんけん、普段ならどうやらくんがちびまる子ちゃんを見る六時からBSで大河ドラマを見てね、八時からの二回目大河を今見終わったところなんじゃ」
「ドリルお好きですなあ」
「うん。ドリル、いいよー」

 なにはともあれ、午後一時四十二分の特急に間に合ってよかったね。     押し葉

水茄子祝賀の宴

 今日から今週水曜日の夜まで、夫は出張で大阪へ。会社の用事で行くのだから出張にあたるのだと思うのだが、彼のこころの大部分を占めているのは、大阪の山用品屋さんでいろいろな山用品を見ること。やはり都会のお店は地方のお店に比べると品揃えが豊富で、あれやこれやと触ってみると気持ちがぷくぷく踊るのだろう。

 出張先での用事の内容そのものは私はあまりよく知らない「非破壊検査」というものに関する資格を取得するために必要な事前の講習の受講であるらしい。夫の勤務先では誰かがその資格を持っていることが必要なのだが、これまでその資格を持っていた社員の人たちが続々と定年退職を迎えるお年頃になり有資格者が減ってきたため、その後任となる人材を育成することになったのだそうだ。

 水曜日の夜は列車の到着が遅いから、夕食も大阪か車中で済ませて、駅からはタクシーで帰ってくるよ、と言うから、はいはい了解、と家庭内連絡。日曜日に出かける時には食材買い出しのついでに車で送ろうか、と言うと、夫は、じゃあよろしくお願いします、と言うので、そうすることに。昨夜予定を訊いた時には「二時くらいには出たいかなあ」と言ってたから、私はそのつもりでいた。

 お昼ごはんに泉州水茄子を二人で一緒においしく食べる。自分で取り寄せた水茄子とは別に実家の両親が夫に送ってきてくれたハムセットの中に生ハムがあり、その生ハムで水茄子を巻いて食べてみたらこれがたいそうおいしくて、ふたりで「うおおおおおっ」と食卓で感嘆する。夫は「これは上等な料亭の季節の一品になるなあ」といたくお気に入り。水茄子を知っている人はもちろんその季節感とおいしさがうれしくて、茄子はふつうに好きだけど水茄子というものをまだ知らない人が食べたときにはきっとさらにそのおいしさに感動するんじゃないかな、と、話す。
 
 ごちそうさまをしたあとで、私はのんびりと歯磨き。しゃこしゃこと歯ブラシを口の中で動かしていたら、夫が「列車一時四十二分なんだけど」と言う。

「へ? 今もう、一時くらいじゃなかったっけ」
「うん、一時になった。ちょっと過ぎたとこ」
「どうやらくん、二時に出るって聞いた気がするよ」
「うん。二時ちょっと前の一時四十二分の特急」
「どうかなあ、私の出かける準備が間に合うかなあ。まあ、無理そうじゃったらタクシーに来てもらったらいいしね。今洗濯機が脱水してるのを干してから出かけたいから、どうかなー、一時二十分くらいには出られるかな、それで列車に間に合うかな、きっと間に合うね」

 ざくざくっと身支度して、脱水を終えた洗濯物を陰干しして出発。駅前まで約十五分弱で到着する私の通勤路を走行。その抜け道のことをあまり知らない夫は私に「どこに連れて行くのか」と問う。「駅よ」と言うと「道がちがう」と言う。

「こっちのほうが早いから、こっちの道で行ってみる。でも、どうかな、間に合うかな」
「みそきちが一時二十分の出発で間に合うって言ったじゃん」
「間に合うんじゃないかな、と予想を言っただけで、実際に間に合うかどうかはやってみんとわからんよ」
「ええー、そんなー」
「別に一時四十二分の列車に乗れんかったときには、次の列車で行けばいいことなんでしょ。今日は大阪に着けばいいだけだよね。あとは山用品屋さんでどれくらいゆっくりできるかが違ってくるだけで」
「それは、まあ、そうだけどさー。さすが王様やなー」
「おかげさまで、今日の誕生日でまたひとつ元気に大きくなったから、王様も大きくなったよ」
「おめでとー、王様ー。ありがとー、王様ー」
「ありがとう、は私が言うほうだと思うけど、私が大きくなったことをどうやらくんもお天道さまにありがとう言うてくれるんならそれはそれでどうもありがとう。それにしても、一時四十二分の列車に乗るのを一時過ぎて私に言ったんじゃあ、それはとっても遅いと思うな。昨日の夜の時点か今朝私が起きたところで聞いてたら私もそのつもりで調整できたと思うけど」
「王様の仰せのとおりでございます。二時頃出たいって言ったらそれで伝わるかなーと思ったんよ」
「二時頃出たいって聞いたら、私は二時に自宅出発のつもりになるよ。私が外出の身支度に時間がかかるというか、慌てて支度するのが得意じゃないことはどうやらくんもよく知ってるのに、どうしちゃったんじゃろうねえ」
「王様は、そこで、自分の支度が遅くてごめんね、とは思わんところが王様の王様たるところやなあ」
「そんなこと思ってもしかたないじゃん。私はゆっくりと支度するのが好きなんじゃもん。早く支度するのはできんというかせんけど、事前にわかってればそれに合わせて早めの時間から支度をするのは上手よ」

 運転しているかんじでは、この調子だと駅前ロータリーに着くのは一時三十五分くらいになりそうだなあと思う。

「もしもさ、ゆっくり切符を買えないときには、改札で駅員さんに言ってそのまま列車に乗ってから、車内で車掌さんから切符を買えばいいね」
「そんなことしたことない。本当にそんなことできるんか?」
「ええー、よく、車内で車掌さんが手持ちの機械でビビビって紙を印刷して切符や指定券の販売をしてはるやん」
「それは、改札で何か証明書をもらうん?」
「どうかな。そうだったかな。口頭だけでもいけたと思うけど」
「そんなん、その人が本当にその駅から乗ってきたんかどうかわからんじゃん。もっと前の駅から乗ってきたやつかもしれんじゃん」
「それはまあそうなんだけど、そこは車掌さんもプロだからさ、いいぐあいにしはるんよ、きっと」
「そんなようわからんシステムはいやだー」
「まあ、大阪までの切符は自動販売機でちゃちゃっと買えるけん大丈夫じゃろうけど、もしもそうする時間もなかったときには、こんな方法もあるからますます安心だね、っていう話」
「王様ー。その話はぜんぜん安心できないんですけど」
「それはね、どうやらくんが昨日か今朝のうちに私に列車の時刻を正確に伝えていたらもっと別の安心があったけど、そうしなかったのはどうやらくんだからね、そこはどんと引き受けてね」
「王様ー」

 夫はきっと内心では、急な外出時であっても、私が夫と同じように簡単に素早く外出のための身支度をすればいいのにな、と思っているのであろうなあ、とは思う。けれど、私は事前にある程度心づもりをしてゆとりをもって支度をしたときのほうが運転もより安全にできるし出かけた先での集中力や体力気力の余裕が大きいから、自分はそういう仕様の機種なのだと割りきって調整して生きている。夫としてはとっさの出発直前であっても素早く身支度して出かけてなおかつ安全運転で集中力と体力気力に余裕を持つことができるならその訓練をしたほうが、彼にとっても私にとっても自由が大なのではないか、そうであるならばそれを推奨したい、そうであるならば妻にはその努力と訓練に励んでもらいたい、というあたりであろうか。

 夫が私に期待しているかもしれないその努力と訓練を私が積極的には行わないことにより、もしもの緊急事態のときに逃げ遅れて助からない可能性が高くなるのであるとしても、そのときはそのときの自分の運と判断と生命力に委ねることにして、普段は自分の好みと体調に合わせた時間配分で暮らすつもり。ただそういう緊急事態もあるかもしれないということは常にどこかで意識して、ときどき消極的にではあっても短時間でとっさの身なりを整える練習はしておこうかなと思う。緊急時には寝間着であろうが全裸であろうがすぐさま避難すべきとは思うが、とっさにささっと何かそれなりの衣類を羽織れるならば羽織ったほうが自分も自分以外の人もお互いにこころやすらかであるだろうなあと思うから、そこはこころがけてみる。そしてそのこころがけを反映した練習の日が今日であったということなのかな。     押し葉

そうめん日和

 夏になると、暑くなると、そうめんが食べたくなる。そうめんはにゅうめんで食べてもおいしいし、チャンプルーにしてもおいしいけれど、きゅっと冷やしてちゅるちゅるっと食べるそうめんが、そうめんの食べ方としてはたぶんきっといちばん好き。

 昨夜の夕ごはんはそうめん。夫と二人で三把茹でる。ここ数年、私たち夫婦は、すっかり「ヒガシマルぶっかけそうめんつゆ」のとりこで、もうながいこと自宅ではつけつゆでそうめんを食べていない。昨夜のそうめんの具は、広島の父作のキュウリ。スライサーで太い糸のように切ったキュウリ。それからミョウガ。そして大葉。それと温泉卵を一個ずつとツナ缶を半分ずつ。私はそこにすりゴマをかける。夫はわさびと本当はきざみ海苔もほしかったけど、きざみ海苔を食べ尽くしたのに買ってくるのを忘れていたから昨日はきざみ海苔はなしで。チューブ入りわさびも昨日で使い切ったから、次回の買い出しの時には、わさびときざみ海苔を買うことを思い出したい。

 私が「このかけるタイプのめんつゆだと、具だくさんにできるのが好きなの」と言うと、夫は「つけて食べるつゆだと具だくさんにできないのか」と言ってから「まあ、たしかにつけつゆの中に温泉卵は入れないか」と続ける。「うずらの卵ならあるかもしれないけど、温泉卵はちょっと大きいかな」と私は記憶の中のつけつゆに温泉卵を入れた様子を思い描いてみる。

 キュウリの冷却効果をほどよく感じてちょうどよく涼しくなった私が「今日はそうめん日和だね」と言ったとき、夫は「そうかな、まだそんなにそうめん日和というほどではないんじゃないかな。他の料理が用意されている状態を前にしたときに、頼むから今日はこのご飯ではなくそうめんを食べさせてくれ、と懇願するようになってこそ、そうめん日和と言えるんじゃないか」と言う。

 私はしばらく考えて、これまでの自分のそうめん人生をつらつらと思い返す。それから夫に言ってみる。

「よくよく思い出してみたんだけど、私はまだ、他の料理が用意してある場面で、これじゃなくてそうめんが食べたい、と思ったことも言ったこともないと思う」
「へえ、そうなんだ。それは真のそうめん日和を知っているとは言えないな」
「どうやらくんと結婚してから、まだ一度も、どうやらくんが私に、このご飯じゃなくてそうめんを食べたい、と言うのを聞いたこともないような気がする」
「そういえば、そうやなあ。一回も言ったことないなあ」
「私と結婚する前に、たとえば広島のどうやらのおかあさんが作ってくれたご飯を食べる時に、これじゃなくてそうめんが食べたい、と、懇願したことがあるの?」
「いいや、ない」
「じゃあ、どうやらくんの言うそうめん日和は、いつどこでの話?」
「すんませんでしたっ。そんなこと一回も思ったことも言ったこともありませんでしたっ」
「ということは、今日が私のそうめん日和でも、それはそれでいいんだよね」
「はい。仰せのとおりでございます」

 夫は夏の冷たい麺にはぜひともキュウリがほしい派。私はキュウリも好きだけど、キュウリがなければレタスでもトマトでもワカメでも大満足派。キュウリ派の夫は、夏の冷たい麺の具としてキュウリがないときには、他の野菜を食べながらも「ここにはやっぱりキュウリがほしいな」と少し残念そうにつぶやく。そしてキュウリがあるときには「やっぱりここはキュウリだな」と満足そうにひとこと言う。

 だから毎年夏になると広島の父が畑で作ったキュウリを送ってきてくれるのがたいへんにうれしい。わざわざ買い出しに行かなくても冷蔵庫にキュウリがちゃんとある安心感。そうめんや冷やし中華にキュウリをワシワシと大量にのせて存分に食す至福。

 夏が終わると不思議とキュウリのことはそれほど身体が求めなくなる。キュウリは私の身体にとって安全なお野菜で、ニンニクやネギやタマネギを食べたときのような頭痛や胸焼けがない。一時期キュウリを食べると口の中と喉が「んがんが」とかゆくなってつらい時期があったけれど、そしてそれはメロンを食べた時に現れる症状にも似ていて、メロンとのお付き合いを手放して生きている私としては、ああ、このままキュウリが食べられなくなるのは本望ではないわ、カブトムシだってクワガタだって平気で食べるキュウリを私はヒトとして生き物として食べられるままでいたいの、と、強く強く念じたら、またなにごともなくキュウリをおいしく食べることができる身体になった。だからこの夏もキュウリとの逢瀬を重ねて生きるつもり。     押し葉

七夕の準備体操を

 患者さんの流れが一段落して、従業員以外誰もいなくなった薬局で、医療事務の同僚が「もう、最近のおかあさんは、なんでだろう、なんかおかしい」と少し憤慨したように言う。
 彼女の手には店頭のフックに掛けてあった商品の、フックの部分が破れてちぎれたものがある。彼女の説明によれば、処方箋の薬を受け取りに来た親子の子どものほうが店頭の商品を触って遊んでいるのを親は注意するわけでも制止するわけでもなく、そうしているうちに子どもが遊んで触っていた商品のフックがちぎれて、それを子どもは親のところに持って行く。薬を受け取る用事が済んだ親がカウンターでその商品を出して「すみません、うちの子がやぶいてしまったみたいで」と言って置いていった、とのこと。

 同僚は「ふつう、自分の子がそんなことしたら、お店の人に申し訳なくて、弁償しなきゃと思って、自分だったら買うと思うんだけどなあ、そんなに高いものじゃないときには。高すぎて買えないときには、平謝りでお店の人に一部弁償だけでもさせてもらえるよう相談すると思う」と言う。

 私は「ああっ。ほんとうにそうですよねえ。なのに、私、すこやか堂(私の以前の勤務先である大型ドラッグストア)に長くいたからか、とっさに『黙って置きっぱなしにして帰らずにちゃんとお店の人に言ってくれるなんていい人だ』とうっかり思っちゃいました。いけませんねえ、すこやか堂ののろいで、私の道徳、崩壊しかかってますねえ」と感想を言う。

 別の同僚が「ああ、私もときどきすこやか堂には買い物に行くけど、あんな広い店舗では、お店の人も目が行き届かないもんねえ。見てる人いないなら、黙って置いて帰っちゃえ、になる人も出てくるのかもなあ」と言う。

 私が「いえいえ、誰も見ていなければそんなのもちろんしょっちゅうなんですが、私でも他の従業員でもいてそこで見てても、子どもがバリっと破いた商品を見た親が『そんなものそこに置いときなさいっ、帰るよっ』ってそのまま帰るケースもよくあるんですよ」と話す。

 同僚二人は「ええーっ。ありえんー。そんなんひどすぎるー」と驚く。私は「ですよねえ。すこやか堂の従業員同士でも、店内で破損商品見つけるたびに、はーっ、ふーっ、こういうのはどんなときでも気持ちよくないねー、とは話しても、あまりに頻繁すぎると、どこか『ああ、またかー』と思うことのほうが多くて、たぶんいちいち憤慨していたら身がもたないんですかねえ」と考察する。

 破損商品を手に持って憤慨していた同僚は「わあ、私もすこやか堂には時々買い物に行くけど、買い物には行けるけど、そんな腹のたつお客さんが来るような職場で働くのは無理。すこやか堂に就職するのは無理。すこやか堂からも来てくれって言われたことは一度もないけどそれでも無理」と言う。私は「だめですー、どこにも行かないでー、おねがい、ずっとここにいてー」と懇願する。

 私は常々自分が「きれいな職場」で働くことを「すこやかな職場」で「にこやかな職場」で「なごやかな職場」で「穏やかな職場」で「気持よく深く呼吸ができる職場」で働くことを希望している。だから、毎晩寝床で行う祈りのひとときには、自分がそういう職場で働いていることについて天にお礼を伝える。あたかもすでに自分はそうであるかのように言葉を紡ぐことによってその現実の濃度を高めていく作戦。そうしているうちに本当にその現実の中に自分の身を置く作戦。

 すこやか堂勤務当時には乱れたバックヤードをを整頓する作業にあたることがわりと頻繁にあり、そのたびに「ああ、かみさま、そうなのですね、きれいな職場で働きたいということは自分で職場をきれいにすることとセットなのですね、そりゃそうですよね、うううう」と思うことが何度もあった。

 すこやか堂で働いていた当時もそれよりずっと以前も、すこやか堂を退職して無職でいた時にも、そして再就職した今も、毎晩同じ祈りを行う。

 そう思うと、今の職場では、店頭商品窃盗もなく(待合室用雑誌の無断持ち帰りはときどきある、これも窃盗の一種だとは思う)、店頭商品破損放置の「放置」は少なくともない。それらがないもしくはそういう出来事と遭遇する機会が少ないというだけで働く立場の自分の気持ちがずいぶんと穏やかになるものなのだなあ、と感心する。店頭商品を破損してもそのまま放置するのではなく従業員に声をかけてくださる(買わないけど)だけでうっかり「この人いい人じゃん」と思うようなちょっと間違った余裕が生じるくらいに穏やか。

 そうして私の「穏やかな職場で働きたい」という日々の祈りは着実に現実の濃度を増してその願いが叶い続けているのであろうなあ。その願いも他の願いも言葉にして祈り願うようにし始めてからすでに何年もの時を経ているが、自分の希望する現実の濃度を濃くしてその現実を手に入れてその安定状態を味わうには、「願う」「喜ぶ」のドリルを飽くことなく何年も何年も延々と続ける必要があるのだなあ、と、そんな勘とコツをつかみつつある昨今のこの勢いで、七夕短冊に臨んでみようかしらね。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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