みそ文

問うてそして笑い合う

 薬学部の学生だった大学一年生のときに私は寮で暮らしていた。大学に付属する女子専用の学生寮で、部屋の作りは四人部屋。勉強机がよっつと、二段ベッドがふたつ、つまり寝台がよっつと、衣類用の開き戸と引き出しセットになったクローゼットがよっつ。私は二人部屋利用だったから、勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを上下二段使う。ルームメイトも同じように反対側の壁に面した勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを二段使う。

 彼女と同室になったのは秋の学園祭のあとからだ。彼女の同室だった人と私と同室だった人が同時に退寮して一人暮らしを始めたため彼女と私は寮の部屋を一人で使う状態となった。いくら退寮者が多くて部屋がたくさん空いていても、二人部屋利用である限り一人部屋利用はできない。そもそも一人部屋利用という設定がない。

 彼女は定期的に福岡のおかあさんに宛ててハガキを書く。福岡のおかあさまからもちょくちょくハガキが届く。私は毎月月初めになるとその前の月のお小遣い帳の頁をコピーして両親に宛てて封筒で送る。たまに広島の母から電話がかかってくる。母は私に「お昼ごはんはちゃんと食べてるの? 朝ごはんと夕ごはんは寮で出してもらえるけん大丈夫じゃろうけど。お小遣い帳にコアラのマーチばっかりが書いてあるのはなんなの。他のものもちゃんと買って食べなさいよ」と言う。電話は寮の代表電話にかかってくる。電話回線は複数あるものの数本と少ないため外部からの電話はかかりにくい。運良くかかれば寮監さんが取り次いでくれて学生各部屋の受信専用電話につないで呼び出してくれる。かかってきた電話を部屋で受けて通話するが、あんまり長く話すと他の人にかかってくる電話が寮につながらなくなるからそんなに長くは話さない。

 後期試験の試験勉強を夜遅くまでしていた寒い時期だったように思う。気管支拡張剤の成分に関する勉強中だったんだろうか。同室の彼女が自分の喘息歴について話を始める。小児喘息の病歴がある彼女は十九歳のそのときにも、まだごくたまに発作というほどではないけれど呼吸が少し苦しくなることがあり、念の為に吸入器を手元に持っていたと思う。

「喘息の吸入器ってさ、吸入したあとすぐにうがいせんとね、心臓がバクバクするん」
「そうなんだー、そうだとは習ったけどほんとにそうなんじゃね。でも、この部屋のそこのベッドの中で吸入したときって、廊下歩いて洗面室までうがいに行ってたっけ?」
「行ってないけど、そのまま寝ればいいときはまあいいんよ」
「いいんかー?」
「それは置いといて。私ね、大学生になるまでは今よりも発作が出る回数が多くてね、学校にも吸入器を持って行ってたん。それで、吸入器使ったあとにうがいをせずにいると心臓がバクバクするのは知ってたん。でさあ、まあ、ほら、若気の至りってやつやけど、放課後に学校で友達の前でね『吸入器って使ったら心臓がバクバクするっちゃ。見せちゃるけん、バクバクするとこ触らしちゃるけん、見とって』って、発作も起こってないのに遊びで吸入器を吸ったん。そしたらね、心臓のバクバクがいつものバクバクよりもすっごく大きくてね、しかもバクバクだけじゃなくて、手や腕もブルブル震えだしたん。顔も全身もなんとなく全体的に青っぽくなってたらしくて、友達はびっくりして、私も自分が動けんようになって相当まずいと思ったん」
「それは、まずいじゃろう」
「保健室行く? とか、いや動かさんほうがいいやろ、とか、友達はいろいろ言ってたけど、私はうずくまってて動けんし歩けんのん。そのときには保健室に行って学校から親に連絡がいってもまずいと思ってるやん。私としてはこんなことお父さん(職業開業医)に知られるわけにはいかんと思ってるやん」
「お父さんが処方してくれた吸入器じゃろ?」
「だからよ。吸入した後うがいせんのもまずいけど、遊びで吸入器使うのはもっとまずいやん」
「うん、まずいよ」
「やけんね、じっとしてたら大丈夫やけん、ってなんとか言って、じっとやり過ごして自分の復活を待ったん。でね、それ以来、私は吸入器を使って心臓バクバクの芸を披露するのは封じたん。あれ一回きりやったん。いい子になったん。えらいやろ」
「うんうん、いい子。えらいよ。だけどそれは一回で十分じゃろう。そんな自分の身を挺して命がけで芸せんでも」
「なんかねー、ときどきエンターテイナーとして、自分がここで何かせんと、って思ってしまうん」
「ええっ、ただの学生じゃなくてエンターテイナーなん? たしかに、モノマネも歌も上手じゃもんねえ、お話も上手じゃと思う。でもそんな命がけのじゃなくて安全な方向のエンターテインメントを選んだほうがいいと思う」
「うん、みそさんの言うとおり、本当にそのとおりー」

 昨日仕事に行く時に、信号待ちの交差点で車を一旦停止した。車の中からなんとなく周りを見まわしたときに、歩行者信号を待つ場所に自転車に乗った若い女性がいることに気づく。その人の姿形があまりにもルームメイトだった彼女の容貌に似ていて、車の中で私はひとり、思わず彼女の名を呼ぶ。自転車に乗るその人の、骨組み全体の華奢な作りも、すべらかでなめらかな肉付きも、肩から首そして頭骨にかけてのしなやかな曲線も、そののびやかな手脚も、身にまとう衣類のデザインと色合いも、後頭部の少し高めの位置で結った髪の毛のおくれ毛を片手で整える仕草の動きもその間のようななにもかもが、私の記憶の中の彼女と酷似していて、私の鼻と目の奥はくるると熱を帯びて潤む。

 十九歳の私たちが、夜の十時で暖房が切れる寮のあの寒い部屋で、そんな話をしたことを、少しはおぼえているかしらと、彼女に問うことも笑い合うことも今の私たちにはできない。けれども彼女がそうしたように、私が自分の天寿をまっとうして他界した暁には、またお互いにいろんなことを問うて笑い合うつもり。     押し葉

おとなでお年寄りではないけれど

 仕事を終えて職場を出る。三人のうち一人は店舗裏口すぐの場所にある自転車置き場の自転車に乗って帰る。「今日もありがとうございました。お疲れ様でした」と見送る。もう一人の同僚と私は少し離れた所にある職員用駐車場まで歩く。その道中、同僚が「あ、そうだ。どうやら先生のメールアドレス教えてください」と自分の携帯電話を取り出す。
 その同僚とは以前勤務時間外にこの店舗での業務上必要な件でお互いの携帯電話に電話をかけあったことがあり、それぞれの携帯電話番号は登録してある状態。

「ああ、ごめんなさい、私、携帯ではメールしなくてアドレスないんです。なのでメールくださるときにはアドレスじゃなくて携帯電話番号あてにSMSで送ってください。私も同僚さんの携帯番号宛てに送りますね」
「SMSというのは、私だったらauのCメール?」
「そうです、それそれ、それです。私はソフトバンクなんで昔はスカイメールっていう名前だったんですけど。以前は同じ携帯会社同士でないと番号あてではやりとりできなかったのが、今はどこの携帯会社とでもやりとりできるようになったので、それで」
「そうなんだー、わかりました、じゃあそうします。でも、じゃあどうやら先生は普通にメールするときはどうしてるんですか?」
「メールはパソコンではするんですが携帯ではしないんです」
「えー、質問質問。例えばですよ、旦那さんや友達と一緒にショッピングモールに買い物に行くとするじゃないですか」
「はい、例えばですね」
「そのときに、じゃあ、あとで待ち合わせてちょっと別行動しようということになることってありますよね」
「はいはい、例えば三時半にここで待ち合わせね、って、じゃあまたあとでね、って別行動するようなことはありますね」
「それで例えば待ち合わせの場所に自分が三時半に先に着いてちょっと待ってみて相手がまだ来なかったら『あと何分くらい?』とか『私先に着いたよ』ってメールするじゃないですか、そういうときどうするんですか? ああ、そうか電話をかけるのか」
「いえいえ、電話かけません。そのまま待ちます。そこでメールを送ろうということを思いつかないです」
「ええええっ。待ってる間どうするんですか?」
「そうですねえ、その近くの何かを見物していることもあれば、何かを読んで待つこともあれば、座るところがあれば座って何かを書いていることもあるかも」
「うわー、なんかー、新鮮ー。えー、なんでですかー、携帯メールなくて不便じゃないんですか」
「不便ないみたいですねえ。今はソフトバンク以外の携帯とも番号宛でやりとりできるようになったから、ちょっとした文字連絡のときにはSMSで事足りますし、それで足りなければ電話かけて話すかなあ、それも滅多にないですけどね。長いメールはパソコンでキーボードで打つほうがラクですし、メールはパソコンばっかりですねえ。携帯でのeメール機能なしだと月々300円、そのための料金を払わなくていいんです」
「それは300円払わなくていいのはたしかにそうです、たぶんauも同じかんじの料金設定だと思うけど、えー、でも携帯持ってて携帯メールしないこともできるんですねえ」
「はい、できますねえ。そういうわけでSMSだと文字数制限たぶん全角72文字くらいで、同僚さんのauから私のソフトバンク宛だと送信に一通あたり6円だったか3円くらいだったかかかるのが申し訳ないんですけど受信は無料なので、よろしくお願いします」
「えっ、たった6円とか3円とかなんですか。一通10円か20円か30円くらいかかるのかと思ってた」
「同僚さんは無料通話付きプランだって前に言ってましたよね、SMS送信料はたぶんその無料通話分から通話料として引かれるんだと思います」
「そうなんだー、でもたしかに待ち合わせで『あと何分くらい?』なんていう内容だったら絶対72文字以内ですよね。どうやら先生に連絡するときは待ち合わせじゃなくて仕事のことだと思うけど72文字で済まない内容のときには電話かけて話します」
「はい、私もそうします。怪しいSMSが届いたら私からだと思ってください」
「はい、わかりました、でもどうやら先生からだったら怪しくないです。それにしてもなんか新鮮ー、衝撃的に近いかもー。知ってる人でおとなの人ですっごいお年寄りとかじゃなくて携帯持ってて携帯でメールしない人に会ったのは初めてかもー」

 他社宛SMS送信料は正しくはいくらだったのかしら、と調べなおしてみたところ、ドコモとソフトバンクとauは基本的に3.15円のようである。なんとなく6円くらいかなあ、たしか3の倍数なかんじの値段だったよなあ、と思っていたからその約半額なのは思いがけずオトクな気分。同僚にも「他社宛のSMSは一通3円15銭らしいです」と今度同じシフトになったときに伝ておこう。     押し葉

ツボのスイッチ

 『神は細部に宿る』はなしの中で、そういえば夫は両目をみよーんと伸ばしたあとに、私が王様だということだけではなくて、「どうせ、みそきちは、自分に興味がないことはどうでもいいんじゃろ」ということも言っていた。

「それは、たいてい、誰でもそうなんじゃないかなあ? 人はそれぞれ自分の興味のあることに目が行く体が行く気持ちが行くようになってるんだと思うよ。それはたしかに、場合によっては、自分がわくわくうきうきとすごくそうしたいわけではないけど、総合的に判断して自分がそうするのが適切で適正なことに関しては、興味がなくても、どうでもいいこととして放置せずに、その任を負うことはある。でもそれは、俯瞰したときや突き詰めた時に結局自分にとってもなんらかのオトクがどこかにあるからそうするんだと思う。人はそうするほうが美しく道に適っていると感じる自分の判断基準に合格するのが気持ちいいからそうする、自分以外の誰かが喜ぶ快楽に身を委ねるべくそうする、というようなものも含めて。本人が自覚して意識しているかどうかは別にしてかもしれないけど。それにさ、どうやらくんも自分が興味のないことはどうでもいいというかそもそも見えないことはいっぱいあるじゃん」
「なに、それ、いっぱいとか失礼な。たとえば?」
「私は自分の髪の毛は長くて目立つけんもちろんだけど、どうやらくんの脛毛が落ちてるのは見えるし気になるから掃除するじゃん。でもどうやらくんは私の髪の毛は見つけて拾って『まったくもう』な風情で捨てるけど、自分の脛毛には気付かんじゃん。そこにあっても拾って捨てることもその除去のために掃除することもないじゃん。自分の脛毛に対して甘いというかどうでもいいけんなんじゃろ。まあ脛毛が多いのは仕方ないとは思うんよ、そういう身体なんじゃし。でもその落下したものをほうっておくのがいいかどうかというとどうじゃろうか。その脛毛を放置することで、その脛毛に寄ってくる埃に私の身体が反応して痒いよー鼻水が出るよー咳が出るよー苦しいよーになることは、そうやって妻が苦しい思いをすることは、どうやらくんにとって本望なんかな、それともどうでもいいことなんかな」
「ああああ、いらんスイッチを押してしもうた、いかんいかん、また芋づる式によからぬものが出てきちゃあいけんけん、停止ボタン、ぽんっ、クリアスイッチ、オン。とまれー、とまるんだー」

 気になるツボは人それぞれ。     押し葉

細部に宿る神々と仲良し

 先々週の土曜日にお気に入りの割烹料理屋さんで食事しながらの話のつづき。夫が「山に行く回数が増えて、何度も同じ山に行くようになると、同じ山でもそれまで気がついていなかったことに気づくようになるのがたのしい」と言う。これまでも見ていることのはずなのに、何度も行ってみて初めて気づくことや、季節が変わることで見えてくるものがあることになにやらぐっとくるらしい。夫は「映画や小説なんかでも、何度も見て読むうちに、以前は気づいてなかった深い部分に気づくことがあるじゃん。ああいうのを『神は細部に宿る』って言うんだ」とも言う。

「うん、うん、私もね、ケーブルテレビでFOXやAXNの犯罪捜査ドラマを何回も繰り返し見るじゃん。そうするとね、最初の頃には聞き取れてなかった台詞が聞き取れるようになったりね、その台詞がその回の前後のここにかかっていたのかというのがわかったり、その回とは別の回や別の作品や世界の基礎教養のあれとつながっていたのかって気づくのがたのしい。台詞だけじゃなくて場面や小物の意味がふと見えるようになるのもうれしい」
「おれの山とみそきちのテレビを一緒にするか」
「うん、一緒だと思うよ。だって、どうやらくんにとっての山登りは私にとっての日々の日常なかんじじゃもん。それに備えた準備の仕方にしても前後のセルフメンテナンスにしても」
「まあ、たしかになあ、みそきちは普段ただ生きてるだけで汗だーだーかくもんなあ。生きてるだけでお疲れさん、いうかんじやもんなあ。おれは山で歩けば汗だーだーになるけど、下界でそんなに汗かくことないからなあ。でもなあ、あんまり細部が見えるようになると、今度はアラも見えてきて、たのしいだけじゃなくてそのものに対する不満も出てくるのが難しいところなんだよなあ」
「うーん、そこは自分に都合よく、たのしい部分だけ意識してたのしくないところには気づかないようにしたらいいんじゃないかなあ」
「それが、そうはうまくいかんのんだって。細部とアラはセットじゃけん」
「例えば山だとどういうアラがあるん?」
「人気の山になればなるほど、山に来る人が多くなれば多くなるほど、マナーのわるい人が来る率が高くなってゴミが増える。毎回下山するときにはゴミを拾いながらおりてくるけどキリがない」
「ああ、ゴミはねえ、山だけのことじゃないけどねえ。山のせいでもないしねえ」
「山のせいじゃないけど、山のたのしみとゴミの不快がセットになってるところがある」
「それは、そうかもねえ。でも、今、この話してて思ったけど、私、自分が見たいドラマ見て面白かったなあ上手にできてたねえと思うことはあっても、アラが気になって不満や批判を言うことってないなあ」

 ここで夫が自分の両目の端に指先をあてて目をびよーんと横長に伸ばす。

「えーと、そのジェスチャーはどういう意味なん?」

 夫はまた同じことをする。

「どうやらくん。意味わからんけん教えて。またそんなこと言っちゃって、おまえしょっちゅう批判や不満言うてるやないか、いうことなん?」
「そんな、滅相もない」
「一生懸命思い出してるんだけど、本当に、私、自分が気に入って見てる犯罪捜査ドラマでそんな文句を言ったことないと思う。そりゃ、えーっ、そこでおしまいなのー、そんなー、私をここに置き去りにしないでー、と思うことはよくあるけど、それも、なんだろう、つかみ、の反対の技であって、作品を印象に残すテクニックだと思うから、それで不満や不愉快や不本意になることってないよ」
「それはね、みそきちが王様だからなんだよ。なんでも自分の都合のいいように解釈できるのは王様ならではなんだよ」
「ああ、それが言いたかったのか。そんな目をみよーんと伸ばしても意味わかんないよ。だからまあ、そういうわけでね、自分のおかれた状況を自分に都合よく解釈しようと思えばある程度はできるということなんよ。山のゴミは愉快じゃないけどね、でもゴミをポイポイ捨てる文化の人はそうするのがあたりまえで、そういうのって簡単に矯正できるわけじゃないからさ、こちらが不愉快になるのはもったいないというか、その人が将来何か『どうして自分がこんな目に遭わなくちゃならないんだ』と思うようなことが起きた時に、それはね、かつて山でゴミを気軽にポイポイ捨てたことの結果であり集大成なんだよ、と心のなかでそっと教えてあげるくらいでいいんじゃないかな。その人が『ゴミのポイ捨てがそんなに悪いことなのかっ』って思うかもしれんけど、少なくともいいことじゃないよね、そういういいことじゃないことの積み重ねってけっこう大きくて、いいことのエネルギーで均衡を取ろうと思ってもなかなかたいへんなんだよねえ」
「また、そんな、人様をのろうようなことを」
「のろってない、のろってない、ただ、そうだよねえ、と思うだけ。誰やここにこんなゴミ捨てたんはっ、と自分が腹立てて血圧上げて血管弱らせるのはもったいないじゃん。でもまあ、人によっては自分の不満や不本意や不愉快を表明したり、批判やジャッジを行うことが、なんだろうなあ、ちょっと語弊があるかもしれんけど、娯楽でもありおたのしみでもあり、時には気持ちよくなって正義感に似た何かが満たされることもあるんだろうから、それはそれでその人にお任せするのがいいんじゃないかなあ」
「王様ー」
「はいっ(元気よく挙手)」

 王様もそうでない人も、それぞれがそれぞれにたのしいなと思う分野において細部に宿る神々に出会えた時には仲良くしよう。     押し葉

記憶の定着バナナばなな

 今日も「神は細部に宿る」とは別の話。

 先週だったか、私が出勤前にバナナを食べて食卓のバナナがなくなった。私の好きなバナナは台湾バナナなのだけれど、うちの近所のスーパーには台湾バナナの在庫が少なめで売り切れていることが多い。夫の勤務先の近くのスーパーは台湾バナナの在庫が多いお店だと夫から聞いていた。私の勤務先からだといったん我が家を通り過ぎてスーパーに行く必要があるが、夫の勤務先近所のスーパーは夫の通勤経路にあり立ち寄りやすい。明日もバナナがあると嬉しいなと思い、夫にメールで依頼する。送信先アドレスは夫の会社アドレス。件名は「依頼」。内容は「台湾バナナ買ってきてください」。

 夜になって夫が帰宅する。おかえりなさい、と出迎えると、夫が「ああっ、バナナ買ってくるの忘れた」と言う。「会社でメール見て、ほら、手の甲にメモを書くところまではしたのに」と左手の親指の付け根を私に見せる。ボールペンで小さな字で「BB」と書いてある。BはバナナのBなんだろうな、と思いはしたものの、「まあ、他に食べるものあるしね、バナナはまた買いましょう」と言って夕食を並べて食べる。

 そのときにはそれだけで終わっていたのだが、昨日になって、ふと、あれ、バナナのBはBだとしても、なんでBBでBがふたつ並べてあったんだろう、と疑問に思う。夜になって夫に「この前のバナナ買ってきてくださいのときにどうやらくんが手の甲にBBって書いてたのはBANANAのBかと思ってたけど、なんでB一個じゃなくて二個並べてあったん?」と訊く。

「そういえば、BBって書いてたなあ、なんでやったかなあ、BANANAの略ならBNNなのになあ」
「ええっ、BANANAの略はBNNなん? もしかしたら、buy banana(バナナを買う)の略でBBとか?」
「いや、ちがう、それはない。あ、思い出した、BはバナナのBだけど、一個だけじゃ忘れそうだから、念の為にもう一個書いておこうと思って書いた」
「だけど残念ながら思い出せんかったいうことなんじゃね」
「いや、そこで、念の為にもう一個書いておこうと思うことが重要で、そう思うことが記憶の定着につながるんだから」
「うん、それで定着した記憶が再生されてバナナの購入に至ったら大成功だったけど、念の為にもう一個書くところまではしたけどそのことを思い出さんかったということなんよね」
「ほんまやなあ、そうやなあ、おかしいなあ」
「おかしいねえ、でも結果的には思い出さんかったとしても、思い出す確率が高くなるように記憶の定着を狙って二度書きした心意気は立派だと思う」

 ちなみにまた別の日に夫が買ってきてくれたバナナは「甘熟王」という名前のバナナで台湾バナナとは異なるけれど、これはこれで甘くておいしいバナナだった。

 私は一時期バナナを食べると喉が痒くなって体が冷えてバナナがうまく消化できないという不都合が生じたことがあり、そりゃあ南国の果物だから冷却効果はある程度あるだろうし、果物として天敵から身を守り子孫繁栄につなげるために酵素を出してはいるだろうけれど、バナナくらいは食べたいことであるよ、と思っていた。それが最近は身体が積極的にバナナを求めるようになり、バナナを食べても口も喉も痒くなく体の冷えも気にならず消化にも問題がなくなり、ありがとうバナナな日々が戻った。
 最近気がついたことは、バナナの皮をむいてそのまま口に入れて食べるよりも、皮をむいたバナナをいったんお皿にのせて、フォークで(ナイフを使ってもよいがフォークならそのまま突き刺して食べられるので)五ミリ幅くらいにバナナを切ってから口に入れると、口と喉がよりいっそう痒くなりにくいということ。だから近ごろは、ちょっと一手間ではあるけれど、いったんお皿に皮をむいたバナナをのせて、フォークで切って、それから食べる。

 大学生だったころか、社会人になってからか、福岡に住む友人の家(実家)に遊びに行った時の朝ごはんにバナナヨーグルトを出してもらったことがある。
 そのときに友人が「みそさん、ごめんけど、朝ごはん、バナナヨーグルトとトーストだけでいいかなあ」と訊いてきて、「だけ」と言ってもコーヒーか紅茶と牛乳もあって、全然「だけ」ではなくて、私は「十分です、これ以上食べるのは無理です、ありがとう、いただきます」とおいしくいただいた。
 彼女の実家は食べることに対する意欲がたいへんに高い文化のおうちで、そこで育った彼女としては食事というのは品数も量ももっとたくさんあるのが標準だったのかもしれない。
 そのとき出してもらったバナナヨーグルトのバナナが、そういえば五ミリくらいに切ってその上にヨーグルトがかけてあったなあ、と、最近自分が食べるバナナを見るたびに思い出す。

 明日は、バナナにヨーグルトをかけて食べてみようかな。     押し葉

お茶屋さんでトルコピザ

 茶屋の話の続き。注文した品が出てくるまでのあいだ、お店に置いてある雑誌を借りて読む。夫は『地元のカフェ』を特集したもの。私は『地元の手土産』の特集。
 雑誌に載るおいしそうな写真を見ると夫の空腹が刺激されるらしく、メニューを目の前に置いて「もう一品か二品、何か頼もうか」としきりに言ってくる。

「どうやらくん、出てきたものを見て食べてみて、それでも足りなかったら注文しようよ」
「そうか。そうだな」
「十八年前の今頃は、トルコでむやみに注文して食べきれなくて残してごめんなさいな気持ちになったじゃん。あの頃に比べたら今の私らは賢くなってるんじゃけん。空腹に任せて大量注文する前に、これだけは食べたくて食べきれるという量だけ頼んで、それ以上は食べてもまだ欲しかったときに注文する子に育ったじゃん」
「トルコでそんなに残したっけ?」
「私が覚えているのはパムッカレ(棚田に乳白色の石灰水温泉が流れる風景が有名。当時はその棚田の温泉に水着を着て入浴できた)でお昼ごはん食べた時に頼んだクイマルピデが大きくて、他にもピラウ(ピラフ)やチョバンサラダ(羊飼いのサラダ。きゅうりとトマトと葉野菜が混ぜてあることが多い)やキョフテ(羊肉のハンバーグのようなもの)も頼んで食べきれんかったことかな」
「おれはパムッカレのことはおぼえてないけど、アンカラ(トルコの首都)で二種類のピザを頼んでそれがでかくて両方少しずつ残した記憶ならある」
「じゃあ、きっと少なくともその二回は残したんだよ」
「ピザ、大きかったよなあ」
「うん。大きかった。それにしても私、ピザのことをトルコ語でクイマルピデと呼ぶことを今よく思い出したなあ。もう忘れてるトルコ語のほうが圧倒的に多いのに。クイマルピデなんて使うことないのに」
「そうか? おれ結構おぼえてると思う」
「私ら、というか、私は、旅行に行く前はその国の主な言葉をがあっと短期集中で勉強して中学一年生の英語を修了したレベルくらいにはしてから行ってたじゃん。トルコに行く前はけっこう二人でこつこつ勉強したよね。でも帰国して使わなくなるとこれまたいっきに忘れる」
「おれは当時みそきちに比べたらおぼえたトルコ語の数は少なかったけど、その後忘れたトルコ語の数もみそきちより少ない自信がある。なんなら今一個ずつトルコ語の言葉を順番に出していくゲームをしたらおれのほうがたくさん言葉出せて勝つと思う」
「覚えたものが少なければ忘れたものも少ないのは当然のような気がするけど、でも、まあ、そうなんじゃね。あ、でも、そのゲームする前に卑怯にならないように言っておくとね、私、最近、インターネットで画面上に不定期にトルコ語語彙が表示される機能というかサービスというか、タダなんだけどね、を利用して地味に勉強というほどじゃないけど勉強っぽいこと続けててトルコ語見る機会があるけん、旅行当時におぼえたのとは別の新しい語彙がけっこう入ってると思うよ」
「うっわー、あぶねー。それ知らずにゲームして勝つ気満々で『おれが負けたらここの食事代全部おごるわ』とか言うところやったわ。それにみそきちが最近新しく覚えた言葉を出してきてもそれが本当に正しいトルコ語なんかどうかなんておれには判別つかんじゃん」
「うん。その語彙表示サービスではトルコ語とブルガリア語とペルシャ語に同時にお世話になってるん。私もどの語彙が何語なのかはっきりおぼえてるわけじゃないけん、トルコ語語彙出しゲームなのにブルガリア語やペルシャ語が私から出てきたとしても、それがトルコ語じゃないことが私にもどうやらくんにもわからんけんこれはゲームとして成立せんと思う」
「あぶない、あぶない、へんな試合に挑まんでよかった」

 その後注文した品が運ばれてきておいしくきれいにいただく。この「おいしく」そして「きれいに」具体的には「残さず」いただくというのは、外食における私の満足感を大きく左右する。自分が注文したにもかかわらず、おいしいにもかかわらず、食べきれなくて残すことは不本意であるし、無理して食べればお腹と身体が苦しくなり不調になりこれもこれでやはり不本意。自分の身体にとってちょうどよい量でなおかつきれいに食べきった状態がもっとも満足度が高い。

「ああ、お腹いっぱい。ごちそうさまでした」
「おれはまだなんか最後に甘いもので味を完結させたいなあ」
「どうぞ、食べて。私は無理」
「よもぎだんご注文したら、その半分なら食べる?」
「無理。がんばったら一本はお手伝いできるかもしれんけど、それ以上は無理」
「うーん、五本のうちの四本を食べるのはおれも無理やなあ。白玉ぜんざいは?」
「白玉一個とぜんざいをさじに二口なら」
「おれもそれくらいかその倍くらいがいいんだけどなあ、無理かあ。わかった。帰ってからうちの冷蔵庫にあるハーゲンダッツのアイス食べる」
「うん、それがいいね、きっと」

 それから自宅に戻る。日が長いと食事して帰ってきてもまだ明るくてなんだか余裕のある気持ちになるね、と話す。それから家の中で過ごす格好に着替えてくつろぐ。夫に「アイスは?」と訊くと「少し休憩してからにする」と言う。それから数時間の間、ふたりとも特に何も食べないまま世の中は暗くなる。その後夫が歯を磨き始めたのを見て「あれ、アイスは?」とまた訊く。夫は「やっぱり必要なかった。お腹いっぱいじゃけんこれ以上は食べんほうがラク。このまま寝る」と言う。そうだろう、そうだろう、味の完結として甘いものが欲しくなる気持ちはわかるけど、それを食べようと思ったら食事本体の量を減らして甘いものに備えるか、甘いものが最後に少量だけついてくるようなセットメニューを所望する、あるいは注文した品を一部分け合って食べてくれるようなメンバーが整った状態で行くなど、事前の工夫が必要だもんねえ、と思う。

 あの茶屋には、また今年のあじさいが色とりどりに咲く頃に、今度はよもぎだんご(きな粉かけのものと、きな粉と黒蜜がかけてあるものの二種類がある)もしくはわらび餅と白玉ぜんざい(温と冷とある)とお茶をいただくことを主目的に行こうと思う。たのしみ。     押し葉

茶屋とコットンマフラー

 「神は細部に宿る」の話を書きかけたのが途中ではあるが、今日の話。夕方食事に出かけようと車のところまで来てから、私が「あ、髪の毛束ねるか留めるかするものを持ってくるのを忘れた」と気づく。夫は「車の中になんかあるんじゃないん? それとも家に取りに帰ってくる?」と言う。

「うーん、車には何もそれっぽいものはないねえ。取りに帰るのは面倒臭いなあ。かといってこのままでは食事するときに髪の毛が垂れてきて邪魔だしなあ。あっ、そうだ。今、私が首にかけてるコットンマフラーをリボンみたいに使ってなんとかできるかも、できそう。ああ、よかった。くうっ、私、お利口だねえ」
「本当にお利口な人は、自分に必要なものは忘れずに持ってくるんじゃないかなあ」
「まあ、そういうお利口もあるけどね、何か不都合な事態が生じた時にその問題を解決するなり折り合いつけるなりできるそういうお利口さが重要だと思うんよ」
「はい、はい、そう思ってたほうがしあわせなのはそのとおりじゃろう」
「だってね、私の場合は、忘れる、というのは標準仕様というか、なにかと頻繁に忘れるのが前提じゃん、その前提がある中で忘れんようにするのはまあそうするけど、それで忘れたからといっていちいち取りに帰るよりも手持ちのもので工夫できる方が自由が多いと思う。取りに帰る選択肢も選べるけど手持ちのもので対応する選択肢もある自由」
「王様ー」

 そうして。もう少し季節が進んだら紫陽花が満開になる山の茶屋に着く。首に巻いていたコットンマフラーを外してまずは髪を束ねてみる。マフラーがするりと滑って落ちる。
 それならと後ろ髪の生え際からマフラーの両端をおでこの上にまわしてきて前頭部で結んで、『魔女の宅急便』のキキが髪の毛を軽く上げているようにしてみる。これなら少しくらいうつむいても横の髪が前に垂れてこない。

「見てみて。髪の毛うまくまとめられたよ。ほら、横の髪も落ちてこないよ。見た目的に問題があるかどうかは別にして」
「大丈夫。見た目は問題ない」
「大丈夫かな。こういうファッションなんですね、と思おうと思えば思える範囲かな」
「うん。思おうと思えば思える。思おうと思わなくて思える」
「そっか。ならよかった」

 店員さんが注文を聞いて料理を運んで来てくれる以外には私たちの他に誰もいない茶屋で解決した髪の毛問題。コットンマフラーを首に巻いて出かけた私はお手柄だったなあ。

 もしもそのコットンマフラーがなかったら、今日の私の身なりとバッグの中にはもう紐状のものもゴム状のものもない。そのときにはどうしていたかなあ。お店の人に頼んで輪ゴムをひとつ分けてもらう方法もあるけど。スカートの上から腰に巻いているスカーフでほっかむりするという方法もあるか。もともとこのスカーフはトルコで買ったもので、トルコの女性が当時(私たち夫婦が新婚旅行で訪れた当時、十八年前)はこういうスカーフで頭全体を覆っていて彼女たちはその姿で食事をしていたのだから、使えるはず。私の見た目が自然か不自然かは別として。『なんだかこの人(私)すごく顔の彫りが浅いけど頭を布で隠しているということはイスラム教徒の人なんかもしれんね』と思おうと思えば思える人の想像力に期待しよう。首巻きとスカーフは大抵の場合身に着けているから、今後もしまた髪留めを忘れても慌てず自分の身辺をよく観察してみよう。だいたいなんとかなりそう。それでなんとかならなくても他のことでなんとかできればそれでいいし。私の前途は洋洋。     押し葉

座敷でよもぎシャーベット

 落語を見終えてまた高速道路に乗って帰る。夕ごはんはどうしようかと相談する。久しぶりにお気に入りの割烹はどうだろうか、いいね、それいい、そうしよう。

「風呂の日でバイキングが通常3800円のところが2600円でも私にはあまり魅力がないけど、落語のあとにあそこ(お気に入りの割烹)で菜っ葉の煮物や里芋煮っころがしが食べられるのはすごい魅力がある」
「バイキングはなあ、元を取るほど食べてこその満足感なとこがあるからなあ」

 そうして自宅近くのインターチェンジをおりたところで夫が「携帯にお店の電話番号入ってる?」と私に訊く。「うん、入ってるよ、予約しようか」「お願いします」

 お店に電話をかけて「三十分後くらいに大人二名座席予約できますでしょうか」と尋ねる。「もしかするとお二階の座敷になるかもですがいいですか」と言われるが、それがうまく聞き取れなくて「え、すみません、もう一度」と問い返す。もう一度同じことを言ってくださったあと「どうやらさん、ですよね? いつもカウンターご利用ですけど二階の座敷でもかまいませんか」と重ねて言われる。「ああ、はい、どうやらです、こんにちは。席はもちろんどこでも大丈夫です。よろしくお願いします」と電話を切る。

「すごいね。名乗ってないのにどうやらさんでしょ、って言われたよ」
「それはすごいな。そんなにしょっちゅう電話予約するわけじゃないのに」
「あそこの大将さん、特殊な聴覚があるんかもしれんね。料理人として特別な味覚は持ってはるとは思ってたけど」

 お店の近くの民間駐車場に車を駐めて少し歩く。お店に入ると二階の座敷へどうぞと案内される。ここのアルバイトさんは皆大学生くらいの年代の若者で、調理師学校の生徒さんかなにかなのか、それとも飲食業に関係のない学生さんなのか、どちらにしてもよく教育されているなあ、と感心することが多い。

 卓に向い合って夫と座る。夫は生ビールを、私は炭酸水を注文する。つきだしは里芋煮付け。注文したのは御刺身の盛合せと、季節の菜っ葉煮(おかひじきと厚揚げの煮物だった。おかひじきがシャキシャキ)、バイ貝の煮付け、アジフライ、揚げ出し豆腐、鳥の照り焼き山椒風味、シャーベットは柚子とヨモギ。このヨモギがたいへんに蓬よもぎしていて、ああ、よもぎ、くう、よもぎ。

 この食事中の会話に出てきた「神は細部に宿る」話を書きたいのだけれど、なかなか辿り着かないなあ、とりあえず今日はここまで。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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